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才能との向き合い方──『りゅうおうのおしごと!』

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

この『りゅうおうのおしごと!』は農業高校の学生生活を描く『のうりん』シリーズなどで知られる白鳥士郎さんの現在進行系のシリーズである。先日5巻が出たところで第一部完ともいうべき展開をみせ、この時点までで充分にひとまとまりの作品として優れていることから一度レビューを書いておきたい気持ちが湧いてきた。

将棋物として真正面から真摯に向き合っているだけでなく、才能を持つものと持たざるものめぐる物語として、また才能を持ってしまったからこその順風満帆とは言い難い道のりを描いていく。また、『のうりん』でも農業高校や現実の農業問題への丹念な調査とその物語への落とし込み、きわどいところまで踏み込むギャグ、テンポの良さとバランス感覚の見事さを発揮していたが、それは本シリーズでも変わらない。

まあ、将棋フィクションはこの世に数多く、そのどの作品も綿密な取材と監修に基づいて棋士の生き様を描こうとする熱量に溢れている。だからこそ、その将棋への"熱意"や取材の密度といったものは、本シリーズで特別なものとはいえないだろう。

簡単なあらすじとか

物語のあらすじはシンプルなものだ(設定自体は小説、特にライトノベルだから盛り盛りだが、何しろ将棋界のことだから前例が多くあったりする)。主人公は16歳の若さで「竜王」のタイトルを獲得した天才・九頭竜八一。才能は疑いなく一級のものとはいえ、自身の将棋を研究しつくされタイトル獲得後の対局では負けが続く。

そんなある日、彼の将棋を見て将棋をはじめた小学生女子雛鶴あいが彼の元へ押しかけ、内弟子になることを希望する。自身もまだ若く負けがこんでいることから断ろうとする八一くんだったが、あいの圧倒的な才能を前にして一転、弟子として受け入れることを決意するのであった……。そうして9才のあいと16才の八一くんの奇妙な同居生活がはじまり、最初の「竜王」防衛戦までが1〜5巻の物語となる。

将棋ドラマとして

コメディとしては小学生の女児と暮らす男子のドタバタ、また彼の周りにあつまってくる小学生女児に対して周囲の人々から八一くんが「ロリコン」呼ばわりされるというパターンが繰り返され特段その質が(自由度の高かったのうりんと比べると)高いとは思わないが、何しろ将棋の場面、またそれに伴うドラマの演出が素晴らしい。

漫画だと"現状の盤面"を逐一コマ上に配置して棋譜までしっかりみせていく演出方法もあるが本シリーズではその方法はほとんどとらず、主に序盤の攻め手、守り手がどのような形をとっているのか、またそれがどのような流れ(劣勢/優勢)を生み出しているのかを逐次解説していく。また、実際のプロの対局でもプロや識者の解説・実況がつくものだが、本シリーズでもそれを模した/あるいは解説・実況を作中で取り込む形での臨場感のある"対局"の解説がよく行われる。この手法の良いところは、ガヤガヤと盛り上がる周囲の人々の熱気まで描写として取り入れられるところだろう。

1巻では連敗続きの主人公の復活と弟子・あいとの出会いが描かれ、2巻ではあいちゃんに新たな同年代のライバルが現れ、弟子も増える。3巻では新たな八一くんは新たな戦法を得るため修行し、一方で研修会の年齢制限に引っかかりそうな女性の桂香を中心とした"才能がものを言う世界"の過酷な戦いが描かれる。

才能の呪い

この3巻はシリーズ中でも特異なおもしろさで、また将棋を題材に描く以上避けては通れない題材を扱っている。この世の中、全ての人間は平等であると綺麗事がぬかされることもあるが"絶対的な才能"はある。奨励会には飛び抜けた才能のある子供たちが集まるが、その中からプロに成れるものは一握りである。それ以外のものは努力が不足していたのか? といえばそうではない。ただ、弱ければ勝てないのだ。

