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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ずっとゼルダをやっている

ゲーム

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ニーアオートマタをクリアしたところでちょうど任天堂Swtichが買えたので、そこから今度はずっとゼルダをやっていて本をよむ時間がゲームに疲れ果てた時間ぐらいしかない。まあそれでも読んでいるんだけどとにかくゼルダが面白いですね。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
いろんな人がその良さについては書いているから長々とは述べないけれども、やればやるほど新しくやることが湧いてくるし、メインストーリーを進める圧力は高くないから延々と冒険とサブクエをやっているし、開拓する地域は30時間ぐらいやった現時点ではまだまだ残っているしやめるにやめられない。今もゲームやりすぎて頭が痛くなったから渋々コントローラーを離して、この文章を書いているぐらいだし。

ブレスオブザワイルドのオープンワールドとしての新しさ、みたいな物は確かにあるんだろうけれども、それ以上に感動するのはどこにいっても創り手の意志を感じる隅々まで行き届いたデザインだ。高いところに苦労して登れば確実に何か得るものがある。それはアイテムではないかもしれないが、高いところに登ったおかげで空を飛んで遠くまで早くいけたり、行ったことのない新たな場所を発見したり。そして何かを発見したらそこに向かっていくわけだがその道中に必ずまた何かがある。

それはゴブリンの巣かもしれないし、村かもしれないし、泉かもしれないし、祠かもしれないし、マップ情報を更新する塔はこの世界では最も目立つオブジェクトだから必然的に目に入ってくるし──とそういう物にうひゃひゃと飛びつきながら、最初の目的地に着くまで、ただ歩きまわっているだけのことがめちゃくちゃに愉しい。その上、歩きまわれば歩きまわるほど自分=リンクは強化されて、より高い山に登り、より強い敵と戦えるようになっていくのだ。探索がさらなる探索を呼び込んでくる。

どこにでもいける、自由だ、というが、ただ何もない空間を自由に歩き回れても意味が無いので、重要なのは本作のように自由に"何をすべきか"、"それをやるだけの楽しさ"がきちんと設定されていることだろう。そのデザインがあまりにも突き詰められて、相互作用して繋がっているために、既存のオープンワールドに存在している要素であってもまったく新しく感じられるし、異常な感動に繋がっているように思う。
news.denfaminicogamer.jp

その世界が生きているという感覚

あともう一個、オープンワールドゲー(これも幾つか定義があって、広義の方ではないが)を遊んでいる時に僕が好きなのは"この広い世界がたしかに存在しているんだ"と感じられる瞬間だ。たとえば『ウィッチャー3』だったら、シナリオの分岐を自分で選択して、歴史の流れが大きく切り替わっていく(王を殺すか殺さないかを選んだりして)時に"確かに自分がこの世界に関与していると"強い実感を得る。

今回のゼルダはその点についても極上で、たとえば道を歩いているとその辺にいるゴブリンが馬を追いかけ回した果てに乗っかってくるくる走り回っているところが見えたりする。天候が悪化して雷が勝手にぶち当たって死ぬやつもいれば、草木が燃えて勝手にダメージを喰らっていたりする。リンクに襲いかかってこない動物たちは、まるでそこで生きているかのように自然に動き回っている。わりとある要素だが、その作り込みがあまりにもきめ細かく"ああ、仮にリンク(自分)がログアウトしている時もこの世界はこのまま動き続けるんだな"と思わせてくれるだけの実在感がある。

やってもやってもいくらでもやることが湧いてくる、自分以外の人たちによっても"まわっている"と思わせられるこの感覚は、昔オンラインゲームにドハマリしていた時のことを思いださせるものがある(ラグナロクオンラインとか死ぬほどやったもんだ)。特に本作の諸要素や景色は、マビノギを思い起こさせる。いろんな意味で難しそうではあるけれども、いつかゼルダのオンラインゲームとか出たら、死ぬほどハマるだろうなあ…。まあそんな感じでゲームばかりやっているのでした。

そういえばSwitchについて

Switchについて。正直発表を聞いたときはえー、いまさら据え置き機としても携帯機としても遊べますってその程度のもんを自信満々に出されても困るわーぐらいに思っていたんだけれども、これが実際にプレイしてみると凄く良い。少なくともWii Uよりかはずっと良い。据え置き機系のゲームが携帯機としてはデカイ画面で、気楽に切り替えながら遊べる快感はやってみないとなかなかわからなかった。何しろトイレにまで持ち込めるから、トイレに持っていってことが終わった後もいまいいところだから……となかなか出れなくなったりする。ま、最高なのは間違いないけど、ソフトがないと宝の持ち腐れなので、魅力的なソフトがたくさん出て欲しいもんだ。

余談2。何をパクれるか

余談2。海外でもものすごく高い評価を誇っている本作なので、影響もこの何年かあとに出てきそうだが、意外と取り入れるのは難しいかもな、と思った。化学エンジンやどこでも登れるなど簡潔な部分はパクリやすいだろうけれども、個々の作り込みの部分(塔を発見し、その道中に様々なことが起こり、とイベントの頻度などのバランス)はパクろうと思って簡単にパクれるもんでもないだろう。結局、本記事中にも入れたような制作手法を取り入れることでしか達成できないような気もする。

