基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

三国志読本 北方三国志別巻/北方謙三 監修

北方謙三に対するインタビュープラス人物辞典や地形の解説、用兵の解説、人物の解説。

まぁ一番面白いのがインタビューだというのは当然として、地形の解説はあまり面白くなかったかな、あくまで個人的に。
地形の解説を読むなら、この三国志を読む前に読みたかったものだが、読み終わった後で地形の解説をされてもちょっと実感が伴わない。


インタビューは割とぶっちゃけている感じである。趙雲は女性に人気があるから嫌いだ、とか。いやもちろん冗談なのだろうが、確かに趙雲の扱いはほかと比べて悪い。それから何度も書いた事だが、劉備張飛に比べて関羽の特徴が弱い、ということについても北方謙三自身が言っていた。関羽だけは一般大衆的な関羽のイメージにおさまってしまったと。それはつまり北方三国志の中で、変更させられたキャラ設定で溢れている中で、異端である。最期の散りざまだけは見事だったが、やはり関羽のイメージというか、役割が薄いと言わざるを得ない。それから周瑜孫権である。後半、孫権の描写がほとんどないといわれて、考えてもみなかったが確かになかった。呉側の主な視点は陸遜であった。それにしてもこれについての北方謙三のコメントはひどい。読んでるこっちがシラけてしまったぐらいだ。

 周瑜が死んだんでね、シラケちゃったんだよなあ。
 孫権というのは、いろんな人間が助けて、非常に内政的な手腕があったから自分の国のことをやるんだけれども、なんかちょっとねえ、魅力に乏しかったなあ。実際にも魅力に乏しかったんだろうと思う。

お前が孫権の何をしっとるねん! 実際にも魅力に乏しかったんだろうて歴史を読んだだけでそこまで推測されて孫権もかわいそうな男である。作者がシラければこっちもシラけるのは当然で、周瑜死後の呉はもはや何の面白さも生み出さない国になってしまっていた。まぁ歴史を読むことでわかってくることもあるのだろう。そして実際に魅力に乏しかったのかもしれない。そういうことにしておこう。


張衛についても語られている。

 五斗米道の張衛は少ししか出てこないんですよ、「正史」にも「演義」にも。しかし僕は、張衛という人間を通して、ある目的で集まってだんだん人数が増えて集団になると、それを利用しようとする人間は必ず出てくる。
 そういう人物を描きたかった。


うーむ。確かにその意図は張衛は立派に果たしたといえるが、あそこまで生き続けて最後あれほど無意味に死んでいったのは何故なのだろうか。他人を利用するだけの人間の最後なんて、こんな悲惨なもんだ、見たいな反面教師(使い方あってるのか?)的な役割としてあれほど無様な人間に仕立て上げられたとしたら、張衛もかわいそうなキャラクターである。この他の三国志ではほとんど語られる事のない影の薄い存在であり、北方三国志の立派な漢ばかりの中で、特殊な役割を与えられたというその一点が、ここまで記憶に残った原因だろうか。



感情のままに好き嫌いをぶちまけると、トップをひたかけるのはやはり周瑜司馬懿であり、逆に嫌いなのは馬超である。何故か北方謙三馬超について語っているところを読むとケッという気分になる。何故だろうか。生き残ったということもある。蜀の将軍がどんどんなくなって行く悲惨な時期に、ほっぽりだして逃げ出した男を漢といっていいのか、という気持ちもある。実力を持ちながらどこか煮え切らない。まるで孔明のようだ、とまでは言わないが。何故か王進は受け入れられても馬超のこの達観した姿勢は受け入れられなかった。周瑜は言わずもがな、もともとの魅力に加え、孫策の死後孫策が乗り移ったかのような果敢な攻めの姿勢で完成した感がある。さらに司馬懿である。転げまわって悶え苦しむというのは、文字にしてしまえばあっけないものだが、実際に転げまわる司馬懿というものを想像すると結構壮絶なものがある。転げまわって孔明に攻めかけるのを抑える司馬懿というのは非常に面白い。


三国志の英傑たち、の方でも書いたが、何故蜀軍を応援したくなってしまうのか、というところについて北方謙三が答えている。

 

 判官贔屓ではないけれども、やっぱり何かを、守るべきものを守ろうとして守り切れなかったけれども、みんな美しく散っていった、という方が、奪うものを奪って、最後奪い切れなくて死んでしまったという奴よりも、遥かに美的に見えるらしい。


それプラス、蜀の思想が日本の天皇制と通じるところがあるからだろう、とも言っている。確かに蜀の、国の中心を帝とする、というのはまるっきり日本の天皇制である。日本人のだれもが、天皇というものが日本に存在しているのを認めているし、世界的に天皇という存在がどれだけ凄いものかというものを徐々に認識してきているように思う。そういった意味で日本の天皇はもはや揺るぎない日本の中心になったといえる。必要か必要ではないのかはわからないが、必要じゃないからといって排除されるような段階はとうに過ぎている。だが、それなら他の国は蜀が圧倒的人気を誇るわけではないのだろうか。アメリカ人は魏に肩入れする傾向がある、とかいう調査結果が出たら面白いものだが。


用兵についての話はなかなか面白い。考えてみれば呂布の騎馬隊に限らず、張飛関羽も騎馬隊の戦闘にたってまるで虫でも追い払うように騎馬隊で敵の中に突っ込んで蹴散らして突っ切る、ということを何度もやっているのだが、どう考えても敵の前衛に真っ正面から突っ込んでいったら先頭が戦死する確率は異常に高くなってしまうと思うのだがはたしてそのあたりはどうなっていたのだろうか。腕っ節が強けりゃ突っ込んでも死なないのか?  鞭のように一撃を加えたら次々に離脱していく、という戦法を呂布が使っていたが、それも実際どうかなーという気はする。一撃離脱にそれほどの効果があるのか? 包み込まれたら終わりじゃないか? などと疑問がつきない。 特に一撃というのがどれほどの一撃なのか想像できない。一回剣を振るぐらいなのか、のりこんでいって数十秒暴れるぐらいなのかとか。

この辺でいったん三国志は打ち止めで。