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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『ユリシーズ』から『これはペンです』まで──『実験する小説たち: 物語るとは別の仕方で』

その他のノンフィクション

実験する小説たち: 物語るとは別の仕方で

実験する小説たち: 物語るとは別の仕方で

この世には実験小説と呼ばれるたぐいの作品がある。実験=experimental というぐらいだから、要するに普通の小説ではない。そもそも"普通の小説"を定義するのも難しいが、まあ、登場人物がいて、ページをめくると物語が前に進んで、読める言葉で書かれていく、あたりから外れた工夫が凝らされた小説といえる。

たとえば最近再刊行もされたコルタサルの『石蹴り遊び』。この本の冒頭には読み方を指示する「指定票」がある。なぜそんなものが必要なのかというと、『石蹴り遊び』は「向こう側から」と題された一部、「こちら側から」と題された第二部、「その他もろもろの側から」と題された第三部から成り立っており、これを順番で読んでいくような構成にはなっていないのだ。指定票によると、第一の読み方は、第一部と第二部を順当に読んでいって第三部は読まない。第二の読み方は指定された順番で読むように言われ、第一章を読む前に第七三章を読まなくてはならない。

頭から最後まで読ませてくれりゃあいいのに、何故そんな面倒な読み方をしなければならないのか? と思うが、それを考えることまで含めて実験小説のおもしろさだといえるだろう(たとえばスゴ本Dainさんの記事を読むとそれがよくわかる)。
『石蹴り遊び』読書会が面白かった: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

実験する小説たちの紹介

というところで本書『実験する小説たち』の話に戻るが、これは『石蹴り遊び』のような実験小説をまとめ、分類し、必要に応じて作品からの引用をひっぱってきて"どのような実験を行っているのか"を具体的に紹介してくれる、いわば実験小説ガイドブックである。「実験小説」の定義からはじまって、現代文学の起点であるジョイス『ユリシーズ』、詩と注釈で小説に仕立て上げたナボコフ『青白い炎』などなど主に実験の種類から代表的な一冊を取り上げて詳細な解説を加えてくれるのだ。

各章の最後には類似する手法を用いた実験小説の簡単な紹介も載っており、当然ながら変な話ばかりで、これがまたそそる。実験小説大好きで読み漁ってます! という人でもない限り(そんな人あんまりいなそうだ)何らかの発見のある一冊だろう。

個人的におもしろそうだなと思った本。

僕が読んだことないのでおもしろそうだなと思ったのは、一人の男がエスカレーターに乗ってから降りるまでの数十秒間に考えたことが200ページの小説になったベイカー『中二階』。主人公が死んだところから始まる、時間が逆さまに展開し会話が「ウユ・ア・ウハ?」(ハウアーユーの逆読み)などと記述されるエイミスの『時の矢』。無について書かれた小説、マークソン『これは小説ではない』(小説だろ)あたりか。

中心で取り上げられるのがほとんど翻訳小説なのはちと寂しいが(サブガイドで筒井康隆作品などが取り上げられるけれど)、日本人作家では疑似小説執筆プログラムとして円城塔『これはペンです』が取り上げられている。円城塔さんはこの作品に関わらず、実験と小説的なおもしろさが相乗効果を発揮する稀有な傑作を無数に書いているので個人的にもオススメである(『エピローグ』『プロローグ』など)。

日本でも小説ならぬ大説として奇想天外な小説を連発した清涼院流水さんなど実験小説の書き手は大勢いるから、もし第二弾があるならば日本作家限定で書いてもらいたい気もする。とはいえ筒井康隆さんや清涼院流水さんのやったことを取り上げ始めたら一人一冊費やさないと足りないぐらいだろうが。

"新しさ"と"受け入れられる範囲"の妥協点

"新しいこと"をやろうとするのは小説を商品として捉えた場合でも当たり前のことだが、かといって商業作品として売ろうとする以上は"ただ新しいだけ"では価値がない。極端な話、「あああ」と十六万文字書かれたものを小説として売るのは新しいかもしれないが、そんなもの誰も読もうとは思わないだろう。

