基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

市民科学者として生きる

原子力事業原子核研究所勤務を経て有志で集まった原子力資料情報室の設立に参加し、人生の大半を通して原子力にかかわってきた高木さんの自伝のようなものが、本書です。

内容をまったく知らずに読み始めたので、はじめは「市民科学者というのは、市民一人ひとりが科学的知識を持っていかなければいけない事なのかな」と思っていたのですがまるで意味が違いましたね。この「市民科学者として生きる」という本のタイトルは、他者に対してそのように生きろと要請しているのではありません。高木仁三郎さん自身が、市民科学者として生きるという決意の表れ、人生に一本線をひいてきた形なのです。

じゃあ「市民の科学」とはなんなのか。それは、大学や企業のシステムからくる利害性から離れ、組織から独立した一人の市民として、立場に引きずられない「自前(市民)の科学」をする、ということです。企業を経て大学の研究室を経て初めて至ることが出来るこの結論に、ジョブズが言っていた『未来を見て、点を結ぶことはできない』という言葉を思い出します。

しかし明確な道筋がそこにあるわけではない。原子力事業に関わるきっかけ。大学の研究室に入るきっかけ。原子力資料情報室での日々、反原発運動家になっていく過程も、ずいぶん偶然によるところが多いように読める。要所要所で多くの悩みを抱えていたことが語られる。鬱病になってしばらく活動を休むなど、順風満帆とは言えない。とてもつらいことが多い。

氏が凄いのは決してそこで諦めなかったところである。悩み、数々の嫌がらせを受けながら、それでも「利害関係に左右されない市井の科学者」として原発の潮流に否を投げかけていく。ほとんど少年漫画のヒーローのようだ。悪い敵を倒すという意味ではなく、巨大な困難に立ち向かうものという意味において。

高木さんの自伝としての面もこのように非常に面白いのだが、今はもう一つの面への注目が集まる。50〜90年代ぐらいの原発、核の身近にいた人間のレポートという面である。本書は具体的な数字を挙げて原発がなぜいけないのかを検証していく一冊ではないのでそこを見落とすとまずいことになりそうだが、当時の原発に対する空気を知ることが出来る。

結構衝撃的な内容で、特に反原発でも原発推進でもない人は(僕なんかは)反原発派の方に傾いてしまうだろう。初期特有のずさんさかもしれないけれど、隠蔽があるわ、夢のエネルギーと持ちあげるわで、とうの扱う人間側に「危険な物を扱っているのだ」という認識がとても欠けているように見える。

もっとも、「あなた達には危機感が欠けている」と訴える役が高木仁三郎氏で、氏の視点だけを鵜呑みにするわけにはいかないのだが。今とは状況も色々と違う。ルーズな時代だったのだ。それも含めて得るものが多い一冊。

市民科学者として生きる (岩波新書)

市民科学者として生きる (岩波新書)