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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

なぜ、地球に巨大人型ロボットが埋められていたのか?──『巨神計画』

巨神計画〈上〉 (創元SF文庫)

巨神計画〈上〉 (創元SF文庫)

巨神計画〈下〉 (創元SF文庫)

巨神計画〈下〉 (創元SF文庫)

ある時、アメリカで全長約6.9メートルの巨大な手と、謎の記号が記されたパネルが発見される。16枚からなるパネルは、縱橫の長さは3メートル×9.8メートル。それらは、放射線炭素年代測定によると3000年前に作られた物だと考えられる。

そのうえ"手"はイリジウムという特別密度が高く、地球ではほとんど手に入らない(年間の採掘量はわずか4トンしかないレアメタル)珍しい金属で構成されている。イリジウムを大量に入手しようと思ったら宇宙で隕石をつかまえるか、地球の奥深くまで掘り進めるほか無い。現代の科学力でさえそんなことは到底不可能なのだが──、いったい、どのような勢力が3000年前に巨大な人型の手を作ることを可能にしたのか?

政治、科学、言語学

という非常に魅力的な導入ではじまる本書は一言でいえば巨大人型ロボットSFである。世の中にはアニメや小説といった媒体を問わず数多くの巨大人型ロボットSFがあるが、本書の魅力はなんといっても謎だらけのその世界観であろう。まず手だけが見つかり、"どれだけのロボット/パーツがこの地球上に存在するのか"、"動かすことはできるのか"、"どれだけの性能を持っているのか、""誰が作ったのか"、"何のために作ったのか"、"なぜ人型なのか"、がなにひとつわからないのである!

手があるのなら、足や頭など他のパーツもあるのでは? と考えるのはごく自然な成り行きだ。最初の手がみつかったのがアメリカであったことも手伝って、国家を挙げて謎のロボット・パーツを集めるために暗躍することになる。そして、調査を進めていくうちにわかったのは、パーツは核反応時に中性子がカルシウムに変化させることによって生まれる、"アルゴン37"に反応しているのではないかということ。

明らかに3000年前の人類につくれるものではないが、そうなると仮にこのロボットを地球に置いていったのが"未知の知的生命体"であった場合、核エネルギーを自分たちで利用できるようになった際に反応して出現させようとしたのではないか──などなど荒唐無稽な推論が語られることになる。同時に、パーツが他にもあることはわかった。調査方法もわかった(アルゴン37を空中からばら撒けばいい)、パーツは磁石のように自動で結びつき、明らかに完成を待っている、と状況は確実に進展していく。

問題は、そのパーツが世界に散らばっていることだ。仮にアメリカがロボットを復活させようと思ったら、世界中の領空を秘密裏に侵犯し、放射性物質を撒く必要がある。要求されるリスクはあまりにも大きく、仮に完成したロボットが巨大な力を持っていたとして、その時地球の勢力均衡は破綻し、騒乱の時代になりかねない──と、未知の記号を解読しようとする言語学パート、ロボットの動作原理を研究する科学パートに加え政治的な領域への対応までもが物語の射程として取り込まれていく。

全篇インタビュー形式(がメイン)の語り

本書がそうした各地や各専門家の間を縦横無尽に横断しながら物語を進めていくための形式として採用したのは、そのプロジェクトを推進する人間をインタビュアーとして、全篇インタビュー形式(一部報告書、通信記録など)で語る手法である。

このインタビュー形式、近年だとマックス・ブルックスの『『WORLD WAR Z』』が有名だが、本書のように謎を断片的に明らかにさせながら一つの大きな絵を描き出していく時には非常に有用だなと今回改めて読んでいて思った。何しろインタビューなので、登場人物の多くはウソや誤魔化しを答えることができる(つまり、著者が開示したくない情報は隠すことができる)。一人の人間が知ることのできる情報、体験には限度があるので、必然的に断片的な情報が寄り集まってくることになる。

また、単純に章を切り替えると場面展開が早すぎ、ぶつ切りになっているという印象を与えるが、インタビュアーという連続性のある人物を挟むことで、連続性を持ってテンポよく切り替えることも可能になっているのもこの形式の利点といえる。(これは僕が考えたことではなく、後述する著者のインタビューから引いたもの。)

理屈と荒唐無稽さのバランス

本書は著者のデビュー作なのだが、新人離れしているなと思ったのが理屈と荒唐無稽さのバランス。まず、巨大人型ロボットってこういっちゃあなんだけど、戦力として考えた時に人型である理由がほぼないので、SFっぽくするためにはそこに何らかの理屈を付け加える必要がある──のだが、本書の場合"なぜこのロボットは人型をしているのか"まで含めて物語を牽引する謎なので、そこを楽にクリアしている。

で、ロボットに関して本書はある部分は緻密に描写してみせる。たとえばパーツの性質について、89%までがイリジウムで、9.5%が鉄、1.5%がその他の重金属としている。ただし割合まではわかっていても、実際にはその重さは想定される物の10分の1しかない。冶金学の常識には明らかに反しているので、まずはいろいろな実験をはじめることになる。『まずパネルの一枚をプルトニウム238にさらし、その光出力を測りました。するとそのパーツは放射性物質で作動するだけでなく、それを吸収していることがわかりました──どのような種類の核エネルギーも吸収するようです。わずかな放射線にさらしてさえ、パネルの光出力は約〇・五パーセント増えました。』

ひええ、と思いきや話はそれで終わらず、『ですがこれはまだまだ序の口です。ほんとうに興味深いのは、それが強力なエネルギー場も発生させるということです。周囲にあるものを破壊するのに充分なほど強力な。』ということまで明かされる。真っ当な科学としての構成物質の分析からはじまって、そうした"常識を超えた"未知の放射性物質の吸収システムを提示し、そのあと吸収したエネルギーを攻撃に使用できることもある──と、ある部分では理屈をつめながら(たとえば記号を解読する言語学の部分なんかも本格的)段階を踏んでどんどん荒唐無稽な話になっていくのである。