つまり実験小説とはただ"実験"すればいいだけではなく、ある程度以上は読者に受け入れてもらえるギリギリの逸脱を狙わなければならない。コントロール能力を必要とされるものであるといえる(趣味として書いていれば誰も欲しないものを書けるが)。実験小説ガイドといえる本書だが、各作家らのそうしたギリギリの"攻め"を分析した一冊として読んでもなかなかに楽しい。斬新ではあるけれど、評価の伴わない実験小説だって、それこそいくらでもあるわけだし。

東京創元社編集者の本語り──『ぼくのミステリ・クロニクル』

SF ミステリ

ぼくのミステリ・クロニクル

ぼくのミステリ・クロニクル

北村薫、有栖川有栖、宮部みゆきなどそうそうたる面々をデビューさせ、東京創元社で編集から社長、会長までつとめた名編集者戸川安宣さんへのインタビュー本である。幼少期から本との関わりを語っていくが、やはりおもしろくなっていくのは多数の名のしれたプレイヤーが頻出する大学入学以後だろう。僕なんかはミステリ史や東京創元社の歴史も知らなかったから(二回倒産してる事とか)、あくまでも東京創元社での出来事が中心とは言え時代の空気や流れを感じ取れるのもよかった。

戸川さんのやってきたことは今も書籍や作家たちのデビューした結果として具体的に残っているわけだし、ここで僕がことさらにその経歴を讃え上げる意味もないだろう。となるとこれ以後は「こんなエピソードが興味深かった」ぐらいしか書くことが残っていないので幾つか簡単に。まず戸川さんが1970年に入社したときの出版社の状況がおもしろい。当時勤務時間は9時5時で残業もほとんどなかったというし、初版部数も基本的には2万ときまっていたりとなかなかに牧歌的な時代である。

当時は文庫に関する捉え方も大きく違っていて、『文庫は評価の定まった作品が収録され、恒久的に手に入れることのできる廉価でハンディな容れ物』、ようは名誉の称号のようなものだったのが、だんだんアメリカ流の廉価で軽装な読み捨て本=ペーパーバックに近づいていったのだ、というのはなるほどなと。今は最初から文庫から出るし、単行本と文庫の同時刊行なんてのも珍しくはなくなったし、そうなると読者からすれば「なぜ単行本で出た作品を文庫で読むために3年も待たねばならないのか?」と不満も出る。もともとあった文庫に関する(評価が定まったら文庫として落ちるという)前提がなくなったからで、これも時代の流れでしょうね。

ありえたかもしれない別の可能性

講談社でこちらも名編集者と名高い宇山日出臣さんとの交流や(第4回本格ミステリ大賞特別賞を二人で受賞しているのだが、その時戸川さんが一旦辞退したのを宇山さんが説得したのにはほんわかさせられた)、宮部みゆきや北村薫をいかにしてデビューさせたのか、などの回想は戸川さんだからこそ/担当編集だからこそのものだ。

たとえば、宮部みゆきさんだと犬の視点のある『パーフェクト・ブルー』が最初は若い男の子の視点で書いたハードボイルド小説だったとか、淡々とした日常を描いていくうちに最後の4、50ページで実は殺人事件が密かに起きていて、それが伏線として日常描写に描かれていたと判明する話が別の編集者にボツにされたなどなど。

作家によって完成したひとつの作品の裏にはプロトタイプだったり、別の形で展開していた可能性が内包されているものだが、編集者本というのはそうした無数の可能性を堪能できるのが醍醐味だなと思う。とはいえ本書のおもしろさはそうした"編集業にまつわる興味深いエピソード"だけではなく、後半で戸川さんはミステリ専門店の運営にまで関わるようになるし、その道中も合わされば読み/編集し/書き/売りと出版のほとんどの工程に関わっているさまが描き出されていく。

