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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

能力者たちの騙し合いゲーム、参加者は全員嘘つき──『最良の嘘の最後のひと言』

ミステリ SF

最良の嘘の最後のひと言 (創元推理文庫)

最良の嘘の最後のひと言 (創元推理文庫)

『サクラダリセット』の河野裕さんによる書きおろしの文庫小説である。

街で起こる事件を能力者たちの力をパズル的に組み合わせて解決する『サクラダリセット』をはじめて読んだときはヒットしそうにないものの、地味な良作能力物の作品を書ける人が出てきたな〜という感じで、『いなくなれ、群青』から始まるシリーズがヒットしたりアニメに実写にとなるとは思いもしなかったなあ。ふとブログを検索したら七年前の記事が出てきたのでどうぞ(昔の文章は恥ずかしい)。
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で、本書『最良の嘘の最後のひと言』だけれども、これまた能力者ものであるけれども、その方向性は『サクラダリセット』とは大きく異なっている。こちらは限定された空間で行われる能力者同士の"騙し合い"がメインとなり、集まってきた奴らの目的は?、本当に能力を持っているヤツは誰だ?という情報ゲームが繰り広げられる。

序盤こそメインの登場人物7人の思惑が錯綜し、どいつもこいつも嘘つきだらけなので把握に手間がとられるが、状況が整理され嘘が次々と暴かれていく後半からは一気読み、最後は爽快に騙されて──と大満足の一冊。さすがの構成力ですわ。

ゲーム・ルールの説明

世界的な成功をおさめるIT企業ハルウィンのジョーク企画として、年収8000万で超能力者を一人採用するという告知が出される。2万を超える書類の中から7人の人物が選出され、街中で行われる"採用通知"を奪い合う最終試験に臨むことになる。

ルールを詳しく説明しておくと、最終試験の期間は3月31日18日から24時まで。7人には便利な能力ほど若い番号が割り振られている。ナンバー1の人間には最初に採用通知が郵送され、他のメンバーは時間内でその採用通知を奪い合い、採用通知書を試験の終了一時間前に告知される係員に提出したものが晴れて採用になる。採用通知書は規定の圏内から持ち出してはならず、他、法的に違反することは禁止だ。

能力者物といえばジョジョを筆頭に"バトル"するのが当然のようになっているが今回はルールで禁止されているため本書では"いかにして採用通知を手に入れるのか"、"いかに仲間を集めるのか"という頭脳戦、知略戦がメインとなる(多少の暴力沙汰は発生するけれども)。そのため誰もが状況を自分に都合よくコントロールするために嘘をつきまくるのだが、果たして最後に勝ち残る"最良の嘘"を放つのは誰なのか──。

嘘つきだらけ

さあ、それにしてもこの最終試験(採用自体)はあまりに奇妙だ。そもそも超能力者が当たり前に存在する世界ではないから、いるかもわからないものを8000万もの年収で募集する意味がわからない(ジョーク企画とはいえ)。本当に超能力者を集めたいとして、最終試験にこんな大掛かりなことをするのも不可解である。

さらには、最終試験に集まった人々は書類選考と面接を通っただけの人々であるから、何らかの方法で能力者であると誤認させているだけの可能性もありえる。参加者は与えられたアプリケーションによってある程度お互いの位置がわかるし、基本的に組んだほうが有利なので、頻繁に交渉が行われるが"自分は無能力者である"とか自分の能力の発動条件を白状するやつはいない。それ故、まず"こいつは自称する通りの能力者なのか"を探り合うのは一周回って戻ってきた能力バトル物みたいでおもしろい(HXHとかの相手の能力の発動条件とか効果を推定する感じに似ている)

いちおう作中で初期の方で明かされる各人の自称能力をあげておくと、1.未来予知能力、2.物質の入れ替え、3.フェイク(物質のコピーをつくる)、4.資格情報に特化したイメージを対象に送る、5.遠方にある物質を取り寄せる、6.危険を事前に察知できる、一名は不明。『サクラダリセット』のように時間を巻き戻すような反則級の能力者はいないが、採用通知を奪う/相手を騙くらかすには有用な能力者が揃っている。

そもそも参加者の真の目的すらもわからない(本当に能力者だったら年収8000万は志望するに値する金額なのだろうか)上に、採用通知を奪うため、あるいは本来の目的にために自分の能力や他者の能力を使ってありとあらゆる方法を使って騙くらかそうとしてくる。その能力の組み合わせ方がまたうまくて──とその巧みなロジックを明かすと一気にネタバレになってしまうのでこの辺でやめておこう。

