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十年単位でじわじわと広まり、浸透していくような感動が──『ψの悲劇 The Tragedy of ψ』

ψの悲劇 The Tragedy of ψ (講談社ノベルス)

ψの悲劇 The Tragedy of ψ (講談社ノベルス)

Gシリーズ第11作目。はじまったのが2004年だから、もう14年目になる。途中で長い作中での時間・関係性の流れを表現するように刊行ペースへの調整が入り、前作からは2年、Gの最終作までは2年という、間の巻だ。この10、11(恐らく12作目も)はそれまでのGシリーズとは明らかに異なるように3部作として区切られている。

3部作って、第1部目には始まりのワクワク感と状況説明、シチュエーションの説明としての役割があるし、第3部目にはクライマックスへと向かう高揚感があるけど、中間である第2部の扱いが難しい。だが、このGシリーズの最終三部作の場合、そもそも次が”誰の”物語なのか、また何を持ってして話が終わるのか、最後まであと一作というこの状況にあってもまだまだ読めないことがあって、第2部であっても物凄くドキドキしながら読み始めることができた。中心は誰なのか、”なん”なのか。それどころか、時代がいつなのかすらわからないままこの物語は幕をあけるのだ。

Gシリーズには、コツコツと真賀田四季関連と思われるギリシャ文字が関係した事件が起こり続け、それが波紋となって広がり、干渉しあっていく内容で、なんていうのかな──離れ離れだった森作品・世界観が今ようやくひとつに繋がりつつあるのだな、ミッシング・リンクが埋まりつつあるのだな、という深い感動がある。

それは、ぱっときてぱっと去っていくような感動ではなく、10年単位でじわじわと広まり、浸透していくような情動だ。8作目『ジグβは神ですか』で、僕はこのシリーズの”ミステリ性”に対して下記のように書いていたけれども、単なる事件単位の複雑さではなく、より大きな時間軸の中での複雑さを描こうとしているのだなと思う。

探偵がいて、明確に事件を解決する。動機は誰にとっても理解しやすいもので、およよと泣き崩れる。シンプルで気持ちが良い。しかしそういうところからは、本作はだいぶ遠いところを狙っている。現実の複雑さに近い。ただ本来フィクションとは、狙い目としては現実をより複雑ににする方に目的あるのではないか、と思う。どちらかといえば、こちらが本筋ではないだろうか。

さて、それでは本作の内容についてあと語りたいことは、具体的にはあまりない。いろいろな枷から解き放たれた島田文子さんがとてもとても楽しそうでよかったな、というのと、「森博嗣・ゼロ」みたいな内容でSFファン的にも、またエラリイ・クイーンの『Yの悲劇』のオマージュとしても抜群にスマートで、大満足な内容だった。最後の一瞬でくるっと物事が反転しかねない緊張感が、相変わらず素晴らしい。

それでは、また2年後のGシリーズ最終作を待ちましょう。そこまでは、死ねねえ。