SFの話題もけっこうある。

「ミステリ・クロニクル」と書名がついてはいるものの、けっこうSFの話題も出たりする。浅倉久志さんに東京創元社からも依頼を出したけれども、浅倉さんが早川に遠慮して最初は本名に近い変名でやっていたこと。東京創元社で採用を行っていたときに、京大ミス研出身の松浦正人さんと京大SF研出身の小浜徹也さん二人が候補に上がって最初は小浜さん一人を採る予定だったのが編集者が一人やめたおかげで二人採用になったことなどなど。めっぽうおもしろい話が揃っている。

そういうわけで非常に懐の深い本となっており、ミステリ・ファン外まで含めて楽しめるだろう。若干時代はズレるが、昨年は早川書房の編集者常盤新平さんのかつてのエッセイをまとめた本も出ており相乗効果でおもしろかった。

翻訳出版編集後記

翻訳出版編集後記

ニューヨークの魔物の生態を描き出すお仕事物──『魔物のためのニューヨーク案内』

ファンタジー

魔物のためのニューヨーク案内 (創元推理文庫)

魔物のためのニューヨーク案内 (創元推理文庫)

『魔物のためのニューヨーク案内』という書名からは最初どんな話なのかよくわからなかったが、実際読んでみればそのまんまであった。ヴァンパイア、ゾンビ、インキュバス、水の精、人造人間などあらゆるモンスターが跳梁跋扈するニューヨークを舞台とし、魔物専用の"ニューヨークガイドブック"をつくろうとする人間の女性のお話なのだ。ジャンルはいわばファンタジィお仕事小説である。

簡単なあらすじ

編集者のゾーイは、勤めていた会社を上司との不倫がその妻にバレたことをきっかけとして辞め、一刻も早く次の職を探さねば──と焦っているところで新進気鋭のプラチナ出版社に勤めることに。君はここではうまくやっていけないぞ……と直接的に断られながらも自分を売り出した結果(経歴は文句なしなわけだし)モンスターの住処でモンスターに対するガイドブックを作るはめになってしまったのだ。

モンスターの中にはドラゴンのように巨大な者もいるが、たいていは人間の形をとれるので表向きはそうとわからない。とはいえ人間と完全に同一かといえばそんなこともなく、ヴァンパイアは血を吸う必要があるし、ゾンビは脳を食べる必要があるし、インキュバスは誘惑し生気を吸うしで、根本的に人間に害をなす存在である。ゾーイはいわば餌も同然、それも人間は彼女だけなのだから当然うまくいくはずもなく、あちこちで問題を巻き起こして/巻きこまれていく。

魔物たちの精緻な生態

モンスターへのガイドブックをつくらなければいけない(ゾーイは希少な編集経験者なので、いきなり編集長だ)というのは設定的にうまくて、ニューヨークのあちこちへと出かけていって、モンスターたちの特性を把握する動機として都合よく機能している。たとえばゾンビは皮膚がはがれるのを嫌って握手を嫌うが、ヴァンパイアは好む。ヴァンパイアには血を吸うもの、生きる意欲を吸うもの、などなど種類がいて──とこの世界のモンスターの生体を輪郭豊かに描き出してみせるのだ。

下記は面接のシーン。この世界にはドラゴンだろうが神だろうがだいたいなんでもいることがコメディタッチで描かれてる(かなり思い切っているよなあ)。

 面接にやってきたのは、疥癬悪霊、二流どころの北欧の神(エイルと言って、治癒の女神だとモルゲンが教えてくれた)、それにバーティという名のウィルム(ヨーロッパのドラゴン)。バーティはまだ赤ん坊のドラゴンで、自分は"たったの"二百歳だと言った。知識旺盛なドラゴンで、とことん町を食い尽くしたいと思っている。しばらくのあいだなら人間の姿でいることもできると彼は言い、「ほんとうに重要なとき」には、ドラゴンであることをほぼ隠し通せると請け合った。
「ほぼ」というのが気になる。