「奨励会は生き地獄だ。みんな命懸けで将棋を指してる。そんな中で自分だけが他人より努力してるなんて考えは、傲慢だと思わないか?」

才能がないのであれば仕方がないと諦めることができれば、大きな問題はないともいえる。将棋が好きなら、将棋と関わる人生なんかいくらでもあるわけだ。アマチュアとして好きに指してもよければ、周縁で仕事をしてもいい。解説や記者の仕事だってあるかもしれない。だが"勝負の世界"に行こうと思うのであれば、勝たなければ仕方がない。そこにこだわるしかない生き方をしてきてしまった人たちからすれば、自分の才能のなさとどうしようもなく過ぎていく時間は強烈な呪いとなって機能する。

それは言うまでもなくとてつもなく苦しいもので──、3巻ではその苦しみを無数の角度から描いている。才能がなくともあくまでも勝負の世界に泥臭くこだわるもの。周縁の世界での関わり方を模索するもの。才能がなければどうしたらいいのかを考え続け、誰よりも克己することで一流の才能と渡り合ってきたもの。才能がないものはその不在に苦しみ、才能のあるものはその力の制御にまた苦しむことになる。才能との付き合い方は、作品にこの後も引き続き流れ続けるテーマのひとつだ。

盤面からキャラクタが浮かび上がる

4巻は5巻への布石のような巻で(他にもいろいろあるけれど)、5巻では初の防衛戦が描かかれる。明確なモデルはいないとはいえ少ない描写やその佇まいは羽生善治さんを思い起こさせる、永世七冠がかかった竜王戦に挑む"名人"と、明らかに負けることを期待されている周囲のムードの中、戦わねばならぬ若干17才の八一くんの死闘。

"将棋は完全なゲームではない"とする冒頭の言葉からはじまり、途中で訪れるルールの穴をつく展開もさることながら、キャラクターが命のライトノベルでありながらもこれまで描写を徹底的に抑制されてきた"名人"の描き方が凄い。本シリーズにおいても名人以外は(元より将棋界には多い)奇抜なキャラクタが目白押しだが、名人は一環して雲の上の存在、超常的な存在として遠巻きに、どこか淡白に描かれてきた。

それは防衛戦がはじまっても変わることはない。主に焦点が当たるのはお互いの打ち筋。意外な手をうってくれば(名人以外の人々が)驚き、奇跡としか言いようがない手が現れれば(名人以外ry)賞賛し、対峙する八一くんはしょっちゅう追い詰められ、ただひたすらにゲロを吐きそうになる。だが、その勝負の一瞬の隙間で、ふっと名人の佇まいが描写される瞬間がある。名人は特別な造形のキャラクタではない、いわばただの歳をとったおっさんである。特徴的な語尾で喋るわけでもなければ何か名言を残すわけでもない──しかし──言ってしまえばひたすらに将棋へと立ち向かう、ただそれだけの姿勢が、淡々とした描写の中に浮かび上がり、壮絶に格好良く映る。

ある意味では"直接的に書かない"ことでキャラクタを引き出した──ただ将棋における盤面を進行させ、奇跡のような将棋の対話を描くことで逆説的に"それを打つことのできる"キャラクタの在り方を読者の中に浮かび上がらせてみせたからこそ、"佇まい"を描くだけでそのキャラクタが見事成立しえたのだろう。5巻には読みどころはいくらでもあるのだが、特にこの点については心底震え上がった。

シチュエーション的にもキャラクタの格としてもこれ以上のものがなかなか想定しづらいだけに、5巻以降をどう続けていくのか恐くもあり楽しみでもあるが、いまいちばん続刊を楽しみなライトノベル作品であるのは間違いない(枠をSFまで広げると他にいろいろはいってきてしまうので限定しておく)。

りゅうおうのおしごと! 5 小冊子付き限定版 (GA文庫)

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