読むと思わず検査を受けたくなる一冊──『心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで』

科学ノンフィクション

心を操る寄生生物 :  感情から文化・社会まで

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで

この世には多くの寄生生物がいるが、とりわけの嫌悪と注目を集めるのは、寄生先のコントロールを奪うタイプの寄生生物なのではないだろうか。他者をコントロールするタイプの寄生生物は、フィクションでもだいたい人類の敵である。本書はそんな嫌われものの寄生生物たちについて書かれた一冊だが、これがめっちゃおもしろい。

思わず目をそむけたくなるようなエピソードだらけなのだけれども、だからこそ惹きつけられてしまう。"いったいどうやって寄生しているのか"からはじまって、"寄生することでどのように利益を得ているのか"、また"どのようにして宿主のコントロールを奪うのか"まで含め多種多様で凄まじくグロテスクだ。その上、最終的には我々人間も寄生生物によって行動を操られている可能性にまで話は広がっていく。

ゾっとする寄生エピソード

無数の寄生生物のエピソードが語られていく本書だが、まず有名ドコロからいくと、ハリガネムシがいる。こいつらの寄生方法は、コオロギやバッタの体内に巣食い、体内を食い尽くすと宿主を水中に飛び込ませる。ハリガネムシは水中に飛び込んだら、そこで交尾をして、産まれた幼虫は泳ぎ回って蚊の幼虫の体内に寄生し、成虫になった蚊がコオロギやバッタに食べられることで、ライフサイクルを完成させる(うげ)。

しかしどうやって水中へと誘導しているのだろうか? これについてはまだわかっていないことも多いが、寄生されたコオロギは寄生されていないコオロギとくらべて視力に関わるタンパク質の量が多く、寄生コオロギは通常のコオロギよりも光に引きつけられるようになっていたという。その結果として、夜になって明かりがなくなると、月の光が反射する水に引きつけられるのではないかという仮説も出されている。

実はこの宿主を操って"水に飛び込ませる"点において、人間にも同様の効果を発揮する寄生生物がいる。主にスーダンに生息しているギニア虫がそれだ。こいつらは体内に入ると体の末端部分(大抵足かふくらはぎ)に向かい、幼虫を身ごもると、人間の皮膚のすぐ下まで這い上がってくる。その際に酸を放出し、宿主である人間の皮膚に痛みとかゆみを同時に発生させる。もちろんその後どうするかはその人間の気分と状況によるわけだが、近くに水場があった場合患部を水に浸すこともあるだろう。

そうするとギニア虫は水の環境を感じ取って、皮膚を打ち破って口から幼虫を吐き出す(うげえ)。"水場に行く"こと自体は自発的に決定していても、その要因をつくって誘導しているのがギニア虫なので、この場合は人間も寄生生物に行動を操られているともいえる。もっとも今では、環境の整備が整って一年間でギニア虫への感染例は100件以下になっているそうだが、いやはや絶対に寄生されたくないものである。

宿主の行動だけでなく、外見まで変えてしまうのが扁形動物ロイコクロリディウムだ。こいつらはカタツムリに寄生すると、まず脳を占領し触覚に侵入する。触覚の中で成長するので、触覚がどんどん大きく膨らんでいき、表面の皮が薄くなるので、中の寄生生物が外からよくみえるそうだ。姿が変化するにつれて、カタツムリはより行動的になり、夜行性のライフスタイルを捨て、植物を登るようになる。そうすると鳥が大喜びでパクリと食べてしまい、ロイコクロリディウムは新たな宿主(鳥)を得る。

勘弁してくれ〜って感じだが、他にもゴキブリをゾンビ化してコントロール下におくエメラルドゴキブリバチなど無数の寄生生物らと研究成果が紹介されていく。どいつもこいつもオンリーワンな手法を持っているので読んでいてまったく飽きない。

人間も操られている?

さて、そうやって世界に"コントロールを奪う”タイプの寄生生物が溢れかえっていることを知ると俄然気になってくるのが"人間はどうなの?”ということだ。先程取り上げたようにギニア虫のようなタイプもいるし、凶暴性や性欲が増し、水を怖がるようになる狂犬病もありと、現時点で判明しているものだけでも様々なものがある。

とはいえ、判明している例はどれも"普段と全く違う”行動をとるせいで簡単にわかったが、行動が変わらなかったり、数値がほんの少し変わる程度だと、そもそも誰も寄生されていることにすら気づかないかもしれない。我々がそうと気づかないうちに、何者かに寄生され、行動をコントロールされているなんてことがあるんだろうか? 

これについて本書でも触れられているが、"研究している人もいる”程度の話がほとんどなので話半分に読んだほうがいいだろう。たとえば主にネコからヒトに感染するトキソプラズマ原虫を持っている人は、より危険な行動をとるようになり”労働災害の割合が高い”とか、自殺率と関係しているのではないか(感染者は自殺につながる特性を示す割合が有意に高い)とか、いろいろあるけれども、実験手法が残念だったり因果と相関がわけられていなかったりで、結論を出すには"まだ早い”といったところ。

ただ、たとえばイヌによく住み着いているトキソカラに感染すると、主に子供を対象にした実験で、行動障害、頭痛、途切れがちな睡眠、喘息から胃痛までの身体症状が抗体レベルと比較して高い数字になったり、学業成績が低い、多動性がある、散漫性が高いなどの悪い結果が出たりすることを示す多少信頼性が高い論文もある(これは2012年に4000人にのぼる子供を対象に認知機能評価テストをやっている)。