同僚のインキュバスはやたらとゾーイを狙ってくるし、インキュバスのターゲットを変更させるために一緒にモンスター御用達のSMクラブへといってみれば、まんまと誘惑に引っかかりセックス一歩手前までいってしまう(描写はかなりエロい)。などなど、エッチだったりコメディだったりでゆるい雰囲気のままお仕事小説としてまとめあげるのかと思いきや、実は後半から雰囲気が大きく変わってくる。

意外と規模の大きな話に。

何しろゾンビによる人間襲撃事件を発端として、ニューヨークに迫る大きな危機が明らかになると、過去の因縁も絡まってきてただの人間であるゾーイがニューヨークを守るための一大決戦へと巻き込まれてしまうのだ。巨大なゴーレムやゾンビの大群らとの戦いはお仕事小説の影も形もなくなっており、大丈夫かと心配になるが、これはこれで魔物大戦の様相を呈しており派手/無茶苦茶でおもしろい。

後半のイメージとしては『血界戦線』に近づいていく感じか(『血界戦線』は異界と人界とが交差してニューヨークが超常日常・超常犯罪が頻発する異常地帯となっている世界の漫画で魔物/能力者が大量に出てくる)。特に後半部の規模のデカさについていくらか疑問は覚えはするものの、最後まで読むと人造人間からヴァンパイアまで"魔物"が街に住んでいるなどという無茶を持ち込むのであれば、そりゃあこれぐらいはやってくれないとねと最後には納得してしまった。

おわりに

各章の終わりに刊行された『ニューヨークよろよろ歩き』からの抜粋が載せられていて、これがまたユーモアにあふれていてよい。宿泊施設の探し方、空港はどこがいいか、ヴァンパイアは血液をどこで入手したらいいのか(ひとつの選択肢として、赤十字社にいけば消費期限切れの血液が手に入る)──魔物のためのひとつひとつのお役立ち情報が人間とは大きく異なるので、本書一冊の中には人間の街と魔物の街という、ニューヨークに関する二つの異なるレイヤーが収められているのだ。

ほんわかコメディファンタジィであると同時に派手なアクションも味わえる、よく言えば一粒で二度おいしい作品なので好きそうな人はどうぞ。

古典ディストピアSF三冊+SFマガジン最新号を紹介する

SF

最近『動物農場』、『すばらしい新世界』がそれぞれ山形浩生訳、大森望訳で新訳、『破壊された男』は伊藤典夫訳そのままに文庫化され、この機会に一気に読んだ。この三冊の刊行は虐殺器官の映画公開に合わせたディストピアSF企画の一環だが、どれも今読んでおもしろいし作風もそれぞれ異なるのでまとめて紹介してみよう。

動物農場

動物農場〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

動物農場〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

オーウェルの代表作の一つ。この三冊の中では、訳者あとがきや序文を入れても200ページちょっとでページ数が一番短い。薄い本が好きだからこれは嬉しい。

中身も可愛らしい(かどうかはともかくとして)動物たちが人間たちに対し蜂起し、すべての動物は平等であるという理想を実現した「動物農場」を設立。ところが次第に一部の動物たちの中で富/権力の独占がはじまっていく──という感じで、起こっているのは現実のソ連を思い起こさせる陰鬱な事象ながらも、真剣に議論しているのがブタとか犬とか猫なので童話チックになっており笑いながら読める。

まもなくみんな、仕事があるときに限ってネコが決して見つからないのに気がつきました。何時間も姿を消して、食事時とか、仕事が終わった晩になると何事もなかったようにまた姿を見せるのでした。でもいつも実にもっともらしい口実を述べたし、実に愛らしくのどを鳴らしてみせるので、その善意は信用せざるを得ませんでした。

とまあ、大変読みやすくおもしろいものの、人が権力を奪いあった時に出現する普遍的に存在する傾向/理屈を見事に描き出している。いうまでもないが、無数の解釈を可能とする力のある作品だ。あと訳が山形浩生さんなのもあって訳者あとがきが充実しているのもいい。それは『すばらしい新世界』の大森望さんも同じだが*1