政府関係者やパイロット、インタビューアも含めてみな真剣なので、至極真面目な内容のためポリティカルサイエンス・フィクションといった趣のある本書だが、読み進め、なぜロボットが置かれていたのか、地球外生命は何を考えているのかなどの謎が断片的に明らかになっていくにつれ、日本の巨大人型ロボットからの大きな影響を感じさせる内容になっていくのもバランスが絶妙でおもしろい。実際、著者のインタビューを読むとアイディアの元は日本のgiant robotアニメ由来だという。『The idea for the book came while watching Japanese anime about a giant robot. 』
bookpage.com

おわりに

人類は未知なる巨人を前にして、争うのか、はたまた協調の道を選べるのか。また、ロボットが完成した時どこかにいるはずの"開発者"は地球にやってくるのか。それとも、何か別の理由があってロボットは地球に置かれていったのか? それは読んでみてのお楽しみ──といいたいところだが、本書は三部作の第一部であり超いいところで第一部完! となっているので読み終えた時に悶ながら転げ回るかもしれない。

とはいえおもしろいのは確かなので、是非楽しんでもらいたいところ。もう第二部も本国では出ているようだし、本書も増刷がかかるぐらいには売れているみたいなので翻訳が途切れることは心配しなくても大丈夫でしょう。

経済はごまかしに満ちている──『不道徳な見えざる手』

不道徳な見えざる手

不道徳な見えざる手

  • 作者: ジョージ・A.アカロフ,ロバート・J.シラー,George A. Akerlof,Robert J. Shiller,山形浩生
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2017/05/12
  • メディア: 単行本
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本書はあまりまとまっては指摘されることのない、"市場で行われる釣り/詐術"の手口についての一冊である。わかりやすい例から紹介すると、"ジムに来場一回ごとに金を支払う"か"月次の自動更新払い"か"年額払い"かといった選択肢がある時に、ほとんどの顧客は月次契約を選ぶが、八割の人は一回ごとの方が安上がりとなる。

つまり、ほとんどのジム会員は"月次で支払っても元がとれるぐらい来る"という思い込みに釣られて無駄な金を支払っているのである(心当たりがある人も多いのではなかろうか)。ジムだけでなく、似たような事例は世の中に溢れている。会員制動画サイトは大抵、入会後の初月や二週ほどが無料だが、その際確実にクレジットカード情報の入力を求めてきて、忘れていると自動で引き落とされてしまうことになる。

その上、入会だけはあちこちにクソデカイボタンを置くわりに、解約のボタンはまるで隠すように置いてあったり、3回も4回もクリックしないといけなかったりする(ニコニコ動画とか、ほんと最悪。検索しないと解約方法すらわからんかった)。

むしろ私たちが考える基本的な問題は、誠実とは言いがたい行動を促す圧力が競争市場では奨励されてしまっているということだ。競争市場は、本当のニーズがある革新的な新製品を持ったビジネスマンヒーローのやる気を出させて報酬を与えるのに長けている。でも規制のない自由市場は、別種のヒロイズムにはなかなか報いてくれない。それは顧客の心理的、情報的弱みにつけ込むのを控える人々のヒロイズムだ。

ニコニコ動画を筆頭にネットをやっているとクソが! と思うことが多いが、上記引用部にもあるように、そういう状況になっているのは当たり前ともいえる。何しろ、法律で規制されているわけでもない場合(また、法律で規制するほどでもない場合)、やった方が得ならそれをやらない手はないと考えるのは理屈が通っているのだから。

本書はそこで、世の中こんなクソみたいな釣り/詐術で溢れているんですよ、と多くの事例を挙げて説明してくれる。たとえばクレジットカードで必要以上に促される消費。不要な物を生活に不可欠だと誤認される広告。過大な効果を宣伝される食材。自動車の販売員はあの手この手を使って車を買いに来た顧客に対して、後々考えてみれば全然いらねえやと思うようなオプション(ガラクタの数々)をつけさせようとする。

政治におけるロビイスト。酒、アルコール、ギャンブルなど事例には事欠かない。とはいえ、著者らも認めている通り、事例の一つ一つは新しいものではない。数パターンも読めばどういう理屈が並ぶかもわかるから、最初の40%程を読めばあとは目次を読んでどんな話題が並ぶのかを読めば、大方内容は把握できるだろう。

そうはいっても、どうしたらいいのか?

解決策についても述べているが、大した内容ではない。たとえば釣りに対する対抗策の一つとしては、既に行われている社会保障がある。税金を通して所得をプールしておくことで、釣りによる使いすぎに対する対抗策になる──などなど。とはいえ、抜本的な解決策などありえないわけで、個別具体的に地道な対処を続けるしかない。

本書のような本が広く読まれ、多くの人が市場にはびこる釣り/詐術に対する知識、市場が持つ弱点について認識することも地道な一手といえる。釣り/詐術が行き過ぎた場合は議論が加熱して法規制か、というところまでいく例もあるが、どうしたってそこまで行きようがない場合などは、もう個々の消費者が「あそこのやり口は嫌いだからもう金を落とさない」と決断する流れが起こるといいなと個人的にも思う。

とはいえ、そもそも"釣り"と"健全な企業努力"に、大して差がないことも多い。お菓子をつくる時、できるだけ美味しく作るだろう。その努力において、どこからが"中毒化させて買わせる"釣りで、どこまでが"企業努力"なのだろうか? ガチャのシステムを取り入れているゲームはすべて悪なのだろうか? そうではないし、先に書いたように明確に"釣りである"と判断されるケースもあるが、基準は常に曖昧である。

その上、この問題で厄介なのは、"釣りである"と知っていたとしても、個人での対処が困難な場合があるところだ。1%で当たりが出るクジなら、100回引けば必ず当たるはずという確率についての誤謬や、今まで投資したものが無駄になるからと途中で引き返せなくなるコンコルド錯誤など、いくら知っていてもその影響下から完全に逃れられるわけではない。(僕も何度もガチャを回したからよくわかる!)

