基本読書

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ペストから新型コロナまで──『人類と病-国際政治から見る感染症と健康格差』

4月18日頃刊行の新書なのでなんともタイムリーな……と読み始めてみたが、コロナ騒動が持ち上がってから書き飛ばされたような新書ではなく、数年にわたって書き続けてきた本がこのタイミングで刊行となったようだ。タイミングがよすぎるが、人類の歴史は感染症との戦いの歴史でもあって、そこまで「偶然の一致」というわけではないのかもしれない。歴史を振り返れば戦いは常にあったのだから。

というわけでこの『人類と病』は、主に感染症にたいして人類は国際政治という観点からどのように戦ってきたのか、その戦うためのスタイル──保健協力の体制を、どのように作り上げてきたのかをまとめた一冊になる。あまり分量的には多くはないが、現在蔓延している新型コロナについての記述も各章に散りばめられている。

感染症は、一国の中で収束するものではなく国境を超えていくので、国際的な協力が必要不可欠だ。今でこそこうした世界的な感染症についての対策をするWHO(World Health Organization)という機関があるが(政治的な問題で分裂しかかっているが)、当然ながら過去には存在していなかったわけで、どのような流れの中でWHOが生まれることになったのか。その失敗と苦闘の歴史がコンパクトにまとまっている。このような混乱状態にあるときこそ、「そもそもなぜWHOは設立されたのか、そしてなぜ今このような状態になっているのか」という過程を理解することは重要だ。

感染症との闘い

感染症との闘いとしてまず真っ先に上がるのはペスト(黒死病)だろう。これはペスト菌に由来した感染症で、1347年から52年にかけては人口の3分の1が犠牲になったといわれている。14世紀のことなので治療法どころか感染のメカニズムもわかっておらず、とにかくバタバタと人が倒れていく。その後何度も流行を繰り返し、17世紀ロンドンに至っても混迷した市民たちは占い師を頼り、自称魔法師や妖術者が現れた。

17世紀でさえも予防ワクチンも感染メカニズムもわからないので、とりえる手段は隔離であった。患者発生の家は1ヶ月、患者を訪問したものも一定期間自宅監禁されたが、これは市民のヒステリーを引き起こして逃亡を企てるものが続出したという。

フランスの作家アルベール・カミュは一九四七年に発表した『ペスト』のなかで、ペストに襲われ、閉鎖された都市の様子を描いている。幾何級数的に増えていく患者の収容が追いつかず、患者の出た家は閉鎖され、しまいに都市全体が外部と遮断される。食料の補給と電気の供給は制限され、ガソリンは割当制となる。ライフラインを絶たれ、絶望のなかで葛藤する人々の姿は、第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下のフランスの様子と重ね合わせられている。「ペストがわが市民にもたらした最初のものは、つまり追放の状態であった」(カミュ、一〇二頁)という一文は、感染症が戦争と同じく、市民社会を包囲し、極限に追い込みうるものであることを示している。

今日のような状況は、何も未曾有の事態ではなく、繰り返されているのである。

対処の進歩

で、人類は感染症に完全勝利しているわけではないので、未だにその威力は我々にかなりのダメージを与える。だが、対処が後退しているわけではない。ペストと並んで極悪な感染症である一九世紀に爆発的に蔓延したコレラは、はっきりとした感染メカニズムは不明ながらも不衛生な環境が関係していると判明し、公衆衛生設備が次第に発展していった。だが、一国がそうやって対処をしても感染症は国境を超えてくるから、その時はじめて国際的な感染症対策の会議が必要とされることになる。

そのはじまりとして、一八五一年にフランスの主催で最初の国際衛生会議が開催された。そこではろくなことが決まらなかったが、エジプト、マルセイユでもコレラが蔓延し(どちらもイギリスが持ち込んだ)、今度こそ国際的な合意を形成しようと一八八五年にローマで国際衛生会議が実施。統一した国際検疫システムの運用が目指されたが、経済への影響を懸念したイギリスの反対によって合意形成には至らなかった。人の行き来が少なくなると経済は息詰まる。一方、感染症が蔓延してもそれは同じだ。国際衛生協定が結ばれたのはそこから二〇年近く経った一九〇三年のことになる。

もっとも、この国際衛生協定はコレラ、ペスト、黄熱病に限定されていて、第一次世界大戦時に猛威を奮ったインフルエンザ、マラリアは対象外であった。その時(第一次世界大戦後だが)に立ち上がった/活躍したのが、人類史上初の普遍的国際機関である国際連盟である。国際連盟規約は第二三条で、病気の予防と撲滅に取り組むことを規定していて、これで感染症への対策が国際連盟の管轄事項となった。この時に国際連盟保健機関が設立され、第二次世界大戦&国際連盟の消滅&国際連合の設立を経て、「再度国際的な保健機関を作ろう」という声かけがあがり、世界保健機関の設立へとつながっていくことになる。とはいえ、そこも一筋縄ではいかなかった。

まず敗戦国の加盟を認めるのかという論点があり(イギリスは慎重派だったが、アメリカはすべての国に開かれたものであるべきとしして受け入れられた)、冷戦の影響があって国連が安全保障以外の問題を扱うことに否定的なソ連との確執など、WHOがたびたび(今もそうであるように)国際政治の影響を受けてきたのがよくわかる。

おわりに

現代の感染症対策には国際政治と連動した動きも目立つ(米、英がWHOへの拠出金を止めたり、武漢ウイルスと呼んで敵対を煽っていたり)。ただでさえ移動・経済に影響が大きい上に、感染症が蔓延すると軍事行動に影響が出、安全保障に大きな影響を与えることもあって、政治の介入する余地は年々大きくなっている。『新型コロナウイルスへの対応をめぐっては、WHOは分担負担率の多い中国やアメリカの意向を踏まえざるをえないし、核開発をめぐるアメリカとイランの対立、貿易をめぐる米中対立や中台の緊張関係等が反映されているのは、そのような特徴によるものである。』

歴史的にみると実は感染症への対策は、協力することで双方ともにが利益を得やすい構造から、国際社会における「共通の敵」として機能し、協力を深めるいい機会になることも多い。冷戦時代にポリオワクチンのために協力したソ連と米国、国産連盟を脱した後も国際連盟保健機関と協力をした日本のように。が、現状をみるとむしろ対立が深まる方向へと進んでいるのが残念でならない。

ざっと紹介してきたが、他にもWHOがどのような具体策を打って天然痘を根絶させたのか、マラリア対策での悪手、また、目指すべき健康を「身体的、精神的、社会的に完全な良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」と定義するWHOが行う「生活習慣病対策」の難しさなど、幅広くWHOの役割についてみていっているので、特にこのような状況下では一度読んでおくことをおすすめする。