あらすじ
中短編集
感想 ネタバレ無
んーちょっと合わなかったかな。単に相性の問題だと思うが。
全体的に、だからなんなんだろう・・・と読み終わった時に疑問に思うような作品が多かったような・・。恋愛小説としてみれば、ティファニーで朝食を、はどうなんだろうかなあ。こんな終わり方も、もちろんありだけど。
映画だともろハリウッド的な終わり方にされていると聞いて悲しくなった。
ティファニーに出てくるヒロインなんて、まるっきり涼宮ハルヒと相違ないツンデレ具合だと思った。というか単純に自分に素直というか、わがままに生きているだけだ。
それにしてもどうにも読みにくいと感じるのは何故だろうか。なんというか、突然始まって、人物紹介も何もないまま進むので、まったく意味がわからないまま何ページも読み進んだのが原因のような気がする。結局人物の相関図が頭にぼんやりと浮かぶようになったのは160ページある本編を半分読み終わった時だった。遅いっ
あるいは訳のせいかもしれない。あるいは読み方の問題かもしれない。あまりにも文章に遊びというか、無駄がなくて、ちょっとでも読み飛ばすと前後のつながりがわからなくなる。数学は、ちゃんと毎日勉強しないとわからなくなるけどそれと似たような感じで。
ただ、アマゾンのレビューを見る限りでは、やはりこの龍口直太郎氏の訳が読みづらいといっている人間も、多くいるようだ。鈍感なので、文章が下手だなと思うよりも、なんとなく読みづらいな、と思うぐらいのことでしかないのだが、読みづらいのは確かだと思われる。
あと無駄な訳注が多すぎるように感じた。そんなに訳注入れなくていいから・・・。自分で解釈させてくれよ・・・。1Pに3つも訳注があるってどういうことだよ
わが家は花ざかり
田舎娘が田舎の男とくっつく話
これこそ本当に意味がわからない。最初っから最後まで予定調和の中で仕組まれたお遊戯といったようなとにかく問題も何もない。ただ普通に日常が過ぎて行って、嫌な事があったりするけど結局くっつくっていうなんの変哲もない話だったとしか・・・。
ティファニーのほうでもそうなのだが、冷静に考えてみると事件は起きている、それがあまりにも普通に書かれるので大したことのように感じない。
結果的に特に何の展開もなくハッピーエンド、はいよかったね、という感じで終わってしまうのではないか。
多分自分だけ。
ダイヤのギター
これを読んで思ったのだが、ひょっとして自分は恋愛小説大嫌いなんじゃないかという事だ。何故ならこれは面白かった、そして恋愛小説ではない。
今までほとんど意識していなかったが、恋愛小説というのをほとんど読んだ事がない。あまりにも無意識的に避けていたので、気づかなかった。そうだ、恋愛小説嫌いだったのか・・・。
この本だって、自分から読み始めたわけではなく、読む必要が生じたから読み始めただけだ。そう考えるといかに恋愛小説に向いていないかわかる。恋空なんて読んだら死んでしまうのではないか?
短い話だが、微妙にせつない気分にさせてくれた。
クリスマスの思い出
おばあちゃんと、孫の仲の良かった話
これもそこそこ面白かった。ただ、おばあちゃんものとしてはあまりにも普通すぎる・・。安易な方法で人を感動させようとする意思を感じてしまうのはひねくれものだからか。
なんというかあまりにもテンプレートすぎる。なんていうのも西の魔女が死んだを読んだせいかもしれないが。内容的にはほとんど大差ない(そんな事はない)
ネタバレ有
ティファニーで朝食を
滅茶苦茶わがままな女だなぁ。ティファニーで朝食をって、ティファニーは宝石店であってカフェではない。念のため。ティファニーで朝食を食べるようになっても、自我だけは失いたくないといっているが、まったく意味がわからん・・・。
なんで金持ちになっても、自我を失いたくないっていう話が、ティファニーで朝食を食べる話になってしまってるんだ?宝石屋ってのが、金持ちの象徴で朝食が気軽さの象徴だとしたら、金持ちになって朝食でも食べる気分でティファニーに向かうようになったとしても、自我だけは失いたくないということなのか?
それともこれは難しく考えすぎだろうか。
もしあんたがあたしのところへやってきて、軍艦と結婚したい、といったら、あたしあんたを見直すわ
な、なんだこの女・・・やっぱり意味がわからん・・。というか涼宮ハルヒをもう少し現実的にしただけだ。時代の先取りという意味ではこれ以上ないほどだがそんな事いったら古典のほうがよっぽど凄いという事になるわな。
結局読んでいたけど、一人称の小説家の名前を覚えられなかった。というか、出てきたかなぁ、本名。何回か出てきたような気もするんだが。そんでもって、やっぱり小説家はホリーに惚れてたのかな?そんな描写があったような気もなかったような気も・・ いや、確実に惚れてはいたんだろうが、それがどの程度かってのがよくわからんよなぁ。簡単にあきらめられるぐらいの惚れ方だったのか否か・・・。結局ホリーは警察から逃げてブラジルにいってアフリカに行くんだから、もうこれは全く意味がわからんよね。
ただ、こんな終わり方も、楽しくていいよね。
わが家は花ざかり
いつもご都合主義にはなれているはずなんだが・・・。主人公がピンチの時に都合よく仲間が助けに来るとか。
ただ、なんとなくこの作品の場合は許容できなかった。多分あくまでリアリティがあるように書かれていたからだろうか。ようするに漫画だったら明らかに漫画世界!って感じで何があってもあーはいはいっというようにスルー出来るのだが、文学みたいに現実感を追及したような作品だと、あまりにもご都合主義が際立ってそこだけ目立ってしまうように思う。
何で、ちょうどよく縛られた日に限って、元同僚の二人が尋ねてくるのか、というのがその許容できない部分なのだが。もう出て行って何日も過ぎたのに、何故ちょうどよくその日に来るんだよ!と突っ込まざるを得ないわけで。
ダイヤのギター
最終的に、ギターで奏でる音が自由の天地に触れるのである、という一文で終わるのだが、どういう意味だろうか。音楽こそが自由の天地なのだ、というそんなありきたりな主張か?よくわからんな。
それにしてもシェファーさん、逃げだしたのにおっかけたと勘違いされるなんて、やっぱり日頃の行いって大事だなというのがこの短編を読んで一番強く感じた事だ。また、刑務所の雰囲気というか、全体の雰囲気が非常によく伝わってくる短編だった。みんながシェファーさんを頼りにしているところとか、シェファーさんの人柄のよさとか、そういったものが少ない描写の中からたくさん伝わってくる。
クリスマスの思い出
おばあちゃんの人物描写
顔立ちもなかなか個性的で、風にさらされたり日焼けしたりして肉のそげたところなど、ちょっとリンカーンに似ていますが、それでいて、やはり女らしい、上品な顔をしています。
っておかしーだろ!リンカーンに似ていたら女らしくねーと思うんだけど・・・?それとも世間一般の人からしたら、リンカーンは女らしい顔なのだろうか?こればっかりは誰かに教えてもらいたいものだ。この文を読んでから自分の中で完全におばあちゃんがネタキャラになってしもーた・・・。
まぁそのあとは普通に、おばあちゃんと孫のほのぼのとした絆が描かれて、結局やっぱりそういうことなので、最後はおばあちゃんなんで死んでしまうん・・・?なのだがまぁなんというか悲しいわね。典型的すぎるけど。
これでおしまい
2008/7/1読了