- 作者: 幸村誠
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/02/23
- メディア: コミック
- 購入: 9人 クリック: 47回
- この商品を含むブログ (123件) を見る
トルケルとトルフィンとアシェラッドの関係は三すくみに似ているなあ。いや実際にはトルフィンが一番弱いのは確かなんだが、すばしっこいトルフィンは大ぶりのトルケルとは相性が良いみたいだし、トルケルはアシェラッドに強いし、アシェラッドはトルフィンに強い。割と無敵だ。アシェラッドの冷静な戦いぶりを支えているのはある意味他人を突き放してひたすらすべてに対して中立、公正な目であろうとするその立場だ。友達もいない。このあとトルフィンをかばってアシェラッドが死ぬ展開があったりしたら非常に最高なんだけどなー。トルフィンをかばったことによってアシェラッドもまた本当の戦士になれたのであるみたいな。ないか。ないかな。しかしアシェラッドが死ぬパターンしかこの先思いつかない。トルケルの役割もよくわからんし。そういやトルケルがやられたのはあしぇらっどが今回トルフィンに使った戦法とまったく同じだったのだろうか。この二人似ているかも知れぬ。
ふとバガボンドの29巻を読み返していたら、ものすごく話の運びが似ていることに気がついた。というよりも、ほとんどすべての話はこの主題に通じているのだろう。一番根っこの問題が本当の戦士、愛、生と死、これらにつながっている。トルフィンに帰るという選択肢が生まれたのはちょうどバガボンドの29巻で示された道と同じだ。バガボンドで武蔵は70人との斬りあいに勝利し、おつうと幸せに暮らす道が見えた。どちらも悩んでいる。武蔵も悩んでいるし、トルフィンも多分悩んでいるだろう。本当の戦士に剣はいらないというのも、バガボンドと同じだ。いかに鞘から抜かずにおくか。どちらの物語も、それを知っていた人はすでに死んでしまった。いったいこの二つの話はどこにいくんだろなあ。ちょうど同じ場所にいるようなきもするけれど。
人間の何たるか 人はなぜ生まれ 如何に生きるべきか 救いはあるのか 分からなくて 混沌の闇の中で
苦しみ のたうち 間違いを犯し
あんたがかい?
そうさ
わしの中にも我執── それはあって それが頭をもたげる時わしの歩んできた道は無意味に思え
アホらしく見えて───
省略
それによると お前の これまでも これから先も 天によって完璧に決まっていて それが故に──
完全に自由だ
剣に人生の大半を捧げてきました その日々はこの出会いの── この立合いのためにあった
よかった 我が人生の時の時 誰にもそんな時が訪れるとして
どれだけの者がその時 それとわかる? 大抵の者は老いて振り返って気づくもの・・・・・・・
よかった 今がその時とわかる