基本読書

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その菌に感染したものは、知能が爆発的に増加する。ただし──『天才感染症』

天才感染症 上 (竹書房文庫)

天才感染症 上 (竹書房文庫)

天才感染症 下 (竹書房文庫)

天才感染症 下 (竹書房文庫)

もし感染することによって爆発的に知能が増して、いわゆる”天才”になれる菌があるとしたら、あなたはそれに感染してみたいと思うだろうか。本書『天才感染症』はまさにそんな”天才”と化す菌が存在したら──という状況を描いた、菌類SF小説である。とはいえ、ただただ頭がよくなるだけの菌などという都合のいい存在はない。頭が良くなったかと思いきや、その背後には”菌類”の生存戦略が存在しており、菌類vs人類とでもいうべき、未曾有の大騒動へと発展していくことになる。

物語の主な舞台となるのはアメリカと、感染の発生源である南米のふたつ。主な登場人物の一人であるニール・ジョーンズはその天才的な数学と暗号解読技術により国家安全保障局(NSA)局員の面接を受け無事合格。そんな弟に負けず劣らずの優秀な兄であるポールは、菌類学者としてアマゾンを訪れていたが、そこで罹患した真菌感染症によって生死の境目をさまよった後、爆発的な知能の向上を経験し、不可思議な行動をとるようになりはじめる。上下巻だけあってこの”天才感染症”とでも言えるものがいよいよあらわれはじめるのは上巻も終わり頃でわりとスロースターターなのだけれども、それまでの過程も演出がうまくテンポもいいのであまり気にならない。

ポール側の視点では菌類がいかにこの世界に巣食っているのか、人類とはまた別種のネットワーク、知性的なものを持っているのかを雄弁に語り、ニール側の視点では通常はパソコンを使って解読する採用試験を紙とペンだけで突破する天才性の演出がなされ、NSAが日々執り行っている暗号解読、情報収集の手練手管といったものが開陳されておりディティールの詰め方がおもしろい*1。アマゾンで発生した感染症も、ポールが帰国してすぐに明らかになるわけではなく、ニールがリガドスと呼ばれるテロリスト組織の暗号を解読していく過程で南米との繋がりが明らかになってゆく。

暗号を解読していくうちにわかるのは、さらに不可解な事態である。南米で敵対していたFARCとELNの両組織は深い協力関係になり、なぜかジョウラという少数民族の口笛言語を用いてまた別のゲリラ組織と連絡を取り合っていたことが判明する。いったいなぜ敵対していた組織が突然和解しているのか。なぜ使えるものがほとんどいない言語をわざわざ使うのか。そんな疑問をいだくうちに、ポールがアマゾンから帰還し、かつてはとらなかったような危険な行動をとりはじめ、ニールを怯えさせる。

とそんな感じで徐々に危機感を盛り上げていく演出はお見事(ちとくどいが)。ポールは菌類研究者なので、ひたすらに菌類の知識をまくしたてていくのもおもしろい。

 ポールがマウスを握り、画像を回転させてある部分を拡大する。「菌糸が成長して広がっているのがわかるだろう? 神経細胞をたどって伸びて、構造全体に及んでいる」
 ぼくは恐ろしくなって言った。「髄膜炎とおなじじゃないか」
 自分の頭を指さし、ポールが答える。「それは違うよ。炎症も痛みも、混乱もないんだ。それどころか、受けた知能テストの結果はいままでで最高を記録した。菌糸が神経伝達の効果を高めているんだよ。それだけじゃない、ぼくの脳のある部分の構造を、機能はそのままに効率を高めてリマップしたんだ

菌は人間に感染し、人間の能力を高めることで自身も繁栄させる。ただそれだけの相互利益を目的とした関係性であればよかったのだが、そうは問屋がおろさない。アマゾンでは真菌感染症者たちが激増し、彼らはその増大した知性のまま、真菌の拡散を目的とした行動をとりはじめる。NSAはその事態を具体的に探知する暇もないうちに、感染者が増大したコロンビアとベネズエラは共同で宣戦布告し、アマゾンのブラジル領へと軍を進行させ、アメリカもまたそこに巻き込まれていくことになるのだ。

未感染の人類が相手をしているのが、単なるゾンビ的無知能者ではなく知能が増大した”天才”であるせいで、凡人視点から世界を眺めていると何がなんだかよくわからないうちに物凄い勢いで何らかの事態が進行してるけどこれいったいなんなのー!!? という困惑が盛り込まれていて、それがまた演出としておもしろいのだ。

現実でも存在する事例

こうした”菌類が人類の行動を操る”ことそれ自体は突飛な話というわけではない。現実でも、トキソプラズマと呼ばれる微生物は感染することによって、感染者の危機感を麻痺させ、普段ではとらないような行動を誘発させることがわかっている(ネズミに感染した場合、嗅覚器官の反応が変わり、天敵に魅力を感じるようになる)。トキソプラズマは猫からうつるので世界中の人間の3人に1人が寄生しているともいわれ、研究者の中には人間をも危険な行動に駆り立てると提唱しているものもいる。

人間が危険な行動に駆り立てられているのが事実だったとして、その人たちは「あれあれ、意図に反して危険な行動をしてしまっているぞ」とは思わずに、自分自身の意志によって決断したと考えるだろう。自由意志についての研究が明らかにしているように、決定や行動の後に”自分はこうしたいと思った”という仮初の決定が追いついてくるのだ。本書でも、後半に行けば行くほど感染者が増えていくが、微塵も自己の正常性を疑わずに行動だけが変質していく様はホラー的な恐怖が伴っている。

おわりに

展開敵に、悪としての菌類感染者たちを非感染者たちが倒して終わりなのかなーとぼやっと読んでいたら、終盤は意外な方向へと転がり続けていくのも素晴らしい。SF作品が多数含まれている『FUNGI-菌類小説選集』とか、先日同時期に出たばかりの『ファイアマン』とか、菌類とSFって(そもそも菌類が人類とはまったく異なる形での知性を持った生命体ともいえるし)相性がいいんだよね。本書を楽しめた人にはどちらも(FUNGIとファイアマン)オススメしたいところである。

ちなみにこの『天才感染症』、KindleUnlimitedに上下巻揃っているので加入者は落としてみては。

FUNGI-菌類小説選集 第Iコロニー(ele-king books)

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ファイアマン (上) (小学館文庫)

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*1:著者はこれが初邦訳で、著作としては5冊目のアメリカ人作家だが、兼業作家で本業はエンジニアらしい