おわりに

終盤の畳み掛けるような能力ロジックの披露には「これこれこういうのが読みたかった!」と喜んだが、これ穴がないように構築するのは相当大変だっただろうな……。能力者同士の騙し合い(肉体的なバトルなし)というとすぐにはぱっと他の例が思いつかないぐらい珍しいし、構築カロリーは異常に高そうだし、河野さんにとってもそうそう何作も書けるもんではないと思うので気になる方はご一読をオススメする。

『ストーカー』×実話怪談×百合──『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』

SF ライトノベル

裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

当たり前のように怪異が存在し現実とは異なる空間が広がる、何が起こるか予測がつかない裏世界。本書はそんな世界に入り込む方法を見つけてしまった紙越空魚(表紙のメガネの方)と仁科鳥子(同NOTメガネ)の二人が出会い、きゃっきゃしながら冒険したり裏世界の秘密に迫ったりする怪異探検サバイバル百合SFである。

そのうえ、僕はさっぱり知らなかったが「くねくね」や「八尺様」などの実話怪談が裏世界では実際に存在し──と、とにかくストルガツキー兄弟の『ストーカー』やら百合やら実話怪談やらと著者が好きなんだろうな〜〜と思わせる要素が山盛りに詰め込まれており、二人の微笑ましいやりとりとノリのいい一人称もあいまってただひたすらに読んでいて楽しい一冊である。たとえば冒頭の一節をひくとこんなかんじ。

 私は丈の高い草が生い茂る中、仰向けに倒れ込んでいる。草の根元は水没しているから、私の背中側も水に浸かっている。いわゆる半身浴。いや違う。違います。いわゆらない。どっちかというとスーパー銭湯にある「寝湯」に近い。ただし水深が二十センチちょっとあるので、がんばって顔を水面の上に出しておかないと水が鼻と口に流れ込んでくる。そんな寝湯はないし、あったとしたらそれは水攻めの拷問だ。デス寝湯である。

かなり軽い口調だが、裏世界が安全なわけではない。現実に存在するいくつかの入り口(潰れた店舗の後ろとか)から入ることのできるこの世界では、空間の接続もおかしいし(ちょっと移動しただけで大宮から神保町まで出てしまったりする)人の気配もほぼない。命を奪いかねない不可思議な怪異や、消し炭になるような罠もある。銃も時折落ちており、軍隊かそれに類するものの達も入っていることを伺わせる。

仁科鳥子は自身をそこに連れて行ってくれた女性を探すためこの裏世界に何度も入ってきており(ついでにここでとれるアイテムを外で売りさばくため)、彼女と出会った紙超空魚はなし崩し的に同行することになり──という感じで冒険がはじまり、一巻通して二人が確固たる友人となっていく物語ともいえる。

連作短篇的に実話怪談をめぐっていく

元々はSFマガジンで連載していたのもあって、「ファイル1 くねくねハンティング」「ファイル2 八尺様サバイバル」「ファイル3 ステーション・フェブラリー」というように一章ごとに一つの実話怪談怪異と遭遇し、これに対処する連作短篇のようなつくりになっている。もとが実話怪談だからかもしれないが、妙に生っぽく(うまい表現が見つからない)裏世界の性質がわからない事もあいまってやけに怖い。

それでいて怪異への対処の仕方は理屈/ルールが通っておりきちんとSFとしておもしろい。それは『〈裏側〉の生き物を狩るなら、〈裏側〉の理屈や法則にこっちから歩み寄らなきゃならないんだと思う』と作中では表現される。

たとえば見続けることそれ自体に理解不能なリスクがある(理解したらヤバいことを理解しそうになる)くねくねとの戦いでは、なぜか相手に攻撃を当てても何の反応もないことが問題となる。相手は怪異なんだから当てても何も起こらないのは当然だろと思うかもしれないが、初戦は塩を当てることが出来て撃退しているのである。

では一回目と二回目で何が違ったのか──? という考察を、相手の姿を直視し狂いそうになりながらも導き出し(一応伏せておくが、認識に関する攻略法である)スマートに攻略してみせる。ファイル2ではより専門的な知識を持つおっさんと八尺様に遭遇し、ファイル3では迷い込んだ在日米軍と共闘し──とそれぞれゲストを迎えながらこの不可思議な世界をおおむね理屈(とマカロフなどの銃)を武器に探検していく。

この「裏世界」のことを簡単に解き明かしてしまっては話としては終わってしまうわけで、一つ一つの実話怪談をフックとして用いることで理屈を伴いつつ怪異譚とゾーン物を両立させているのが話の構築としては抜群にうまい。そして、軽くはあるものの『ストーカー』や最近だとヴァンダミアの『全滅領域』から始まるサザーン・リーチ三部作のようなゾーン物のおもしろさを明確に引き継ぎつつ、可愛い女の子たちの冒険を堪能できるわけで、それはまあ問答無用で楽しいよね。

