- 作者: クリスティーウィルコックス,Christie Wilcox,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/02/16
- メディア: 単行本
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毒がどのように人体やその他目標とする生物に機能するのか。どんな仕組みによって体内で生成されるのか。毒に耐性を持つ生物──たとえばハブに対抗するマングースとか──はどうやってその能力を得たのかなどなど、複数の毒生物の事例について科学的に解説してみせる。読むことで各種毒生物について詳しくなることができるが、いってしまえばそれだけの本ともいえる。しかしこれがなんともおもしろい。
毒生物という切り口での生物の本を僕がこれまでほとんど読んだことがないこともあるけれども、毒にまつわるエピソードには人間の業の深さ、愚かさが詰め込まれているからだ。特に毒性生物の研究者ときたら好き好んで致死性の毒を持つ生物を求めて冒険をし、時にはわざと咬まれることもいとわないド変人どもなので著者が体験したもの、見聞きしたものを含め、話のひとつひとつが鉄板でおもしろいのである。
その努力の甲斐あって、彼は二六種類の毒ヘビに咬まれ、二三回骨折し、三尾のスティングレイ類と二匹のムカデ、そして一匹のサソリの毒液に触れた。何回くらい毒のある昆虫に刺されたことがあるのかと私が質問したところ、彼は声を出して笑った。「ミツバチをどうやって数えるんだ? 胸くそ悪いアリも、君はいちいち数えろというのかい?」
DIO様を彷彿とさせる名言だがこんな話がぽんぽん飛び出すのだから恐ろしい。
最凶の殺戮者は誰だ?
カモノハシの話からはじまり、クモ、クラゲ、と様々な生物について触れられていくがなんといっても好奇心をくすぐられるのは"最凶の毒性生物はなんだ!"という問いかけである。当然、これは最凶をどう定義するかの話になってしまうところはある。
たとえば想定される基準としては、殺傷能力を調べる方法があるだろう。科学的にはLD50という、実験動物に投与した場合に、ある日数のうちに半数を死亡させる量を表す指標があるけれども、これが低ければ低いほど少量で死に至ることになる。とはいえ、マウスで値が出されるので人間に対しては違う結果をもたらすこともある。
死亡率を比較するのもいいかもしれない。咬まれたり刺されたりした場合に、生き残れなかった人のパーセンテージを出すのだ。オーストラリアンウンバチクラゲの毒性は地球上でもっとも高い部類だが、刺された人が死ぬ確率は0.5%と低めである。それと引き換えキングコブラは持っている毒液はそう殺傷能力は高くないが一咬みで最大7ミリリットルの毒液を送り出して(20人を殺せる量)咬んだ人間を50〜60%殺す。
とまあいろいろな基準があるわけだけれども、咬まれた時近くに医療機関があるか、血清ができたか否かといった要因も大きいし、ヘビは大変多くの人間を殺しているとは言え"世界最多"ではない。では年間の死者数で見た場合、いちばん人間を殺しているのは毒生物とは何なのか(ここでは前提として人間にとって最凶を決めることにしている)──といえば、それはカ科である。そのへんを飛び回っている蚊だ。
彼らは血を吸っている間傷口を宿主に気づかせずに開いたままにしておくため、抗炎症化合物をつくりだす毒液を送り込む。そのため、捕食対象となった人間は、蚊がたっぷり血を吸い終わっても吸われたことにさえ気づかない。その毒自体が我々を殺すわけではなく、彼らが毒液を人間に注入するときに、他所で拾ってきた病原菌を感染させるため、死亡率が跳ね上がっているのだ。マラリアでは毎年60万人以上、黄熱病では3万人、デング熱で1万2000人亡くなっているが、蚊の影響が大きいのである。
毒々生物と人間の話
そんな感じで毒々生物についての話はどれも魅力的だが、それと並行して語られるのが毒々生物と暮らす人間の話である。研究者らの話もあるけれど、中心となるのは毒を自分の身体に意図的に注射したり、免疫として取り込もうとする人々の話である。
たとえば自家免疫実践者たちは、自分の身体の自然免疫反応を誘発させるために、薄めた毒液を自分に注射する。彼らは次第に注射する毒液の量を増やしていくことによって、馬などで血清をつくるようにして自分の身体の免疫が高まると信じているのだ。それを実践する人の多くは毒を持つヘビなどの飼育者ではあるが、中には健康になるという発言だったり、若返るような気分になるといったことを言うひともいる。
僕はまったくしらなかったので読んで驚いてしまったのだが、実は都市のスラムなどでヘビに咬ませるのを商売にしている人間も多いのだとか。たとえばインドコブラに脚をかませ「幸福で、意識が薄れ、眠くなるような失神状態」を体験した人がいる。長期的な薬物乱用者では、一週間に足指を二回、三回咬ませる人もいる。この危険な遊びは広まりつつあり、毎日咬ませるのが無理なほど値段も葛藤しているという。
ヘビの毒液から得られる恍惚状態は、即効性のものではない。ウィスキーをダブルで飲むのととてもよく似ていて、体に入れてから、実際に毒が入っていると感じはじめるまではしばらく時間がかかる。しかし、咬まれてから三〇分から二時間もすれば衝撃が訪れる。神経毒が効いてくるのだ。目眩がし、視界がかすむ。そして、陶酔感がやってくる。
えーほんとかよー絶対ウソでしょ、だって毒じゃんと思うんだけど、体験者の声は多いし何しろ金を払ってまで咬ませる人が大勢いるのだから本当なのかもしれない。とはいえ安全な毒ではないし、死亡者も出ているし、利益が危険性にまさるとはどうしても思えないがそんだけ魅力的なのかな……。まあ、科学的にはいくつかの実証も出ているのは確かである(たとえばコブラの毒液は強力な鎮痛物質を含んでいる)。
薬になる毒
悦楽をもたらすかどうかとはともかくとして、毒を薬に用いる話は最近特に増えている。ミツバチの毒液成分アパミンは大量に投与されると震えや痙攣を引き起こすが、少量では学習・認知能力が改善されることが示されている。実験動物の膵臓を肥大させる毒トカゲからは、インスリン昏睡が起こらない新しい糖尿病の薬ができた。
その応用で、アメリカのドクトカゲのペプチドを使った早期のアルツハイマー病や軽度認知障害の人に対する薬の臨床試験もはじまっている。ミツバチの毒液成分がHIVを殺せることが発見されたし、イソギンチャクの毒は自己免疫病に、タランチュラの毒は筋ジストロフィーに対して効果があるのではとされており、試験がはじまっている。これらの試験がうまくいけば毒の薬利用はさらに広がることになるだろう。
おわりに
毒は極端に危険性のあるものだが、同時に極端な利益を産む可能性もある、というのがここ最近科学的に*1判明してきた事実といえるだろう。本書にはそんな、薬利用にしろ麻薬的な利用にしろ、危険だからこそ生まれている毒生物の魅力が(+当然ながら恐怖が)十全に描きこまれているので、ぜひ楽しんでもらいたい。ちなみに、僕が読んでて一番怖かったのはエメラルドゴキブリバチですね(詳細はググってくれ)。
*1:ローカルな言い伝えとしては毒の薬利用は古くから行われていた