もしこれがもう少し確度の高い事実として広く認知されるようになると、トキソカラへの感染率の高さが地域ごとの格差にも繋がり得るなど(実際、アフリカ系アメリカ人の子供のほうが白人の場合よりも感染率が12パーセント高い23パーセントである)、知られざる寄生生物の実態が社会に与えるインパクトも大きいかもしれない。

おわりに

本書は他にも腸内細菌が人格や、食欲など人間の行動に与える影響はどのようなものか。本能的な嫌悪感がどのように生まれ、道徳や宗教や政治に影響を与えているのか。歴史的にみて感染症の発症率が高い地域では人々が内向的になり(よそ者を受け付けない)、発症率が低いと個人主義に近くなるというデータの相関もある程度みられる仮説など、今後の検証に期待が持てる論が多数述べられていく。

かなり怪しい研究でも「ありえるかもしれないね」と紹介しているパターンが多くてちょっと注意は必要だけれども、本としておもしろいのは確かなのでテーマ的に興味がある人はどうぞ。腸内細菌周りはだいたい『失われてゆく、我々の内なる細菌』(大変な名著である)で語られている内容なので、こっちもどうぞ。

失われてゆく、我々の内なる細菌

失われてゆく、我々の内なる細菌

感情がどのようにして利益をもたらすか──『愛と怒りの行動経済学:賢い人は感情で決める』

経済ノンフィクション

愛と怒りの行動経済学:賢い人は感情で決める

愛と怒りの行動経済学:賢い人は感情で決める

感情的な選択をとる人間は愚かで、理性的であることが人間の理想なのだ──というのが一般的な考え方としてある。しかし、必ずしもそうといえるのだろうか? 感情や直感に基づいた選択って意外と正しいことも多いんじゃない? 感情が持つ効果ってどんなもの? というのを無数の研究から導き出してみせた一冊である。

感情や直感に基づく決定は、考えられる結果や影響を綿密に分析してから出した決定よりも、ずっと効率的な場合が──しかもすぐれている場合が──多い。

しかし、"感情や直感に基づく決定が効率的な場合がある"というのはそれこそ直感に反している。基本的には熟考したほうが効率的なようなきがするのだが、著者の専門分野であるゲーム理論と行動経済学分野の研究成果から、感情的に行動することの利益を客観的に導き出すことが可能になってきたという。事例をいくつか読んでいくと、たしかに感情的に行動した場合が有効なパターンもあるなと思うようになる。

感情が利益になる例

感情が利益になるわかりやすい例からまず挙げると、行動経済学でもよく出てくるコミットメントがある。コミットメントとは、たとえば、売り手と買い手が値段交渉をしている場面で、一方が他方に対してたとえみずからが損をしようとも絶対に折れることはないと信じ込ませることができれば、交渉上有利に立てることをいう。

たとえば、タクシーが余計な道を通ったとか、理由はなんでもいいが、相手に対して訴えるぞ! と脅しをかけるときに、わざとであっても怒りの態度を見せることで(普通そんな状態で訴えても手間ばかりかかって利益なんかなく、合理的な人間なら絶対にしないだろうけど)こいつは本当に実行するかも、と信じ込ませる確率は上がる。これは感情的な行動(合理的な感情発露)が利益になる例といえる。

もう少し複雑な例をあげよう。あなたは100ドル与えられ、「独占」か「寛大」かのどちらかの行動を選ぶように言い渡される。自分が寛大を選び、相手が独占を選んだ場合、自分の100ドルは全て奪われる。二人とも独占を選んだら、どちらも実験者に50ドルを返さねばならず、逆に二人が寛大を選べば追加で50ドルが与えられる。この場合、金銭的な報酬を最大化したいのであれば、取るべき選択肢は独占だけを選ぶことだ。これで最低でも50ドル、最大で200ドルを得ることができる。

しかしそこでこのゲームに感情の要素を入れてみることにする。たとえば相手が寛大を選んだ時に自分が独占を選んだら、申し訳なく思う。その感情にマイナスの価値を決め、それを100ドル失うのに等しいとする。逆に、相手が独占を選んだのに自分が寛大を選んだ場合も、屈辱感と怒りで100ドルの損失に等しいと決める。ゲームに参加している二者が二人とも同様の感情的反応をすると仮定すると、独占を選んだ時の最善の結果は200ドルの報酬だったが、この場合は100ドルになる。

そうすると、寛大を選んだ時の最善の結果である150ドルを下回るので、二者のプレイヤーがともに寛大を選んだ時が新たな均衡となる。結果的に、感情的な判断をするプレイヤー同士(あるいは片方が感情的な判断をする)の方が、感情を介さない合理的な思考をする人間同士がゲームをプレイした時よりも見返りが大きくなる。

『ごく簡単に言えば、感情が存在すると、たとえそれが怒りややましさといった負の感情であっても、どちらのプレイヤーにとってもよりよい結果をもたらしうるということだ。』──とはいうものの、仮に怒りや申し訳無さを客観的に数値化できたとしても二者間の数値が一致することはありえないので、これは仮定に仮定を重ねたシュミレーションにすぎない。が、ひとつの指標としてはおもしろい結果である。

もう一つ別の例をご紹介しよう。貴方はどこかに一週間の旅行にいって、現地のレストランに毎日通うとする。そこで貴方はウェイターにチップを払う(チップを払う文化圏なのだ!)。チップを払えば、次の日ウェイターのサービスは良くなり、チップを払わないと報復を受ける(サービスが悪くなる)と仮定する。この場合利益を最大化する戦略は滞在最終日のみ払わないことになる(次の日はもういないから)。

