- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/12/14
- メディア: 文庫
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語り手の家族説明が、一郎ニ朗三郎四郎でどいつもこいつも不良で喧嘩が強いという設定を読んで最初に思い浮かんだのはエリートヤンキー三郎かもしくは亀田三兄弟だった。まあ特に関連性もなかったので本当にタダ思い浮かべただけだ。文章も、8割方スピードに乗って読み進められたが途中で失速したというか、単純に喰い飽きた感がしてきたのも事実である。特に事件の解決編というか、犯人がわかってから犯人がぼこぼこにされるまでの流れが予想外のことがなに一つなく退屈といえば退屈である。正直いってミステリィとしての謎解きはふーんというぐらい。というか異常な事件に対して、それを行った理由が狂った宗教ってのは納得いかないというよりもなんじゃそりゃというよりも心底ふーんとしか思えないのでちょっと悲しい。しかしアナグラムやら異常なところにこだわる性質やらを見ると、すぐに清涼院流水と結びつけてしまいたくなる。思いすごしというか、御大の自分に与えた影響力が大きすぎてそう思うだけだと推察できる。ただ影響は受けていると思いたい!
俺は旗木田阿帝奈の胸の上やら脇やらで赤ん坊のように深々と眠り続けて十五時間経ったのにまだ起きない。よっぽど疲れていたんだね。
この部分さっきエズメのために似ているなと思った場面である。正確にいえばここだけが似ているというよりも、深い深い眠りによって陶酔の中で終わっていく物語というかなんと言うか。ちなみにナイン・ストーリーズの方はこうである。
エズメよ、彼は本当に眠たくなったのだよ。本当に眠たくなって眠れば、彼はそのうちに精神と体のあらゆる能力が無事な人間に戻ることができるのだよ。
まあ文章だけでいえば似ていない。いやでも何回も読んでたら似ているような気がしてきた。わからん・・。説明するのが非常に難しいのだが、単純に主人公が負った心の傷がなにやら色々あって回復して最後はぐっすり眠れてよかったね、という全体の流れが似ているとかそういうことが言いたいわけではないのだ。いや確かにそれは似ているんだけど、そういうことではないというのがどうしても書けない。そもそも自分でもよくわかっていないのだからどうしようもないのでこの話はここで終わりにする。
印象に残ったところをただ列挙していくと、人生なんて余裕のヨっちゃんよ、といって去っていくウサギちゃんだったり、282と283にまたがって見開きのイラストが出てきた時は心底震えあがった。昔見た精神異常者が書いた絵か何かを彷彿とさせるような異常性の際立った絵で、ああこれはヤバいわと素直に思わせるレベル。あとはやっぱり一応の幸福ENDに向けてひた走る登場人物たちのやっぱりなんだかんだあったけど世の中愛だぜ愛でつながってるんだぜ俺たちやったぜやったぜというような幸せにひたっていく過程だ。こればっかりはやっぱりなにものにも代えがたい舞城王太郎らしさ?