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SFマニアからビギナーまであらゆる層を満足させる、オールタイム・ベスト級の傑作SF短篇集──『なめらかな世界と、その敵』

なめらかな世界と、その敵

なめらかな世界と、その敵

この『なめらかな世界と、その敵』を端的に紹介すれば、SFマニアからビギナーまであらゆる層を満足させる、オールタイム・ベスト級の傑作SF短篇集である。とはいえ著者伴名練の名は、SFファン以外は聞いたことはないだろう。既刊行作は『少女禁区』という約10年前に刊行された中短篇集一冊のみで、その後も企画物のアンソロジーに散発的に短篇を発表しるのみだったから、普通は知る機会は多くはない。

だが、SFファンの間では、本書の刊行前から伴名練の名は異常なほどの熱気でもって知られていた。というのも、商業発表作こそ少ないものの、同人誌に毎年のように新作短篇を発表しており、その作品の出来がまた凄まじかったからだ。それまでのSFの先行作を緻密かつ複雑に折り込み、舞台設定もソヴィエトから明治日本まで幅広く、練り上げられた文体も自由自在に高いレベルを保ったまま変えてみせ、技術力も高けりゃ質も高く、同時にそれだけでは到達しえない執念の極みのような熱量が宿っており、〈年刊日本SF傑作選〉という、創元SF文庫から出ている年刊アンソロジーに(全て同人誌初出でありながら)毎年のように収録されていたからである。

で、SFファンは「やったーやったー待望の伴名練短篇集だー!」と喜び舞い踊っていたのだが、思いのほかその作品に込められた熱量は多くの人に届いていたようで、わらわらと伴名練語りをするSFファンが現れ(僕含む)、伴名練による檄文的な「あとがき」のWeb公開、担当編集である溝口力丸氏の的確なバズらせ力も相まって、あれよあれよという間に発売前重版、発売直後にさらに二回の増刷が決定と、シンデレラ・ストーリーのようにできすぎなぐらいの覇道を歩んでいる最中なのである。

なめらかな世界と、その敵を通して醍醐味を語る

さて、というわけで収録作をいくらか紹介していこうかと思うが、まずは表題作「なめらかな世界と、その敵」を通して伴名練短篇の醍醐味をざっと紹介してみよう。

伴名練短篇、その第一の醍醐味はなんといっても類まれな世界設定である。たとえば「なめらかな世界と、その敵」の世界では、「乗覚」を持っていて、誰もがある種の並行世界、異なる状況を持った世界間を移動することができる。だから夏のある日、暑いから気分転換に雪がみたいなとおもったら(別世界には異常気象で雪がふっている世界もあるので)そこに移動して、雪景色を楽しむことができるし、今日は父親の命日よと母親に話しかけられても、ああここでは父親は死んでいるのか、ぐらいの感覚ですんでしまうために死生観などあらゆる感覚が我々のものと異なっている。

で、そこでふたつめの醍醐味に繋がってくるのだが、こうした世界観設定を単なる羅列で済ませるのではなく、見事な文体、情景描写で鮮烈に「魅せて」くれるのが本当に素晴らしい。たとえば、下記引用部は女子高生であるはづきが学校に登校する場面なのだけれども、ただそれだけのことがなんと鮮やかに描かれてゆくことか。

 三十度近い熱気に炙られた坂を勢いよく下って、いい感じに汗をかいたら、異常気象で狂い咲いた桜のしだれかかる並木道を駆け、途中からは路面の早すぎる紅葉をサクサクと踏みしだいて、季節外れの雪化粧を纏った橋を、凍った川面に目を眇めたりしつつ走りぬける頃には、丘の上に高校が見えてくる。
 四季のパッチワークを横目に学校までの道を走破するのが、何となくの自分ルールではあるけれど、走る時は、少し肌寒いくらいの風が一番心地いいので、自然と、気温の低い中を走ることが多くなる。学校近くで友達と合流したりしなかったりして、クラスメートだったりそうじゃなかったりする常代とか藍那とかマコトとかと談笑しながら、一人、バラバラのタイミングで校舎へ駆け込んだ。

みっつめの醍醐味はこうした世界設定と、それを彩る文章が、二者、あるいは三者間の巨大な感情のぶつかりあって相乗効果的に結実していくクライマックスにある。

はづきはその後、乗覚を障害で失ってしまったマコトとある世界で出会い、友人関係を構築しようとするのだが、それはなかなかに難しい試みだ。はづきらは、マコトが癇癪を起こしたり気に入らない行動をとったりすれば好きなだけ別の世界に移動することができる。一方(乗覚障害を負った世界の)マコトはそんなことはできない。目の前の相手にどれだけ怒りをぶつけても、ただ相手は消えていなくなるだけだ。