すばらしい新世界

すばらしい新世界〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

すばらしい新世界〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

『動物農場』は寓話的なので今読んでもまったく問題なく楽しめる。一方でこの『すばらしき新世界』も同様に今読んでもおもしろいが、それは寓話的だからではなく本書で構築されている世界観/テーマが当時(1932年)にして既に完成されていたからだろう(その先の道や、別パターンなどは現代でも無数に生まれているが)。

表紙が真っ白なのは作中で言及とテーマ的な関係性のある伊藤計劃『ハーモニー』の流れかな*2。物語の時代はフォード紀元632年、西暦だと2540年。人々はみな人工受精で瓶から産まれ、そこで階級が決定されその後の人生をおくることになる。大衆に対して、自然を愛することは生産に対する需要を喚起しないから自然を嫌うよう条件づけをするなど、徹底した性能コントロールが行われている嫌な社会だ。

とはいえそこで暮らす人々は主観的には幸せで、仮に嫌なことがあっても多幸感をもたらす副作用のないソーマを用いることで容易く打ち消してしまえる。何か嫌なことがあったと愚痴れば「ああそうなの? ソーマ飲めば?」と返ってくるのがお決まりだ(全体的にノリが軽い)。そのおかげで『1984』とかと比べてもずいぶん雰囲気は明るくて、訳者の大森さんもあらためて読んですばらしく笑えるじゃないですかと感想を書いているが、たしかに笑える箇所が随分ある。

たとえばこの世界ではみな瓶から生まれるので「親」という概念がとても恥ずかしいものに思えるらしく、親について説明させられるとモジモジしてしまう。その様は現代とのギャップを明確に感じさせて、コメディ的に読めるだろう。

「簡単に言えば」と所長がまとめた。「親とは"父"と"母"だ」実際は科学用語だが、猥褻な響きを持つその言葉に、生徒たちは強い衝撃を受け(ガーン)所長から目をそらした。「"父"と"母"」所長は、科学について解説しているのだから一点も恥じるところはないと言わんばかりに声高にくりかえすと、椅子の背にもたれて、「たしかに不愉快な事実だよ」とむっつり言った。「しかし、歴史的事実とは、たいていの場合、不愉快なものだからね」

最初はこの世界そのものが作品の主人公のようなものだが、次第にこの世界で違和感/孤独感を感じるバーナード君に焦点があたるようになり、その後はこの社会の外からきた"野人"を主人公とし「誰もが強制的に幸せにされる世界では、不幸になる/不都合を得る権利の価値が高まるのでは」というテーマが持ち上がってくる。ディストピア/ユートピア物の古典と言われるだけのことはある強さのある作品だ。

破壊された男

破壊された男 (ハヤカワ文庫SF)

破壊された男 (ハヤカワ文庫SF)

『虎よ、虎よ!』で知られるベスターの長篇。他二作と比べるとPSYCHO-PASS系の文脈の作品でディストピア性は落ちるが、おもしろい。社会にはエスパーが生まれるようになり、彼らによって誰もが精神を読み取られてしまうため世界は実質的な監視社会化にある。エスパーがそこら中をパトロールし、70年間一度も計画殺人が行われていない状況下で、あえて"殺人"を行おうとする巨大企業の社長を描く。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
それはただの殺害ではなく、殺人を許容しない社会との壮絶なる戦争なのだ──と社長が宣言するところはめちゃくちゃ燃え上がってくるが、そのへんの詳しいところは昨日上記の記事で書いてしまったのでそっちを読んでもらいたい。

SFマガジン 2017年 02 月号

SFマガジン 2017年 02 月号 [雑誌]

SFマガジン 2017年 02 月号 [雑誌]

最後にSFマガジンの最新号を紹介。ディストピアSF特集になります。

『虐殺器官』で声優を務める中村悠一さんと櫻井孝宏へのインタビュー。監督の村瀬修功さんへのインタビュー。ディストピアSFメディア別ガイドに評論各種などいろいろ揃ってます。僕はディストピアSFメディア別ガイドで小説を『1984』から『ボラード病』まで13作品担当しているので(書くの大変だったねん……)読んでね。映画もゲームも揃っているという、なかなかに網羅性の高いガイドである。

*1:このあたりの人たちの訳者あとがきはあとがきというよりかは解説としての役割を担っていて、「訳者あとがき」の水準を異常に引き上げているよなと思ったりもする。

*2:チョロいから真っ白な表紙だとそれだけで格好いいと思ってしまう

殺人が不可能になった社会vsそんな社会で殺害を決意した男──『破壊された男』

SF オススメ!