おわりに

最終章となる「ファイル4 時間、空間、おっさん」は書き下ろしで、この裏世界の秘密の一端に迫ってみせる。理屈の通らなさこそが恐怖の本質であって、理屈で世界を構築するSFとは相性が悪いと思っていたが、最終的に本書は"恐怖の理屈"ともいえる部分を物語として取り込んでおり「うまいことやったなあ」と感心してしまった。

まだ語られていない部分も残っているし、構造的に続けやすいのでもう少し続いて欲しいところ。二人のこの先の関係性をもっと読んでみたいものだ。あ、ちなみに最近だとヴァンダミアのサザーン・リーチ三部作は傑作なので本書(裏世界の方)が気に入った人にはついでにオススメしておきます。
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魔術世界×プログラマ×中東──『無限の書』

SF ファンタジー

無限の書 (創元海外SF叢書)

無限の書 (創元海外SF叢書)

飛び抜けた海外SFが現れたものだ。世界幻想文学大賞を受賞した本書は、中東の専制国家である〈シティ〉を舞台として、若きプログラマが世界を変えうる力を持つ書を手に入れてしまい、大きな騒動に巻き込まれていくSFファンタジィである。

中東を舞台にしたSF

中東を舞台にしたSFは珍しく、まずそれがおもしろい。

中東での女性の地位の低さの問題。宗教的なものから風刺的なものまで徹底的なネットへの監視体制を敷くことができる検閲局の技術力と、まともな郵便システムさえも整っていない伝統と革新がごた混ぜになった状況。血縁をめぐる問題、西洋への意識──などなど、中東でなければ出てこない問題意識がてんこ盛りで、それが見事ストーリィと結びついていき驚きっぱなしで最後までぐいぐい読んでしまった。

著者のG・ウィロー・ウィルソンはニュージャージー生まれ、シアトル在住のアメリカ人だが、ボストン大学を卒業した後にエジプト・カイロでジャーナリストとして活躍し、エジプト人男性と結婚し、イスラム教に改宗しているなどなど、本書がかけるのも納得の経歴。ちなみに本書がデビュー作で、グラフィックノベル・ライターとしても活躍しているようでまたすごい才能がいるなあというところ(1982年生まれ)。

簡単にあらすじとか

簡単にあらすじを紹介しておこう。舞台は先程から書いている中東のどこかだが、主人公となるアリフはインドの血とアラブの血が混じった非純血種の若者。普段はプログラマとして個人から仕事を請け負ってハッカー的に仕事を行っているが、ある時金持ちで高い地位を持つ恋人から別れを告げられ、心に深い傷をおってしまう。

それだけなら別によくある別れ話だが、「あなたの名前が二度とわたしの目に触れないようにしてちょうだい。」という元彼女からの別れ文句を真に受けて、自身のプログラマとしての能力と人脈を使って、ネットで個人を特定し、その対象の相手からは彼の情報を消し去る"個人特定プログラム"の構築を開始する。普通そんなことはできないが、固有のタイピングパターンを検出することでネット上の大海、そのどこからアクセスしても個人を特定するプログラムの作成に"なぜか"成功してしまう。

どんなパソコンを使おうがひとりの人間を認識できるプログラムは"監視"する側からすれば宝であり、アリフは国家保安局の捜査官に追われることになる。〈シティ〉という架空国家とはいえ、捕まったらまともな捜査なんか行われずに処刑され女はレイプされる。別れた恋人から謎の本を受け取ったアリフは、巻き込んでしまった幼馴染ダイナと共に、吸血鬼ヴィクラムと呼ばれる怪しげな男を頼って逃げ出すが──。

なぜ元恋人は彼に本を渡したのか? この本は何なのか? 吸血鬼ヴィクラムとは何者なのか? そもそも彼が国家から追われるようになったのは本当にプログラムが狙われているからなのか? など疑問は山積みだが、一つ一つ解き明かされていくうちに彼のよく知る世界はその実態を変え、現代科学と魔術世界が交錯することになる。

魔術世界×現代

アリフはそれまでジン(幽精)の存在などは神話的なものだと認識していたが、ヴィクラムからその実在を伝えられ、本の持つ神秘的な力、その成り立ちを教授される。そこで語られる、この世界における魔術世界の在り方と来歴がなかなかおもしろい。