おわりに

こうした人間の認知の罠をつくようなやり口に対して、我々はどう対応していくのがいいんだろうな、というのは前から気になっていたテーマの一つであった。本書は事例がずらずらっと並んでいるだけで、(議論の偏りも含め)正直言ってそんなに大した内容の本ではないのだが、そこに焦点を絞ってくれているのはありがたい。本書が土台となって、この方面の議論が進むことを期待したいところだ。

階層世界を舞台に、作家らの個性が奔放に炸裂した傑作──『BLAME! THE ANTHOLOGY』

BLAME! THE ANTHOLOGY (ハヤカワ文庫JA)

BLAME! THE ANTHOLOGY (ハヤカワ文庫JA)

本書は弐瓶勉による傑作『BLAME!』の世界観を題材とし、九岡望、小川一水、野崎まど、酉島伝法、飛浩隆と実力が確かな第一線の作家らが短篇をよせたアンソロジー。正直登場面子を聞いた時から「これは凄いものになるぞ」とワクワクが止まらなかったわけだけれども、出てきたものはそれを遥かに超える水準の作品である。

この水準の高さは、単に短篇単品で傑作であることにとどまらない。それぞれの作家が好き放題やらかしているにも関わらず、まるでびくともせずに、尽きせぬ魅力を発揮し続ける『BLAME!』という原作の素晴らしさを再確認させてくれたことも関係している。何しろ、誰がどんなとんでもないことをやっても、この階層世界はそれを受け止めてくれるのである。たとえ原作を知らなかったとしても、何度も読んでいても、読み終えた時にはどうしても原作が読みたくてたまらなくなってくるはずだ。

さあ、とはいえ『BLAME!』である。ほぼ主人公のセリフがなく、主役となっているのは人間(かそれに類するもの)のキャラクタというより、ほとんどその背景たる巨大な建築物。文庫版の表紙からしてそうであるかのように、終わりなき風景の中によく見なければわからないほどぽつんと存在する"人型の何か"。それこそが『BLAME!』の風景であり、文章をその基本骨子とする小説陣はそこにどう挑むのだろうか。

九岡望「はぐれ者のブルー」は階層世界で暮らす"はぐれ者たち"の生き様を描き出し、小川一水「破綻円盤 ―Disc Crash―」はたとえそこが果てのない階層世界であっても、閉じられているのであれば、"外へ"──と飽くなき探究心を現出させ、野崎まど「乱暴な安全装置 -涙の接続者支援箱-」は原作の根幹設定をお得意の強引さでこじあけ、酉島伝法「堕天の塔」は、階層都市をひたすらに落ち続けていく特異な密室環境をつくりだし、飛浩隆「射線」は原作が持つあの圧倒的な情景を、小説ならではの長大な時間スケールで描き出し、最後には超特大の射出線を通してみせた。

原作に対して、間隙を縫うもの、真正面から組み合うもの、視点を変えるもの、作家ごとにみなそれぞれ異なるやり方でこの世界を自分なりに成立させてみせており、『BLAME!』ファンとしても大変満足な一冊になっている。『BLAME!』未読でも基本は問題ないが、幾つか基本的な設定は抑えておいたほうがより楽しめるだろう。*1

以下、5作品しかないので、上でちらっとした紹介をもう少し詳細にしよう。

九岡望「はぐれ者のブルー」

都市を探索し、装備や食料を補給することでギリギリ成り立っている村がある。本来ならば生きるためには狩り以外の他のことをしている余裕などないのだが、"間抜け"と呼ばれる鈍丸は夢で見たある光景を再現するために、青い塗料を探している。一方、人間とは基本的に敵対している珪素生物のアグラは、自身に与えられた目的にこだわれず、ただひたすらに"なぜ"と問い続ける、特異な精神構造をしていて──。

鈍丸もアゴラも、どちらも自身の所属するコミュニティからは理解されない"はぐれ者"でしかない。その二人が出会い、目的のため一時的な協力が成立した時、物語は大きく動き出す。この生きていくだけでも精一杯な過酷な世界で、二人は他者に理解され難いその生き様を通すことができるのか。後の短篇群に比べると派手さこそないものの、この階層世界の確かな広がりを感じさせる、気持ちの良い一篇だ。

小川一水「破綻円盤 ―Disc Crash―」

何故これ程に小川一水とBLAME!の相性がいいんだ……と絶句するほどおもしろい、小川一水全短篇の中でも大好きな部類。階層世界は歩いても歩いても終わりがこないほど広いとはいえ、基本的には"閉じた"世界だ。そんな密閉された広大な世界を、霧亥は小型の重力子放射線射出装置で射線を放ちまくりながら破壊的に進んでいくわけだが、本短篇の中心人物夷澱(イオリ)は、穿つのではなくその外に出ようとする。

果たして、階層世界の外には何が存在しているのか。恒星は存在しているのか。存在しているとしたら、上下右左どこにあるのか。そういったことを内部から科学的に知る、あるいは仮説を立てることだけでも可能なのか。可能だとしたら、どうやって──そうした検証を、何千年もかけながら一歩一歩進めていく、狂気じみた探究心と科学的考察。ある意味ではこれも階層世界を真正面から穿とうとしてみせた。

