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《竜のグリオール》シリーズ最終巻にして、ファンタジィの醍醐味がぎゅっと詰まった長篇ドラゴン・ファンタジィ─『美しき血』

ルーシャス・シェパードの代表作のひとつ、《竜のグリオール》シリーズの最終巻が『美しき血』として本邦でもついに刊行となった。最終巻といってもこのシリーズは長いサーガや倒すべき敵がいるわけではなく、一作目『竜のグリオールに絵を描いた男』と二作目『タボリンの鱗』はどちらも中短篇集で、三作目となる本作『美しき血』も他と関わりはあるとはいえ独立した長篇なので、どこから読んでも良い。

著者は本作を刊行(フランス語版は2013年、英語版は14年)したすぐ後に66歳で亡くなっており、これが遺作となる。しかし、これが遺作なら納得もできただろう、と思えるほど、様々な要素があわさった、総合的で美しい長篇だ。

《竜のグリオール》シリーズは数千年前に凄腕の魔法使いと戦った結果、死は免れたものの身動きがとれなくなった全長1マイルにも及ぶ巨大な竜グリオールについての物語である。とはいえグリオールは動くことはできないから、物語の大半は動かぬグリオールの周辺に作り上げられた街と、そこに住まう、グリオールの影響によって人生や生活が歪んでしまった人々の姿を描き出していく。ルーシャス・シェパードは三作を通して、ただ「特別な竜」が世界に存在する人間社会を解像度高く描き出すことに注力し、ありありとグリオールの存在を読者に体験させてくれている。

グリオールに科学的なアプローチを試みれば(たとえば体は再生するのか、傷はつけられるのか、血はどのような効果を持っているのか?)SF的な読み味になり、グリオールとその力を利用する人々の方にフォーカスすれば、宗教テーマ(グリオールを神として祭り上げ利用する)にもポリティカルサスペンス(グリオールを政治的に利用する)にもなり──と、多様な顔を持った本シリーズだが、最終作『美しき血』はそうした既作の要素をてんこもりにしたような長篇だ。グリオールの血をテーマにした本作は中でもとりわけ美しく官能的で、ロマンスもあれば冒険も、犯罪小説的な魅力もある。

なにか大きな戦争が起こって魔法を使って国家やモンスターと戦っているような普及したイメージのファンタジィとは一線を画しているが、ここには確かに「ここではないどこか別の世界を夢見る」ファンタジィの醍醐味が詰め込まれている。

これまでの二作の流れをざっと振り返る。

と、いちおう三作目になるのでここまでの流れをざっと振り返っておこう。本邦で最初に刊行されたのは、中短篇集の『竜のグリオールに絵を描いた男』。先に説明したようにグリオールは数千年前の魔法使いの攻撃によって身動きが取れなくなっているのだが、まだ生きていて、周囲の人間に大なり小なりの影響を与えているとされる。

その周辺は銀、マホガニーなどがとれる肥沃な土地で、グリオールの近くに人々は街を作っている。となればまあグリオールは邪魔なわけで、グリオールの命には懸賞金がかけられているのだが、誰がどんな手段で挑んでもその生命を奪うことはできない(真実かどうかはともかく精神干渉能力があるのでその生命を狙う行動は難しいのだ)。しかしそんなある時、グリオールの身体に絵を描いていると思わせておき、絵の具に塗り込んだ毒で殺そうという、遠大なプロジェクトを立ち上げる人物が現れる。

グリオールは何しろ巨大な身体を持っているから、足場を組むところからはじめて、膨大な毒入りの絵の具の精製、途中で気付かれないために壮大な芸術作品を描きあげる必要、またそれを塗り込んでいく時間も考えると、数年単位で実現できることではない。本作(の表題作)は、そうした長大なプロジェクトを通して、グリオールとはなにか、本当にこんな生物を殺せるのか、その顛末を丹念に描き出していく。他にもグリオールの体内に住み、その見取り図の作成、体内に住まう寄生虫や共生体の研究に没頭し、心臓の筋肉の収縮までもを細かく描きこんでみせた「鱗狩人の美しい娘」など魅力的な中短篇がいくつもはいっていて、シリーズ屈指の傑作巻といえる。