たとえば幽精や異界といったものについて、かつては人々が自然に信じ、受け入れていた"ともにのんびり歩いていた時代もあった"が、現代では幽精を信じず科学を信仰するようになり、それによって現代人は魔術的な世界を知覚できなくなってしまった──というのは、自然に魔術から科学への人々の思考の転換を説明してくれる。*1

「はびこっているのは盲信だ。教条主義だ。偏狭な宗派心だ。信仰は死に絶えた。あんたたち人間のほとんどにとって、幽精はうろつきまわって精神病や癲癇をひきおこす病的な幻にすぎない。"隠れたもの"たちを、聖典に語られるとおりのただなる現実として受けとめる人間をさがしてみるがいい。長い長い時間がかかるだろう。人の宗教からは驚異と畏敬が失われた。不合理を受け入れることはできるが、超越を受け入れることはできない。(……)」

本書が抜群にうまいのはこうした世界観をきちんと作中で描かれる問題意識に接続していくところである。たとえばイスラム法では、女の相続は男の相続分の半分となる等の"伝統"は、神が定めたことであるから事実として扱われる。一方、目に見えない理性ある生き物の存在──かつては実在していた幽精などのファンタジックな"伝統"は、西洋の影響を受け実在しないことになり、神の言葉は信頼されなくなる。なぜある"伝統"は今なお信頼され、別の"伝統"は信頼されなくなってしまうのか?

ポスト=フィクションの時代

また、現代は人々の生活の比重がコンピュータへとより重く寄りかかりつつある。ネット上の友人関係が現実以上の重みを持つようになり、ゲーム上のキャラクタが現実の問題と同じぐらい深刻な問題として語られる、絶えざる変革の時代。

そんな仮想と現実が当たり前のように入り混じった現代のことを、作中では"ポスト=フィクションの時代に生きている"と表現している。我々は宗教から驚異と畏敬が失われた時代を経て、自然にファンタジックな世界観を受け入れる世界観に再度到達した現代は、ある意味では原点回帰ともいえる状況にあるといえるのかもしれない。

本書が描くのはそんなファンタジィと現代科学が共存する世界なわけだけれども、それが端的に現されているのは"本"にまつわる事柄だ。たとえばアリフ君が受け渡された本は、人によって異なる形で復号化できる世界の本質ともいえる情報が記載されている暗号文書だが、プログラマであるアリフ君はこれをコードとして復号化することで特異なコンピュータを生み出し、物語は加速度的にその規模を増していく。

おわりに

幼馴染の女の子ダイナが、ヴェールを絶えずかぶっており、アリフ君自身何年も顔を見ていないという設定も恋愛ものとして新鮮で素晴らしかった。やたらと物語のように大げさな語りをしたり、なかなか幼馴染の思いに気づかないアリフ君は幼いといえるけれども、女の子を真剣に守ろうとする彼のキャラクタは強く、好感が持てる。

無数の論点が仕込まれていながらも物語としては見事まとまっており、キャラクタも魅力的とくればこれはもうデビュー作とは思えない完成度。大いに期待しながら著者の今後の作品(とその翻訳刊行)を待ちたい。

*1:TYPE-MOONの一連の作品における魔術とほぼ同じだし、この魔術設定自体が新しいというわけではないのだが。

確かなことなんてひとつもない──『騎士団長殺し』

ファンタジー

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

村上春樹氏の新刊である。って僕が宣言しなくてもみな知っていると思うが、新刊なのは確かである。読む人は読むし、読まない人は読まないだろう。つまり僕が紹介する意味もあまりないから、振り返りながらざっくりとした感想を書いてみたい。

簡単に全体を通しての感想を先に述べておくと、前回の長篇『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』からは4年、より本格的な長篇『1Q84』からはおおむね7年ということで、久々に村上春樹によるガッツリとした物語を読めたなという満足感が読み終えて(読み途中も)まず最初にやってくる。後述するが明確にこれまでの作品/モチーフを作中に取り込んだ上で、また別の方向性を示しているのも素晴らしい。

今回も相も変わらず30代半ばぐらいの男が語り手となって、妻との仲がうまくいかなくなり、深い穴の底に潜ったり潜らなかったりする。村上作品ではだいたい中心人物は勤め人ではないが、今回も職業は画家であり、必要なだけの肖像画を描いてある程度自由に暮らしている。村上春樹も年々歳をとっているにも関わらず、相変わらず30代半ばの人間を語り手にし続ける、できるのは凄いなと思う(インターネットもほとんど使わないし、その立ち振舞は現代の30代の男ではないのだけれども)。これについては何かのインタビューか質問へ答えていたと思うが、すぐには思い出せない。

