基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

病の原因を個人の身体と心理だけではなく、文化や社会にも求め、統合する試み─『眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た』

スウェーデンには「あきらめ症候群」などと称される、特殊な病が存在する。この症状があらわれると、歩いたり話したりをやめ、場合によっては目をあけるのもやめ昏睡状態になってしまう。特徴的なのは、これが主にスウェーデンにおいては難民の家族の「子ども」、特に少女たちを中心に発生することだ。

昏睡状態に陥った子どもたちに、CATスキャン、血液検査、脳波検査など無数の検査が行われたが、その結果はつねに正常。運がよければ数ヶ月で回復できたが、場合によっては何年も目覚めない子もいた。昏睡状態に陥る原因は純粋に心理的なメカニズムで説明できるのか。それとも、重度の生理的なストレス反応にすぎないのか。

祖国で苦しい思いをしてスウェーデンへと流れきた人々、中でも子どもが強いストレス環境下にいるのは容易に想像できるが、はたしてそれだけが原因なのか。スウェーデンであきらめ症候群を発症した人は、2015年から16年にかけて169人いたが、スウェーデンでしか起きない理由は何がありえるのか。脳の生理的なプロセスが生み出すのであれば、世界中で同様の事例が起こっていなければおかしいのではないか。

欧米の医師は症状を聞いたらまずはそれを個人的なものとして治療する。たとえば胸が痛いときいたら心臓や肺を検査して、そこに原因がなければそのあとに別の可能性を探る。それが心理的なものと判断されれば、その原因を本人の個人的な精神面、生活に求める。しかし──と、そうした現在の欧米の医療システムに部分的に異を唱えていくのが本書の構成だ。スウェーデンでみられたようなあきらめ病は、スウェーデンという国、土地の文化、社会的要因、難民たちの環境と密接に絡んでいる。だからこそ、それを考慮に入れずして、理解も治療も困難なのではないかと。

 現代の医療システムは、病を生物・心理・社会的にとらえる見かたを臨床の現場に統合する余地をつねに与えてくれるわけではない。現在、病院所属の医師は自分の専門分野をあまりに特化しているため、たったひとつの身体器官しか扱えない者が多く、自分の専門領域からわざわざ外に出ていこうとは決してしない。

本書はこの「あきらめ症候群」を端緒として、世界中で〈謎の病〉とされる心身症の類を調査し、その病と土地の文化・社会との関連性をみつけていく。ひとつの専門に特化するのではなく、旅をし、広い視野でとらえようというのである。

グリシシクニス

続いて著者が調査に赴くのは、「グリシシクニス」と呼ばれる疾患だ。震え、呼吸困難、トランス状態、けいれんなどの症状に襲われる病で、ニカラグアの先住民ミスキートのコミュニティで起こる民族病である。他にも発病者は興奮し、攻撃的になったり、たとえば学校の一クラスの生徒全員など、何十人も同時に発症することがある。

著者が実地に赴いて話をきくと、誰もがこの病の人を間近でみたことがあり、その存在を知っている。たとえばガラスをたべる少女をみたことがあるとか、小さな妖精がうつすと噂されているとか。この地域では、グリシシクニスは黒魔術が原因の病であり、治療にはヒーラーやシャーマン、牧師が必要だとされている。実際、一クラスで集団発生した時なども医者ではなく、シャーマンが呼ばれるのだ。

西洋医療的な感覚からすればヒーラーなど呼んでも意味がない。まず病気を既存の枠の中に分類して、それに必要な薬やら検査やらが必要だろうと。おそらくグリシシクニスの患者が病院にいけば鎮静剤か抗てんかん薬が処方されるし、実際ミスキートの人の中にも西洋医学を信頼して医者にかかる人もいる。しかし、それらの薬は効かない。一方、シャーマンの治療は成功し、大半の患者はよくなるのだという。

村人はシャーマンを信頼し、実際にシャーマンの介入には効果がある。マッダが指摘するように、「シャーマンの治療は象徴的なものです。じつのところそれは心理的な介入であり、ベンゾジアゼピンより効くのです」

グリシシクニスは精霊によって引き起こされるとミスキートの人々の間では信じられているが、精霊はどんな姿でも現れる。たとえば、邪悪な精霊は臨床心理士だったといいはる人もいる。てんでおかしい、と思うかもしれないが、しかしこうやって象徴を駆使することで、宗教や道徳に反するがゆえに、そのままでは語りづらい自分の欲望や恐怖を、象徴に乗せて語ることもできるようになる。悪いのは悪魔であって、個人ではないという外部要因も提供してくれる。これはこれで有効なシステムなのだ。

マッダが強調するように、グリシシクニスは、葛藤に対処するための高度に洗練された効果的なシステムであり、コミュニティの反応を呼び集め、発病者をコミュニティの内部に留めておく。それとはまったく対照的に、英米では、心身症や機能障害のある人は、「見捨てられた」「孤立している」「コミュニティから追放された」と感じやすい。

著者は何も西洋は心身症的な症状の原因を宗教や悪魔とか精霊に求めるようにせよと言っているわけではない。西洋医療であまり顧みられることのないこうした文化的方法にも有効なケースが存在し、それを理解・活用することで得られる利益もあるはずだ、と主張している──という点は、注記しておきたい。

物語と病の関係

その後も著者はいくつもの〈謎の病〉の調査に赴くが、その原因と発露の仕方は社会によって様々だ。あきらめ症候群に似た症状が出た人々がいるカザフスタンの町のケースも紹介されるが、このケースでは治療にあたった医師も含め、病の原因を鉱山から漏れたガス、あるいは政府が撒いた毒だと信じていた(それを示す調査はない)。それは結局、町の人々が信じやすい「物語」であり、それが伝播したようにみえる。

病が発症し進行するプロセスを理解する最善の方法は、それをめぐって気づかれている物語をまず調査することだ。

グリシシクニスの場合は民族の伝統の物語と病が結び付けられたが、上記のカザフスタンのケースでは原因のよくわからない病のための物語が新たに作り出された。同様の事例は本書でも他にいくつも紹介されていく(ハバナ症候群の音響兵器説など)。

おわりに

ざっと見てきてわかるように、心身症のような病と社会・文化的な要因は密接に関わり合っている。そうした病を診察し、治そうという時に、胃が痛いと言っているから腸を調べる、といった西洋医学的な手法だけでは通用しないことがありえる。場合によっては、相手の文化的・社会的背景を知って、そこから病に対してどのような認識を抱いているのかを探っていく必要だってあるだろう。*1

本書は最終的に、分類が難しい病を強制的に分類・診断する西洋医学の功罪(たとえば絶対的な診断検査が存在しない注意欠如・多動症(ADHD)は、アメリカで年々診断数が増えていて、それがもたらす功もあれば罪もある)にまで議論を進め、西洋医学からこぼれ落ちていく患者を、どうケアしていくのかというテーマも浮かび上がらせてみせる。いま、非常に重要な一冊だ。

*1:韓国では、鬱火病と呼ばれる、身体全体が熱く燃えるような感覚に襲われる病が存在する。これは文化依存症候群、国民病の一つとして分類されていて、西洋医学にかかったら心配する必要なしといわれるか、血液検査などが行われるだろう。しかし韓国人にとってはこれは文化的な意味がある病で、とりわけ夫婦間の葛藤や不貞によって引き起こされることから、この病にかかることは心理的苦痛を周囲に表すメタファーとなりえる。文字通りとらえるべきではなく、別の支援を必要としているのだ