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人生を確率を通してみる、今年ベスト級の科学ノンフィクション!──『もうダメかも──死ぬ確率の統計学』

我々はウルトラマンに守られているわけではないのだから、死ぬときがきたら死ぬしかない。その事実は多くの人が認識しているだろう。が、実際に自分が人生の各フェイズでどれぐらい死ぬ確率があるのか、多くの人はそこまで認識してはいないのではないだろうか。10代、20代なら自分が死ぬことなど意識しないだろうし、30代でもそう大きくは違わないだろう。だが、人は何歳であろうともポカっと死ぬものだ。

というわけでこの『もうダメかも──死ぬ確率の統計学』は、ノームと名付けられてこの世に生を受けた一人の男性の成長を歩調をあわせて、人生の各フェイズでどのような死亡リスクがあるのかを細かく統計でみていこう、という本である。

たとえば、交通事故、出産時、タバコを一本吸った時、放射線を浴びた時、事故、天空から何かが(隕石とか)が降ってきた時……。我々は、その時々でどのぐらいのリスクにさらされているのだろうか? 原題が『THE NORM CHRONICLES Stories and Numbers About Danger and Death』とついているように、本書では死ぬ確率だけではなく死に至る一歩手前、危機の確率もまた算出している。

で、読んでみた感想だけど、ノンフィクションとして今年ベスト級におもしろかった。確率は悪い方にあたった個人からすれば何の意味もないものだが、そうした人間的な感覚を決して切り捨てずにノームその周辺の人々(リスクを省みない人間もいれば、リスク回避型の人間もいる)の人生を通して描き出しているのがまず良い。同時に様々な死亡リスクを並行して語っていくことで、我々の人生がいかにリスクにまみれているのか──そうしたリスクからの逃走がいかに不可能であるのか、確率を考えるうえで人が陥りがちな落とし穴についてが、網羅的にわかるようになっている。

リスクをある程度定量的に把握することで、自分の行動の指針にも影響を与えるかもしれない。どこからを怖いと感じるかは完全に個人の裁量、感覚に任されているわけだが、知らないよりは知っていたほうがマシだろう。

マイクロモート

本書はおおむねノーム氏の幼少期から老年期までを概ね時系列順にたどっていく構成なわけだけれども、その際に死亡率を考える上で軸となってくれるのが「マイクロモート」と呼ばれる概念だ。これは、死亡確率100万分の1のことである。

これは、ノームのようなどこにでもいそうな平均的な人の生涯における普通の1日における死亡率である。朝起きて、普段どおりのことをして、家に帰る。戦場の前線にいくとか、スカイダイビングをするとか登山をするとかはしない。そうした一日のリスクが100万分の1であり、それを1マイクロモートと呼称している。

緊急性のない手術を行う際、全身麻酔が原因で死ぬ確率はイギリスではおよそ10万分の1だ。1MMの10倍なので、これが10マイクロモートにあたる。あなたがもし近日中に全身麻酔を受けるのならば、そのときにあなたは普通の10日分のリスクを引き受けることになる。他にこれと同じリスクを示すのは、スカイダイビングだ。スカイダイビングによる死亡リスクは、全身麻酔を受けることと同程度といえる。

人生の中で最もリスキィな期間は生まれてからの一年で、なんと年4300MMになる。これは4万8000キロをバイクで走るのと同じ程度のリスクだ。そのリスクも未熟児と先天性異常がなければ2300MMにまで低下するが、高いことにかわりはない。出産もまたリスキィであり、2010年、全世界で28万7000人の女性が出産で命を落とした。これは2100MMに相当し、平均的な市民がさらされているリスクの約6年分に一度に晒されているに等しい。女性がどれだけのリスクをおかしているのかを意識していれば、出産を迎える女性に対してより深く敬意と感謝が湧いてくるだろう。

マイクロライフ

MMは急性リスクを判断するにはいいが、慢性リスクを判断するには別の尺度が必要になってくる。そこで使われるのが成年の人生を100万等分したマイクロライフという概念で、1マイクロライフは約30分。こっちはこっちでおもしろい尺度だ。

たとえば、普通に生きているだけで日に48ML消費されるが、たばこ4本を吸うとさらに2ML消費される。4本吸った日の消費MLは48じゃなくて50MLだ。キリがいいといえばいいが、人生が減っているのでキリとかそういう問題じゃない。ボディマス指数で最適とされる数値から体重を5キロ上回った場合、毎日約1MLの損失にあたる。太っていて、タバコを4本吸うだけで、一日あたり1時間30分も人生の時間がなくなっていくわけだ。だが、毎日平均22分運動することで、日に2MLが余命に加わる。22分の時間が人生から失われるが、合計は40分ほどプラスの計算になる。

少し数字を離れたところにいくと、実はCTスキャンを受けることはけっこうリスキィな行為である。10msvのCTスキャンはなんと180ML、タバコ約360本分のリスクを背負っていることになる。個人では大したことないが、大勢が受けると数字が積み上がり、アメリカで一年に7500万回行われたCTスキャンによって、ゆくゆくは2万9000件のがんが発症すると推定している。

天空

交通機関利用時、暴力、事故などそのへんのわりと我々が直面しやすいリスクについての数字も身近でおもしろいが、「空から何かが降ってきた時の死亡率」みたいな空想科学読本的なリスクの算出をしている章の話もめっぽうおもしろい。たとえば下記は、空から人が降ってくる場合のリスク計算をざっとではあるがしたものである。

 落ちてくる死体1体が、仰向けの状態で2平方メートルを7年に1度占めるとしよう。また、リスクにさらされる範囲の面積がロンドンのリッチモンド区(約60平方メートル)程度だとする。確率はこれをもとに大ざっぱにだがかなり簡単に決まる。(……)計算してみると、7年に1度、20万人のうちの誰かが落下点にいる確率は150分の1となり、あなたがたまたま落下点の住民だったとすると、それがあなたである確率は3000万分の1、毎年に直すと2億1000万分の1となる。

これは心配になるような数字だろうか? 僕はまったくそうは思わないが、心配な人もいるだろう。人生は常にリスクを隣り合わせだが、どこまでのリスクを許容するかは個々人の判断に委ねられている。スカイダイビングをするのは、決して無謀な行為なんかではない。しらんけど、気持ちがいいし、生の実感を得られる良い行為だろう。そこに臆病になる人もいるし、もっとリスクを取りたい人もいるだろう。

おわりに

18歳の場合、7MMは約5日分のリスクに等しいのだが、60代付近の男性の場合、全原因での年間リスクは7000MMで、7MMは9時間ほどにしかならない。そう考えると、相対的には老齢に入ってからのほうがリスクをとっても代償が少ないといえる。無論、平均はばらつきを均した数であって、我々は平均年齢まで生きることを保証されているわけでもなければ、平均年齢で死ぬわけでもない。

「平均」は「わたし」がどうなるかについて答えを教えてくれるわけではない。だけど、こうしてある程度リスクの「感覚」を把握していれば、自分なりに怖がることができるようになる……かもしれない。それはわからんが、おもしろいのは確かだ。