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『元年春之祭』の陸秋槎による、今年ベスト級のSF短篇集──『ガーンズバック変換』

『ガーンズバック変換』は『元年春之祭』や『雪が白いとき、かつそのときに限り』、『文学少女対数学少女』といった、ミステリ系の著作で知られる陸秋槎による初のSF短篇集である。陸秋槎は北京出身だが、その後日本の石川県在住となった作家。日本文化への造形が深く、それは本作収録の短篇を読めばすぐにわかる。

というか、短篇だけ読ませたら日本の作家としか思えないだろう。香川県を舞台にした表題作「ガーンズバック変換」からして、香川県の「ネット・ゲーム依存症対策条例」に着想元がある作品なのだから。陸秋槎のSF短篇は『異常論文』アンソロジーや『アステリズムに花束を』に掲載されていたから、すでに抜群におもしろいことはわかっていた。だが、今回本邦初訳の二作と書き下ろし二作も含めて全体を読み直してみたら、期待をはるかに超えておもしろい! まだ2023年もはじまったばかりだが、今年のベストSF短篇集はすでにこれでいいのでないかというレベルだ。

掲載誌がバラバラなので統一感こそあまりないのだが、全体を読んでみると、ソシャゲやアニメを中心に据えた日本サブカルにどっぷりな短篇も、歌/詩人をテーマにした短篇もあり、偽史/架空伝記の質もとにかく高く、さらには言語SFまであって──と、射程が広い作家だな、という感想が湧いてくる。共通しているのは、どの短篇も各登場人物の感情の描き方、時に二者、三者間の感情のぶつかりあいが、時に残酷で美しいこと。また、架空の歴史や人物、ゲームの設定などを突き詰めていく手付きは圧巻で、存在しない概念に手で触れられるのではないかと思うほどだ。

本書のあとがきでは担当編集である溝口力丸との出会いによって、偶然に近いかたちでSFを書き始めたという風で書かれているが、SFを書くべくして書き出した作家であると思う。中国発で作品はどれも翻訳を経ているが、帯に「中国発、日本SF」とあるようにまぎれもなく日本SFでもある。以下、各短編を紹介していこう。

各短篇をざっと紹介。冒頭三作

トップバッターは書き下ろしの「サンクチュアリ」。語り手は人気シリーズの続刊のゴーストライターを依頼され苦悩する、売れないファンタジー作家だ。この世界には、技術的介入によって他人の苦痛から快感を得られなくなった”最善主義者”と呼ばれる人々が存在している。そうした、グレッグ・イーガン的な”脳/神経科学と人間の選択についての物語”が、”なぜ人気作家はゴーストライターを依頼したのか”という謎の解決と共に進行していく。小品ながらも、冒頭にふさわしい一篇だ。

続く二篇はどちらも歌/詩をテーマにした作品。「物語の歌い手」は14歳の時に病で命の危機に瀕した貴族の娘を主役に据えた、吟遊詩人の物語。貴族の娘は侍女のステファネットと共に酒場に繰り出し、そこで南フランスで最高の吟遊詩人だと噂されるジャウフレという人物に出会う。娘はこの出会いによって詩に感激するのだが、その語りは美しく、他の短篇の紹介にも効いてくる部分なので、少し引用しよう。

 それまで気にとめていなかったが、世の中のどんな土地にも、物語の種が散らばっていない場所はなく、ただ注意深い人が拾い上げ、植えつけるのを待っているだけなのだ。私は庭の樫の大木についていくつかの伝説を作り上げ、使用人たちのおしゃべりを歌にしようとし、以前はいささかも魅力を感じなかったオウィディウスすら、むさぼるように読んだ──それはまったくのところ、物語の宝庫だった。

貴族の娘はジャウフレを自身の家に吟遊詩人として招くも、拒絶され、ジャウフレはその土地を後にしてしまう。貴族の娘と侍女はその後を吟遊詩人のふりをしながら追う旅に出るが、その旅の道中で、吟遊詩人らが集まる秘密結社の存在を知る──。どこか幻想的な雰囲気の漂う、陸秋槎の語りの美しさが存分に発揮された作品だ。

もうひとつの「三つの演奏会用練習曲」はタイトル通りに三つの掌篇から構成されている短篇。最初は複合語や二つ以上の単語を用いて一つの概念を表す、迂言詩(カニンガル)の起源と盛衰を語った曲で──と、この三曲の中には、寓話・言語・偽史・人類学など無数の要素が盛られている。とにかくこの迂言詩がどのような詩なのかについての語り口、そのディティールは圧巻だ。

各短篇をざっと紹介。サブカル系。

趣向をがらっと変わってアニメやゲームなどの文脈を踏まえた短篇が揃っているのも本作の特徴。その最たるもののひとつがソシャゲテーマの「開かれた世界から有限宇宙へ」だ。スマホゲーム開発会社にて、渾身の力を入れた新作ゲームの合理的な設定を考えるタスクをふられた哀れなシナリオライターを語り手に進行する一篇だ。

開発ディレクターはAAAタイトルで名を馳せた男がつとめていて、スマホで出すのに3Dオープンワールドゲームを目指しているので開発コストは高い(明らかにmiHoYoを彷彿とさせるゲーム会社である)。ディレクターは完璧主義者として知られる男だが、それは今回も変わらない。ゲーム内で昼夜を表現するためにリアルタイムの光源をどうするかの問題が立ち上がるも、スマホの性能上完璧な形では実装できない。そこで、”12時間周期でガラッと光源(昼と夜)が切り替わる”、そんな特殊な宇宙モデルを作れないか、と天文学科出身のシナリオライターにふられるのである。

セルオートマトンなど様々な概念を使って設定構築を試みるが、剣と魔法のファンタジーに適合している必要もあって──と、お仕事奮闘ものとしてのおもしろさとSF設定考証的なおもしろさが掛け合わされた、本作の中でも特に好きな一篇だ。

もう一つ日本のアニメ・ゲーム文脈から外せない作品といえば、香川県の「ネット・ゲーム依存症対策条例」が行き過ぎた結果、香川県の若者が一切ネットに触れられなくなってしまった未来の世界を描き出す表題作「ガーンズバック変換」。香川県の未成年者はみんな”ガーンズバックV”という眼鏡をかけていて、これを通してみた液晶画面はどれも真っ黒にうつる(すべての液晶が真っ黒になるわけではないが)。

学生らはみなスマホではなくガラケーを使い、香川県はまるでかつての日本のようになっている。学生らは映画館やカラオケに押し寄せ、学校を卒業し他県に出ていく人々はみなタイピングの教習やエクセルの使い方を学び予備校に通う──とかなりバカバカしくも切実な日々が描かれていく。見えないものを現実のレイヤーに重ねてみえるようにしたのがアニメ『電脳コイル』だが、本作は眼鏡をかけて見えているものを見えなくする、逆『電脳コイル』な作品といえる。笑えるが笑えない一篇だ。

それ以外。

偽史・架空伝記の「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」と「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」はどちらも日本のSFアンソロジー初出だが、「実在しない作家・概念」をもっともらしく描き出していく手腕が素晴らしい。

ラストの「色のない緑」は僕にとっては初出(『アステリズムに花束を』)の2019年の中ではベストなSF短篇だったが、4年経ってもその鮮烈な印象は色褪せることがない。かつて天才と称された研究者のモニカが自殺をしたとの報が旧友らに飛ぶのだが、はたして将来を嘱望され画期的な着想で論文を書いてきた彼女がいったいなぜ死を選ばなければならなかったのか? がミステリー×SFの趣向で描かれていく。

物語の舞台は近未来で、機械翻訳はとっくに実用に値し、旧友である語り手の女性も機械翻訳の手直しの仕事を行っている。あまりに難解な研究を行っていたがために人間どころか機械知性にすら理解されなかったモニカの絶望と孤独とあわせて、人工知能は万能になりえるのか、という現代の問題に通じるテーマが描かれていく。末尾にふさわしい、モニカと語り手の相互理解の過程が素晴らしく美しい作品だ。

おわりに

いま、とにかくおもしろいSF短篇集をを探しているのなら、すっと本書を差し出したい。

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