だが、ウェイターが合理的な人間だと仮定すると、いつかはわからないが客はチップを置かずに帰る日がくることがわかる。そうすると囚人のジレンマにおける、しっぺ返し戦略(前の回で相手が取った手段をやり返す)や、グリム・トリガー戦略(基本は協力を選び、相手が一度でも裏切ったら以降裏切り続ける)における"やり返す"手段が無効になるので、均衡は存在せずぞんざいなサービスを行う可能性が高くなる。

そこに感情要素──たとえば、客は行ってもらったサービスに対して満足してチップを払い、チップに対して満足したウェイターは翌日お返しをする(良いサービスをする)、感情的な行動を想定すると、最終日であっても客はチップを払うし、ウェイターは客が最終日に払わないとは想定しないので、容易く双協力の均衡に達する。

これは合理性よりも率直さが有利になる例といえるだろう。まあ殆どの人は計算的にというよりかは極自然にこうした行動をとっているんじゃなかろうか。

おわりに

本書では他にも"感情的"、もしくは"合理的ではなく、あくまでも率直に"行動した場合、経済合理的に行動する場合よりも大きな利益が得られる状況が挙げられていく。全体的に恣意的な仮定が多い(感情というものを通常よりも広くとらえており、便利に使われすぎている)と思うけれども、感情的(単純さ、率直さ)に行動することが利益になることも多いよ、という結論に、ある程度納得できる内容には仕上がっている。

ちなみに一冊まるっと感情にまつわる行動経済学の話かと思いきや後半は進化論の関係する研究成果(男女の性的行動/戦略が大きく異なるのは何故か、なぜ性は二つであって、三つじゃダメなのか)、などなど)を小ネタ集的に集めており、こっちはこっちでおもしろいんだけれども一冊の本としてみるとまとまりに欠けるのが残念。

行動経済学からの観点も進化論からの観点も人間の意思決定プロセスについて論じている点で一貫性はあるとはいえるが、そんな感じの本なので興味があればどうぞ。

被造物が自立する時──『NieR:Automata』

SF ゲーム オススメ!

ニーア オートマタ - PS4

ニーア オートマタ - PS4

いやーおもしろいゲームだった。アクションは爽快で、人類がとっくにいなくなった廃墟の風景は美しく壮麗。それらを彩るボーカル多めのサウンドはずっと聞いていたいと思えるほどに心地よく、ストーリーとそれが生み出すヴィジュアル、プレイヤーが想起する感情はゲームでしかありえない独特な物で、端的にいって傑作である。
www.youtube.com

世界観とか

舞台となるのは『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』から数千年後の世界。異星からの侵略者によって残された機械生命体と、月に退避した人類により地球に残されたアンドロイドの戦いが長い間繰り広げている。主人公となるのは女性型のアンドロイド2Bで、機械生命体らとの激しい戦いを経て、世界の真実へと辿り着いていく。

ストーリィとしてはPS3の前作である『ニーアレプリカント』と繋がりがあるけれども、独立した作品なので未プレイで問題はない。ただ当然いろいろ関連はあるので、プレイ済みだと色々とニヤッとできるはず。ゲーム開発は質の高いアクションゲームをつくってきたプラチナゲームズが担当しており、さすがの構築力を見せてくれた。

ゲーム部分について

ディレクターの横尾太郎さんが「弾幕型アクションRPG」と独特な表現をするように各所でシューティング要素、弾幕要素が入ってくるがこれがまたサクサクしていて良い。アクションも単純な3Dで終わるものではなく、横スクロール型の2Dアクションになったり上下スクロール型のアクションになったりでくるくるゲーム性が入れ替わっていく。これが、ゲームが変わるだけではなく視点が変わることによって風景から受けるイメージもまた一変していくのがゲーム体験として素晴らしいところだ。
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見捨てられた工場の探索時に3Dで目の前の敵と一生懸命戦っている時には見えなかった美しさが、横からの2D視点になった時に見えた時の感動といったらない。うおお、こんな背景のところで戦ってたのか!! っていう。バトルフィールドも廃墟となった遊園地でジェットコースターの上で戦ったり、森の城みたいなところを駆け巡ったりと何度も行くことになるが、まったく風景に飽きることがない。

各種演出について

演出はもう神がかっている。またのちほどストーリィについて触れるが、一瞬一瞬の決め絵だったりシークエンスが異常に豪華。巨大工業ロボみたいな敵のワンアクション一つで感動するし、敵デザインは一体一体が秀逸で、廃墟が中心となった背景の力もあいまってすべてのシーンでスクショをとりたくなるぐらいにキマっている。

また、セーブ&ロードが実際にアンドロイドが行っている情報の転送/システムチェックとして表現されていたり、オープンワールドではよくある拠点間の瞬間移動が端末の転送(各地に置いてある身体に、主観データを転送する)という形で行われていたり、システムの破損やハッキングを喰らうとゲーム画面が歪んで見えづらくなったりといった、ゲームシステムをゲーム内に積極的に取り組んでいく仕掛けも最高。こうしたひとつひとつの取り込みがあるからこそ、ラストの演出が成立している。

