基本読書

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現代人(WEIRD)はなぜかつての社会と大きく異なる心理状態を獲得するに至ったのか?──『WEIRD「現代人」の奇妙な心理:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』

この『WEIRD「現代人」の奇妙な心理』は、西洋を中心とした現代人が人類進化の途上で存在してきた社会の人々と、神経学的にも心理学的にも大きく異なっていることを解き明かしていく一冊である。同時に、なぜ現代人が歴史の過程で「WEIRD(奇妙)」になってしまったのか、その起源を追うことで、産業革命が起こった理由や、ヒトの社会を突き動かす遺伝子や環境以外の要因についても明らかになっていく。

上下巻で分厚いが、経済から民主制、個人主義まで、幅広いテーマを一本の筋でまとめていく、明快でエキサイティングなノンフィクションだ。

WEIRDな人々の特徴。

重要な前提から紹介するが、複数の集団から得られた文化的データを分析すると、西洋人のサンプルは必ず分布の最端部に位置することがわかってきた。つまり、西洋人は心理学的な観点からみて外れ値なのだ。西洋の大学人が研究しやすいからという理由で、心理学や行動経済学の実験では身近な大学生を研究対象にされることが今なお多いが、彼らを「ヒトの普遍的な状態」だと解釈すると、現実からズレてしまう。

教科書や学術雑誌、さらには一般のノンフィクション作品の多くが、実は、ヒトの心理について語っているのではなく、WEIRDな文化心理を反映しているにすぎないことが判明し、続々とその証拠があがってきてもなお、多くの心理学者や経済学者たちは現実から目をそらしている。警鐘が鳴らされてから長い年月が経過した現在でも、実験的研究の参加者の九〇%以上がWEIRDな集団であるという状況は変わっていない。(p90-91)

著者らは2010年に発表の論文の中で、心理実験や行動実験にいつも使われてきた人々の集団を「WEIRD」と呼称している。これは西洋の(Western)、教育水準の高い(Educated)、工業化された(Industrialized)、裕福な(Rich)、民主主義の(Democratic)社会の出身だからである(そこにWEIRDの本来の意味もかかっている)。

WEIRDな人々の特徴として本書で繰り返し語られていくのは、「極めて個人主義的で」「自己に注目する」「自制を重んじ」「集団への同調傾向が低く」「分析思考に長け」「公平なルールや減速を忠実に守る傾向があり」「自分の本来の性質や業績、目標を重視する」あたりである。わかりやすいところでいうと、「私は()です」の()を埋めさせるテストをすると、WEIRDな人々はそこに「好奇心旺盛」とか「情熱的」とか「エンジニア」とか、自分自身の属性や業績を示す割合が非常に高い。

実はこれはWEIRDに特徴的な、分布の最端部に位置する答えである。ではもう一方の端はなにかといえば、社会的関係に言及する回答(私はジョシュの父親、マヤの母親など)がそれにあたる。人類史を通してほぼずっと、人々は親族同士の緊密なネットワークの中で育ってきた。このような親族関係に統制された世界では、生存もアイデンティティも安全も結婚も成功も親族ベースのネットワークの安定と繁栄にかかっているから、自分が親族の中でどのような立ち位置にいるかは非常に重要であり、こうやって単純な心理テストの回答にもその傾向が現れてくる。

もう一つわかりやすいテストとしては、親友の運転している車に乗っている時、歩行者をはねてしまったとする。その時、車は制限速度をオーバーしていたが、その事実は友人とあなた以外知らない。この時、あなたが制限速度以内だったと証言すれば、友人の罪は軽くなる。その場合、あなたは「真実を語る」か「嘘をつく」かどちらだろうか。WEIRDな人々はこれにたいして偽証しない方を選び(カナダ、スイス、アメリカで調査すると9割以上の参加者がこっちだ)、ネパール、ベネズエラ、韓国ではほとんどの人々が虚偽の宣言をすると答える。こちらは親族重視の文化といえるだろう。

WEIRDな人々が生まれたのはなぜなのか?

