オリジナリティさえあればいいというオリジナリティ神話みたいなものが、エンターテイメント界ではここ数年あるようです。個性が何よりも大事というような社会風潮ともシンクロしているんでしょうが、それにしたって何かがおかしい、と思わざるをえません。というのも、オリジナリティが大事だ!! と募集で声を大にして騒がれているにも関わらず最近のジャンプ新連載(ここではわかりやすくするためジャンプだけに絞ります)のつまらなさはひどい。なんでこんな、オリジナリティのかけらもないような作品が金未来杯を勝ち残ったり、ジャンプの新連載を勝ち取ったりできるのか? 編集部が求めているオリジナリティあふれる作品ってのは、鍵人とかファンタジー水滸伝のことなのか?
ネットでは一時期話題になった言葉で、『オリジナリティとは、同じ物を作ろうとしてもどうしても滲み出てきてしまうものだ』とかなんとかいうのがあって、元の言葉はまったく覚えてないんですがだいたいこんな感じだったかと。自分もそれは正しいと思っていて、たとえばマリオの典型的なストーリーパターン『悪いやつがお姫様を捕まえて主人公が取り返しに行く』みたいなものを100人が書いたら100通りのものがあって、それは誰にとってもオリジナリティがあるはずなんですよね。当然そこに面白い、つまらないは出てくるはずなんですけど、少なくともオリジナリティはある。で、よく新人の作品を批判する時に使われる『オリジナリティが無い』ってのはいったいどういうことだと。まったく同じ作品なんてないんだから、オリジナリティが無いなんてことはありえないわけじゃないですか? というかプロの作品だって、1つ1つ分解していけば独自性はなくなってしまうのは今更書くことでもない常識です。たとえばロボット物は溢れかえっているし、学園物も溢れかえっているし、恋愛はどんな作品でもエンドレスに繰り返されるしアニメの中でループ物も繰り返され・・・。なんだか巷で叫ばれている『オリジナリティを出せ』という言葉は『まったく新しい物を持ってこい』と聞こえるのですが、それは無理ですよな。
編集者と受け手は多分同じ物を求めているはずなんですよ。それが何かっていうと答えは簡単。売れるものであって、面白いもの。で、人がなにに面白さを見出すかといったら驚きと発見です。たとえばXbox360だとかPS3だとかはバージョンアップするごとに映像は綺麗になりガンガン凄くなっていくんですが、驚きという意味ではどんどん薄れていっている。もう自分の中じゃ、時がたつたびに映像がキレイになることは当然のことであって、それが実行されたらおー、よくやったなとは思うけど驚きはないです。それはかくあるはずの未来が順当にかくあっただけの話です。反対に任天堂がぬんちゃくとかあの変てこなコントローラーを持ってきたら死ぬほど驚く。いったいそりゃなんだと。技術自体は新しいものではなく、今までの技術を応用したものなのに関わらず。
『驚き』が面白さにつながるならば、驚かせればいいんです。その為にはまだ誰もやったことがないことをやるのもいいけれど(ジャンプで囲碁とか)鍵で戦うとか、水滸伝のキャラクターが戦うとか、設定だけ変えて結果が同じじゃ何の意味もないんじゃないかなーと。読者が求めているオリジナリティってのは、鍵で戦えっていってるわけじゃない。そういう設定の新しさは求めていないんじゃないかと。うーん、うまくいえないのだけど、組み合わせを考えろたらいいんじゃないかということ。たぶん。思いもつかなかったようなことを結びつけてまったく別の物を作り出す、そこに『それは考えつかなかったわ』っていう驚きが生まれるんじゃないかと。なんか今は、ジャンルごとに膨大な作品が生まれているせいか、『〜〜はこうだ』みたいな固定観念が蔓延しているんじゃないかと…。
そもそも新しさってのは鍵で戦うことじゃないはず。鍵で戦おうが剣で戦おうがそれは結局戦ってるだけで、カレーを作るのにニンジンを入れるかはたまた違う野菜を入れるかの違いでしかない。出来上がるのはちょっと味の違うカレーってだけで。漫画の連載なんてのは勝ち取るのが相当難しいですから冒険に出にくいっていうのもあるんでしょう。一度チャンスを逃したら次にまたチャンスが巡ってくるのが数年後とかいうことが普通にあり得る。その一度のチャンスで、受けるかどうかわからない創作料理をしろというのは無理なのかもしれない。ただそうやってカレーばっかり作り続けることに意味があるとはどうしても思えません。そんなことを河森監督のインタビューを読んでいたら思いました。このインタビュー、すげえ面白いんですよ。
空を「青以外」で塗らせるのは意外と難しい:日経ビジネスオンライン
例えば戦闘シーンがある、そこに壮大がオーケストラがかかるというのは“足し算”ですよね。なじみが最初からいいもの。でも、壮大な戦闘シーンに、アイドルの女の子が歌うラブソングがかかるというのは、もはや“掛け算”にしかならないんですよ。もちろんハズせば論外になっちゃいますけどね(笑)。足し算というのは同種だから足し算として成立しているのであって、種類が違うともう掛け算をするしかないわけですよね。
ここにオリジナリティがある作品への打開策があるんじゃないかなと思うんです。マクロスといえば歌と戦闘です。そしてその要素は単純に足し算にはできない。歌×戦闘にしかならないんですが、そこに爆発的な面白さが生まれるのだ、と河森監督は言っているようです。任天堂の話をまた持ってきますけれど、この会社の基本方針は『枯れた技術の水平思考』だといいます。すでに使い古された技術でも、組みあわせを考えることで新しい驚きに繋がる…常に技術が進歩しているゲーム業界でさえこれを確立しているのですから、もうパターンが出尽くして進歩がほとんど望みえない(だと思うんですけど、言うほどでもないかも)物語製作の分野でもっと重要視されてもいいんじゃないかなーと思うわけです。枯れたパターンでも使い古されたパターンでもいいので、何か異質なものを組み合わせてストーリーを作ってみる。たとえばジャンプでいえばトリコですね。バトル×グルメというおよそ混ざりそうもない要素をかけあわせています。そういう多様な作品がいっぱいあったら楽しいだろうなーと思います。