「自分をちゃんと見据えてくれるものは、誰もいない」というマコトの絶望に、世界を自由に移動できるはづきが真正面から向き合うことは難しい。でも、だからこそ──ある種の決断が重みを持つことになる。マコトの絶望と、この「決断」と二人の間にある感情が異常に重くなるのは、すべてはこの世界設定から派生している。

二者間の関係性の話でありながらも、乗覚障害を持つものは、みなが自分にとって最適な世界が選び取れるがゆえに、なめらかで争いも起こらないこの世界の人々にとって、世界を乱す敵であるという、「世界」と「敵」についてでもあり、この狭さと広さの両立は書き下ろし短篇「ひかりより速く、ゆるやかに」他にも通底している。

文体と題材の幅広さ

なめ敵を離れてよっつめの醍醐味は、その文体と題材の幅広さにある。「ゼロ年代の臨界点」では、1900年の初頭の日本を舞台に三人の女学生が日本SF、とりわけ時間SFの源流となった偽史を人物伝調の文体で紡いでいき、同人誌『伊藤計劃トリビュート』に寄稿された「美亜羽へ贈る拳銃」は”特定の人間を愛し続けられるようにする”インプラントによって愛を征服した世界で、”世界を壊す力を持った女性”に恋をする男の物語で、伊藤計劃『ハーモニー』を筆頭に「インプラントで感情・人格制御できるようになった」系の先行作の踏まえ方、逸脱の仕方が抜群にうまい。

続く「ホーリーアイアンメイデン」は、生前の妹から姉に送られる書簡体形式の物語で、ハグすることによって相手の人格をコントロールしてしまう姉に対する、重い呪い/愛についての物語であり、「シンギュラリティ・ソヴィエト」は1969年にどこよりも先駆けて技術的特異点を突破したAIをソ連がつくったらという仮定からはじまり、米側にはシンギュラリティ超えAIリンカーンが生まれ、AI大戦──とみせかけて、「ホーリーアイアンメイデン」と同じく姉妹百合、はてはシンギュラリティ超えAIの、世界を壊さんばかりに重い愛を、圧巻の情景で描き出していく傑作だ。

本書収録作はおおむね二者、三者間の関係性の物語なんだけれども、大抵の場合その関係性の背後で世界がめちゃくちゃになっていたりぶっ壊れかけていたりするのが、短篇でありながらも長篇を読んだときのような満足感に繋がっているんだよね。

ひかりより速く、ゆるやかに

徐々に感情を高めてきて最後にぶつけられるのが書き下ろし「ひかりより速く、ゆるやかに」で、瞬間最大風速という意味でまさに「いま、この瞬間に」読まれるべき物語である。修学旅行最中の新幹線のぞみで、突如として「低速化」と呼ばれる事象が起こり、新幹線の1秒が外では2600万秒経過に相当することが明らかとなる。

そこから導き出される答えは、新幹線のぞみ博多行が次の停車駅である名古屋駅に到着するのは2700年後ということだ。とある理由から修学旅行に参加していなかった速希を語り手として、この現象はなぜ起こり、解除することはできないのか。また、部外者からしてみればその修学旅行生らはずっと先の西暦まで生きていく「ほどよく自分たちと繋がりのある未来」そのもので、数多くの人々が低速化に巻き込まれた学生を主人公とした自分たちに都合の良い物語を練り上げていく様を描き出していく。

LINEを筆頭とするソーシャルな状況を踏まえた「いま」ならではの描写、才能が開花していない小説書きとしての速希の葛藤、ジレンマ。防ぎ得ない災害にいつ巻き込まれるかもしれないという恐怖によって、ゆるやかに変わっていってしまう世界を描き、同時にかつての時間SFを多数参照し、そこで描かれてきた無数のアイディア、その情景を踏まえながらも、最終的にはうるせーーーしらねーーー! と新しい時代へと踏み込んでいく物語であり、この類まれな、「これまでのSFを最大限踏まえ」「さらにその先へと向かうための」──短篇集を締めくくるにふさわしい、マニアと新世代をともに満足させるに足る、時代を塗り替える傑作である。

おわりに

伴名練はこの先、どこまでの世界をみせてくれるのだろう。増刷がかかったことから、下記記事にあるアンソロジー企画が動き出すのは間違いなさそうだが、その後は……大森日下を次ぐアンソロジストか、短篇の名手か、長いものを書くのか──そのすべてであっても、時代を塗り替えるものを期待せずにはいられない。
www.hayakawabooks.com
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