現代のようなWEIRDな社会は、最初から存在していたわけではない。歴史の中で少しずつ個人主義的傾向と組織が現れ、特定の地域で多数を占めるように変化してきたわけだが、その転換点はどこだったのか。現代のWEIRDな社会には病院、警察、失業保険など各種セーフティネットが存在するから、親族のネットワークがなくても過去と比べて困ることは少ない。しかし、親族内で助け合うことがそのままセーフティネットとなっていた過去の時代に個人主義を推し進め、WEIRD社会の基礎を築くのはかなりの困難を伴ったはずだ。本書では後半でその点を突き詰めていくことになる。

人々には親族ベース制度から自らを引き離す意思がないとしたら、あるいは、そんな力はないとしたら、文化進化はそもそもどうやって、まず最初に、近代国家やそれに関連する公的制度を築くことができたのだろうか? どうすれば、ここからそこに到達できるのだろうか?(p.178)

多くの人がこれについて真っ先に考えつくのは、産業革命やそれに伴う経済的反映、都市化によって個人主義が根付き、今のようなWEIRD社会ができたのだ、というものである。が、実はヨーロッパではそのはるか前から親族ベース制度の解体がはじまり、独立した一夫一婦制の核家族や、親族や部族への帰属意識ではなく、共通の利益と信念に基づいた新たな団体が徐々に生まれはじめていた。具体的には西暦400年頃から1100年頃にかけての話だ。この時、何が起こっていたのだろうか。

その要因は複数あるわけだが、でかかった理由のひとつに、西ローマ帝国の滅亡以前から徐々に導入されていった、教会の教え(の中でも特に婚姻・家族に関わるプログラムであるMFP)がある。教会は当時、①血縁者との婚姻を禁じた。②一夫多妻婚を禁じた。③非キリスト教徒との結婚を禁じた。④養子縁組を阻止した。⑤花嫁と花婿の双方に大使、自由意志を持って、結婚への同意を表明することを求めた。⑥新婚夫婦にたいして、独立した所帯を構えることを奨励し、時にはそれを要求した──など様々なルールを打ち出した。少なくとも最初はこうした施策に一貫した計画は存在しなかったようだが、これには伝統的な家族を破壊する力があり、既存の親族に代わる、新たな共同体としての教会の勢力拡大に寄与していったとみられている。

いとこ婚が当たり前だった11世紀頃にこれを厳密に守ろうとした場合、1万人にものぼる親類を候補者から除外しなければならなかったはずだ。現代のように都市に見知らぬ人々が集まる時代なら対処できるだろうが、農場や少人数の村が散在する世界では遠い場所まで候補を探しに行く必要があっただろう。富裕層なら賄賂を送って規制をかいくぐることもできたが、そこまでの力がない経済的中間層の人々から、緊密な親族関係が瓦解していったのかもしれない。技術の変化や物質的な豊かさではなく、宗教をはじめとした”文化”で、そうした社会的な変化が起こったのだ。

おわりに

当時から宗教は複数あったわけで、それぞれが婚姻・家族に関わるルールを持っていた。そのため、それぞれの宗教の影響力が強かった地域における個人主義度の違いなど、本書の後半に行くにつれより詳細なデータの紹介と分析が行われていく。

緊密な親族ベース制度の崩壊によって都市化への道が開かれ、自己統治型の政治が発展。商人が主導権を握る都市が成長し、市場統合の水準が引き上げられ──と、WEIRDの誕生を端緒として、経済から民主主義、最終的にはイノベーションまでを語ろうとして見せる。仮説や推論が多く含まれることもあって全部が全部正しいわけではないだろうが、現代の「WEIRD」社会がどのようなルーツから成立しているのか、その道筋が、本書を読むとよく分かる。新年早々、わくわくさせてくれた一冊だった。