基本読書

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データからみたジェンダー・ギャップ、無償労働に医療に軍隊にトイレまで──『存在しない女たち:男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』

この『存在しない女たち』は、英国のジャーナリストでフェミニスト活動家として知られるキャロライン・クリアド=ペレスによる、ジェンダー・ギャップを徹底的にデータでみて、あらゆる領域で解き明かしていこう、という一冊である。ようはフェミニズム本なのだけれども、これが大変におもしろいし、重要な視点を提供してくれる本だ。男女平等と一言でいっても、男女は身体的にも環境的にも異なる存在であり、同じように割り当てればそれで済む話ではない。たとえばトイレの広さとか。

であれば、何をどうすればより公正になるのか。というより、お互いの負担を減らすことができるのか。それを知るためには、まずデータを見て判断し、データが足りないのであれば、そのデータを集めるように働きかけねばならない。本書はデータを中心にして話が進んでいくが、同時に明らかになるのは女性がデータや研究の対象から意図的にしろ意図せずにしろ、除外されている事実である。そうした、データと女性をめぐる状況も含めて、本書は「存在しない女たち」に焦点をあて拾い上げていく。

 データにおけるジェンダー・ギャップは、無視だけの問題ではすまない。こうした無視や格差は、影響をもたらすからだ。その影響は、女性たちの日常に表れる。なかにはささいな問題もあるだろう──たとえば、男性にとっての適温に設定されたオフィスの冷房で震えあがったり、男性の身長を基準につくられた棚の上に手が届かなかったり。そういうのはムカつくし、明らかに不公平だ。だが、命に関わる問題ではない。
 しかし、自動車事故に遭った際、安全装置が女性の体格を考慮していなかったとか、心臓発作の兆候があるにもかかわらず、「非定型的」な症例とみなされて診断が下されないとか、そうなると話は別だ。男性のデータを中心に構築された世界で生きていくのは、女性たちにとって命取りになりかねない。

女性による無償のケア労働

本書で扱われていくテーマは多岐に渡る。たとえば、医療でどれだけ女性の身体のことが無視されているのか。軍隊や工事現場や農場ではなから女性を排除するような器具や装備の設計が行われていることについて。政治、無償労働、ホームレス、トイレな、VR機器など。ただ、そのほとんどに関連している中心的なテーマが3つある。

女性による無償のケア労働、女性の体の問題、男性による女性への暴力がその3つだ。たとえば、女性による無償のケア労働の多さについてはみな認識したことがあるだろう。女性は、老人の介護や子育てなど、直接的に金銭が発生しない無償労働について世界で75%を担っている。無償のケア労働は、高収入国ではGDPの最大50%をしめ、低収入国では80%をしめるとする推計もある。*1推計といっているように、計上されないこれらの労働がどれほど存在しているのか不鮮明なところもある。

こうした無償のケア労働自体が問題ではあるのだが、こうした「見えない労働」を背負わされているがゆえに、女性にはデータにあらわれる世界でのパフォーマンスが発揮しづらく、さらにリスクにさらされている、という連鎖的な問題が発生している。長時間労働やそれに伴う結果が評価される会社で、無償労働を負わされている女性が男性と同様に評価されるのは難しい。出産によるキャリアの一時離脱もある。

意外な関連でいえば、徒歩や公共交通機関で移動するのは、男性よりも女性のほうが多い。フランスでは公共交通機関の3分の2が女性で、アメリカのフィラデルフィアでは64%、シカゴでは62%が女性となっている。これも、女性が無償のケア労働の大半を担っているからだ。高齢の親族を病院へ連れて行く、帰宅途中にスーパーで買い物をする。子供を学校に連れていき、塾や部活があれば送り迎えをしてやる。

ロンドンでは子供を学校まで送るのは女性のほうが男性の3倍多く、移動が多いと当然事故も増える。路面凍結などによる事故は明確に女性が多く、スウェーデン北部最大の都市ウメオにおける歩行者障害の研究では、傷害の79%は冬の数ヶ月に起こり、その中の単独事故の69%は女性がしめていることがわかっている。