野崎まど「乱暴な安全装置 -涙の接続者支援箱-」

階層都市に流れる重油の川。その近辺で暮らす人々は、頻繁に発生する火災を消化するため対火機構を組織している。序盤でやたらと起こる火災の描写から思い起こされるのは、階層世界というよりかはまるで江戸のよう。だが、言葉の喋れぬ子供、神経細胞の塊と化した元人間、かつてはネットスフィアに接続可能だった接続者支援箱など幾つもの要素が混交し、原作の超重要設定を強引にこじあけようとしてみせる。やけに派手で、あまりにバカバカしいが、同時に"らしい"としかいいようがない。

酉島伝法「堕天の塔」

統治局からの命令で月の発掘を行っていた代理構成体の一群は、何者かによって放たれた"大いなる光"によって、階層都市に穿たれた大陥穽を落下し続けるハメになってしまう。果たして"大いなる光"とは何なのか、なぜ落ち続け終点につかないのか、どうやったら落下を止められるのか──。そうした議論の数々もSF的におもしろいが、原作の情景が関連してくる小ネタの数々、ネットスフィアから切り離され、物理的な肉体を持ったことからくる寂寥感の表現、"落ち続けている"という特異な情景、時空隙を使った時間SF的展開など非常にテクニカルかつ遊び心に満ちた一篇だ。

飛浩隆「射線」

これは凄まじい傑作。原作と関連して、この階層世界に生まれ落ちた環境調和機連合知性体。こいつを視点の中心に置いた本作では、原作同様ほとんど会話が存在せず、環境調和機連合知性体がいかに未来を計画し、階層世界の情景や勢力図がどう変化していくのかを"数万年に及ぶ時間スケールの中で"、ダイナミックに描いていく。

長大な時間スケールの中で発生する変化の描写も、異種知性である環境調和機連合知性体の綿密な思考描写も、原作が持つ漫画ならではの圧倒的な情景に対して、小説という形式で勝負するにあたって選び取った手段であっただろう。本作はそれだけにとどまらず、「射線」というタイトルが示すとおりに、この強靭かつ広大な構造を持つ階層世界に対して徹底的に暴れ、破壊し、最終的には射出線を通してみせる。

おわりに

『BLAME!』のアンソロジーだけあって、各自それぞれ思い思いの情景描写が存分に楽しめるのも良い。しかし、やはり読み終えて思うのは、これだけみなが好き勝手暴れても、微塵も揺らがない原作の強靭さよ。弐瓶勉描き下ろしの表紙も"最高かよ"以外の感想が出てこないし、装丁も素晴らしいいので、BLAME!ファンだろうがファンじゃなかろうがオススメしたいところである。ちなみに、『BLAME! 』を今から読むなら新装版がクソかっこいい

新装版 BLAME!(1) (アフタヌーンコミックス)

新装版 BLAME!(1) (アフタヌーンコミックス)

新シリーズ『人形の国』もクッソおもしろいぞ!
人形の国(1) (シリウスコミックス)

人形の国(1) (シリウスコミックス)

*1:舞台となるのは超未来で、指示者を失ったシステムが延々と建造物を構築しつづけており、人類はかつて栄華を誇った情報が格納されているネットに繋ぐ資格を失っている。接続しようとすればセーフガードと呼ばれるやべーヤツに攻撃される……などなど。

究極のやり直し──『偽装死で別の人生を生きる』

偽装死で別の人生を生きる

偽装死で別の人生を生きる

返すあてのないほどの借金を背負った時に、どうすればいいのか。

普通に考えれば取り得る選択肢は二つぐらいしかない。1.借金を整理し、返す必要のない不当なものがないか確認し、返済計画を立て、地道に返す。2.自己破産する。だが他にもリスキィだがいくつか方法がある。3.失踪する。4.死ぬ。5.死んだことにする──いなくなってしまえば返しようがないし、死ねば当然返せないし、"死んだこと"になればこれまた当然返せない! スマートかつわかりやすい結論である。

(自殺はともかく)問題は、"死んだこと"や"失踪"することはどうやったらできるのか。どんな手続、技術、行動が必要なのか。そもそもそんなことができるのかだ。そこで本書は、自身が負った学資ローンを苦にして、「払いたくないから死んだことにできないかしらん?」と考え始めたアッパラパーな著者が、失踪請負人や保険金詐欺調査人、実際に偽装死亡し、別の人生を歩み始めた人。偽装書類をつくっている人らにインタビューを行い、無数の側面から"偽装死"を照らし出してみせた一冊である。

これが意外と奥が深い。"偽装死"だけなら掘り下げるべきところは多くないのだが、失踪希望者を手助けするエキスパートの話は"いかにしてこのデジタル社会で自身の痕跡を消すのか"という手練手管に満ちているし、偽装事件を調査する専門の市立探偵は偽装を見破るテクニックと、彼らが本気になったらどこまでやるのかを教えてくれる。偽装死をするかどうかはともかくとして、その情報は興味深いものだ。

履歴を消去する。

たとえば"どのようにして痕跡を消すのか"は非常に興味深い。そこらじゅうに防犯カメラがあり、全てを避けるのは不可能な現代。グーグルカーが走り回っていていつ映り込むかわかったものではない。痕跡を消す専門家、プライバシーコンサルタントの一人は"どんなものでも追跡可能だ"という。使い捨ての携帯電話や現金でさえ追跡可能なので、必ず痕跡はバレ、追跡される。しかし、やりようはあるという。

一例として、そのコンサルがルーマニアにいる誰かにメールを送る必要がある場合、自分のアドレスは使わない。韓国の人間の使い捨て携帯に連絡し、メール内容を口述する。韓国の人間はそれをあるアドレスに送信する。ノルウェーの誰かがそのメールにアクセスし、内容をコピーしてルーマニアの本当の宛先へとそれを送信する。ここまでやっても警察なら追跡するだろうが、時間はかかる。『デジタルな足跡はどうしたって残る。だから、その数を減らし、足跡の間隔を広げることが大事なんだ』