アンドロイドは記憶データを定期的にバックアップしているので、任務中に死亡してもバックアップ時点からは復活することができる。しかし、バックアップされなかった部分の記憶は戻ってこない。それは人間にとっての死とは違うけれども、アンドロイドにとっては死ぬことと同じことだ、という作中の重要なテーマ的にオートセーブ機能を入れるのが難しかったのはわかるけれども、これはちょっとキツかった。時々死亡して30分ぐらいやり直すハメになるとがっかりするんだよね……。

ストーリィ、機械生命体と宗教について

人類に取り残されたアンドロイド達が、機械生命体たちと殺し合いを続けるというのがメインのプロットではあるが、じゃあプレイヤーは機械生命体を殺し尽くせばそれで終わりなのかといえばそう単純な話ではない。機械生命体たちは自分たちを生み出したエイリアンが消え、平和を愛する個体群など、様々な派生が生まれている。

"王"をいだき国家を設立した機械生命体群もいれば、エイリアンたちへの反旗を翻し自分たちこそが主人となろう機械生命体群もいる。さらにはカミを信仰し死ぬことで救われる独自の宗教を創り上げた機械生命体もいる。アンドロイド達は機械生命体に自我が芽生えていることを認めようとしないが、悲しい、つらい、苦しいといった感情表現を表す言葉を発しながら攻撃してくる個体もおり、いくら敵であると言われ、いくら機械生命体で自我が存在しないと言われても、"ツライ"、"シニタクナイ"と言いながら襲ってくる機械を殲滅していくプレイには強烈に心を揺さぶられる。

たとえそれがプログラムでしか無いと知っていても、人型のロボットが感情表現をすると、我々はそこに共感や同情を覚えて心動かされてしまうということは石黒浩さんの研究をはじめとして広く知られている。先の例もそうだが、本作はそれを逆手にとった演出が多く、"カミ! カミ!" と叫びながら溶解炉の中に次々と飛び込んでいく、感情があるように見える機械生命体たちの映像などのひとつひとつに、"そのトリガーを引いたのは自分なのだ"という、ゲームならではの衝撃を受けた。

機械生命体と宗教(それは被造物と創造主の関係はどうあるべきか、という話ともいえる)、というのは、果たして被造物は創造主に見捨てられた時、どのように自立すべきなのか? という問への答えが様々な形で表現される本作の中では、中心的なテーマのひとつでもある。たとえば、機械生命体たちは創造主であるはずのエイリアンと連絡がとれず、それぞれ自立の道を歩み始めている。その過程で産まれたのが、創造主を仮定する"カミ"や、トップを自分たちで置く"王国"の概念なのだ。

自立はアンドロイド達にとっても他人事ではない。人類はもう長いことアンドロイドに接触していない。組み込まれたプログラムによって人類に対しては親愛の情を抱いているが、彼らはそのくびきから自由になることができるのか。本作にはメインで5つのルートが存在するが、A,Bが定められた運命へと殉じる物語で、C,Dはその先を描きながらA,Bの裏にあった背景が明らかとなり、"自分で決める"ことへの道が描かれ、Eは──という感じでルートが進むごとにだんだんテーマが深まっていく。

周回ゲーと言われるので未プレイの人の中には勘違いしている人も多そうだが、ルートごとに時系列は進んでいくので(BはAの別視点からの物語で進まない、などの事例はあるけど)Aをクリアしたらあとはやりこみなのではなく、Eまでクリアして本当のゲームクリアとなる。僕が近年プレイした海外製含むゲームの中でも抜群にシナリオ/演出が優れているし、SFとして読んでも歴史に名を残す作品だと思う。ぜひ、PS4を所持していてアクションに抵抗がなければ(ただ、難易度easyにしていれば移動しているだけでクリア可能)プレイしてもらいたいところだ。

ちなみに、被創造物たちが創造主からの自立をはかる傑作として神林長平『膚の下』があるので、ゲームプレイ者で楽しかった人は是非読んでもらいたい。物語の冒頭に掲げられたエピグラフは、"われわれはおまえたちを創った おまえたちはなにを創るのか"僕はこの本を読んで完全に頭がおかしくなってこのブログをつくりました。

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

以下、完全にネタバレしてちょっとした感想。

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異質なものとの遭遇──『誤解するカド ファーストコンタクトSF傑作選』

SF

誤解するカド ファーストコンタクトSF傑作選 (ハヤカワ文庫 JA ノ 4-101)

誤解するカド ファーストコンタクトSF傑作選 (ハヤカワ文庫 JA ノ 4-101)

本書『誤解するカド』は今年の四月から放映がはじまったアニメ『正解するカド』に乗っかって編集された、ファースト・コンタクトSF短篇を集めた傑作選である。アニメのスピンオフでもなんでもない無関係な作品が集まっているので、アニメを観ている必要は特にない。

正解するカド、めちゃくちゃおもしろい

実は『正解するカド』って、キービジュアルに惹かれなかったし、あらすじからはファーストコンタクト物ってことがわかるだけで情報量もないしであんまり興味がなかった──のだけど、本書について書く以上アニメも一応確認しておくか……と思って観始めたらめちゃくちゃおもしろくてドハマリしてしまった。あまりたくさんは観てないが、いまんとこ今期ではこれが一番ワクワクしながら楽しんでいる。
seikaisuru-kado.com
『正解するカド』とはどのようなアニメか。今のところは日本に突如現れた、一辺が約2キロある不可思議な立方体「カド」と、そこから出てきた謎のエイリアンと日本政府の交渉が描かれていく。いわば『シン・ゴジラ』の、(言葉が通じる)エイリアン版といった印象で、丹念に政府が未知の存在と接近した時にどのように対応するのかがシュミレートされていき、"異質な存在"であるエイリアンの描き方も抜群に良い。