まあ、それはいいとしてあちこちに移動した1Q84や多崎〜と比べると、今回は非常に限定的な人間関係、限定的な土地の中で物語は進行する。

簡単なあらすじとか

妻から別れを切り出された男は小田原郊外の山頂の新しい家に落ち着き、そこで奇妙な経験を次々とすることになる。その家にむかし住んでいた著名な画家によって描かれ、屋根裏に隠されていた「騎士団長殺し」と題された絵。通常よりも遥かに高額な報酬で、肖像画書きを引退した語り手に対して自身の肖像画を依頼してきた謎めいた男。深夜に、人がいそうもない近くの古い祠のような場所から鳴る鈴の音──。

語り手は鈴の音の謎を追求し、謎めいた男の肖像画を描き、無口極まりない中学生の少女の肖像画を描き、その途中でいくつもの不可解な出来事/奇妙な依頼に巻き込まれていくことになるが──あまり小田原郊外の家の近辺から出ることはない。基本的には絵を描き、その過程でメタファーやらイデアやらと戯れることになる(説明は省くが、これはそのまんま文字通りの意味で)物語であるといえる。

可能性の世界

梯子がなければ上がれないほど深く、人が入れる広さのある井戸のような穴。遠くはなれていても夢の中ではつながっている、神秘的なセックス。新興の宗教団体、謎の異世界での冒険、スピリチュアルな存在との対話などなど、過去の作品でみられたいくつものモチーフが投入されていく。最終的にしっかりと意味が回収されるモチーフもあれば、回収されず何のために書かれたのだろうと疑問に思うものもある。

もちろん村上春樹というのは同じモチーフを繰り返し繰り返し用いる作家だ。けれども、本書に関しては意図的に繰り返し、過去作を取り込もうとしているようにも感じた。たとえば、『1Q84』では「こうであったかもしれない」可能性としての世界を、"月が増えた世界"として明確に切り替えた上で描いてみせたが、本書では「こうであったかもしれない」し「そうではなかったかもしれない」、無数の可能性を抱えた世界を、切り替えることなく総体として描こうとしているように思える。

 あとになって振り返ってみると、我々の人生はずいぶん不可思議なものに思える。それは信じがたいほど突飛な偶然と、予測不能な屈曲した展開に満ちている。しかしそれらが実際に持ち上がっている時点では、多くの場合いくら注意深くあたりを見回しても、そこには不思議な要素なんて何ひとつ見当たらないかもしれない。切れ目のない日常の中で、ごく当たり前のことがごく当たり前に起こっているとしか、我々の目には映らないかもしれない。それはあるいは理屈にまるで合っていないことかもしれない。しかしものごとが理屈に合っているかどうかなんて、時間が経たなければ本当には見えてこないものだ。

とは序盤の言だが、本書の内容を端的にあらわしているようにも思う。何の変哲もない日常の中で、たまたまとった選択肢が予測不能な屈曲した展開をもたらしていくが、メタ的にその後の展開を予期する「騎士団長」の存在も相まってその背後には別の行動をとった場合の可能性の世界が広がっている。あの電話にでなかったら、誘いを受けなかったらどうなっていたのだろう。"もし、こうなっていたら"、"もし、こうだったら"という可能性の話が本書では会話や回想として幾度も繰り広げられる。

語り手に自身の肖像画の作成を高額で依頼してきた金持ちの男は、自分の"子供かもしれない"女の子にたいして執拗に執着している。娘かもしれない相手にそうと知られずにDNA鑑定をするだけの金も人脈もあるが、彼は決してその手段をとらない。実子かもしれないし、違うかもしれない。真実は調べれば明らかになる。しかし、結果としてその真実は彼に深い孤独をもたらすかもしれない。であるならば、真実は脇におき可能性に思いを巡らせることこそが結果としては幸せなのかもしれない。

 免色は肯いた。「そうです。私は揺らぎのない真実よりはむしろ、揺らぎの余地のある可能性を選択します。その揺らぎに我が身を委ねることを選びます。あなたはそれを不自然なことだと思いますか?」

作中で無数に配置され、時に回収されないモチーフや出来事の一つ一つは、"そうなりえた可能性"──というよりかは"何らかの形で物語に関与していたこともあったかもしれない"予感のようなものとして、描かれずとも作品を広げてゆく。本書を読んでいると、なんだか過去の作品もすべて同時に読み直しているような気分になってくる。たとえるなら、選択肢つきのノベルゲームをやっているような感覚である。

ここで"こういうことが起こったら"、あるいは"この人物がもし仮にこう考える性格だったら"過去の作品のような"展開"もありえたのではないかとついつい思わせる可能性が本書の中には内包されているようだ。限定的な話だと最初の方で書いたが、"可能性の世界"として読むと、その広さはこれまでの作品の中でも一番かもしれない。

