基本読書

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抗生物質の使用により耐性を増していく超耐性菌にどう抵抗していけばいいのか?──『超耐性菌 現代医療が生んだ「死の変異」』

近年、体内の腸内細菌の存在が我々の健康に大きく関与していることなどが明らかになってきて、細菌を死滅させる抗生物質を無闇矢鱈に乱用するべきではないという潮流が生まれてきた。それは我々の腸内細菌保護のためだけではなく、使いすぎると細菌が耐性をつけてしまい、薬剤耐性菌となってしまうことも関係している。

抗生物質は何も人間に使われるだけではなく、農業・畜産業においても使われている。それも、病気にかかったから使うのではなく、家畜の成長を促したり、すし詰めの飼育場での病気が発生することを予防するために抗生物質をつかっていて、世界で投与されるうちの約4分の3がこうした畜産業での使用されているという指摘もある。

1960年代には存在しなかった耐性菌が、今では何種類も確認され、それに伴って死者もまた増えている。耐性菌による死者は米国では年間3.5万人以上、欧州では年間3.3万人程度。日本では少なくともわかっている限りでは年間8千人が報告されている。致死率が30〜60%にものぼるカンジダ・アウリスのような真菌感染症も存在するのだ。しかも耐性菌をめぐる状況は目下改善の見込みもないことから、2050年には耐性菌による死亡者は世界全体で年間1000万人に達するとみられている。

本書『超耐性菌』は、こうしたスーパー耐性菌について書かれた一冊である。ただ、スーパー耐性菌の歴史を追った本というよりかは、ニューヨーク・プレスビテリアン病院で勤務医として働く著者が、「ダルババンシン」という新しい抗菌薬の臨床試験を進めていく過程で起こることを綴っていく、臨床試験体験記という側面が濃い。ダルバは分子モデリングを活用して、既存の分子を改変することで構築された抗菌薬で、今回彼に治験プロトコルの構築依頼がきたのは、スーパー耐性菌にたいして既存の抗菌薬よりも優位性があるのではないかと思われていたからのようだ。

スーパー耐性菌に的を絞った本ではないものの、新しい薬の認証を通すためにどのような書類を書く必要があって、何を突っ込まれるのか。また、一度治験プロトコルを構築し承認された後も、患者にどのように誰も使ったことがない薬を使うように提案するのか(そして断られまくるのか)など、現場の知見と切迫感にあふれている。

抗菌薬は金にならない?

体験記といっても、その合間合間には著者が勤務医として日々を過ごす中で出会った様々な情報が盛り込まれていて、それがまたおもしろい。たとえば、米国ではよく抗菌薬が不足し、やむをえず第二選択薬を使うことがあるというが(2001年から2013年までの間に148種類の抗菌薬が不足した)、なぜそんなことになっているのか。

これには、抗菌薬の有効成分は金にならず、製造している会社が少ないことが関係している。たとえば、ペニシリンの有効成分を生産している会社は4社しかなく、ペニシリンから得られる利益が少ないので、製薬会社はわざと生産量を低く抑えているのだ。『「ペニシリン市場では市場の原理がうまく機能していません。需要はありますが、必要としているのは貧しい人々です」とニューデリーの心臓専門医ガネサン・カルティケヤン博士は衛星テレビ局アルジャジーラに語った』。本書には抗菌薬をめぐる様々なトピックが含まれているが、こうした「市場が機能していないせいで抗菌薬研究が進まない」事態が、至るところで起こっていることが明かされている。

抗菌薬に取って代わる治療の可能性

著者はダルバだけでなく別の細菌感染症治療の治験も担っていくが、それにはかなり希望をもたせるものもある。たとえば、その一つは、細菌を死滅させるウイルスに由来する酵素を用いたものだ。ほとんどすべての細菌には、その細菌の細胞壁を分解する溶解素が存在する。簡単にいえばこの溶解素を用いて細菌をぶち殺そうというやり方だが、素晴らしいのが細菌はこの溶解素に対する耐性を獲得しないのだ。

まさにスーパー耐性菌が増え続けている今こそ求められているもので、なんでそんなものがまだ治験段階なんだと思ったが、溶解素を用いた手法は特定の細菌に標的を定めているので、大手製薬会社はそれでは儲けがでないと素通りしてきたのだという。とはいえ、ロックフェラー大学のおかげで溶解素の研究者は研究を続けることができ、一流の論文誌に論文を掲載し続け、溶解素タンパク質療法が抗菌薬に代わりえる存在であることを示した。『彼はあらゆる種類の溶解素を精製し、クローニングし、解析した。そして最終的にコントラフェクト社がその権利を獲得した。』

著者がこの治療法に関わった段階ですでにFDAによって優先承認審査制度の指定を受けており、2016年にはヒトを対象とした第一相試験が成功。そして、次なる試験として黄色ブドウ球菌感染症患者を対象にした試験の準備をしているところだった。著者もこの治験の依頼をされるまで溶解素なんて聞いたこともなかったと驚いているので、相当マイナな研究だったようだ。

おわり

と、メインであるダルバの治験の話はほとんど取り上げていないが、結局ダルバは目覚ましい効果を上げ、噂を聞きつけた他の医師から次々と使用させてもらえないかというメールが次々届くことになる。状況を大きく変える可能性のある治療薬を目の前で試すことができる興奮と、すげなく治験を断られたり、スーパー耐性菌のせいで目の前でなすすべもなく足が使い物になっていくのを目の当たりにする苦しみ。最前線で感染症疾患に関わるものの天国と地獄が本書にはたっぷり描き出されている。

本書の刊行は2019年のことで、現在の著者は今はCOVID-19の研究にも関わっているようだ。スーパー耐性菌は間違いなくこれから先の世界で気をつけるべき10大リスクの1つに入るだろうが、COVID-19に合わせてmRNAワクチンが広く用いられだしたように、医療もそれに対抗して目覚ましい発展を遂げていくのかもしれないと希望をもたせてくれる一冊だった。