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新型コロナ後の世界はどうなるのか? 数年後から数千年後まで、様々な形で描き出すSFアンソロジー──『ポストコロナのSF』

ポストコロナのSF (ハヤカワ文庫 JA ニ 3-6)

ポストコロナのSF (ハヤカワ文庫 JA ニ 3-6)

  • 発売日: 2021/04/14
  • メディア: 文庫
この『ポストコロナのSF』は、日本SF作家クラブ編集による、アフターコロナの世界を想像するSFアンソロジー。書き手には、『ゲームの王国』で注目を浴びた小川哲、芥川賞を受賞したばかりの高山羽根子、近現代ものを現実の科学と絡めて書かせたらハズレなしの長谷敏司、藤井太洋、柞刈湯葉、感染症が作中の根幹に据えられた大河シリーズ『天冥の標』の小川一水など、19名の多様多彩なメンバーが揃っている。

アフターコロナの世界を想像するSFアンソロジーとはいうものの、それは「未来予測をすること」とイコールではない。SFにおける基本的な目的は人を楽しませることにあり、未来予測は、それを達成するための手段の一つにすぎないからだ。たとえば、ありえそうもないディストピアを描き出すことで警告としたり、現代の我々が到達できないはるか先の未来や、あり得たかもしれない未来を想像することで、現在の人類の立ち位置が歴史の中でどのような場所にあるのかを想像する。そうした様々な想像世界を描き出していくこと、それがSFの醍醐味だろう。

そして、本作にはそうしたSFの醍醐味が十全に詰め込まれている。至近未来を描き出す作品もあれば、遠未来を描き出している作品も、人類のすべてがデータ化された未来を描き出す作品もある。人がいなくなった街に注目した作家もいれば、COVID-19に感染することで匂いがしなくなるという症状に注目して、匂いで情報をやりとりする部族の物語に仕立て上げた作家もおり、多様である。感染症・アンソロジーでもあるので、いつ読んでも問題ないぐらい射程の長い作品ばかりだが、やはり、いま・ここの空気が、作品には色濃く反映されていると感じる。

誰かと会って話をしたくてもそれはできなくて、自粛は一年を超えて終わらず、終わる見込みもなく、感染は減らず、オリンピックもあわさってすべてがぐだぐだなこの世界でこそ読んで欲しいアンソロジーだ。

各篇を紹介する──近未来・現代

というわけで、すべてではないが紹介していこう。最初の二篇、小川哲「黄金の書物」と伊野隆之「オネストマスク」は、どちらもまさにCOVID-19が流行している最中の現代を描き出していく作品だ。「黄金の書物」は謎の古書をドイツから日本へと密輸している女性が、COVID-19によって密輸が不可能になり、困難に陥っていく──という、渡航の困難性という点については今まさに起こっている問題を扱っている。

「オネストマスク」は、顔面神経の活動をモニターすることでマスクの表示を連動した表情に変える、新しいマスクにまつわる物語。お、ええやんと思うが実際には勝手に映したくもない表情も映し出されてしまって──と、現実にありえそうな新しいテクノロジーが、日常の風景を便利な方にも苦痛な方にもかえていくリアルなおもしろさがある。

同じく現代物としては高山羽根子「透明な街のゲーム」は、感染症の蔓延によって、街から人の通りが消え失せた世界で行われるリアリティショーについての一篇。リアリティショーの参加者は、ほぼ無人の街で与えられたお題に沿った写真をとって、それに視聴者からポイントがつけられ競争する。人のいなくなった街は、人の往来が激しい街とは同じ場所でも別の意味を持っていて、その終末的な風景や、捉え方の違いが、空気感まで含めて美しく描き出されていく。

ファイザー社の新型コロナワクチンのリバースエンジニアリングについて書かれた記事([Reverse Engineering the source code of the BioNTech/Pfizer SARS-CoV-2 Vaccine])を日本語訳して話題になった柞刈湯葉が書いたのは、やっぱりmRNAワクチン物、しかし少し未来の、ワクチン・プリンターが存在する世界を描き出す「献身者たち」。国境なき医師団に所属し南スーダンなど紛争地に派遣されてきた女性が主人公で、人道支援活動に従事する人々の〝なぜ〟が問われていく。