超越的な技術(人間を一瞬で模倣する、物体の機構を読み取り情報を取得する)を持つエイリアンの目的は、2話で"世界を推進すること"、そのために"世界人類との意思疎通が必要"と明かされ、"あなた達は考え続けなければならない。わたしが敵なのか。味方なのか。それが、正しい。"と日本政府に対し考え続けることを要請する。

果たして本当の狙いはなんなのか。なぜ世界を推進しなければならないのか──と何もかも謎なのだが、何しろあの野崎まどだから、どこまでも突き抜けた上でひっくり返してくれるに違いないという確信に近い信頼がある。スタッフも「翠星のガルガンティア」の村田和也、「楽園追放」のメンバーで、3DCGも脚本も最高に近い出来。

というわけで以下は本の紹介をするけど、アニメもめちゃくちゃおもしろいからオススメという話であった。Amazonプライムで観れる前日譚は、話が動かなくて退屈かもしれないけど、後の展開の基礎にあたる──"交渉とは、双方の利益になるように粘り強く交渉すること"が描かれるので、是非そこから観て欲しいなあ。

『誤解するカド』

さあ、話を元に戻すと『誤解するカド』である。収録短篇はファースト・コンタクト物で、国内勢は筒井康隆、小川一水、野尻抱介、円城塔、飛浩隆、野崎まどの6人。海外勢はフィリップ・K・ディック、ジョン・クロウリー、コニー・ウィリス、シオドア・スタージョンの4人で全員実力派の合計10篇が収録されている。

収録順としては、最初の方は真っ当に未知なる生物と人類が出会い、コミュニケーションをとり文化摩擦をなんとかしようとする作品が並ぶ。それが、うしろに行くほど不穏でわけのわからない作品が増えていき、最後の野崎まど「第五の地平」まで辿り着くと、チンギス・ハーンが地球や宇宙どころか次元すらも突破して、世界の果てを目指して疾走し、もう未知の生物といえるような物すら出てこなくなってしまう──が、これもよく読めばファーストコンタクト物と言い張ることはできる。

つまり本書一冊で真っ当なファースト・コンタクト物から変なファースト・コンタクト物までが一気に楽しめてしまうわけで、ファースト・コンタクト読者促成栽培キットのような本になっている。入門篇的であるし、これを読めば"だいたいファースト・コンタクト物がどんな作品なのかわかった"といってしまってもいいだろう。

収録先の簡単な紹介

収録作を簡単に紹介すると、関節をぽきぽき鳴らしてコミュニケーションをとる異質なマザング人と対話を行う人間の大使の奮闘を描く、筒井康隆「間接話法」。外務省船内で繰り広げられる、人工知能と人間と謎のエイリアンとの異質な結婚/恋愛観が衝突し、時に相互理解に至る小川一水「コズミックロマンスカルテット with E」。恒星間を移動してきた謎の飛行物体の調査・分析の過程で周囲との時間のズレが大きくなっていくロマンチックな男女の物語野尻抱介「恒星間メテオロイド」。

雑用をなんでもやってくれるエルマーと呼ばれる人工物が突如現れ、はいしか書かれていない善意チェックと呼ばれる不可思議なアンケートに答えることを促される、ジョン・クロウリー「消えた」。人をいらいらさせる才能の持ち主であるタンディの元に訪れたエイリアンとの物語、シオドア・スタージョン「タンディの物語」。食べようとしていた異星の豚が突如喋りかけてきてかなり気まずくなる──そして結局、意を決して食べてしまう、ディックのデビュー短篇「ウーブ身重く横たわる」。

複数のコンピュータで走らされたプログラムが吐き出す文字列、それが一定のパターンを示した時に"自分がいる"と感じる*1特殊な異星人についての物語、円城塔「イグノラムス・イグノラビムス」。宇宙の知性がひとつ残らず焦がれる、計測や観測のできない〈あの響き〉とは一体なんなのか──飛浩隆「はるかな響き」。ドラッグとセックスに溺れた少女の寮生活、しかし男たちはテッセルという生物を飼うのにハマっていて──という物語を中心に、父親のいない娘たちなど幾つものテーマが混交したコニー・ウィリスの短篇作品の中でも屈指の問題作「わが愛しき娘たちよ」。

最後は、「遠くへ行きたかっただけだ……」「だがその"遠く"はどの方向にあるというのだ……」というチンギス・ハーンによるアホすぎる問いかけに対して、友人がまずは遠さを定義いたしましょうと持ちかけ、話が理屈に支えられて無限に拡大していく野崎まど「第五の地平」。もし野崎まど未体験者がいきなりこれを読んだら、大真面目に進行する『正解するカド』に対する期待と恐怖が4倍ぐらいになるだろう。

おわりに

ちなみに、読んでいた作品が多かったのだけど、野尻さんの作品はSFマガジンに発表されたあと書籍未収録だし、品切れの書籍に収録されていた短篇(ウィリスの「わが愛しき娘たちよ」とか)もあるので、そういう面でも嬉しい。

*1:複数のコンピュータで〜というのは比喩だが

筒井康隆を軽く飛び越えていった才能──『ビアンカ・オーバーステップ』

SF ライトノベル

ビアンカ・オーバーステップ(上) (星海社FICTIONS)

ビアンカ・オーバーステップ(上) (星海社FICTIONS)

ビアンカ・オーバーステップ(下) (星海社FICTIONS)

ビアンカ・オーバーステップ(下) (星海社FICTIONS)

いやはや。

本書『ビアンカ・オーバーステップ』は元々筒井康隆がはじめてライトノベルを書いたという触れ込みで発売された『ビアンカ・オーバースタディ』のあとがきで存在を明かされ、「誰か続篇を書いてくれ」と後に託された作品であった。それをデビューもしていない著者が勝手に書いて新人賞に応募してしまったものの書籍化である。

狂人かな?

