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来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書) by 國分功一郎

『暇と退屈の倫理学』の國分功一郎さんによる新刊新書。本書で行われている問題提起はシンプルにまとめられている。『なぜ主権者が立法権にしか関われない政治制度──しかもその関わりすら数年に一度の部分的なものにすぎない──が、「民主主義」と言われるのだろうか? それは近代の政治理論、あるいは民主主義の理論に、立法府こそが統治に関わるすべてを決定する最終的な決定機関であるという前提があるからだ。』

政治に対する批判の多くは、議会へ民意が反映されていないといった形をとる。「だったら次の選挙では違うやつに入れよう」というのが市民としての合理的な行動になるが、「そもそもなぜ民主主義でありながら、そんな間接的なことしか決められないのか? 実際に政治に関わるほとんどのことを行政が決めているじゃないか」という問いかけが本書に通底している。言われてみれば確かにそうだなあ。我々一般市民が決められるのは誰を議論の場に送り込むのかという委任権だけである。

立法権こそが統治に関わるすべての物事を決定する」。つまり立法権にたいして、民衆がどんな形であれ関わっていれば、それは「民主主義である」とする近代政治哲学の理屈がある。国分氏はそれを「近代の政治哲学における理屈の誤りである」と最初から結論付けてみせる。そしてそんなのは民主主義じゃない。とすれば、これからの民主主義がとるべき道は、「立法権だけではなく、行政権にまで民衆が公的に関わることの出来る制度の構築」ではないか。これによって近代政治哲学の欠陥を補うことが出来るとする。

行政が議案を示し、議会が審議する。民衆が関わるのはそうした図式の中のごくごく一部分だけだ。「これ、民主主義じゃないんじゃないの?」と言われればおお、なるほどと思う。それはたしかにそうだ、と。あまりにもシンプルな指摘なので、僕も別に詳しいわけでもないのでこれにたいして「いや実はね……」とすぐに反駁できるような誤りがあるのかもしれないと疑ってしまうが、一見した所うなずける理屈である。

その後に著者自身が関わった近代政治理論について考えなおすきっかけになったイベントについて語られる。突如巻き起こる道路建設計画と、それに反対する住民たちの話だ。住民が反対するなら話はそう簡単に進まないと思うかもしれない。しかし突然行われる行政からの説明会は住民の声をまったく聞かない、「やりますから」という宣言の会でしかなかった。住民の意見など何も反映されないのだ──。

という内容で、これはどうでもよかった。ようは小規模大規模にかかわらず、「道路をどうするか程度のことさえも行政が決めて、住民には説明するだけ」という状況はこれまでも繰り返し行われてきたし、これが民主主義だと言われているのだし、それっておかしいよねという最初に行われた問題提起への、ただの強調部である。なまじ著者が関わっているだけにその体験談はやけに濃いのだが、知らんがな、としかいいようがない。

しかし住民の意見が反映されるような仕組みが存在しない現状どうしたらいいのだろうか。本書では、もろもろの本質的な政治哲学にさかのぼって「そもそも政治とはなんぞや」を再考したあとにドゥルーズに行き着く。簡単にまとめてしまえばドゥルーズは『複数の制度が組み合わさって構成されているものが社会だ』と考え、それはたとえば私有に対する所有制度がつくられ、生産を効率するために分業制度がつくられた。

法があって社会があるのではなく、制度があって法ができる。所有制度があるからこそ盗みが起こり、盗みを禁止するために法が産まれる。結婚制度がつくられ、その一方で重婚が禁止される。法=否定的・消極的なものとするならば制度=肯定的・積極的なものであるとする「社会を定義する新しい社会観である」と本書では述べられている。

ドゥルーズはこの議論を国家の政治制度にも拡張する。法は行為の制限であるから、法が多ければ多いほど国家は先生的になる。それに対し、制度は行為のモデルであるから、制度が多ければ多いほど、国家は自由になる。制度があって初めて可能になる行為の数がどんどん増えるからである。言い換えれば、何か満足を求めたり、目標達成を目指す際の手段が増えるということだ。

『ここからドゥルーズは次のような結論を導き出す──専制とは、多くの法とわずかな制度を持つ政体であり、民主主義とは、多くの制度とごくわずかの法をもつ政体である。』……ところで制度が産まれることによって法も産まれるのだとするドゥルーズの理屈に従うのであれば、単純に制度を増やす=自由になるわけでもなさそうなもんだけどな。制度を増やせば増やせば法も増えるんじゃない? と素人考えでは思ってしまう。まあ何にせよ実験で確認したわけでもないことなので何をいっても詮無いことではある。

上記の論理を採択した上で、國分氏の主張は「現行の議会制度はそのままで、これにオプションパーツとして、民衆が行政に関わることが出来るような、いくつもの制度を付け加えていけばいい」というものだ。主にあげられているものとしては住民投票パブリックコメント、ワークショップ、審議会、住民と行政の間を取り持つファシリテーターの導入などなど。こうした議論は抽象的なところに価値があるのであって、実際に著者が関わった体験談や実際にどう落としこんでいくのかという具体的なところに話がいくにはまだ早い。

本書の骨格となる問いかけとそれに対する返答の部分は非常に面白かったけれど、具体的なところはかなりどうでもいい、なんともおすすめしづらい一冊ではある。でも読んでおくといい。