続く『タボリンの鱗』は第一中短篇集の「竜のグリオールに絵を描いた男」以後の話になる二つの中篇(「タボリンの鱗」、「スカル」)が収録されている。グリオールほどの巨大な存在は、その周辺に様々な人間や派閥を生み出す。たとえばグリオールを神聖視するもの、その影響力から脱すことができていないのではないか、われわれはまだグリオールの支配下にいるのではないかと疑問に思うもの──。特に「スカル」では時代が現代に近づき、竜の影響力が存在するかもしれない世界ならではの疑念がうずまく政治劇が展開していて、独自の読み味を堪能させてくれる。

美しき血

それに続くのがシリーズ唯一の長篇である『美しき血』だ。グリオールの血液を研究していた若き医師のロザッハーの人生を断片的に追っていく構成になっている。

ロザッハーの専門は血液学で、その流れから当然グリオールの血について興味を覚える。グリオールの血についての彼の観察描写は、本作の真骨頂といえるだろう。

そもそも、この血液には見たところ血球細胞がない。金色の血漿を背景に黒々とした微小な構成物がたくさん見えるが、それらは増殖し、形状や性質を変え、急速な変化を繰り返してから消えていく──一時間以上観察したあとで、ロザッハーはグリオールの血液は忙しく移り変わるあらゆる形状を含む媒質なのではないかと考え始めた。(……)謎めいた構成物の変幻自在の輪郭、金色と影の移り変わるモザイク、その脈動は内在するリズミカルな力の流れを反映しているようでもあり、血液自体がエンジンなのでその活力を維持するために鼓動を必要としないかのようでもあった。*1

ロザッハーは研究のための血の採取を他人に依頼していたのだが、引き渡しの段階になって交渉が決裂し注射器を自分の身体に突き立てられ、グリオールの血を体内に入れられてしまう。するとどうか。周りの女性は女性美の極地に思え、混沌とした多彩な快感に打ち震え──ようはドラッグをやったような状態におちいり、そのうえ、時の劣化を防ぐ効果があるとみられるグリオールの血の副作用か、時間の感覚がおかしくなって、ことあるごとに数年単位で時間が跳んでしまう体質になってしまう。

次にロザッハーが意識を取り戻してみたら、4年もの歳月が経過し(その間の記憶は残っているのだが、時間だけが経過している)、グリオールの血をマブ(モア・アンド・ベターの略)と呼ばれる薬物として精製し、市民に販売することで大きな財をなしていて──と、彼の人生における大きなポイントごとに物語が紡がれていくのだ。

最初はそれをただ人々を熱中させる薬物として売り込み、(ほぼ)犯罪者として成功していたロザッハーだったが、この時点ではまだグリオールのことをでかいトカゲと認識しようとしている。あくまでも科学者として、ファンタジックな要素を否定したいのだ。しかしグリオールの精神干渉能力を自分で体験したり、生物群集の中心になっているグリオールの事実をみていくうちに、次第に「グリオールの神性」に思いを馳せ、それを利用できる、したほうがよかったのではないかと考えを展開させていく。

だがロザッハーは、グリオールが生物群集の中心となっているという事実に、神性の証拠ではなく、アルフレッド・ラッセル・ウォレスやアレクサンダー・フォン・フンボルトなどの科学者たちがしめした原理の証拠を見た。そして、あらゆる魔術的思考や迷信に対して防御をかためたまま、鱗に背をもたせかけ、頭上に壊れた巨大な傘の残骸のように広がる竜の翼を見つめた。*2

ロザッハーのグリオール観が、「ただのでかいトカゲ」から「神的な存在」へと変遷していく様、彼の中で起こる科学的合理性と神性のせめぎあいは、まるでシリーズ全体をリフレインさせているかのようだ。その後ロザッハーは宗教施設を建造し──と、麻薬の製造と成り上がりという犯罪小説的にはじまった本作はその様相を次々と変え、その人生の晩年までを描き出していく。

おわりに

本作は時間が次々と飛んでいき、要点や最終目的地が掴みにくいなど構成・演出上の問題もあると思うが、それでもエピローグはとても美しい。いつまでも記憶に残るであろう、唯一無二のファンタジィだ。

*1:ルーシャス・シェパード. 美しき血 竜のグリオールシリーズ (竹書房文庫) (pp.14-15). 竹書房. Kindle 版.

*2:ルーシャス・シェパード. 美しき血 竜のグリオールシリーズ (竹書房文庫) (p.115). 竹書房. Kindle 版.