破壊された男 (ハヤカワ文庫SF)

破壊された男 (ハヤカワ文庫SF)

『虎よ、虎よ!』で知られるアルフレッド・ベスターのSF長篇デビュー作にして、スタージュンの『人間以上』クラークの『幼年期の終り』を抑えての第1回ヒューゴー賞受賞作だ。ただの復刊だと思っていたら、ハヤカワ・SF・シリーズとして出ていたものの文庫化になるようだ。おかしいなあ、昔文庫で読んだ気がするなあと思っていたら文庫で出ていたのは東京創元社だったのね(分解された男として出ている)。

で、これが今読んでもとんでもない傑作で読み始めたら止まらず、一気に読んでしまったのだがそれはちと置いといて。何故このタイミングで文庫化なのかといえば、『虐殺器官』の映画化に合わせたディストピアSF企画の一環(同時に『すばらしい新世界』、『動物農場』も新訳で刊行)というのと、早川がやっていた"いま読まれるべき銀背"で二位に選ばれていたのもあるようだ。ほんとに反映されるんだなあ。

というわけで『破壊された男』である。伊藤典夫訳はそのままに、寺田克也氏の素晴らしいイラストレーションの文庫版はそれだけで最高だが、もちろん内容も凄い。内容を忘れていたのもあるが、連載から数えると65年も前の作品とは到底思えず、こんなにおもしろくていいのか? と疑問に思うぐらいにのめり込んでしまった。

めちゃくちゃ魅力的なプロット

その理由のひとつは、シンプルなプロットにあるのだろう。時は2301年、人類は反重力エンジンの発明によって太陽系に広がっている。社会には22世紀頃から心を読めるエスパーが出現するようになり、エスパー達で組織された心理操作局の創設によって世界からは"計画的な殺人"の阻止が可能になった。エスパーによる完全監視社会ともいえるわけで、その辺がディストピアSFとして選ばれた所以でしょうな。

70年間殺人が起こっていないこの人類社会において多数のエスパーを擁する一流企業の社長ベン・ライクは、ビジネス上障害となる相手の殺害を決意する。当然、それは簡単なことではない。世界中をエスパーがパトロールしており、明確な殺人計画はすぐに感知されてしまう。しかし、殺害実行者もまたエスパーを有し透視を妨害したらどうだろうか? 可能かもしれない。彼はそれをやれる特別な立場にいるのだ。

「おれは戦争をするつもりなんだよ」ライクはつづけた。「おれがこれからやろうというのは、この社会との壮烈な前哨戦だ。戦略および戦術の問題として考えてみよう。おれの抱えている問題は、どんな軍隊を例にとっても変わらない。図太さ、勇気、自信。もちろん、それだけじゃ充分じゃない。軍隊には、情報機関がいる。情報機関があってこそ、はじめて戦いに勝利をしめられる。だから、おれのG2として、あんたが必要なんだ」

「おれは戦争をするつもりなんだよ」のところでこちとらもうグワーーーとテンションが上ってしまうわけですよ。そうなのだ、人を殺すことが困難な体制が敷かれている社会では、人一人殺すのはそのまま社会との戦争を意味するのだ。『サイコパスやゴロ医術や錬金術みたいな過去の遺物……だが、おれは死を復活させてやる』とライクは宣言する。物語はこの後、殺害を実行しようと仲間を集め計画を立てるライクと、心理捜査局総監であるリンカーン・パウエルの対決の様相を呈していく。

