基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

しあわせの理由/グレッグ・イーガン

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

 宗教にとらわれず、理性に動かされている完全な世界を、自分の好きなように夢想することはできるが・・・・・・だが、それでもおれはこの現実の世界で、生きて、行動しなくてはならないのだ。   ──チェルノブイリの聖母より。

 イーガンが22世紀からやってきたネコ型ロボットだといわれても決して驚かないどころか、やっぱりそうだったのかと納得するだろう。住んでる世界が違うというか、見ている世界が違うというか、とにかくこれを書いた人間と同じ現実に居るとはなかなか想像することができない。「われらが歌う時」で凄い歌唱力を持ったジョジョが現れた時に、周囲の人間が誰もかれもがお前はいったい何者なんだ? と聞いたようにあまりに桁外れなので書いた人間が、いったいどういった経歴を持った人間なのか調べずにはいられなかった。安心したかったのかもしれない、こんな凄いものを考えつくような人間は凄い経歴の持ち主で、自分なんかが及びもしなくても何の問題もないのだと。九編の短編が入っていて、そのどれもが重量級である。よく短編なのに長編並の密度! なんてキャッチコピーが本の帯などについている時があるけれど、イーガンにはかなわないだろう。今まで読んだ短編集の中でも圧巻の出来だった。まだ長編も順列都市しか読んでいないけれど、なんか雰囲気が違う。この短編集が特殊なのかもしれないけれど。イーガンを教えてくれたdaen0_0さんには感謝の念が尽きない。お気に入りは「闇の中へ」「移相夢」「ボーダー・ガード」「しあわせの理由」どれもこれも読んでいる最中に、あまりの面白さに笑いが止まらなかった。漫才やお笑い番組を見なくても、本当に心の底から面白いと感じた時に、人間って笑うのだ。

闇の中へ

 凄く好きだ。オチは大したことないし基本的にアイデア一発勝負みたいな短編なのだけれどもそのアイデアが素晴らしい。話はよくわからんのだが、たぶん街中に突如出現するワームホールから人間を救出するランナー達の話だ。ワームホール空間に入ったら最後内側に向かってしか走ることができず、時間がたつにつれてワームホールが消滅するパーセンテージがあがっていく、たぶんそんな感じ。主人公はなにやらこのワームホール空間に何回も足を踏み入れてあとちょっとで生還世界記録を樹立しそうなやつらしい。何でそんな危険な仕事を延々と繰り返しているのか、という理由にひかれる。

 もちろん、人命を救えるのは喜びだし、もしかすると、いまではそれもここにいる理由の一部になっているのかもしれない。むろん、英雄だと思われたがる気持ちも強い。けれど、真の理由はあまりに奇妙で、無私無欲とも虚栄心とも判断しようがないものだ──。
 ワームホールは、生きることのもっとも基本的な真実を具現化している。人は未来を見ることができない。人は過去を変えられない。生きるとはすなわち、闇の中へ走っていくことである。だからわたしはここにいる。

 ストルガツキーの「ストーカー」も危険な場所に自らを追い込んでいく話だったが、そういうストーリーに自分はひかれる傾向があるらしい。ていうか超かっこいいやん! 生きるとはすなわち〜のくだりとかタイトルの闇の中へと合わさって正直魂が震えた。生きるのはすなわち闇の中へ走っていくことだっていうのはわかったが、別にだからってわざわざ闇の中へ走っていかなくてもええやん。普通に生きているだけで闇の中へ走っていくようなもんだから、普通に生きればええやん。

「愛撫」「道徳的ウイルス学者」

 どちらも幾人かの人間がキチガイじみてて非常に面白い。愛撫では絵の世界を現実にあらわそうとする変人が、キメラが出てくる絵を現実にしようとしてキメラを作る。この辺の話は鋼の錬金術師ではおなじみだな。実際に絵が現実になった時にカメラで写すんだろうなー変態だなーとか思ってたら、見ただけで満足していた。作中で語り手も言っているが、狂気を表しているのか正気をあらわしているのかわからん。変態だなーという予想を裏切られうやむやにされた気分だ。

移相夢

 壮大なる夢落ち。これほどトンデモナイ夢落ちは見た事ない。195Pから怒涛のように揺さぶられる。現実という枠組みをまったく信じられなくなっていく過程を読んでいてぷるぷるしていた。ぷるぷる、チワワみたいに。キン肉マンか何かに頭をガシっとつかまれてがくんがくん左右にシェイクされるようにぷるぷるしていた。いやさすがにそれは言いすぎか・・・。

