基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

素直になること

森博嗣先生の『自分探しと楽しさについて』について書いた時に『本書が言っているのはたぶん、「素直に生きよう」ということではないか。』とまとめてしまった。

なんだか唐突だったような気がするので、もう少し詳しく書きたい。だいたい僕のブログは特に何も考えずに書いているので結論がだいたい飛躍していて、読んでいる方は「ハァ?」と思っているのではないかと想像しながらも面倒くさいからそのままアップロードしているので反省しようかと思いつつまったく反省していない。

素直になることというのは言うほど簡単ではない。たとえば自分が本当は何をやりたいのか、ということは意外と自分でもわかっていないことが多い。人から見てどう思われるかを考えたり、そもそも根本的に勘違いしてしまったりする。

「漫画家になりたい」という願望を自分が持っていると認識した時に、ひょっとしたらその願望の本質は「人気者になりたい」のかもしれないし「人を感動させたい」のかもしれない。どちらの場合でも別に「漫画家」である必要はない。重要なのは自分が本当は何を望んでいるのか、自分に素直になって考えてみることだろう。

あるいは大勢の人が楽しんでいる物を自分も楽しめるだろうと予測してやってみて、案外楽しくなかったりする。でもみんなが楽しんでいるんだから自分も楽しめるはずだともう少しやってみる。僕は結構それをやってしまうのだが、これは素直になれていない例だろう。敵はだいたいの場合先入観だ。どんな時にでもそれは入りこんでくる。

行動経済学系統の本を読めばいくらでも書いてあることだが、人間の認知なんていかようにもゆがんでしまう。たとえば適当な質問をする直前に適当な数字を見せられて、「メソポタミア文明が出来た年は?」などと訊かれると、分からない場合まったく関係ないとは理解していながらも直前にみた数字に近い答えを出してしまう。

本を読むときだって同じで、意外と有名な批評家や文筆家、知識人とされる人でも「え、そんな誤読普通しないでしょ」というようなとんでもない読み方をする時がある。そういうのは大抵「この内容はこうだろう」という先入観が邪魔をしているのだ。恐ろしい恐ろしい。僕もしょっちゅうある。

素直になることがだいぶ難しいことはわかってきたが、しかしなぜ素直になった方がいいと僕は考えているのだろう。『自分探しと楽しさについて』に関して言えば、それが楽しさを生むからといえると思う(当然、誰にでも当てはまるとう意味ではない)。あと、先入観にこりかたまったままその方向性に進むと、当然違和感が膨らむんじゃなかろうか。

なんか適当だけど……。「素直になること」は僕が常に心がけていることのひとつでもある。もうひとつは「誠実であること」だ。あと何個かあるかもしれない。とりあえず今はおもいつかない(ほら、素直でしょ。)

……あれ? 要するに僕は自分の先入観にしたがって一冊の本を読んだのかもしれない。昨日ぐらいに今ぴったり当てはまるTumblrで流れてきた名言を読んだ。正確なところは忘れてしまったが「人が同意するのはその人がすでに同意していることだけである」てな感じ。まさにと自分の今の身を振り返って頷いてしまう。

つまり今ここに書いてきたことは信用しないでほしい。ここまで書いてしまったのでせっかくだから公開(後悔)してしまうけれど、なかなかひどいオチで終わった。いやでもここに書いたような考えはほとんど森先生の影響だと思われるのでプラスとマイナスがかけ合わさった感じで好きに判断してほしいと思った。