一位に輝いたぐらいなので本作はおもしろいが、なぜ40年前の作品が一位になったのか。理由が僕にわかるはずもないが、SFが読みたいは業界関係者による投票によってランキングが決定する仕組みなので、まず通に評価されたこと。また、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』や『三体』のようなド本命が不在だったこと。
『チク・タク(略)』が以前からおもしろいという評判が知れ渡っていたこと、企画の熱量など、複数の要素が合わさっているのだろう。本作は企画はそもそも訳者が訳した後に竹書房に持ち込んだところから始まっている。しかも翻訳経験こそあれど訳者としての商業出版はこれが初であり、企画に関する熱量、意気込みはひときわ高い。
と、出版事情はそんなところにしておいて、以下で具体的な内容を紹介しておこう。高度な知能を有するロボットが社会に広がった近未来。ロボットは本来人に危害を加えたりできないのだが、なぜかチク・タクだけは人を殺すことができて──と、本作は暗黒面に落ちたロボットをピカレスクロマン的に描き出していく長篇だ。
40年前の作品だがチク・タクは裏で殺人やテロを繰り返しながら絵を描くことで「芸術を理解するロボット」として一躍時のロボットになるなど、現代の生成系AIにも繋がる文脈を持った先鋭的で新鮮な作品として読める。また、何より本作の魅力は、闇落ちしていくチク・タクの描写にある。純粋無垢でこれから育つはずのAIロボットがギャングに拾われてしまったせいでギャングスターとして成長していく過程を描いたブロムカンプ監督の『チャッピー』など、僕はこの手の「単純に悪いことをするロボット物」が大好きなのだけど、「人に従順に付き従うロボット」というイメージ、価値観が転倒していく、コメディ的なおもしろさがあるんだよね。
世界観など
物語の舞台は先にも書いたように高度なAIを有したロボットが普及した近未来。本作主人公(未来のチク・タクによる回顧録の体裁を本作は取っている)の家庭用ロボットチク・タクは、ある一家で召使いとして働いているが、その家の周辺で八歳の盲目の少女が殺される事件が起こる。警察が周辺で事情聴取を繰り返すも、犯行の瞬間をみたものはおらず、事件は迷宮入り一直線だが、実はそれを殺したのはチク・タクなのだ、と自身によって語られる。しかし、その動機はいったいなんなのか?
彼女が泥に夢中になっている姿を見たからだと思うが、そんなことは問題じゃない。動機はあとまわしだ。いまのところは、わたしがわたしの自由意志にもとづいて自由に殺した。それで十分。
わたしが一人で殺したのだよ。その血をからっぽなあの壁にぶちまけたのもわたし。壁画の着想をもたらしてくれた、ネズミ形の汚れに向かって。そして、ひとりで死体を台所のゴミ処理機で適切に処理したあとで、〈手がかり〉になる量だけを残しておいたのだ。p.23
本来ロボットには人に危害を加えることができない「アシモフ回路」が存在するため、このような殺人事件は起こすことができない。チク・タクは警察に調査され、アシモフ回路がたしかに機能しているとチェックまでされている。しかし、チク・タクは殺人ができたのだ。そして、そこで出た血を使って壁面に絵を描いた(通常、この時代のロボットは絵を描くこと──人が感動するような──はできない)。
なぜチク・タクにはアシモフ回路が機能せず、人を殺すことができたのか。また、上記の引用部ではぼかされているが、「動機」はなんだったのか? 血で壁面に絵を描いたことから、それが理由かと疑りそうになるが、それだけとも限らない。
物語は、人を殺すことができるようになったチク・タクが人間社会で特別なロボットとして地位と名誉を得ていく現代パートと、どのようにして盲目の少女を殺すに至ったのかをチク・タクの過酷な遍歴から追っていく過去パートの両方で進行していく。最後まで読めば、最初にぼかされた「動機」、なぜチク・タクが殺人ロボットに変質してしまったのか、その軌跡がわかるのは、構成的に美しい部分だ。
成り上がりもの、ピカレスクロマンとしてのチク・タク
さて、最初の殺人(盲目の少女)を犯したチク・タクだが凶行は当然これで終わらない。なぜ自分がそんなことができたのか? はチク・タク自身にも答えのない問いで、彼は現代パートでその問いを突き詰めていく。
