基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

読書について by 小林秀雄

なんでいまだにこんな本が新刊として出ているんだろう、と思えば今年で没後30年なんですね、小林秀雄。日本一有名といっても過言ではない文芸批評家である小林秀雄が書いた、読むこと/書くことについてのエッセイをまとめた一冊。もう随分むかしに書かれたものだからそのまま適用出来る部分もあまりないかなあと思いながら読んだけれど、ほとんど古びていない。そして相変わらず氏の文章には、僕には到底納得出来ないような結論や言葉の使い方であってもそんなことは関係なしに屈服させられてしまうような力強さがある。

一貫した姿勢で読むこと/書くことについて述べられていくけれど、特に僕が好きな考え方が、物事を鑑賞する際の心構えにある。『文章を鑑賞するとは、文章の与える印象を充分に享受するという事です。』『極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措いても、見ることです。聴くことです。』

何をそんなに当たり前のことをと言いたくなるようなことだけれども、小説作品にたいして「わからなかった」とか絵や音楽にたいして「わからなかった」という人は今だに後をたたないのだから、広まっている考えでもないのだと思う。小説や絵や音楽は数学の問題集などではないのだから、誰もが同じ答えに辿り着く唯一絶対の解なんてものはないし、わあ楽しかった、感動した、泣いた、と享受すべきものです。

一方でそれがそんなに簡単ではないことも同時に提示されていく。そもそも一日の生活の中である「もの」をじっくりと、何分何十分にわたって見ることがいったいどれだけあるのか。身近にあるものの形を本当に精確に把握しているのか。花をみて「ああ、これはスミレの花だな」と思う。それは単に花の名前を知っているだけであって、それで納得して視線をそらせてしまったら、当たり前ですけどもう見るのをやめてしまうのです。

と続いていく。うむ、たしかに。僕も日常的にじっくりと物をみることもない。たとえばライター、花もみないな、そんなに。眼の中にうつりはするものの意識にのぼらず流れていく。ピカソの絵がわからないという。それはさっと見ただけではないのか。野球選手は調子のいい時には投げられた球が止まって見えるというけれど、それだってやっぱり「見る」の延長線上にあることでしょう。

絵画の微細な表現を見分けること、あるいは美を感じ取ること、音楽の微妙な演奏の違い、テクニックを聞き分けること、ある文章があって、そこに書いてある文字を裏の裏まで読み取ってみること。それら全部がただ「見る」「聴く」「読む」という能力の延長線上にある。だれでも見て聴くことはできるけれど、それを高いレベルまで持っていくのは考えてみればなかなか難しいことですよね。

絵は知識でみるものではないし、音楽だって自然だって同じこと。でもだからといって簡単ではないのです。ピカソをぱっと見て感じ入るのはやっぱりなかなか難しいでしょう。でもじっと見たらどうか。「わからない」といった時に「(絵に関する知識がないから)わからない」というのはやっぱりおかしい。意外と「ただ見る」「ただ読む」ということが難しいことであることが、実体験を思い返しても思い出されるのではないでしょうか。どうしてもこれはあーでこうだからすごいんだ、だから自分はこれをわかっているんだ、知識で見て、知識で解っているか否かを判断しようとしてしまうのです。

小説なんかも僕はよく「○○がよかった」とか「○○がダメだった」とか書きますけど、あれは詭弁ですからね。「○○がよかった」というのは、単にそれが言葉にしやすいから取り上げられているものです。小説におけるプロット、テーマ、キャラクタの特徴といった要素は非常に取り上げやすい。でも小説の価値、本当に面白いと思っているのは、そうした簡単に言葉で表現できるところとはまったく別の、もっと総体としてみたところの雰囲気みたいな、言葉にしづらいところにあるのです。

あの人は、姿のいい人だ、とか、様子のいい人だ、とか言いますが、それは、ただ、その人の姿勢が正しいとか、恰好のいい体制をしているとかいう意味ではないでしょう。その人の優しい心や、人柄も含めて、姿がいいというのでしょう。絵や音楽や詩の姿とは、そういう意味の姿です。姿がそのまま、これを創り出した人の心を語っているのです。

ある花が、どんな構造をしていて、どんな特徴を持っていて、と細かく分類し、定義していく、物の性質を知ろうとするやり方を氏は一貫して否定しております。これは科学的な批評についても同じ。小林秀雄氏の論理的に前提と結論が破綻していたり、思索と体験が混在して意味が明瞭に把握できない箇所があるような文章で通底しているのは「絵や音楽や詩の姿とは、そういう意味の姿です。」という、分類化や細かい定義などをせずに、いかにして美を美のまま表現するのかといった表現できないものを表現することへの挑戦であるかのように思えるのです。

180ページ足らずの短い一冊です。文庫本も全集も出ている現在、わざわざハードカバーでこの一冊を買う理由もないと思う。でも小林秀雄の考え方に触れるにはいい一冊ではある。

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