読み終えて思ったのは著者は狂人なのだろうなということである。何しろあまりにおもしろい。章ごとどころかシーンごとに文体が切り替わり、コメディからシリアスまでなんでもこなす。さすがに勝手に続篇を書いてくるだけあって、文体から内容まで含めていくつもの筒井康隆作品を果敢にオマージュとして取り込んでいく。

メタフィクションであり、パラフィクションであり、もともと原作がラノベとして書かれたのだから入れようといわんばかりに能力バトルと異世界要素を投入し、その上ド級のSFとして成立させている。そんな量は不可能だろうと思うほど多くの要素を混在させ、観念を広げていき、うまくまとまっているとはとてもいえないが、崩壊しそうで崩壊しないぎりぎりのところで形を保ったまま最後まで走りきってみせる。

「(ネタ元もすぐわかる)ラノベ要素を寄せ集めて、筒井康隆らしい皮肉を盛り込んでそれなりにストーリィと描写を成立させたな」程度の作品であった『ビアンカ・オーバースタディ』より圧倒的に強い。明らかにおかしいのは、こんな作品を書く能力があれば、真っ当にオリジナルな作品を書いてラノベの新人賞なり、早川のSFコンテストなり、文学賞はちとわからないが、どこにでも好きなところに送れば何の反対にもあわず大賞を受賞できるはずである。このレベルの才能を逃す馬鹿はいない。

それなのに、別に出版社が公式に募集したわけでもなんでもない、却下されても何の文句もいえない勝手な二次創作を(原作者が続きを書いてくれといったとはいえ)、賞に応募するなどというのはやはり著者は狂っているとしか思えない。まあ、あとがきで自分をアホ呼ばわりしているので、アホといったほうが適切かもしれないが──というわけで大変凄まじい作品である。以下簡単に紹介してみよう。

簡単にあらすじとか

何しろ闇鍋のように無数の要素が混在している本作だからどこから紹介したもんかなといったところだけど、あらすじについてはシンプルである。簡潔に言えば、前作主人公であるビアンカの妹、ロッサ北町が、突如として消失──家出や誘拐などではなく現実から文字通り"消えてなくなった"ビアンカを探し求めて、過去から未来を渡り歩き、最終的には世界すらも軽く超えて飽くなき探求を行うお話である。*1

あらすじがシンプルなのは確かだが、構成は複雑。何しろ一章は、遠未来を舞台にし、異世界の観測に成功した研究者らが、初の異世界旅行者を発見する場面から始まるのだ。その異世界旅行者こそがロッサ北町である。なぜ彼女が現代を離れ異世界に転移することになったのか──は、物語が進むうちに明らかになっていく構成だ。

二章からは現代パートになり、ロッサ北町は謎のビアンカ消失現象を阻止するために(前作に出てきたタイムマシンで)いったん過去へ行き、調査を進めるうちに何故か最未来人と呼ばれる最初にタイムマシンを作り出した存在に狙われるようになる。

ジャンルについて

最未来人の襲撃をタイムマシンにのって逃れたロッサ北町を待ち受けるのは、遥かに文明が進歩した未来世界。人々は〈リプラント〉と呼ばれる脳みそとコンピュータをつなげる手術、情報を取得できる〈グラス〉など、未来世界の道具立ては全般的にちと古いが、現実と仮想現実、存在と非存在、形而下と形而上──並行世界の観測といくつもの議論を踏まえることで、物語はメタフィクション展開へと雪崩込んでいく。

幾つもの筒井康隆作品へのオマージュに満ちているが、"想像"が現実を侵食していく光景はまるでパプリカの圧倒的なパレードのようだし、エピグラフに書かれた、"形而上、形而下問わず、すべての空間上、すべての時系列上、すべての並行世界上の物事を、あらゆる感覚でもって知る存在に、探究心は宿りうるか?"という問いかけは『モナドの領域』を思い起こさせる──というか作中で直接言及されさえもする。

すべての要素を包括するジャンル名をあげるならばワイドスクリーン・バロックということになるだろう。奔流のようなアイディア、科学用語をふんだんに用いて矛盾があろうともとにかく風呂敷/世界観を広げまくるスタイル。取り扱うのは個人のドラマを超えて人類、宇宙といった広い領域と長大な時間感覚での観念であり、最終的には宇宙の果て、世界の成り立ちまでもを取り込んで見せる。百合要素もあるっちゃああるので最近だとSFコンテストで特別賞を受賞した草野原々『最後にして最初のアイドル』も彷彿とさせるが、近いのはA・E・ヴァン・ヴォークトとかの方かな。

