基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

現代韓国のSF作家らに多大な影響を与え、韓国SFの代名詞と言われる作家ペ・ミョンフンの代表作──『タワー』

タワー

タワー

Amazon
この『タワー』は、韓国を代表するSF作家の一人ペ・ミョンフンの代表作といえる連作短篇集だ。最初、それ以外の前情報は一切仕入れずに読み始めたのだが、すぐに面食らってしまった。いったいこれは何の話なんだ……? と。舞台は674階建て、人口50万人にもおよぶ巨大タワー「ビーンスターク」。その時点で異様な存在だが、その中では地上では理解もつかぬ人々とその行動が展開するのである。

東方の三博士──犬入りバージョン

たとえば一篇目の「東方の三博士──犬入りバージョン」ではビーンスタークミクロ権力研究所のチョン教授が、酒に電子タグをつけてタワーの上流社会に流通させ、それがどこに贈られていくかで権力構造を把握しようとする実験が語られていく。

 イ博士はミクロ権力研究所に入ってもう三年めだった。彼はチョン教授の話を聞くたびに、こいつは天才なのかいかさま師なのか、判断つかないなと思ってきた。だがある日、チョン教授が研究資材・機材の購入費で洋酒三ケースを仕入れると言ったとき、イ博士はついにこいつがどういう人間なのかがほぼわかったと思った。ただのガイキチである。

正直実験だけみればそう突飛な話ではないのだが、読みすすめていくと酒がスムーズに回っていかない、酒を止めている家があることが明らかとなり、そこにいったい何があるのかと確認してみると、そこにいるのは犬だったことがさらに判明する。犬が35年ものの酒を飲むわけがない。どういうわけで犬に酒がプレゼントされるのか。

よくわからないが、犬を入れずに権力場理論によってシミュレーションすると結果は現実とズレるので、犬は必要であることが判明する。そのうえ犬は「こくみん」と吠えるという観測もあり──674階建てのタワーの時点で普通ではないだが、その中もやはり普通のではないというか、意味がよくわからない世界だ。ただ理不尽に意味不明な要素が展開していくのかといえばそうではなく、権力場理論にはそれなりにしっかりとした理屈が与えられるし、「謎に権力が集中している場所には何があるのか」という謎を解き明かすプロットもミステリ的にまっとうに楽しませてくれる。

タワーの内部はどのような世界なのか。

「東方の〜」は最初の短篇だけあって、このタワーの内部がどのような世界なのかがざっくりと明らかにされている。たとえばこのタワーが674階建てであること。その674階はマンションのように整然とした空間が重なっているわけではなく、テトリスのブロックのように空間が積み上がっているので、正確な階数はわからないこと。

タワーは独立国家であり、中にいる人達は外に仕事にいって帰るのではなく、みなビルの中で仕事をして、暮らしている。国家なので自分たちを守るための軍隊も所有していて、それは22階から25階までの「警備室」の面々が担当する。21階までには商業施設があり、そこまでは外国人でも誰でも出入りできる中間地帯だ。

タワー内の移動はどうなっているのか? といえば、エレベーターはあるが、1階から最上階までまっすぐいけない。数十階ずつのエレベーターがあり、場合によっては上に上がってから一度別の場所で下に下がって、また上がってこないといけないということもある──と、単に巨大なタワーというだけではすまない世界であることが徐々にあかされていくことになる。

自然礼賛、タクラマカン配達事故

続く短篇は「東方の〜」ほど変な短篇ばかりでもない。低所恐怖症で1階に降りられない作家Kが、かつては社会批判的な作品を多く書いていたのが自然礼賛作品(自分はタワーに引きこもっているのに)ばかり書くようになった皮肉な状況を、韓国の現実の事件や当時の政治を背景に折り込みながら描き出す「自然礼賛」。

ロケットで撃墜されタクラマカン砂漠に墜落し、ビーンスターク軍から見捨てられた傭兵を、ビーンスタークの市民の人々が力を結集して救済しようとする「タクラマカン配達事故」。その救済の鍵になるのがビーンスタークならではの”郵便”で、その仕組がおもしろい。先に書いたようにビーンスタークはでかく、普通には1階から最上階まで到達できない。しかし、ビーンスタークでは郵便を無料で送る手段がある。

各エレベーターには青いポストが設置されていて、そこに手紙を入れておけば、エレベーターを利用する人たちが目的地に近いものを持っていってくれる善意のシステムが存在するのだ。撃墜された傭兵の元恋人にして、ビーンスターク国民であるウンスは、高額な金を払って砂漠の衛星写真を取得し、撃墜された飛行機の残骸を探してくれるよう住民らへと手紙を出す。初出は2009年のことで、インターネットの善意を信じられる時代ゆえの作品だが、今読んでも心温まる物語であることに変わりはない。

エレベーター機動演習、広場の阿弥陀仏

ビーンスタークには「垂直主義者」と「水平主義者」という二つのイデオロギー上の対立が存在する。「エレベーター機動演習」は、それを男女のほのかなロマンスとともに描き出し、左派の争いとその無益さをとらえた興味深い一篇だ。

物を輸送するには垂直で移動させた後水平に移動させる必要があるように、垂直、水平、どちらかだけで物事が回るわけではない。そう語る垂直主義者とみなされる語り手が、520階で原理的水平主義の女性と出会い、お互いの主張を受け入れていく。架空の本がたくさん出てくる作品だが、どれも読みたくなる魅力があるのが凄い。

翌年、彼女が『520階研究』っていう本を出したんだけどね、あれはおそらく、三十年の水平主義の歴史上いちばん美しい本じゃないかな。七年間520階に暮らして観察したことを、水平主義の理論は全く使わず、ひたすら自分の洞察力だけで書いたもので、文字通り520階のことしか出てこない本なんだけどね。それなのに、すごいんだ。

続く「広場の阿弥陀仏」は、往復書簡ものの一篇。ビーンスタークで警備員として就職し、警備室が新しく設けた騎兵隊で馬と共に訓練している男性が、自身の嫁の妹と行う手紙のやりとりで物語は進行していく。そもそもタワーの中の軍隊で騎兵隊がいるのもよくわからないが(デモを鎮圧するという目的はある)、その後デモ鎮圧用に一頭の象を飼育するようになり、男は象の訓練を担うようになる──。

象は実戦投入され、デモを鎮圧することができるのか。そもそも、象は広いとはいえ建造物であるタワーの中で訓練することができるのか──。変てこだが感動的という、実にこの短篇集らしい一篇である。

シャリーアにかなうもの

最後の「シャリーアにかなうもの」は、この国家が宿命的にかかえる問題点である”テロ、攻撃に弱い”という問題を扱った一篇。閉鎖環境下なので攻撃されたら弱いのは当たり前である。外から攻撃も怖いが、内部に入られての爆破も怖い。しかも、下が崩れたら上が全部落ちてくる。はたして、どうやって守るのか? あるいは、攻撃するのか? を、防衛勢力だけでなく攻撃勢力の視点からも描き出していく。

おわりに

作品はどれもストレンジでありながらもその裏にはしっかりとしたロジックや当時の韓国の社会状況なども反映されている。日本でいえば筒井康隆、最近の作家でいえば『半分世界』の石川宗生っぽいか。そうした作風は僕が大好きなもののひとつなので、存分に楽しませてもらった。