基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

スカイ・イクリプス/森博嗣

も・・・もう無理っす・・・わけわかんねっす・・・。ジョースターさん・・・受け取ってください・・・。

あらすじ

スカイ・クロラシリーズ最新作にして最終作の短編集。

感想 ネタバレ無

久しぶりに読んだら、人物の相関図とか全然わからないし、ややこしいし、意味がわからないし、もう考案するのは無理だ・・・。何が何なのかわからん

ただ、小説としては非常に面白い。まったく文句ない出来だ。正直いってスカイ・クロラシリーズだけはハードカバーで集めている。きれいだ。とてつもなくお気に入りだ。映画も楽しみです。はい。

真剣に色々考えようと思ったら一作目から読みなおさないと、だめだなぁ。そういった役はほかの誰かに任せよう。

なんかもう、考える事は放棄してただ、読んでみた。文字数抑え目でシャープだ。特に、空についてキャラクターが語る時の描写はこれ以外にないってぐらい。

キャラクターの思考が非常にシンプルになっていて、個々のやりとりが、なんというのかなあ、ある事を言わせたいための会話というかなんというか、思想が一番出ている小説だと思う。

短編として好きなのはワニング・ムーンとナイン・ライブスだ。何故かは、よくわからないが、多分他のは今までの作品の謎解きというのに焦点があたっていたのに対して、単純に短編として成立していたからだろうか。ジャイロスコープとかでもそうなのだが、あれは一番最初の試し書きというか、前座の話、という感じ。

ネタバレ有

このシリーズでは一貫して無駄なものが無い、極限まで単純化された小説、といった感覚を感じた。空には何も無くて、地上のしがらみも何もかもなく、ただ綺麗だ、美しい、というような描写を何回も繰り返し繰り返し述べている。
何か意味はあるのだろうか?

確かに地上の人間関係も、めんどうくさいしがらみも、重力さえも空に居れば関係がない。ならば、しがらみを抜け出して、みんな地上から逃げだそうぜ!というような事をいっているのだろうか。あるいはこんなしがらみばっかりの地上なんか抜け出して、とっとと死んで魂になろうぜ!とか?
そういう意味ではないだろう。あるいは、ただ空は美しい、汚いものなど何もない、という事が書きたかったでも?

あるいはこの小説では、空に限らず、空のようなものを感じられる場所を探せ、ということを言っているのかもしれない。こっちの方がよほど筋が通っているように感じる。あくまでも自分の中だけの話だが。すべての物事から逃れられる、自分だけの「真理」空に限らず、人によるが誰だってもっているんじゃないだろうか?
死についても、頻繁に語られている。ただ全てはここに収束するような。

 生きているか、死んでいるか、ということの無意味さだ。生死など、どちらでも良い、大した差ではない、ということが感覚としてわかるのだ。

ある一面から見れば正しくて、ある一面から見れば正しくない、そんな感じ。肯定的な意見も、否定的な意見もどちらも持っている。何度も書いているけれども、個人の一生のなんと短い事。人類が生まれてからまだたったの十万年前に生まれたにすぎない。宇宙の歴史150億年生命の歴史35億年と比較してもあまりに短い。そんな中で、100年以下しか生きられない個人の生にいったい何の意味があるのかと。物事を考えて呼吸をして飯を食って生きている状態とそれらをやめた死んだ状態の間にどれほどの違いがあるのかと。
そんな事を考える。
あるいはこれも森作品に一貫した主張か。何故かこのシリーズは、設定も何もかも違うのに、「四季」と同じような雰囲気を感じる。

どうして生きていたいのかと尋ねれば、楽しい事があるからと返ってくるのは道理だが、それは楽しいと思い込んでいるだけだと反論されたら、どう答えればいいのか。

 簡単に死ねないような仕組みが社会にはある。死なないように教えられ、死にたくないように四方八方から糸で引っ張られている。自分が死んだら、そのあとはどうなるのか、と考えない人間はいない。それを考えること自体が、死ににくい仕組みの効果なのだ。

これも森作品の一貫とした主張か?確か四季でも、同じ事を言っていた。生きていなければいけないと思いこむことが人間の自由を奪っている。

ワニング・ムーンから
長い間海の上で、戦闘機の中に収まったまま、奇跡的に通りがかった船に拾われたパイロットと戦闘機を見つけた乗組員の話

 「では、どう思いましたか? 私があなたを見つけて、救出できたことを」
「助かったと思いました。感謝しています」
「何故ですか?」
「何故?」
「生き延びられたから?」
「もう一度、飛べるからです」
「ああ・・・・」

死にたくないから、とかうじうじ悩まない、なぜ、生きているのか?という問いにも飛べるから生きていると答えるだろう。生きているという事と飛ぶという事が、直結している。このあと、乗組員は死ぬが、何故死んだのか。

いや、もともとしぬつもりだったのだから、というかそもそもなぜ死のうとしていたのか。

現実と夢の区別がついていないような話が少しあったから、そんなようなことで死のうとしていたのだろう。自分も似たような経験があるから少しわかる。現実と夢の区別がつかなくなって、現実に意味を見いだせなくなった事が。夢でみたことが現実であったことのように感じられて、簡単に現実が侵食されていくあの感覚。死んでも生きていても同じだ、と考えたのかもしれない、と読んでいて思った。

パイロットの言葉で何かを会得?確信?して、確実に納得して死んだのであろう事は「ああ・・・」というセリフからわかるが、いったい何を感じたのか。自分には無いものを相手が持っているのを知って、それならば自分は死んでもいいのかと納得したのか。あるいはあまりにバカげた答えに何もかもバカらしくなってしんだのか。死ななかったのがうれしいのではなく、単純にもう一度飛べる事がうれしい。飛べるなら、死んでいてもよかったのだろう。単純な論理で、もうバカバカしくなったんじゃないかなぁ。

と単純に中身について書いてみた。時系列だとか、誰が誰だとかいう事を考えるのはやめです。