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グレッグ・ベアの傑作&代表的中篇が二つまとまった記念碑的一冊!──『鏖戦/凍月』

この『鏖戦/凍月』はハードSFの巨匠にして『ブラッド・ミュージック』などの著作で知られるグレッグ・ベアの代表的中篇二つをまとめた一冊になる。グレッグ・ベアは1951年生まれの作家で、今の作家とはいい難い。ではなぜ今新しい本が出たのかといえば、昨年の11月に亡くなり、今月発売のSFマガジンでグレッグ・ベア追悼特集(小特集だけど)をやっているタイミングだからだ。つまり、記念碑的一冊である。

古い時代の作家とはいえ、僕は個人的にグレッグ・ベアという作家とその作品が大好きだ。最先端の科学とテクノロジーを貪欲に吸収し、それを壮大で独特なヴィジョンに仕立て上げてきた作家で、傾向としては今話題の『火星の人』や『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のアンディ・ウィアーなどと近い。それなのに、ほとんどの作品は絶版になって買うこともできない状態だったから、亡くなったことがきっかけとはいえ、こうしてまた作品が手に取れるようになったのは、喜ばしいことといえる。今回、本作のみならず過去作の電子書籍も刊行されているのだ。

で、この『鏖戦/凍月』である。前者は「みなごろし・いくさ」と書いて(塵(ちり)ではない)「おうせん」。後者はいてづきと読む。前者はグレッグ・ベアのスケールの壮大さと詩的な表現が噛み合った一篇で、後者は最先端テクノロジーを次々取り込んで未来の社会を描き出す作風が色濃く出た素晴らしい作品だ。特に前者は、解説の山岸真に『個人的には、中短篇のオールタイム・ベストで五指に入るSFであり、ノヴェラに絞ればこれが一位だと思っている。』言わせるほどの傑作である。

今さらグレッグ・ベアとかいう昔の作家なんか読む気がしないな〜という人が今だと多いんじゃないのかなと思うが、それでも本書は間違いなく今もなお読む価値のある一冊だ。以下、この二篇についてもう少し詳しく紹介していこう。

鏖戦

物語の舞台ははるかな遠未来。常識も容姿も政治体制も何もかも変質した人類と、異星種族《セネクシ》の戦いが長い時と共に描かれていく。本作がとりわけスペシャルな作品となっている理由はいくつかあるが、その筆頭の一つはこの変容した人類と、まるで思考の異なるセネクシを見事に書き分け/訳しわけている点にある。

人類側は変容したとはいえ人なので、まだ理解しやすい内容だ。たとえば物語の中心となる少女ブルーフラックスらは、原始星群〈メデューサ〉をめぐる巡航艦《混淆》に乗って、セネクシを滅ぼすために戦闘訓練を積んでいる。セネクシは蔵識曩プルード・マインドを持ち、そこに5つの分枝識胞ブランチ・マインドが属す生命体だ。蔵識曩には何十万年にも及ぶデータが詰まっていて、ブルーフラックスらはそれを破催するのが目下の目的となる。

本作はそうしたブルーフラックスら人類視点の物語と交互に、人類と対峙するセネクシ側の語りも紡がれていく。こちらは異星種族の異質な知性・認識を表現するためか、あらゆる単語に漢字が使われている。たとえばアンモニアは「安母尼亜」だし(これは正式な漢字)、人類らが使う「セネクシ」はセネクシ視点では「施彌倶支」として表現される。たとえば、セネクシ側は下記のような文章が続くのだ。

 いちばん幅のあるさやに乗り、液体安母尼亜アンモニアの薄膜上を滑走しながら、阿頼厠厨あらいずは新しい任務のことを考えていた。人種にんしゅなる種族が〈美杜莎〉めでゅーさと呼ぶものについては、施彌倶支せねくしにもそれなりの名称がある。投じた莫大な時間と労力を反映する呼称がある。彼にとってその原始星群は、もうほとんど謎のない場所だった。

最初はこの視点の切り替え、また異質な漢字だらけの文章と説明がほとんどないままに繰り出される造語のラッシュに慣れないのでえらく読みづらいのだが、しかしこの表現だからこそ、この二者が大きな隔たりのある存在であることが伝わるのである。

セネクシサイドの語りは阿頼厠厨(あらいず)を名乗る個体が担当するが、彼はセネクシらの中にあって人間(セネクシの表現では人種)の研究を担当している存在で、捕獲した人間やその記憶装置を研究するうちに、次第に彼らへの”共感”を獲得していく──というと異なる種族が”相互理解”へと至る安易なオチを想像しそうになるが、この後本作は想像もつかない地点まで吹っ飛んでいくことになる。

戦場に赴く人類の兵士たちの描写はまるでミリタリーSFのようで、異質な存在とのコミュニケーションを模索する両者の視点はファーストコンタクトもののおもしろさがある。また、中国の歴史についての語りから物語が始まることからもわかるように、悠久の時の中で歴史を紡ぐことの物語であり、ガス惑星群が発祥の地であるセネクシらの細かな生物学的な描写も素晴らしい──と、邦訳版にして110ページ程度の中篇なのだが、ここには多大なテーマと魅力が詰まっている。

「鏖戦」は原題では「HARDFOUGHT」であり、本作の中でセリフとして用いられることになるのだが、べらぼうにカッコいいのでぜひ読んで確かめてもらいたい。

凍月

続く「凍月」は「鏖戦」から一転、読みやすい作品だ。時代は近未来、人類は居住地を月や火星にまで広げ、それぞれに経済圏が出来上がっている。物語の中心になるのは、月の権力者一族であるサンドヴァル結束集団(BM)らとその事業だ。

彼らは〈氷穴〉と呼ばれる場所で絶対零度の研究を行っているのだが、空いた場所を使って、スタータイム保存協会から引き取った410の死体を保存するプロジェクトを始めようとしている。死体とはいえ肝心のモノは頭だけ。これは、当時の医療技術においては死ぬしかなかった人たちが、未来の技術を頼って(できれば生き返らせてほしくて)頭部を凍結した人たちのなれのはてなのだ。こうした頭部のみの人体冷凍保存とそれをビジネスにした人々は単にグレッグ・ベアの創作ではなく、アメリカのアルコー延命財団を筆頭に、1970年代から現代に至るまで無数に存在していた。

本作の時代でも頭部から人間を再生する技術は存在せず、普通に考えたら頭部のみを引き取っても利益はでない。そのため、サンドヴァル家は頭部に保存された「情報」を目的として、その事業をはじめたようなのだ。そんな、サンドヴァル家としては余った〈氷穴〉のスペースを活用しよう程度の発想で始まった新規事業は、次第に月での権力闘争や新興宗教との争いの火種となり、最終的には量子コンピュータや絶対零度の研究までもが絡んで、とんでもないスケールの騒動へと繋がっていくことになる。

一見絶対零度研究や頭部の凍結保存、新興宗教は全部別件のようにみえるのだが、バラバラに見えたピースが終盤にかけて気持ちよくハマっていく、グレッグ・ベアの構成力の見事さが光る作品だ。世に影も形もなかった(影ぐらいはあったかもしれないが)量子コンピュータを取り上げるなど、科学をプロットに組み込む手付きもいい。

おわりに

最初にアンディ・ウィアーなどを引き合いに出したが、やはりこうしてあらためて読み返してみると、グレッグ・ベアの小説スタイルは唯一無二のものだと感じる。装丁もカッコよくバシッと決まってるんで、良かったら手にとって見てね。

最後に宣伝

グレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』も紹介している僕の先月出た単著『SF超入門』もよろしくお願いいたします。