ボーダー・ガード

 イーガンが御約束展開風に書くとこんなに面白いのか・・・!? と途方に暮れた短編である。前半で量子サッカーという聞いただけでお茶を吹き出しそうな競技の説明及びキャラクターの説明をする。量子サッカーの話から始まったので当然このボーダー・ガードという題名の意味はサッカーのポジショニング的な意味を持っているんだろうなーなんて想像していたので本当の意味をあかされたときの興奮は凄かった。本当の死が無くなってしまった世界で、死があった世界を知っている存在として二つの世界の境界を守る・・・。過去の回想では何千年もボーダー・ガードとして生きてきたという数字の重みが伝わってくる。イーガンの他の作品が意識の境目とか、アイデンティティとかの境界があいまいなものをテーマにしているが、この短編における境界は割と理解しやすいし、はっきりしている。

 死が人生に意味をあたえることは、決してない。つねに、それは正反対だった。死の持つ厳粛さも、意味深さも、そのすべては、それが終わらせたものから奪いとったものだった。けれど、生の価値は、つねにすべてが生そのものの中にある──それがやがて失われるからでも、それがはなかいからでもなくて。

 この辺の話が非常に新しい、っていうか今まで聞いた事が無いものだ。今まで読んだどの小説やら文学も、死があるからこそ生を実感することができる。もしくは人間は本能的に痛みを欲しているというニーチェ的な思想。そういった思想に対して誰も身体を串刺しにされながら生きていたいとは思わない、死を崇高なものにしようとしているのは、死を逃れられない人間のどうしようもない弱さだ、といって一刀両断している。確かにそうかもしれない。死が避けられないものならば、死に意味を与えることによって少しでも恐怖感を取り除こうとする行為はむしろ自然なもののように思える。

 まあそんなこんなで、たった一人でボーダー・ガードとして寂しく二つの世界の境界を守っていたんだが秘密を知ったジャミルさんが量子サッカーのみんなにマルジットさんの秘密をばらしてしまう。そして迷惑もかえりみずに量子サッカーのメンバーはマルジットを取り囲んで人生の話をきかせてくれー! と叫ぶ。そこでマルジットさんの衝撃的な一言。

 「わたしになにをしろっていうの、この寄生虫ども? こんな糞面白くもない試合に勝たせてやってきたじゃあい! これ以上どうしろというのよ?」

 これは数あるツンデレパターンの中でも、最も哀愁を誘う、自分に近づくとみんなが不幸になるからわざと嫌なやつを演じるツンデレ、通称U型ツンデレである。自分が今つくった。寄生虫どもはそろって、僕らもボーダー・ガードの一員として迎え入れてください! と叫ぶ。日本の小説だとこういうのはさ、頭が良すぎて孤立してみんなの輪に入れない天才少女のためにまわりの子供が一致団結して友達に入れてあげるとかそういうパターンが多いけれど、そうかそうか、その王道をイーガンがSFでやるとこうなるのか。正直ちょっと泣いた。

しあわせの理由

 これがまた不思議で。とんでもなく緻密でとんでもなく読んでいてわくわくして、最初っから最後までハイテンションを保ち続けたのだけれどさてどこが面白かったのかといわれるとこれがちょっと困る。幸せをずっと感じている状態から全く感じられない状態に叩き落とされて、また感じられるようになるがこれまた不完全で、それでもなんとかコントロールできるようになり、女の子と付き合いだしでようやく人生超絶ハッピーだぜ! 事実をいって受け入れてもらおうと思ったら逃げられちゃいましたーとあらすじだけ書くと凄くむくわれねえ・・・。でもそこで絶望するのではなくあくまでも前向きなのが素晴らしいではないか。

 父がいぶかしげにきいた。「こんなところに住んでいて、しあわせか?」
 ぼくは答えた。「ぼくは、ここが気にいっているんだ」

 ラストの会話。凄く良い終わり方だが、それはこの「ぼく」の経歴があってこそだ。今まで散々色々な目にあったうえでの気にいっている発言なのだから。普通の一般人だったら多分こうなる。

 父がいぶかしげにきいた。「働きもしないで、親にパラサイトしていて、しあわせか?」
 ぼくは答えた。「ぼくは、それが気にいっているんだ」

 ただのダメなニートだコレ!まあでも気にいっているならしょうがないよな、うん。