基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

THIS IS ITを見た

 見ていて涙がこみあげてくるなどした。それは別に、もうこの偉大な天才はスクリーンの中にしか存在しないのだ、という感慨から来るものではなくて、純粋にスクリーンで踊って歌っているマイケルが凄すぎて泣いた。ぼくの中でのマイケルは、正直もう終わった存在だった。もう世間からはドロップアウトして、緩やかに人々の記憶から忘れられていく存在だろうと思っていた。つまりそれは生きてるのか死んでいるのかわからない存在であって、実際に死んだと言われてもなんだかピンとこないものが未だにある。だからそういう意味での涙は一切流れなかった。

 作品を見て涙が流れる時といえばだいたい二種類あって、シンプルに生理反応的に涙が出る場合と(かーちゃんネタとかペットが死んじゃう話とか、どんなに出来が悪くても自分の身に置き換えていくらでも想像できるのですぐに泣ける)、「ああっ人間にはこんなものも作れるのか!!」という純粋な驚きである。そういう驚きは、常にぼくの中での人間の限界を更新させる。マイケルを見ていて感じたのは、もう完全に驚きの方で、50歳のおっさんがぼくが短い人生の中で見てきた、どんな人間よりもキレのある動きをしていて、度肝を抜かれた。

 マイケルが踊っているのを見ると、身体の底の方から突き動かされる衝動を感じるのだ。心の中のマイケルがめっちゃダンシングしているのを感じて、それが激しすぎてこっちの身体にまで伝染してくる。思えば、この共通感覚というのは一流、天才と呼ばれる人たちにはみな備わっているものではないのか。たとえばイチロー。彼が、WBCで二連覇を達成した時、たぶん日本中のテレビを見ている人たちが「イチロー、打て!!」と念じていたはずである。イチローも、たぶん「言われなくてもわかってらあ!!」という心境ではなかったか。いや、そんなこと考えている余裕もなかったかもしれないが、だいたいそんなこと考えなくてもわかるだろう。観客といかにしてシンクロできるか。そういえばマイケルは、映画の中でしきりに「観客の求めているものを出すんだ!!」と言っていた。彼の周りにいる人間は、それが何なのか全然理解することができずに、「そんなのがわかるのはマイケルだけだから、具体的に言ってくれないとわからないよ」と困惑気味に答えていたのが非常に印象的だった。

 マイケルはわかってくれ、と言いたいのではないかとその場面を見ていて思った。特に理由があるわけではなく、顔は笑っているしジョークも飛ばすのになんだかやり取りが堅かったからというぐらいなのだけれども。しかしいくらわからないといっても「わかろうと努力すること」ぐらいはできるわけで、「わかんないから全部具体的に教えてくれ」というマイケルにおんぶにだっこのような姿勢はどうなのだろうとぼくが個人的に思ったから勝手に連想したのかもしれない。ただそれを言ったのは多分本心からわからないからで、観客の求めているものがわかるかわからないか、そんなのは人の心が読めないという現実がある以上、ほんとは絶対にわからないはずなのだ。しかしマイケルは常に断言していた。観客が求めているものはこれだ!! といって、だからやっぱりわかる人にはわかるのだろうと思う。ぼくはそれがたぐいまれなる共感力のなせる技であるとも思う。

 映画のちょうど真ん中ぐらいだったと思うが、マイケルが本来後ろ向きで、画面に映像が流れていて、その映像が終わる瞬間を見計らって歌と踊りを始める場面を練習しているシーンがあった。そこでマイケルが、画面に背を向けた方がいいといって、周りの人間は「それじゃあ画面が切り替わるのがわからないけど、大丈夫なのか?」と遠慮がちに尋ねるとマイケルは「だいたいわかるから大丈夫」みたいなことを言って、実際にやってのける場面がある。並はずれたリズム感のあるマイケルだから出来たのかもしれないが、これも共通感覚の表れのひとつではないかと思う。つまり、映像が切り替わるタイミングを観客の反応を読みとってリアクションしているのではないか。もはや言いがかりに近いけど…。それから、バッグダンサーとの一致っぷりも凄かった。あっぱれ、といいたい。冒頭で監督か誰かがダンサー達に向かって、「あなた達はマイケルの一部となるのだ!」みたいな魔王っぽいことを言っていたけれど、まさにその通りだと思った。ばらばらの人間が踊っているにも関わらず、それはまるで一人の人間のように、彼らの動きは統制がとれていたように思う。良い映画であった。