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暗号解読よりも難しい、古代の言語解読という知的冒険譚!──『ヒエログリフを解け: ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース』

この『ヒエログリフを解け: ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース』は、古代エジプトの象形文字であるヒエログリフ解読の過程を追ったノンフィクションだ。無論解読にあたっては何人もの人間が関わってきたわけだが、本書ではシャンポリオンとヤングという二人の主人公を中心に話を展開していく。

ヒエログリフもロゼッタストーン(1799年に発見された、ヒエログリフが刻まれた石柱)も存在自体は知っていたが、そこまで興味を持つ対象ではなかった。そのため、本書もうわーおもしろそう! とかそんな前のめりな気持ちで読み始めたわけではなかったのだが、冒頭から非常におもしろく、最後まで一気に読み切ってしまった。

ヒエログリフは先に書いたように古代エジプトの文字(𓎛𓅱𓇋𓅱𓎡𓇋𓇋𓏏𓍯𓇋𓎡𓎛𓇋こんなの)だが、なぜ古代エジプトは古来より人の興味を惹きつけてやまないのかという冒頭の文章からはじまって、タイプの異なる「二人の天才」の立ちすぎているキャラクター、なぜ形がそのまま意味を現していそうなヒエログリフの解読に1000年以上もかかったのか? という魅力的な問いかけといい、エンタメとして楽しませてくれた。

なぜヒエログリフは一度忘れ去られたのか

ヒエログリフは3000年も続いた古代エジプトで用いられていた文字であり、紀元前3000年頃には使用されていた形跡がある。普通に考えたら、そんなに長期にわたって使用されていたのなら記録もたくさん残っていてもおかしくなさそうに思える。

しかし、そうはならず、ヒエログリフは一度滅び、千年以上に渡って読めない言語、世界の謎であった。その決定的な要因には、キリスト教の台頭が関わっている。たとえば、紀元後の300年代初頭にローマ帝国のコンスタンティヌス大帝がキリスト教に改宗した。これによってキリスト教はローマの国教になり、その後エジプトのあらゆる神殿はキリスト教を侮辱するものだとしてひとつ残らず壊されてしまったのだ。

多神教が当たり前だった時代は他所の神々は併合されていったが、一神教にはその余地はなく、古い神々は排除された。ヒエログリフは、過去の悪習の象徴として徹底的に排除され、一度忘れ去られてしまったのだ。無論のこと、それ以外の地で痕跡を手にヒエログリフ解読を目指した人は多くいたが、誰も成功することはなかった。事態が大きく動き出すのは、ロゼッタストーンが発見されてからである。

ロゼッタストーンの発見と主人公二人

ロゼッタストーンはエジプトの街ロゼッタで発見された石柱である。時代的には1799年のこと。その前年にナポレオン率いるフランス軍はエジプトに侵攻していて、フランス軍兵士が砦の再建を行っている時に発見されたのだ。

ロゼッタストーンは本の表紙にもある無骨な石だが、そこにはヒエログリフと、デモティックと呼ばれる簡易文字、古代ギリシャ文字の3種類の文字が刻まれている。古代ギリシャ文字自体は1800年代でも読めたし、その3種類の文字は同じ内容を示していると推測できたから、解読は容易に思えた。言語学者はすぐにその解読にとりかかるが、この解読が見た目ほど簡単な仕事ではないことにすぐ気がつくことになる。

結果的に、その解読には20年もの歳月が必要になるのだ。そして、その解読にあたって重要な役割を果たしたのが、二人の「天才」主人公なのである。

どちらも幼いときから神童と呼ばれ、各種言語に尋常ならざる才能を発揮していたが、それ以外の点では、ふたりはまったく両極の人物だった。イギリス人であるトマス・ヤングは世に稀に見る多芸多才の天才。フランズ人のジャン=フランソワ・シャンポリオンはエジプトを偏愛する一点集中型の天才で、ただひたすらにエジプトに熱中した。クールで洗練されたヤング。熱血漢で激しやすいシャンポリオン。

二人の性格の違いは行動にもおよんでいて、熱血漢のシャンポリオンは現地にいってエジプトの文化をじかにみてみたいと熱望し、一方のクールなヤングは貧しいイタリア人かマルタ人でも雇って、エジプトに行かせればいいのでは? といっている。

何が難しいのか?

それにしたって解読は難しいのか? 古代ギリシャ文字というお手本があるのだから、対応関係をみたり、頻出の文字を突き合わせればよいだけのように思える。

難しい理由はいくつもある。第一に三つの文書は大意としては同じ意味を示しているのだが、不正確このうえなく、まるで同じ映画のあらすじを三者三様に語っているようなものだという。つまり、映画字幕ではなく、映画の要約レビューのようなものだったのだ。加えて、どういう順番で読むのかすらもわからない。上から下か、右から左か左から右かのどれかだろうと思うだろうが、古代ギリシャ語の文章には一行目は左から右、二行目は右から左に読むものもあって、基準はいくらでも考えられる。

日本語や英語の場合文章の終わりや区切りはピリオドなどでわかるが、ヒエログリフは一切そうしたものがなく、どこからどこまでが一語なのかすらもわからない。

そうはいうても暗号解読みたいなものなんでしょ、と思っていたが、実は暗号解読よりも難易度は高い。暗号解読の場合、解読できたら集合場所など意味のある文章が出てくることが期待できるが、古代の文字の場合、現代人的な観点からは意味の通らない文章が出てきたっておかしくないと解読者は考える。たとえばあるヒエログリフは最初「最高位の精霊と原型が、その徳と才を恒星世界の魂に融合した」と解読されていたが、実際に解き明かされてみればそれは一語もあっておらず、ただファラオの名前を示していただけの文章だったことが明らかになったりする。

ヒエログリフをみると、鳥だったりナイフみたいなのだったり、いかにも意味がわかりそうなものが並んでいるので簡単に解けそうにみえるのだが、実際はそれも大きなミスリーディングなのだと最終的にほぼ解読ができてからは明らかになっていき──と、こうしたことを知るうちに、うーわ! ヒエログリフとロゼッタストーンの解読めっちゃおもしろいじゃん! とのめり込んでいくのだ。

おわりに

と、ここぐらいまでが本書の導入部で、ここから先はメインともいえるヤングとシャンポリオンがいかにして解読を進めていったのかという知的冒険譚が綴られていく。ヤングが解読にとりかかるのは1814年頃で、最初はまだこれを解読した人がいないなんて驚きだな、みたいな余裕めいた態度でとりかかるのだが──とワクワクさせる筆致で解読ははじまり、幾度も停滞を繰り返しながら進んでいく。

個人的におもしろかったのはヒエログリフの読み方が、「答え」を与えられてみればこんなのすぐに解けそうだけどなあ、と思えるものなのである。つまり、最初の「簡単に解けそう」という直感はあながち間違いではないのだ。しかし、そのポイントに気がつくのが、とてもむずかしいことでもある。われわれの言語的先入観が、解読の邪魔をする。作中でヤングやシャンポリオンがエウレカ! の瞬間にたどり着くとき、きっと読者もまたその何十分の一かの驚きを味わうだろう。

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この本(『ヒエログリフを解け』)とはまったく関係ないけど先日SF小説についての本を出したので良かったらこっちも買ってください。