おわりに

実は一読した時に物足りない気持ちもあったのだが、もう一度読み直しながらこうやって記事を書いてみると、思っていたよりも深い作品であったようにも思う。何にせよ、すぐに判断がくだせるようなものではなさそうだ。"しかしものごとが理屈に合っているかどうかなんて、時間が経たなければ本当には見えてこないものだ。"

正義の在り処を問う──『制裁』

ミステリ

制裁 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

制裁 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 作者: アンデシュ・ルースルンド,ベリエ・ヘルストレム,ヘレンハルメ美穂
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/02/23
  • メディア: 文庫
  • この商品を含むブログを見る
昨年(16年)大変な評判をよんだ『熊と踊れ』という犯罪小説の著者のうちの一人(共著なので)ルースランドのデビュー作が本書『制裁』である。もともと07年にランダムハウス講談社から出ていて絶版になっていたものを、恐らくは『熊と踊れ』の好評を受けて早川が各所に調整をかけた後に復刊したという経緯なのではないかと思う。

僕は今回が初読になる。正直、原著刊行(2004年)からは13年が経っているし、デビュー作ということもあって期待しないで読み始めたのが、これがめちゃくちゃおもしろくて最後まで一気に読み切った上に、自分(冬木)としては珍しいことに体調が悪くなるぐらいに作中へと入り込んでしまった。それぐらい徹底的に、作中の人物の心情へと同調させてくる、デビュー作にしてすでに円熟の技量が発揮されている。

簡単なあらすじ

プロットはシンプルなもので、二人の少女への性的暴行/殺人事件の犯人ベルント・ルンドが、犯行から4年の月日を経た現在、護送中に脱走。即座に調査を開始する警察だが、その行き先をたどる事ができず、ルンドはその抑えられぬ欲望を発散させるためすでに次なるターゲットを定めるため保育園へと足を向けていた──。残念ながら、これはヒーローの物語ではなく警察小説なので、事件は起こってしまう。

描写の凄まじさ

プロットが抜群に優れているわけではない。中盤から鮮明になる問題意識──"誰かに危害を与えるおそれのある犯罪者にたいして、一般市民が罰を下すことの是非"も、そう珍しいものではない。それでいて本書を特別な物にしているのは、その圧倒的な描写力である。物語は性犯罪者ルンドを追う警察、ルンドの新たな犠牲者となる少女の父親など無数の視点から展開するが、僅かに描かれる人物であってもえぐりこむように描写していくので、立体的に事件・物語が立ち上がってくるのだ。

それは描写それ自体の凄さなので引用する以外にはなかなか伝えきれないが(引用しはじめるとキリがないので控えておくが)、最初は読み進めていく度に性犯罪者に対しての憎しみがマシマシになるように描写されていく。冒頭、のちに犠牲者となる娘とその父親の日常を朗らかに、またどれだけ父親が娘を大切に思っているのか、娘がどのような子供なのかをこれでもかと描写してみせる。護送する道中では、護送担当者がワイセツ野郎を憎んでいる心情をその人生と経緯も含め端的に表現する。

それは刑務所の中にまでおよんでおり、犯罪者側の視点が豊富(ルンドの視点もある)なのも特徴のひとつ。ルースランドは『熊と踊れ』で題材にした事件の関係者と共同執筆したように、本書でもかつて服役囚でもあったベリエ・ヘルストレムと組んでおり、刑務所の中の精神状態(囚人たちは皆、恥辱や自己嫌悪の念を抱いており、自分たちよりさらに下のものを見下すために性犯罪者たちを極度に敵視し、刑務所内で執拗な暴行を加えたりするなど)、ルールなどがじっくりと描き出されていく。

描写に関しては特に犠牲者の父親(フレドリック)の描き方は秀逸なんてものではなく、同調しすぎて気分が悪くなるぐらいだ。絶望へと落ちていくのが心情描写というよりかは、行動で端的に、大仰に描くのではなくあくまでも淡々と描かれていく。

 話が終わると、フレドリックは二人を抱きしめた。少年たちが去ったあと、マリーの死について語ったのはこれが初めてだったと気づいた。二人のためにそうせざるをえなかったのだ。説明してもなかなか納得してもらえず、ふたたび説明を繰り返す。悲しみについても話をした。まだ一度も泣いていないと言うと、二人はびっくりした様子でどうしてと問いかけてきた。そこで彼は正直に答えた。どうしてか分からないけど、そうなんだよ。どういうわけか人というものは、悲しみをいっぱい抱えているのに、それを外に出せないことがあるんだね。