小さなデータだが、重要な事実だ。たとえば、スウェーデンのカールスクーガ市では除雪作業はおもな幹線道路から着手し、歩道や自転車レーンは後回しになっていた。スウェーデンの雪は厳しく、先にあげたように歩行事故が多く起こる。それまでのスケジュールを策定した男性たちは、男性の移動パターンを熟知していて、自分たちのニーズに応じて計画を練ったが、実際にはその裏で、意図的にそうしたわけではないにしても女性たちが犠牲になっているのだ。「存在しない女たち」の厄介なところは、意図的に見ないのではなく、意図せず視界に入っていないことがあるのだ。

女性の体

ふたつめのテーマは女性の体だ。たとえばトイレ。女性のほうが男性よりもトイレに2,3倍の時間がかかる。トイレの床面積を男女で同じにすることは、ぱっと見平等にみえる。しかし、女性は無償のケア労働が多いから、子連れや高齢者や障害者を連れていることも多い。さらに生理も考慮に入れると、時間は余計にかかる。状況を考えると、男女に同じ床面積を割り当てるのは平等とはいえないだろう。

男性の体が標準とされ女性の体が考慮されないのは、男性が多い職場ではより顕著になる。イギリス陸軍では、女性は男性よりも筋骨格損傷が7倍多く、股関節および骨盤の疲労骨折は10倍も多い。イギリス空軍の女性兵士が軍の慣行に異議を唱えて法廷で争うまで、イギリス軍の女性兵士たちは男性兵士の歩幅に合わせることを強要されていた。オーストラリア軍では、女性兵士の歩幅を5センチ減らしたところ、骨盤疲労骨折の件数が減少したという結果もある。こうした男女の体を無視したギャップは至るところにある。軍隊でいえば、装備の規格も、そうした事例のひとつだ。

より重要性が高いのは安全性検査や治験などに女性が用いられることが少ないせいで、女性が実際に薬や自動車を使った時に想定どおりのリスク低減にならないことがあることへの調査なのだが、このあたりは要約よりも実際に読んで欲しいところ。

暴力

男性による女性への暴力も大きなテーマだ。女性は立体駐車場、駅のホーム、バス停、駅から家までの徒歩など、男性があまり恐怖を感じない場所で恐怖を感じている(立体駐車場を歩くのが怖いと感じる女性は60%。イギリス運輸省の研究)。それは当然女性の移動の自由の足かせになっている。また、女性に対する性暴力は、報告が少ないこともあってデータが不鮮明な領域だ。それをどう都市設計や、データの収集方法によって解決していくのかがいま、問われている。

おわりに

データとして男女のギャップが見えてくれば、ギャップを解消するために動くこともできるだろう。たとえば、明らかに女性の無償ケア労働は女性の身体的にもキャリア的にもリスクを高めている。無償のケア労働に男性ももっと参画すべきということもあるが、道路、鉄道、水道管、電力供給といったインフラへの投資と同じように、保育や高齢者介護といった社会インフラへの投資も高めるべきだろう。それは子供たちの認知機能向上にも繋がるし、女性の健康と労働環境にもプラスの影響を与える。

1990年代のウィーンの地方自治体による調査によると、女子は10歳以上になると公園や公共の遊び場で遊ぶ人数が有意に減少することがわかった。しかし、公園の設計を見直すと状況は改善された。だだっぴろいオープンスペース一個だった公園を、いくつかの小さなエリアに区分けしたところ、女子の利用率が回復したのだ。ようは、場所争いで女子が男子に勝てず、はなから諦めていたか、追い出されていただけだった。暴力の問題やケア労働も、こうした設計で解決できる領域は広いはず。

目に見えづらいものをしっかりと表に出してくれた、非常に重要な一冊である。