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当たり前のこととして人を喰う部族──『人喰い ロックフェラー失踪事件』

人喰い (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズIII-8)

人喰い (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズIII-8)

アメリカ合衆国代41代副大統領のネルソン・ロックフェラーの息子、マイケル・ロックフェラーはハーバード大学で民俗学を専攻した後、ニューギニアのほとんど現代人との接触のないまま生活をおくっていたアスマット族に興味を持ち、接触を繰り返すうちに行方不明になった人物である。行方不明は1961年のこと。そもそも名家の子であること、状況は細かい部分までわかっており、大量の金と人員を動員したにも関わらず死体すら見つからなかったことなど、その行方不明になった経緯があまりにも不可解であったこともあって、非常に話題を集めた事件であったようだ。

日本でもその調査の記録はミルト・マックリン『首狩りと精霊の島 ロックフェラー四世失踪の謎』として邦訳出版されていたりもする。で、真相は基本的には闇の中、ということにはなっているものの、実態としては数々の調査からマイケル・ロックフェラーは行方不明になったのではなく、彼が当時関わっていたアスマット族に殺され、そのまま彼らの儀式に使われ喰われてしまっていることが確実となっている。

じゃあ、これは真相のわかっている事件についての二番煎じ的なノンフィクションなの? っていうところだけれども、著者のカール・ホフマンは2012年に改めてこのアスマット族の中に深く入り込み、通訳を介さない1ヶ月間の共同生活を通して、「彼らがマイケル・ロックフェラーを殺して食ったのは確かだが、ではどのような文化的・思想的背景からそれは実行されたのか?」を丹念に解き明かしていく一冊になっている。それにしても、つい最近(2012年時点でほんの数年前)まで普通に人を喰っていた人間の中でたった一人で滞在するというのは恐ろしいものがある。

 首狩りと人肉食と、そのふたつが関係する儀礼──要するに、アスマット文化のすべて──が変わり始めたのは、ほんの一世代前のことだ。アマテスの父親や、四十歳以上の親の世代は人間の肉を食べていたのである。しかも、われわれがステーキを食べるように、エアコンの効いた大型スーパーマーケットでビニール袋に包まれた肉を買ってきて食べていたのではなく、男や女や子どもの体を解体し、頭部を切断し、脳みそと内蔵を摘出して食べていたのだ。

僕は別に人間が人間を喰ったっていいと思うが、人を喰うような人間と同じ場所にはいたくないよ(当たり前だ)。まあ、だからこそ興味を惹かれる内容である。

アスマット族の人々が人肉食をやめたのは、外の文化が入ってきすぎたというのもあるし、宣教師が熱心に布教したこともありキリスト教化し、人喰いは悪いことだという考えが根付くようになった──ということになっているが、本書を読んでいて、難しいなと思うのは、アスマット族の人々が当たり前のように嘘をつくことである。

とりあえずこういっておけば外のやつらは納得するんだろ、とか相手の聞きたがっていることを答えてやれば怒らないんだろ、みたいな、至極真っ当な理由で嘘をつくので、彼らが実際の内面はわからない面がどうしてもある。そうした、「2,3日滞在していることで見えてくる彼らの姿」と、彼らと長い時間月日を共にすることで見えてくる内面にはギャップがあるわけだが、カール・ホフマンはそこに長く滞在することで、意識の奥底の部分に触れるようにそのギャップを解き明かしていくのである。

結局、彼らの歌の多くが過去のおこないを思い出させるものであり、習慣的な生活全体はその行為を基盤としているわけだから、人肉食は意識のなかにしっかりと根付いているのだ。

はたして、彼らにとって人喰いとはどのような意味を持っているのか。現実に人が亡くなっている事件なので不謹慎ではあるものの、その文化に分け入っていく筆致は文化人類学ミステリィとでもいうようなおもしろさがある。