びびったーいやびびった。サービス登録時に、会員登録とかじゃなくてふっつーに実名を入れろといわれるのにびびりました。最近強制的に流行らされた感のあるこのフェイスブック、突然招待がメールボックスに飛び込んできたので、登録しようとおもったらいきなり「実名を入れろ」ですよ、怖い怖い。
びびっていたら、なんとなく読んでいた『ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 梅田望夫 (著), 飯吉透 (著) 』にFacebookについての記述がちょっとあったのでメモメモ。以下引用。
世界最大のSNS、フェイスブック(facebook)は「人生を切り開いていくための強力な道具」として世界中で機能しているSNSです。サービスのルーツがハーバード大学での教授や学生の間での情報交換用途だったこともあり、顔写真、実名、自らの詳細なプロフィールを公開するのは当たり前という文化が根付いています。(中略)
質の高い教育を受ける欧米の若者たちは、「お前は何者なのだ。お前の価値は何だ。これからお前は何をしたいのだ」と常に問われながら育ちます。個を磨き、自分の個性を発信しながら社会を生き抜いていくようにと、子供のころから教えられます。そんな「実名で自己を表現しながら顔を上げて生きる」という欧米の「強い文化」をウェブ世界に持ち込んで標準化してしまったのがフェイスブックだと言えるかもしれません。*1
ははーん、なるほど。もともとは大学内のSNSで、だからこそ誰もが気軽に実名登録していたわけで、そのまま個を前面に押し出していくアメリカ文化と結合してここまで流行って、そして今の僕に「実名登録しやがれ!」と脅しかけてきているわけで、なんだか果てしない旅路を感じさせます。
しかし言ってみれば日本の文化とは個をどれだけ消し去るか、みたいなところに特徴があるわけです。社会が私であり私が社会です。世間です。個なんていらんのです。協調性を乱すやからは弾き飛ばされます。最近はそうでもないですけどね。
というかMixiなんかでは本名を入れるのは当たり前なわけで、そういう意味じゃあ「実名を出す」部分に関して言えば、もう受け入れられてはいる。そしてちょっとだけFacebookを触ってみた感じ、Mixiとほとんど何も変わらないじゃないかと思いましたが……。もちろん差異はある。
その差異がどこにあるのかといえば引用部になったような「実名で自己を表現しながら顔を上げて生きる」為の「ツール」としての部分なのです。自己を個として表現し、キャリアとして積み上げていく為のツールが恐らくFacebookなのでしょう。
はたして日本人に、Mixiとの差異の部分が受け容れられ、これから先流行っていくのかどうなのか、非常に興味深いと思います。
ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)
- 作者: 梅田望夫,飯吉透
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