- 作者:ケン リュウ
- 発売日: 2021/03/17
- メディア: Kindle版
作品の発表年としては2011〜20年のものが揃っている。全体をざっくり紹介しておくと、詩的に宇宙の壮大なスケールを歌い上げるような作品もあれば(「宇宙の春」)、未来のシミュレーションを行うSFプロトタイピング的な作品あり(「充実した時間」)、731部隊を「過去に起こったことを一度だけ実体験できる」特殊な技術によって問い直す、ヘビィな題材に挑んだ歴史・時間小説(「歴史を終わらせた男──ドキュメンタリー」)、さらには三国志の翻案的な幻想ファンタジィ(「灰色の兎、深紅の牝馬、漆黒の豹」)など中国、日本、米国文化と歴史を横断し取り込んで、高解像度のレンズで詳細に描き出したような実に技巧的な作品に仕上げていっている。
それでは、特に気に入ったものを中心に紹介してみよう。
各短篇をざっと紹介していく
トップバッターで表題作の「宇宙の春」は、宇宙は収縮→衝突→ビッグバン→膨張→収縮のサイクルを繰り返すというサイクリック宇宙モデルを採用して、壮大な宇宙の流れ、その寿命を四季にたとえて詩的に描き出した逸品。我々人間レベルの視点からみると地球や宇宙の寿命と言われても「自分とは関係ないわ」としか思えないが、肉体を捨て情報化され事実上無限の寿命を得た生物には差し迫った問題となる。宇宙が冷え、冬が進んでいくたびにエネルギー源となる恒星を求めて遠くまで旅をする必要にかられるなど、短めの短篇だが細かなディティールの描写が魅力。
続く「マクスウェルの悪魔」はアイデアに驚かされた一篇。日系移民の二世でアメリカで生を受けた女性が、第2次世界大戦中にその愛国心を疑われ、アメリカ人捕虜との交換で日本へと強制的に送られてしまう。彼女を日本に送り込むことで、技術的な情報を奪わせることが目的なのだ。物理学の専門教育を受けていた彼女は、第98部隊と呼ばれるESP、テレキネシス、死者蘇生など超常現象の実在を調べるための組織に配属され、霊体を用いたマクスウェルの悪魔実現に向けた実験を手伝わされることになる──。オカルトと科学、そして歴史の、絶妙な融合がたまらない作品だ。
「ブックセイヴァ」はケン・リュウが好む未来の本をテーマにした一篇。この世界では、読書プラグインであるブックセイヴァを用いることで、読者は存在する物語を自分好みの設定、自分好みの語りに調節することができるようになっている(たとえば同性愛小説にしたり、人種を変えたり)。だが、それにたいして「自分の書いた物語が勝手に改変されるのは許せない」といって訴訟を起こす作家が現れ──と、本作ではその法的なやりとりや実際の利用者の様々な意見がブログの記事形式でまとめられていく。いま、すぐ目の前にある現実を描き出している作品といえるだろう。
同様に”目の前にある現実”を描き出しているのがインターネットの誹謗中傷をテーマにした「思いと祈り」。銃乱射事件の被害者となった少女の生前の写真や動画をもとに、冷笑主義者たちを突き動かす人生の映像物語を最新のアルゴリズムによって作り出したところ、膨大な数の荒らしにその動画が、画像が、良いように改変され、ポルノサイトにばらまかれ、家族を攻撃するツールとして利用されてしまう悪夢のような状況を描き出していく。銃乱射事件でなくなった少女とその母親は抗議運動の象徴として祭り上げられることになるのだが、注目を集めたがゆえに、金をもらって芝居する女とか、ネット娼婦とか、いわれのない暴言を浴びせかけられる。これと同様の事例は現実でも幾度も起きていることで、まるでフィクションとは思えなかった。
「充実した時間」は、民間伝承と神話が専門の女性がシリコンヴァレーでもっともホットな会社のひとつと言われるロボット会社に就職し、次々とアイデアを披露して生活を一変させるロボットを生み出していく。ネズミモチーフのロボットは超小型で家のどこにでも入り込みゴミを掃除し、保育ロボットは忙しい親の業務を肩代わりした。しかし、テクノロジーは課題を解決することによってまた新たな課題を生み出すものだ。うまくいくことばかりではなくて、掃除されたゴミは場所を移されただけで新たな害虫を呼び込み、子と親のストレスのかかるコミュニケーションがなくなったことで関係性から重要なものが失われてしまい──と、このへんのテクノロジーに対する手付きはもともとプログラマであったケン・リュウのお得意のところでもある。
歴史を終わらせた男──ドキュメンタリー
ラストに配置されている「歴史を終わらせた男──ドキュメンタリー」は、非常に力の入った歴史×時間物の一篇。量子もつれの状態にあり遠く離れていても光速に拘束されずお互いの状態が連動する亜原子粒子、ボーム-キリノ粒子を用いることで、過去の映像を目撃、体験できるようになった世界。しかし、過去を観測してしまうとその時点で粒子が消えてしまうので、過去は一人が一度しか体験することはできない。
過去を目撃できることによって当然話題はかつて起こった歴史問題へと話が繋がっていくんだけど、ここで取り上げられるのは未だに激しい論争を呼ぶ、満州でおぞましい人体実験を繰り返したとされる731部隊の歴史的認識についてである。過去を実際に体験した人間は時が経つにつれ亡くなっていき、次第に記憶も悲しみも風化して、実際に何があったのかはあやふやになっていく。しかし、この過去を実際に観測する技術さえあれば、その時何が起こったのかを正確に知ることができるのだ。
この短篇では、731部隊が犯した所業を、当時の犠牲者の遺族を中心に幾人も当時に送り込み感傷的、物語的な歴史認識を展開することに執念をもやすエヴァンという研究者にたいして、さまざまな立場の人間からこの技術と歴史認識についての議論が展開されていく。731部隊に所属していた日本人、エヴァンが731部隊の犠牲者の親族を派遣することにたいして、歴史の大きな部分が私的な悲しみに消費され、失われてしまうことに疑問を抱く学者、米国の議員に日本側の代弁者である大使──。
歴史が目撃できるようになった時、歴史問題は、その責任は誰がどのように引き受けるべきなのか。歴史を目撃できるといってもそれが観測できるのは一人だけであり、結局一人の語りに還元されるそれは、どこまで信頼できるのか。歴史的に縁の深い人間を過去に送り込み観測者にすることは、事実を感情によってねじまげることにもつながる。文書記録に証拠能力を頼ってきた従来型の歴史学者か、目撃者証言の優位性を重視する歴史学者かの対立でもあり、非常に多くの論点が詰め込まれている。
難しい問題だと思うが、難しい問題を難しい問題として取り扱っていてケン・リュウの短篇作家としての力量が遺憾なく発揮されている一篇だ。これはほんとうに凄い。
おわりに
充実した短篇集で、本作からケン・リュウに入門するのもオススメしたいほどだ。それ以外の入り口だと、やっぱり第一短篇集の『紙の動物園』がオススメとなる。
- 作者:ケン リュウ
- 発売日: 2017/04/06
- メディア: 文庫