正義の在り処を問う

こうしたフレドリックの心情にしっかりと寄り添うようにして展開したあと、物語の後半、フレドリックはいまだ野放しになっているルンドを止めるために奔走し、先に書いたように"私刑"をめぐる問題が浮かび上がってくることになる。スウェーデンは死刑制度のない国だ。どれだけひどい、多くの人間の憎悪を掻き立てるような犯罪を犯しても、最高で無期懲役。しかも刑期は短縮され出てくることも多い。

果たして──我が娘を殺され、野放しになっている犯罪者を法律に反して殺すため行動するのは"善"なのか? 一側面からすればそうだろう。野放しに出来ぬ悪を断罪する、ヒーローの物語だ。多くの市民がその行動を支持するに違いない。しかし法律の存在する社会の下にあってそれはただの私刑であり自分勝手な正義にすぎない。

仮に法律にのっとった場合、計画殺人には無期懲役が求刑されるが、それはルンドと同じ刑であり、つまるところ同じ罪ということなのか? 仮に彼の行動が"善"だとしたら、法律とは間違っているのか? 落とし所はどこにするべきなのか? などなど、正義の在り処を問う無数の問いがなされるが、決して安易な答えは提出されない。

おわりに

著者はあとがきで、小さな女の子の足の裏を舐め、その膣に金属を突き刺す、ベルント・ルンド。娘を亡くしそれでもなんとかして生きていかねばならない、フレドリック・ステファンソン──と一人一人キャラクタの名前を挙げて、その全員が"現実に存在している。"と断言している。『彼らは皆、どこかに、われわれのなかに、存在している。あまりにも不合理な彼ら。でっち上げることなど不可能だ。』

実際問題として残酷な行為を平然と出来てしまう性犯罪者はいるし、その家族もいるわけで、この言葉はまったく正しいのだろう。本書は問題意識自体はそれほど特別なものではない──特別なものではないが、著者らは登場人物の一人一人をありありと立体感を持って描き出すことで、のめり込まざるをえない作品に仕立て上げてみせた。10年ぶりの復刊とはいえ、いま読んでも抜群におもしろい警察小説である。
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SFマガジン2017年4月号、出てます

お仕事告知

SFマガジン 2017年 04 月号

SFマガジン 2017年 04 月号

SFマガジン2017年4月号出てます〜。僕は普段の海外SFレビュー2ページに加えて、ピーター・ワッツの傑作エコープラクシアについて1p書いています。

特集としては2016年の『SFが読みたい!』で上位だった上田早夕里さん、宮内悠介さんの短篇。エリスンの翻訳なんかが載っています。また鷹見一幸さんの『宇宙軍士官学校-前哨(スカウト)-』の小特集で短篇と用語集が。海外SFでもミリタリSF特集とか読んでみたいですね。最近またたくさんシリーズが増えたのでいったん何がオススメで現行のシリーズがどこまでいったのかをまとめておきたいところはある(これはブログでやりたいと思いつつもどうしても時間が足りずに進まず)
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そいでは、あらためてエコープラクシアほんとにおもしろいのでオススメです。

エコープラクシア 反響動作〈上〉 (創元SF文庫)

エコープラクシア 反響動作〈上〉 (創元SF文庫)

エコープラクシア 反響動作〈下〉 (創元SF文庫)

エコープラクシア 反響動作〈下〉 (創元SF文庫)

トマ・ピケティ絶賛の"長篇小説"──『貧困の発明 経済学者の哀れな生活』

経済ノンフィクション その他のノンフィクション

ピケティ絶賛と煽り文句のついている「貧困の発明」って本、おもしろそうな経済ノンフィクションだな〜〜と思ってよくみたら"長篇小説"であった。とはいえピケティが帯でファンタジィを絶賛することもないだろうから──と読んでみたら、本書は確かに経済に関連する小説作品ではあり、これがなかなかおもしろかった。

端的に紹介すれば、国連のプロジェクトにも関わる現役の経済学者が、貧困撲滅事業や国家的経済プロジェクトがいかにぐだぐだで、嘘と欲望にまみれ適当に運営されているのかを暴き出すブラック・ユーモアに満ちた風刺小説である。あくまでも"フィクション"であるとはいえ、著者の経歴を考えれば見聞きしてきたことが大いに反映されているのは間違いない。いわゆる普通の小説の楽しみ方とは異なるものの、経済エリートの悲哀みたいなものもじっくりと描き出されてなかなかな良いのだ。