ここでは多くを明かせないが、"いかにして全知の存在になるのか"というテーマの一つへの答えや、作中の展開に対して数々の先行作品(『涼宮ハルヒの消失』とか)がセルフツッコミに用いられるのとかといったひとつひとつの要素が実に現代的。最後の1行までどころか、ついつい最初の1行に戻ってしまうぐらいに楽しめるだろう。

おわりに

まあ、欠点のない作品ともとてもいえない。本筋に関係ないギャグはダダ滑りしているよなと感じる部分も多いし、太田が悪いネタはもう飽きたよと心底言いたい──とはいえ本書が目指したであろう高み、志はよくみえる。次々と異常な事態が起こり、しかもそれが破綻なくまとめられていくのでページをめくる手が止まらない。

何より『ビアンカ・オーバースタディ』の続篇として求められる機能をすべて備えている、"あまりにもうまい"作品だ。この後も作家として活躍するのかどうかはさっぱりわからないが、ひとまず筒井康隆を軽やかに飛び越えていったこの新たな才能の出現をおおいに祝いたい。これからも、おもしろい作品を書いてくれますように。
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↑『最後にして最初のアイドル』へのレビューはこちら
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↑ベイリーのワイドスクリーン・バロック
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A・E・ヴァン・ヴォークトのワイドスクリーン・バロック

*1:前作『ビアンカ・オーバースタディ』について軽く書いておくと、未来人がやってきて、ビアンカが未来世界の存亡に関わる話であるが、本書において重要なのはその時に用いられたタイムマシンと、タイムマシンを他の人間から見えなくする"ウブメ効果"の設定ぐらいなので、特に読む必要はない(本作である程度補完されるし)。

歯止めなき内戦、その実態──『シリアからの叫び』

HONZ掲載 その他のノンフィクション

シリアからの叫び (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズII-15)

シリアからの叫び (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズII-15)

シリアの国情は長い期間にわたって荒れ狂っている。

ことの発端は2011年。2010年に起こったアラブの春を端緒として過激化した反政府運動と、それに対抗するアサド大統領に率いられた政府軍によって内戦が勃発。ジリジリと進まない市街戦、非人道的で歯止めのかからない拷問、市民へのレイプ被害、先日は、化学兵器を用いて多数の被害者を出したとして、アメリカ軍がシリア政府軍の施設にミサイルを放つなど、状況はより複雑化し、収まる気配をみせない。

シリア人権ネットワークによると、シリア難民は583万人を超えたという。一体なぜこれほどの内戦が起きてしまったのか。そこで暮らす人々は何を考えているのか。本書はそうした疑問に答えるべく、2012年に著者がシリアで行った取材をまとめた、渾身のルポタージュである。ジャーナリストだけを数えても94人もの犠牲者が出ているシリアなので、ただでさえ命がけの取材内容を、見事な筆致で描き出していく。

レイプ、拷問

無数に取り上げられていく声の中でも深刻なのは市民へのレイプ/拷問被害である。レイプは結婚するまで処女であることが求められるイスラム教の女性にとっては、結婚が不可能になり社会的に孤立する可能性がある(実際、レイプ被害により結婚を断られた女性が証言している)など通常よりも深刻な状況に繋がる可能性が高い。

また、政府軍に捕らえられていた男性の証言では、メスで腹を開き腸を切られ、肺に穴を開け潰されるなど、想像を遥かに超える拷問が行われていた事実が浮かび上がってくる。反体制側に協力していたとはいえ、武力を持って行動していたわけではないのにこれほどの拷問を受けるのである。ちなみにこの証言者は、医師が偽の死亡診断書を書いてくれたことで逃げ出し、ぎりぎり生きながらえることができたとか。

一センチ一センチ進んでいく

市街戦が発生している近辺への取材では、政府軍も反政府軍も、もちろん市民も疲弊しつくしている様が描き出されていく。何しろ市街戦では戦況が膠着しがちであり、スナイパーが一日中銃弾を応酬しあい、建物を一軒一軒、道路を一本一本じりじりと制圧する/される苦しい戦いが続く。極度に長い時間、死が隣にある退屈な日々。

『「ひとつの建物を占拠するには何時間も、何日もかかるんだ」リファフは低い声で呟いた。「こんなふうに戦いは進むんだ。こっちが一センチ進むと、あっちは一センチ下がる。あっちが一センチ進むと、こっちは一センチ下がる」』とは政府軍兵士の弁。こうした市街戦が起こっているすぐ近くでも、戦時シフトで働き、子を育て、買い物に出かけ、学校を開き、たくましく日常を成立させようとする人たちもいる。

「でもわたしのような中立の者もいるから、なんとか仲良くやっていけるのよ。みんなうんざりしてるから近所づきあいはいいの。あなたはホムスが戦場だと聞いているでしょう。でも、爆弾と暮らすことを学んでいる人たちがいるってこと、知らないでしょ」

TwitterなどのSNSで誰でも自分に起こっていることを発信できる時代だが、こうした"戦場"とみなされている場所で営まれている、そのリアルな実情は、著者のようなジャーナリストがいなければなかなか表に出てこないものだろう。

おわりに

本書でシリアの実情を知ったところで、われわれに今すぐできることは多くはない。しかし、歯止めの利かぬ争いがどれほどたやすく起こりえるのか。政府側・反政府側を問わず、非人道的な拷問が当然のことになっていく過程。そこでどれだけの不幸が生まれるのかという、"内戦"──その実態を、本書は心底まで実感させてくれる。
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