使い捨て携帯を入手する時に足がつくこともある。なので、買う時もその辺のホームレスに声をかけ、携帯を買ってきてもらう。もし仮にストーカー被害者が、痕跡を消して引っ越したいと思う時、そうした情報断絶にくわえてできるかぎりの履歴の削除(銀行口座や携帯の解約)、そして情報撹乱を行う。たとえばシカゴに移住しようと思っているなら、カンザスへ移住しようと考えているように、カンザスの不動産業者や電力会社、雇ってくれそうな職場への連絡などいかにもな行動を残しておくのだ。

やたらと面倒だが、本格的に痕跡を消すにはそれだけのことが必要なのだ。

偽装摘発請負人

さて、履歴の削除を請け負う専門家もいれば、偽装を摘発する専門家もいる。何しろ自分が死んだことにして金儲けをしようとする人間はけっこういるのだ。その最たるものが近年では9.11事件の時で、何人もの詐欺師が偽の死亡届を出し、保険金を得ようと画策してみせた。何しろ、9.11被害者には、肉片のような身体のごく一部しか残っていない人も多く、"死んだ"と言い張れば実際には追求するのは難しい。

死んだことを証明するために、金をかけて架空の人物の葬儀までやった詐欺師までいるが、多くは調査班によって判明したようだ。しかし、気づかれずにやりおおせた者もいるだろう。その数がどの程度存在しているのか、結局はわからないところに(いないことを証明するのは難しい。物語の中に偽装死が多くあるのもそのせいかもしれない)、偽装死をテーマとして読む場合のおもしろさがある。

9.11の件は特殊事例だが、普段はどのようなケースが多いのだろうか? 舞台になるのは発展途上国が多いという。役人は薄給だから買収しやすいし、協力者も金で集めやすい(死んだ際の目撃者として必要)。死亡証明書の医師のサインもすぐ手に入るし、死体も多いから、死体安置所にいって「こいつは自分のおじさんです!」といえば手軽に新鮮な死体が手に入る。ハイチやナイジェリアでは「デス・キット」と呼ばれる必要書類がセットで売りに出されているようだ(数百ドル程度らしい)。

このデス・キットを買うと、書類作成だけではなく、親類縁者が嘆き悲しんでいるところや葬列が墓地に向かうところなどを撮影したビデオまでをつくってくれるという。金によってエキストラの数が増えるから、ものすごく真っ当にビジネスとして成立していることがわかる。まあ、出来の悪いビデオになると、同じ登場人物が何度も服を変えて出てきたり、死体が汗をかいていたり呼吸で胸が動いていたりする。

そんなキットがあるのなら保険金詐欺が横行しそうなものだが、アメリカではその数は少ないという。その理由のひとつは、バレることだろう。死亡する2年以内に保険金を上げていると、自動的に調査対象になる。人間、欲張りなので金額を最大化しようとするものだが、一定金額を超えるとこれまた調査対象になってしまう。結局、死亡保険金詐欺をしたいのならば、まず金額をある程度に抑え、何年も前から準備をしておくことだろう。実際には、判明していない保険金詐欺は多いのかもしれない。

プライバシーコンサルタントも私立探偵も偽装死なんて割に合わないからやめとけやめとけという。成功すれば保険金でかなりの金をもらえ、保険金が目当てでなければ追求もゆるやかで、かつ究極の形でやりなおすことができる。とはいえそれまでの全てとわかれを告げなければならないし、調査されればバレる可能性も高い──。

おわりに

それでも著者はなお諦めずに偽装死の体験者や、マイケル・ジャクソンは生きていると信じている人へのインタビューを行い、最終的には実際に自分で金を払って"死亡証明書"を手にするところまでいってしまう。彼女は結局、フィリピンで交通事故にあって死んだことになった。果たして彼女はまんまと"死亡"できるのか──。

本当に偽装死は割に合わない行為なのか? プライバシーコンサルタントも私立探偵も、法の下で真っ当に仕事を立場をする存在として、割に合わないと言っているだけなのではないか? その結末については、読んで確かめてもらいたい。「人が書類上死ぬ」とはどういうことなのかをいろんな側面から知ることのできる一冊だ。

これから、どんどん楽しいことがありますよ──『ダマシ×ダマシ』

ダマシ×ダマシ (講談社ノベルス)

ダマシ×ダマシ (講談社ノベルス)

久しぶりのXシリーズ新刊にして、シリーズ最終巻。シンプルにしてレトロ、なのにどこか新しさを感じさせる、そんなシリーズの極みのような一冊だったなと思う。単純な会話や描写がひたすらにおもしろく、キャラクタの一人一人が素敵で、S&Mから続くシリーズの中では最も"隣にいそう"と感じさせる人たちの物語だった。道中はもちろんながらも、ラストへとなだれ込んでいく時の会話の、その全てが愛おしい。

簡単にシリーズ総評

文庫版の装丁も大好きだし、森博嗣さんがこれまで書いてきた全シリーズを通しても個人的に特別なシリーズといえる。シリーズの開始時点で、中心人物である小川令子は愛する人を失って、重い精神的なダメージを抱えている。それが探偵事務所に就職したことから、事件解決へと邁進し人との関係性を広げて、傷がだんだんと癒えていく。特に劇的なことが起こるわけではないのだが、人間の生活と関係性。さらには再生を丁寧に描いている。そのシンプルさ、その繊細さがたまらなく好きなのだ。

精神的なダメージって、言語化も数値化もしにくいものだ。その上常に意識にのぼっている物でもない。忙しくしていれば忘れていられる──が、ふとした時に思い出し、辛くなったりする。粘着力が衰えていくテープのように、はっきりと"傷が癒えた"といえるような瞬間が訪れることも、実際はほとんどないだろう。このXシリーズは、そうした言語化しにくい精神的な領域、その変化を、丹念にすくい上げてきた。

言語化しづらい悲しみ。そこからの再生。悲しみや憎しみという言葉では表現しきれない、色々なものが入り交じった感情。Xシリーズは10年をかけて刊行されてきたが、それだけではなく、この作品の前後には何十年にも渡る時間と、キャラクターらの関係性が積み重なっている。だからこそ、何気ない一つ一つのやりとりの背景は時に重く、台詞として表現されない動作であっても、そこに表現された"複雑な感情"が読者の側には強く残る──あるいは、そこに勝手に多くの感情を読み取ってしまう。

最もシンプルなシリーズだったといえるだろうが、そこで表現されていた物、その情報量はずっしりと重い。本シリーズから読み始めても充分にその重さは堪能できるが、是非他のシリーズにも手を出してみてもらいたいところだ。では、『ダマシ×ダマシ』について軽く。最終巻というのを抜きにしても、抜群の出来。

イナイ×イナイ PEEKABOO Xシリーズ (講談社文庫)

イナイ×イナイ PEEKABOO Xシリーズ (講談社文庫)

ダマシ×ダマシ

三人の女を騙したやり手の結婚詐欺師、犠牲者の一人から依頼を受け、小川らが結婚詐欺師の調査を開始した時、とうの結婚詐欺師が死体で発見されてしまう──果たして殺したのは誰なのか。目的は怨恨か、はたまた──。とそんな感じの話だが、謎がどうこうよりもお互いがお互いを騙し合っている、"何がウソなのか""誰がウソをついているのか"というのが入り組んでいて、かつスマートなのがおもしろい巻である。

たとえば、結婚詐欺師は当然ながら女性らを騙している。しかし、その中に本気の女性はいなかったのか? お金を騙し取られた女性らは、本当にただお金を騙し取られただけなのか? というあたりから始まって、小川は調査の成り行きで「自分も結婚詐欺の被害にあった」と周囲を騙すハメになるし、依頼人は依頼人でウソをついているしで、作中ほとんどの人間が何らかの形でウソをつき、誰かを騙している。

また、ウソまみれの本作だからこそ、ウソではない"本当の言葉"の意味と価値がより引き立つ、というのも素晴らしい。それも、最高の場面で"本当の言葉"がくるんだから……(みなここで鷲掴みにされただろう。)。ウソに話を戻すと、最後までに、いったい何度作中人物の"ウソ"に引っかかったかわからないぐらいだが、中でも最大の驚きをラストのエピローグに持ってくるのも──これまたたいへんにうまいよね。

再生

あとはやっぱり、再生の話について。再生というか、時間の経過が多くを解決してくれる、ということなのかもしれない。どれだけ辛いことがあっても、次の日はやってきてしまうし、延々と泣いているわけにはいかないし、仕事もしないとご飯が食べられないしで、やるべきことはいくらでも降って湧いてくる。そうやって目の前の物事を処理していくうちに、だんだんと傷が癒えていくこともある。

そうやって、騙し騙し生きているうちに、成り行きでなんだかとても素敵ことが起こる(あるいは、最悪なことも起こる)こともある。そういうのって、言葉にするとほとんど何も言っていないに等しいんだけど(ようするに時間が経過すると何かが起こったりするし、起こらなかったりするというだけだから)小説として、それも巧みな物語として体験すると、その端的な事実が、少しだけ重みを持って実感できるのだ。

『これから、どんどん楽しいことがありますよ』とは作中での小川の台詞だが、彼女がこれを言っている、というのがもう感無量。本当に、心の底からそうであったらいいなと思うし、仮にそうでなかったとしても、そう言える強さを持ったのだ。

「生物とは何か」を問い直す──『生物はウイルスが進化させた 巨大ウイルスが語る新たな生命像』

『巨大ウイルスと第4のドメイン』を筆頭に魅力的なウイルス論を書いてきた著者による最新作は、「生物」に対する見方を根底から覆す、最新のウイルス研究成果についての一冊だ。多くの野心的な仮説と、確かにそうかもと思わせる検証でぐっと惹きつけ、読み終えた時にはウイルスに対する考えが大きく変わっていることだろう。

まさにそれによって、「生物とは何か」「ウイルスとは何か」、そして「生物の進化とは何か」を問い直す「コペルニクス的な転回」を余儀なくされる、そんな存在こそが「巨大ウイルス」なのかもしれないのである。

内容的にはいくらか過去作との内容の重複もあるが、ウイルスとは何か、細菌との違いといった基本的なところの説明から、従来のウイルス観を覆す巨大ウイルスとは何か、その特異性とは──と話をつなげ、"そもそもウイルスの定義とはどうあるべきなのだろうか"と最終章にてこれまでのウイルスの常識を問い直していく構成になっており、ウイルス入門として読んでもいい。

まずは基礎的な説明

さて、いったいどんな事実が生命観に対するコペルニクス的な転回をもたらすのかと疑問に思うだろうが、その前にいくつか基本的な説明をしておこう。

たとえば、ウイルスは生物といえるのか。これは(細胞性生物としては)NOと考えられている。細胞性生物は「細胞からなり」「自己複製して」「自分で代謝活動を行う」ことができるものとされているが、ウイルスが行えるのは「自己複製すること」だけで、それ以外の能力は持っていない。つまり、細胞性生物とはいえない。

これは、ウイルスもタンパク質は持っているが、必要とするタンパク質を自力生成することはできないためだ。彼らは細胞性生物の中にもぐりこみ、そこのリボソーム(DNA(⇛mRNA)からタンパク質を合成する際に必要なもの)を利用して、生成することになる。他者への寄生が生存に不可欠で、この仕組みがいわば「感染」にあたる。

他にウイルスの特徴としては単純な構造しか持たないために、非常に「小さい」ということが挙げられるだろう。通常の光学顕微鏡では見ることさえできない。また、近年の学術的な成果として、ウイルスはインフルやらエボラの「人類の敵」のイメージとは反して、生物の進化上重要な役割を果たしてきたこともわかってきている。

『じつに、ヒトゲノムの最も大きな領域にあたる四〇%以上にもわたる部分は、かつてウイルス(ならびにそれとふるまいがよく似たもの)が感染した名残であると考えられている。』それも、これはただ無意味に痕跡として残っているだけではなく、胎盤の形成過程に関与する遺伝子としてなど、働いているものもある。

まとめると、ウイルスはとても小さく、リボソーム(タンパク質への翻訳システム)がなく、そのため細胞性生物の力を借りなければ自力では増殖不可能で、細胞性生物にとっては進化上の重要パートナーである……というところになるだろうが、そのどれもが本書の中では「最近の学説ではちょっと違うんですわ」と否定、あるいは変化が補足されていくことになる。ここからがコペルニクス的転回にあたる。

覆されていく定説

まず「ウイルスはとても小さい」ということだが、近年ミミウイルスやパンドラウイルスなど非常に大きなウイルスが発見されている。ゲノムサイズも大きく、最も小さな寄生性真核生物よりも大きなものさえ存在している。それが本書でも重要な立ち位置を担う「巨大ウイルス」だ。

デカイやつが見つかっただけで、何をそんなに驚くことがあるのか? と思うかもしれない。しかしパンドラウイルスが到達している「1マイクロメートル(0.001ミリメートル)」という大きさは従来、生物のみに許されてきたサイズだったのだ。『「ついにウイルスも生物と同じ土俵の上に足を踏み入れることに成功したのではないか」という、今から思えば、"淡い期待"を生物学者の脳裏に浮かび上がらせたといえば、だいたいイメージしていただけるのではないかと思う。』

驚きはこれだけではない。巨大ウイルスのひとつミミウイルスにはトランスファーRNA遺伝子やアミノアシルtRNA合成酸素遺伝子が備わっていることがわかったのだ。これは端的に説明すると、リボソームによるタンパク質生成に関係する遺伝子である。これまで細胞性生物しか持っていないとされていた機能を一部持っているわけなので、生物の根幹に踏み込んでいるようにみえるが、(リボソームはないので)これによってウイルスが細胞性生物への仲間入りができるわけではない。しかし、最新の研究成果によりウイルスと細胞生成物の壁は徐々に薄れつつあるといえるだろう。

従来、ウイルスは細胞性生物から派生した存在だと考えられてきた。しかし、それに真っ向から対立した、ウイルス(によって寄生先の細胞内でつくられる、自身のDNAの複製工場は、その機能が細胞核とよく似ているのだ。)こそが真核生物における細胞核の起源だとする、ウイルスによる細胞核形成説も本書では紹介される。仮にこれが正しいとすると、(一般的なイメージに反して)ウイルスは人類の敵どころか、そもそも彼らがいなければ真核生物が成立しなかったかもしれないのだ。

おわりに

片っ端から従来の定説を覆していく本書であるが、最終的にパトリック・フォルテール博士による従来のウイルス観を一変させる仮説を紹介しながら「ウイルス(の本体)は何なのか」までも引っくり返してみせる。その定義に従えば、確かにウイルスは生物以外の何物でもないと思える。

単独では複製が不可能などの理由から「生物ではない」とされてきたウイルスが「生物である」と言い切れるために、どんな理屈/検証が成されているのか──そのミステリーのように鮮やかなロジックは、ぜひ読んで確かめてもらいたい。異論も出るだろうが、物の見方自体は充分に納得のいくものだ。

死の匂いに満ちる、エリスン第三邦訳短篇集──『ヒトラーの描いた薔薇』

ヒトラーの描いた薔薇 (ハヤカワ文庫SF)

ヒトラーの描いた薔薇 (ハヤカワ文庫SF)

選りすぐりの短篇を集めた傑作選であるところのハーラン・エリスン『死の鳥』が好評、かつ『SFが読みたい』で刊行年の一位を獲得したこともあって、邦訳としてはエリスン第三の短篇集となる『ヒトラーの描いた薔薇』が当然のように刊行された。

『死の鳥』との比較をすると、さすがに古いなと思わされる収録作(「ロボット外科医」とか)や、ストレート過ぎてどうにも好みではない物(「恐怖の夜」とか)もあり、収録作のレベルは一段落ちているようにも思う。ただまあ、それも結局はエリスン内の相対的なものであって、質は抜群。あまりに魅力的なエリスンの作風/文体のおかげで、古かろうが何だろうが、ドストレートに楽しめてしまうという面もある。

全13篇のうち、新訳こそ「睡眠時の夢の効用」1篇のみだけれども、僕は全部未読だったののでありがたい。今からエリスン読んでみよっかしら、という人には『死の鳥』をオススメするが、『死の鳥』が良かった人には本書もオススメである。というか装丁が『死の鳥』とあわせてやたらと格好良く、二冊揃えると満足度が高い。

死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)

死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)

というわけで軽く収録作を紹介してみよう。

軽く収録作を紹介

トップバッター「ロボット外科医」は、決して誤りを起こさない医師ロボットの登場により、仕事を奪われた医師の憎悪を描く一篇で、今読むと古臭い。古臭いのだが、「しかし、ぼくたちはメスじゃない。人間だ! 医者なんだ!」と感情を叩きつける台詞群や、存在価値を奪われつつある人間の恐怖と憎悪の描きこみが秀逸で、むしろ"古びているのにおもしろいなんてエリスン凄いな"と思わせられる一篇であった。