著者はニューカレドニアの生まれで経済学者にして小説家。普段はパリの持続可能開発および国際協力研究所でグローバル・ガバナンス・プログラム(わけがわからん)を指揮しているらしい。具体的には農業開発援助を専門として、世界銀行やEUが出資するプロジェクトに関わっているようで、小説はたまたま1冊だけ書いてみたのかな? と思いきや本書が4冊目。小説作品として読んだ場合、プロット・構成に関してはグダグダの極みだと思うがそれなりにしっかりとした文章を書いている。

簡単なあらすじとか

物語の中心となるのは国連事務総長の特別顧問、経済学者のロドニーである。彼が専門とするのは貧困問題で、中でも主に貧困撲滅プロジェクトに邁進してきた。先程プロットはグダグダの極みと書いたが、本書のメインはこのロドニー氏がプロジェクトの遂行中に知り合った18才のベトナム人美女ヴィッキーと結婚し、あまりに価値観の違う彼女に振り回されて人生が滅茶苦茶になりつつ詐欺じみた"貧困の発明"を行うという、"エリート経済学者の日常物"的な物なのでぐだぐだなのが正解ともいえる。

ロドニー氏はヴィッキーにぞっこん惚れ込んで結婚したわけだが、二人の間には問題しかない。パーティからいなくなったヴィッキーをロドニーが探しに行ってみれば、彼に対してこっそりやっちゃいましょうよと誘いをかけてくる(が、ロドニーは暗に断る)。ロドニーは朝や夜も積極的にヤるよりも睡眠時間の確保や仕事を優先するので、ヴィッキーはどんどん不満がたまっていく。ヴィッキーはロドニーが帰ってくると毎晩家から出ていって泥酔し、ドラッグでハイになるしで生活は噛み合わない。

貧困の発明

ロドニーはそんな彼女を都会的な生活に馴染ませようと奮闘するが、同時に進行するのが彼の本業"貧困の撲滅"である。貧困者に対して集められた公的資金が投入されればプロジェクトの運営者には金が回るから、それが彼らのビジネスになる。ところが、本当に貧困が撲滅されてしまったら民間企業から1ドルだって金は集まらない。つまり、貧困の撲滅を掲げる人々は本当に貧困が撲滅されてしまったら困るのだ。

「貧しい人々がもっと必要なんだよ、ロドニー。絶対的貧困層が消滅したら、アメリカの貧困層がその代わりになる。だが、アレックスはそれを望んでいない。共和党も同じだ。アメリカに援助される貧しい人々はほかの国にいなければならないんだ」

貧しい人々を作りだせば作りだすほど貧困支援をビジネスにしている人間は裕福になる。その裕福さを維持し、増大させる為にさらなる貧しい人々を生み出す必要にかられることになる。まあ、虚業というか、虚しい仕事ではある。ロドニーがヴィッキーと結婚し、彼女の生活を支援するのも、心の痛みへの治療薬としての側面がある。

しかし、どうやって貧しい人々をつくりだすのか? 戦争でも起こすのか? といえばこれがそう難しいことではない。現在、世界的に貧困は明らかに減っているとの結果が出ているが、これは何で出ているのかといえば"とある統計"だ。つまり、"貧しい人々が増えるようなとある統計"を新たに構築すればいいだけの話である。

「一日に一ドル以下で暮らしている人は、購買力平価で貧しいということだ。仮に典型的な貧しい国の通貨をルピオテとしよう。為替市場で一ドルが一ルピオテだと想像してほしい。その国では一日一ルピオテで難なく暮らすことができる。ルピオテの購買力は、アメリカにおける相応額のドルの購買力よりはるかに高いからね。通貨の購買力を考えるなら、一ルピオテは一ドルに値しない。一・二あるいは一・四ドル。まあ年によって変わる。つまり通貨間の購買力平価を見直すことで、貧しい人々をつくることも、反対に消滅させることもできる。(……)」

ロドニーの悲劇は、こうした事態を簡単には割り切れないところにあるのだろう。貧困者は単なる金を引き出すための実験用ラットだと割り切れていれば心も痛まない。が、ロドニーには貧困を撲滅したい、人々を救いたいという確かな善といえる気持ちがある。それでもやっていることは適当な数値をでっちあげて貧困をつくりあげること、偉い人達への根回し、接待の連続で心はただひたすらに疲弊していく。

おわりに

本書の副題には「経済学者の哀れな生活」とあるが、まさにこの副題の通りに1冊まるっとかけて、多くの金を稼ぎ、名声を得ながらもまったく幸福になることができず、虚栄に落ちていく哀れな経済学者の姿を描き出していくのだ。読み終えて心が暖かくなるという感じの小説では全然なく、どちらかといえばきっとあまり大差のない現実を思いがっくりとくるが、それこそが本書のおもしろさ/価値といえるだろう。