紛争地帯で働けば、命の危険はある。なぜそんな危険な仕事をするのか。世界平和のためなのか。主人公は自己犠牲の精神など持っておらず、限りある能力のある程度を自分のために、残りを世界のために使うと語る、かなり現実的な人間だ。だが、中には本当に困っている人のために、紛争地で働きたいんですと理想を語る人間もいる。紛争地という、何もかもが整っていない限界がある世界での感染症との戦い。そんな世界の夢と現実。様々な献身の在り方を、テクノロジーの変革と共に描き出していく。本書収録作の中でももっとも好きな方の一篇だ。

林譲治「仮面葬」は未来の葬儀を描き出した一篇。時代は2030年代以後で、COVID-19以後も何度も新しいウイルスが変異を重ね蔓延している。この短篇、主軸はそうした世界での葬儀(VRで参加したりする)にあるが、未来のシミュレーション的にもおもしろい。たとえば、もはやウイルスが蔓延するのはいつものことなので、新しいウイルスが蔓延した場合の、早期のロックダウンがもはや日常と化しているとか。

各篇を紹介する──だいぶ未来

津久井五月「粘膜の接触について」は、感染症が蔓延するようになった世界での〝安全な接触〟をテクノロジーで実現した社会を描き出す一篇。全身にぴったりとくっついた人工膜を身につけることで気軽に触れ合えるようになるのだが、それは摩擦による〝五感情報の交換〟も可能にしていて──というところから思いもしない地点まで飛んでみせる。

個人的に本作の中で最も衝撃を受けたのが、『BEATLESS』をはじめ魅力的で説得力のある未来を描き出してきた長谷敏司による「愛しのダイアナ」。人類は巨大ネットワークに人格をアップロードしていて、そんな世界で感染症は意味をなさないが、そのかわりに宇宙から飛来し量子コンピューターにとりついたウイルスが蔓延している。データ化された人類は、情報のやりとりを遮断するか、感染確率を下げるコミュニケーションフィルターを介在してでしか、基本的にはやりとりができない。

読みどころは多いが、地球自転カウント(ERC)を標準の時間単位とし、100倍に加速した最高速度区間が存在し、必要とするエネルギー量の問題なのか、そこには裕福な人間しか入れず体感速度によって貧富の格差が存在しているといったデータ人格社会の描き方がまずおもしろい。物語の主軸は、一人の少女が両親と社会そのものへと反抗を企てていく部分にあるが、なぜデータ人格と化した人類が子供を作らなければならないのか? などの設定がウイルス騒動と繋がり(データ量の少ない若い人格データは、感染しても重症化しない傾向にあるなど)、〝脅威をきっかけとした、変化と世代交代の意義〟を描き出していく。

遠い未来の話だが、ここで描かれていくことは我々の話そのものだ。

おわりに

他にも、濡れタオルを叩きつける謎スポーツが流行した未来世界でヤクザの悲哀を描き出す天沢時生(創元SF短編賞を「サンギータ」で受賞したアマサワトキオ)「ドストピア」は相変わらずの語り『坂田の尊敬する格闘家は戸愚呂弟だったが、身長一七七センチ、体重一一〇キロという、タオラーにしては小柄な体型は、どちらかといえば愚地独歩似だった。』で何がなんだかよくわからんままに楽しませてくれる。

吉上亮「後香 Retronasal scape」は嗅覚による言語で情報をやりとりする部族の研究を通して、自身の失われた嗅覚を回復させていく主人公を描き出す見事な一篇だし、藤井太洋「木星風邪」は人類が太陽系惑星に広がっていった先で起こる未来の感染症とその対策について描かれていく──と、作風も注目点も多岐にわたり、本当におもしろい短篇が揃っている。一篇あたりほぼほぼ20~30ページで統一されていて、わりとサクサク読むことができるだろう。遠い未来や未知の部族の話であっても、そこには今の我々の欲求や課題、空気感が語られている。

だからこそ、「いま、読んで欲しい」アンソロジーだ。