- 作者: 稲葉振一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2019/09/06
- メディア: 新書
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本書では第一章「なぜロボットが問題になるのか?」で現代的なロボットの在り方について語った後、アシモフの諸作について語っていき、次第に本書の主題となっている銀河帝国が存在するアシモフの〈ファウンデーション〉シリーズを通して銀河帝国について考えていくことになる。最初から銀河帝国の話をすればよくね? と思うかもしれないが、実は(稲葉氏の『宇宙倫理学入門』を読んでもわかるが)、人類が宇宙に進出するにあたってはロボットについて考えないわけにはいかないのである。
なぜロボットの話から始まるのか
というのも、皆さん知ってのごとく宇宙は基本過酷な環境なので、人間は生身では生きられない。酸素もないし、気温的なあれもあるし、宇宙線被爆で普通に外で活動したらすぐに死んでしまう。宇宙ステーションだってあるんだし、コロニー的なあれがあれば人間は宇宙にいくらでも進出できるでしょ、と思うかもしれないが、被爆の問題はコロニーでは解決しない、仮になんとかできたとしても、そもそも人間の身体それ自体が脆弱性を抱えているので、安全管理的にはたいへんしんどいものあがる。
なので、普通に考えたら人間が宇宙植民するのは厳しいのだけれども、稲葉氏は「でもそれは人間が今のままの人間であるからそうなのだろう」、つまり人間が人間の生物学的限界を超えていれば植民できるんじゃねというのである。『しかしながらその主体が、「人造人間」としての高度に自律的な知能ロボットまで含むとすれば、その可能性は少しだけ上がるのではないか、と』。それは全くそのとおりだろう。
つまり、宇宙探査、宇宙進出について考えるときに、ロボットから考え始めるのは自然な帰結でもあるのだ──というもっともらしい話とは別に、アシモフの銀河帝国の話をするにはロボットの話が必要だから、という理由もある。というのも、アシモフが紡いできたロボットシリーズは後に〈ファウンデーション〉シリーズと歴史が接続されており、銀河帝国を語る上でロボットの話は避けては通れないからである。
第二章では「SF作家アイザック・アシモフ」と題してロボットシリーズの簡単な解説を行っているが、ここでの視点も興味深いもので、ようはアシモフのロボット物語は現代の機械倫理学、ロボット倫理学・人工池のぬ倫理学の重要な主題の多くを先取りしているというのだよね。読んでいる人はみなそうそうと頷いているだろうが、アシモフは別に三原則を作って投げっぱなしたわけじゃなくて、それを作中でたくみに発展させたり穴をついたりして機械倫理学についての重要な問いを多く残している。
はたして彼らが守るべきとされる「人間」とはなんなのかであるとか、人間より遙かに進歩したロボット=人工知能が現れた時、それらはどのような葛藤にさいなまれ、行動にでるのか──といった問いは、現代のいわゆるシンギュラリティ、ポストヒューマン論者らが語る未来像の先取りであるともいえるからね。なので、アシモフの銀河帝国っていわゆるローマ帝国的なものの代替、メタファーであって、現実に存在し得る銀河帝国として考えたってしょうがなくない? と疑問に思うかもしれないけれど、そうしたポストヒューマン的な観点が現れてくる後期の作品群については検討する余地もあるんじゃないかな、というのが稲葉氏の立ち位置になっている。
おわりに
現実的な問題として、月と地球の間ですら光の速度で通信しても1秒以上の時差がかかるので、惑星間をつなぐ銀河帝国を作ると、現代で我々が当たり前に享受している情報ネットワーク社会が失われるってことだからそんなんありえないよねーという視点もある。とはいえそれでもなお進出するとしたら、それはどのような状況ならありえて、倫理的課題が立ち上がってくるのか?──をその後は問うていくことになる。
基本はそうした応用倫理学の本なのだけれども、小川一水『天冥の標』や藤井太洋『オービタル・クラウド』だったりという現代の宇宙SFについての言及も多く、ガイド的に読むことも可能であろう。本書がおもしろかった人は『宇宙倫理学入門』を読むと良い。同時期に稲葉氏の他の本も出ているが、そっちはこれから読む。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp