内田樹先生による「修行論」。ただ内容は、既に内田先生の身体論系の本を読んでいる人には目新しい情報もあまりない。たとえば「天下無敵」とは何かを語った「機」とは何かを解き明かしていくのが僕はもともと大好きだったんだけど、それも本書にはずらーっと入っている。修行論というか、武道論ではあるが、こうして一冊にまとまるとなかなか壮観である。一度も内田樹という作家を読んだことがなければぜひオススメしたいまとまりのいい本だ。
自分の人生において学校の体育の授業以外では「武道」のようなものに触れたことがない僕は内田先生の武道系の本を読む度に憧れを募らせていく。とにかく氏は口がうまい(この場合は文章がうまい、か)。なんだかよくわからない仮定、問いかけをぽんとおいて(たとえば、天下無敵とは何か)あれよあれよというまにその問いかけに対する答えを構築してしまう。そして、読んでいるとそれがとてつもなく明快でわかりやすく、かつ根源的な答えであるかのように深く納得してしまう。
たぶん学校の先生でなければ一流の詐欺師になっていたであろう筆の滑らかさで、ある意味恐ろしい武器でもある。「もともとの仮定」がそもそもおかしかったり、途中で取り入れられる前提が間違っていたりしたとしても、「明快だし、論理的だし、すごい! 素晴らしい!」と感動して受け入れてしまうのだ。だから氏の作品を読むときには常に注意が必要なのである。具体的に言えば僕は氏が語る経済関係の話はほぼ聞き流している。
でも武道はやったことがないし、そもそもが身体運用というのは個人に属するものだ。嘘だかほんとだか、自分でやってみないことにはわからないし、今のところ憧れだけが募っていってなかなかやる気にもならない(いつか合気道をやってみたいものだ)。そして本来であればそうした身体運用を具体的に言語化するのは困難なはずなのだが、氏はそれを類まれな詐欺師の能力でもって素晴らしくまとめあげてくれるのである。
これが、すごい。論理の明快さも、その筋道の立て方も、問いの立て方も、おもしろい。もうそれが現実であろうが、まったくの氏の頭のなかでつくりあげられたフィクションだろうがなんでもいい! と思ってしまう。でも「フィクションかもしれぬ」という疑いの目でみてもなかなかリアリティのあることを書いているのだ。
たとえばさっきも書いたけど天下無敵の項はすごい。過去に一度記事にもしている。⇒天下無敵の意味とは、「敵を作らないこと」 - 基本読書 天下無敵とは敵という敵を倒しきったところにある状態ではない。なぜなら風邪で弱るかもしれないし風邪とか抜け毛とか嫉妬心や、当然ながら加齢だってある。こうした「心身のパフォーマンスを低下させる」ことを本書では広義の「敵」としている。
というのも本来武道というのは競技として始まったわけではなく、「生き延びるための技術」として存在していたものだ。だからこそそうした「常在戦場」、いつどこで襲われるかわからない、その時のためにすべてのパフォーマンス低下、自身の危機に備えなければならない⇒ところがすべての危機をリストアップすることなど土台不可能である。
「敵」に対処することが原理的に不可能であるとするならば、そもそも「敵を作らない」ことで対処する他ない。たとえば突然斬りつけられ、それをかわすというように考えてはならない。これは敵を作る論理なのだ。病気や心身の不調といったものを「あるべき状態からの逸脱」ととらえずに「それさえも本来あるべき状態として捉えること」、つまりはどんなに不利な状況であろうとも「最初からそうであったように対処できる」ことが天下無敵の意味なのだとする。
そして次に疑問として出てくるのは、そもそも「私」が不要なのではないかということだ。「私の心身パフォーマンスを低下させるもの」を敵の定義だとするならば、そもそも「私」を消し去ってしまえばいい。しかしどうやって「私」を消し去るんだよ、そもそもそれがほんとに無敵なのか?? という当然の疑問も出てくるが、たしかに過去の兵法書のようなものには「我を捨て去れ」「無我の境地」といったことがしきりに書かれている。
なるほど、このことか! 氏は何度も繰り返し「修行がもたらす効果を、修業を実際に行う前に開示することは不可能である」ということをいう。だからこそ修行は商取引とは違い、いくら渡すからこれだけの効用を約束してくれというものではない、そういう常識のもとにはないものであると説明していくのだが──
まあたしかに純粋に身体運用にかんする情報を、実際に自分が身体を動かすことなしに知ることは無理な話ではあると思う。しかし氏がやっているのはまさに「本来であれば言葉ではわからないことを、なんとかして言葉にして伝達する」という苦闘のプロセスであって、しかもそれがなんだか成功しているように見えるから面白い。
もう一度書くが、武道を経験したことがない僕にはここに書かれていることはファンタジーか何かのように見える。でもそこにはリアリティがあるし、その筋道はよくできたフィクションのようにおもしろい。これは別にけなしているわけではなく、最大限の褒め言葉であると思う。本来言葉にできないことを、言葉にしようとするというのはそういうことだろう。
じゃっかんまとまりはないものの、おもしろかった。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/07/17
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