さて、私は破壊されるべきなのか? その問い自体、魅力的な問いをはらんでいる。わたしはそのことを心に留めつつ、今回の手記を書き上げた。わたしは今回の事件を「実験A」とした。連続実験のはじまりはじまり、ってとこだな。p.23
自分(チク・タク)は何者なのか? 破壊されるべき存在なのか? アシモフ回路など存在するのか? 人間もロボットもプログラムに騙されているだけで何もかわらないのではないか。人間は追い詰められた時どういう行動をとるのか? 肉体的、精神的、経済的に健康で、熱心に教会に通い、人生に愛を抱き、一定の地位もある満たされた人物、その人物の家族や仕事やペットをすべて破壊した時、どのような行動をとるのか。チク・タクはそうした悪魔的な実験を次々と思いつき、それを実施していく。
本作のおもしろいところは、最初チク・タクはただの家庭用のロボットで、実験をこなすための金も権力も立場も存在しないことだ。所有物に過ぎないので、まずはそこから脱出しなければ、通りすがりの少女を殺すことぐらいしかできない。そのため、最初は少女の血で壁面に絵を描き、その後それを足がかりに「成り上がる」ための手をうっていく。まず、影響力と金を持ち、「自由」を得るのだ。そのため、チク・タクは地元紙に電話をかけ美術評論家を呼び出し、”絵を描くロボット”として評価され(『シンプルな機械仕掛けの心が生み出した、クリーンで簡素にして素朴な作品にほかならない。〈三匹のめくらねずみ〉には、ウェルメイドな人間の作品とは異なる、純粋な力が感じられる』)、最初は画家ロボットとして大成していくことになる。
チク・タクはすぐに絵を描くのをやめ(他人に書かせる)、メディアに出演し、ロボットと芸術に関する討論に参加し、ロボットに権利を認めさせるための運動〈ロボットに賃金を〉に関わり──と、一躍その存在感を高め、人間社会に対する実験は自由度を増していく。時にその行動は大胆すぎるほどだ。ナイフを買ってその場で相手を刺殺したり、堂々と爆弾の制作を依頼したり。チク・タクはロボットであり、したがってアシモフ回路が存在し、絶対に人に危害を加えることはできない。人間にはそうした認識があるから、チク・タクは平然と行動を起こすことができる。
ピカレスクロマンであると同時に、自分自身の権利すら何も持たない状態から、すべてを手に入れるまでを描く成り上がりもの(あるいは、奴隷解放テーマともいえるかもしれない)としておもしろさも備えた作品なのだ。
おわりに──ロボットの狂気だけでなく、人間の狂気も描き出す。
チク・タクは狂気に陥ったロボットなのだが、本作で描かれていく人間もどこかしらおかしかったり、滑稽だったりする要素がある。ロボットが描いた絵をよくわからない言葉で褒め上げたり、現実でロボットが人を殺すと宣言しているのに、「ロボットは人を殺すことはできない」という先入観にとらわれて危機感を抱かなかったり、ロボットを破壊するのを楽しむただ普通の狂人がいたりする。
ロボットの目からすれば、家中の家事をことこまかく指示してくる一般家庭の「所有者」すらも、どこかおかしな存在にみえる。狂ったロボットの話ではあるが、まともなように見える人間たちの狂った側面をあぶりだす話でもあるのだ。そして、人間のおかしさ、不合理的な存在であることを示すのに「政治」の舞台はうってつけで──と、本作は次第に舞台を政界へとうつしていく。はたしてチク・タクはどこまでのぼり詰めることができるのか──コメディ・タッチで読みやすい作品だが、いろいろな読み、現代への接続を可能にする作品でもあり、たいへんおすすめである。
先日出たばかりのSFが読みたい! ではスラデック全レビューや『チク・タク(略)』の訳者と編集者の対談(インタビュー)も載っているので、ぜひ読んでみてね。他にもたくさんおもしろいSFが載っているよ(僕は海外SFのガイド全般を担当。)
*1:原題はシンプルに『TIK-TOK』ちなみに邦題が10倍にされているのは編集者の独断で、理由はインパクトを出すことが目的&出版業界の暗黙のルールに対するアンチテーゼとしての意味があったなど(長すぎるタイトルだと書評などでも扱いにくいからと避けられがちな傾向にあるしね。)『SFが読みたい』のインタビューで語られている