エリスンの神話系の一篇「バシリスク」は本書の中でも(僕が)二番目にお気に入りの一篇。ベトナム戦争の夜間パトロール中に、ヴァーノン・レスティグ兵長は敵の罠にハマってしまう。土踏まずを貫かれ、苦痛から気を失って倒れたその時──巨大な、黒い、鰐に似た大口の生き物が彼に向かって近づこうとしていた……。これがもちろんバシリスクなのだが、その登場時の描写がもうむちゃくちゃにかっこいい。

 軍歌がそのとがった竹に触れる一瞬前に、このバシリスクは時間と空間、次元と思考とを超越する最後のヴェールをくぐりぬけて、ヴァーノン・レスティグの属する密林の世界に姿をあらわした。そしてその転移のなかで、めざましく変身し、変貌した。死の息を吐く竜の、黒く、厚く、ぬめぬめとした膚は、微光を帯びて光った。

と、まだまだバシリスクの描写は進むが、いやーやっぱり"尋常ならざるもの"の登場シーン、日常的がふっと現れた異質なものに塗り替えられていく異常、異質感、それをありありと感じさせるにはこのぐらいの迫力が欲しいものである。意識もないままバシリスクと遭遇した後、敵の拷問を受け情報を洗いざらい喋ってしまった彼を待ち受けているのは悲惨な仕打ち/理不尽であり、その怒りの爆発も見事。

「バシリスク」が二番目にお気に入りだと書いたが、一番好きなのが「冷たい友達」である。冒頭の語りからして凄い。『ぼくは悪性リンパ腫で死んでいたので、世界が消滅したとき、ただひとり助かった。』"死んでいた"のに、"世界が消滅して"、"助かった!?"と、意味がわからないが、死ぬその瞬間の記憶もある彼が、ある時病院のベッドの上で目をさますと、世界から彼以外の誰もがいなくなっていたのだった。

 世界がなくなって、ぼくの生命の糧になりそうなものはピザだけだ。ぼくら人間たちは、なんて不運な生きものだったことか。ぼくら。ぼく。ぼくひとり。
 そんなわけで、ぼくはまた生き返った。ぼくが、みんなといっしょにどろんと消えなかったただひとつの理由は、みんな、ぼくが死んだと思ったからだろう。それが理由なんだと思う。ほんとうはどうだかわからない。推測にすぎない。もちろん。でも、はじめはなにがなんだかさっぱりわからなかったから、そう考えるよりしかたがなかった。

もぬけの殻になった街でただ一人ピザを作って食う男(なぜか水道は出るしガスも使え)。何者にもとらわれない自由さと寂寥感。そんな世界で過ごすうちに、彼の目の前に一人の美しい女性が現れる──。終わった世界で男女が出会うという筋書きからは想像もつかない展開をみせるが、描写の数々が素晴らしいのと、語り手がまるで村上春樹作品の主人公みたいにクールなのもエリスン作品としては珍しくおもしろい。

病院で堕胎できぬほど育ってしまった胎児を、家で掻き出してポリ袋に入れトイレに流す。しかし「返してったら、この人でなし!」と金切り声をあげられ、男は仕方なくマンホールを開け、都市の地下へと踏み入れる……。そんな衝撃的な始まり方をするのが「クロウトウン」で、胎児を追いかけていった先で現実とはとても思えない神話的な空間/展開を迎えることになる。これもまあ、暴力的な村上春樹風短篇といえる(村上春樹の主人公は女を妊娠させて無理やり胎児を掻き出したりはしないが……)

表題作「ヒトラーの薔薇」は冒頭のカタストロフ感が凄い。なにしろいきなり地獄の扉が開き、切り裂きジャックが逃亡し、カリギュラが行方をくらまし、エドワード・ティーチも凄まじい哄笑とともに逐電し、カインも解放され、と「エリスン版FGOがはじまるー!?」と思いきやみなすぐ捕まって地獄に戻されてしまう。ちなみにヒトラーは地獄の壁に薔薇を描くことに心のふるさとを見出しており逃げ出さず、物語はたまたま戻されず逃亡に成功し、天国へと向かう一人の女性にスポットがあたる。

「ヴァージル・オッダムとともに東極に立つ」は脇役/小物の視点から描いた英雄譚のようなもので、エリスンとしては珍しくストレートに他の惑星や、その惑星に住まう原住民との交流を描く。僕はエリスンの描く「人間の弱さ」が好きなんだけど、本短篇には、認められたい、多くの人に自分の名前を知られたいと願う主人公の痛切な思いと、自分が大した人間ではないことへの諦めがよく表れていてとても好きだ。

本邦初訳の「睡眠時の夢の効用」は、愛する身近な人々が次々死んでしまい、悲しみにくれる男性の内面を描きこんでいく一篇。彼は眠る時に、身体に口が表れ、その穴から凄まじい勢いで風が出ていくリアルな夢をみる。夢は忘れるためにあるのか、はたまた記憶を強化するためにあるのか。"怒り"に満ちてきた本短篇集だが、最後に残るのは取り残されていき身体を冷気が通り抜けていく、痛切な寂寥感だ。

おわりに

とまあざっと紹介してきた。『死の鳥』で『SFが読みたい!』海外篇一位をとったわけだけれども、今年はライバルが強すぎる(現時点ですでにケン・リュウもミエヴィルもイーガンもピーター・ワッツもいるんだよなあ……)ので二冠は難しい気がするが、それでもおもしろいのは確かである。第四短篇集も待ち遠しいところだ。既訳だけでも編めそうな気はするけど、そろそろガッツリ新訳も欲しいところ……。
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