ガンガン上がっていくボルテージ

ライクがイカれているのは当然として、パウエルの方もかなりやばい。狂気に突き動かされるように、無駄な手は一切打たず的確に事件を追い(故に、凄腕同士の対決サスペンスとも読める)、自身があと一歩でミスをしたことを知るとそこらじゅうの物に当たり散らし、市警本部長がよりかかっている椅子を蹴り飛ばして「くたばりやがれ! いつまでもそんなろくでもない椅子にすわってやがって!」と叫んでみせる。

 パウエルは、内に湧きあがってくる絶望感を押し殺した。チェーカへの絶望ではない。それは、新しい力を人間に授けておきながら、古い悪を取り除こうともせず、力をもてあそぶままにさせておく。情容赦ない進化の法則に対する怒りだった。

『虎よ、虎よ!』もそうだし、ベン・ライクもそうなのだが、どの登場人物も通常じゃありえないほど切羽詰まっているというか、世界そのものをひっくり返してやらねばならないんだ! とか、この世界に存在する法則そのものに対する強力な叛逆精神(上記引用部のような)的な強烈な焦燥感/動機が根底にあるんだよね。それは物語をドライブする力強いエンジンとなって機能し、読み進めるたびに登場人物たちの異常なテンションの高さにこちらも同調しうおおおおおおおと異常に高まってくるのだ。

そうしてガンガン高まっていくボルテージにまるで物語も呼応するようにして、作中で発生する殺人事件からどんどんその枠を拡大し、最終的には銀河系すべてを巻き込むような事態に発展してしまう。単に規模がデカくなるだけでなく、他人の精神を読むエスパーの存在は登場人物の内面を掘り下げていく役割を果たし、物語は内面的にも深く深く潜り込んでいく。それが結果的にはミステリ的な種明かしにもつながっており、SFとしてもミステリとしても完璧な作品というほかないのだ。

おわりに

というわけで、いやー非常に楽しませてもらいました。ベスター、あらためてほんとに凄いな。読んだことがない人には当然オススメだし、かつて読んだことがある人にも(どうせ忘れてるだろうし、寺田克也イラストは素晴らしいし)オススメである。

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

物事の仕組みを理解するために──『ホワット・イズ・ディス?:むずかしいことをシンプルに言ってみた』

科学ノンフィクション オススメ!

ホワット・イズ・ディス?:むずかしいことをシンプルに言ってみた

ホワット・イズ・ディス?:むずかしいことをシンプルに言ってみた

すべての人間が一カ所に集まってジャンプしたらどうなるの? などの現実的にはありえない質問に対して、ユーモアたっぷりのイラストと科学的に正確な解説を添え、物理や数学のおもしろさを体験させてくれた『ホワット・イフ』は快作であったが、同じ著者による最新作が、本書『ホワット・イズ・ディス?』である。
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今回は副題に「むずかしいことをシンプルに言ってみた」と入っているように前作とは趣向を大きく変えており、著者の言葉を借りれば『これは、絵とやさしい言葉を使った本だ。ページごとに、大事なものやおもしろいものの仕組みや成り立ちを、英語でいちばんよく使われる1000語だけで説明している』という一冊になる。

物事の仕組みや成り立ちを理解する

存分にイラストと解説を描きこむために本の大きさは大型の図鑑サイズとなり、国際宇宙ステーション、カメラ、アメリカ合衆国憲法、電子レンジなど身近な物から遠い物まで、その仕組みや成り立ちをページをいっぱい使って解説してくれる。

この解説がまた素晴らしく、1ページめくる度にいかに自分が当たり前に使っている物や概念の仕組み/理屈をよくわかっていなかったのかを思い知らせてくれるのだ。たとえばカメラはどのような仕組みで写真を残しているか答えられるだろうか? 「電子レンジ」といえば多くの人がそれが何なのかを知っていると答えるだろうし、簡単に使ってみせるに違いない。しかしその仕組み──どのように温めて、時に爆発してしまう理屈を把握している人はどれだけいるだろう? 

物に名前をつけることは便利だが、あまりに簡略化された名前をつけると、その物自体について疑問を覚えなくなるという弊害がある。たとえば本書では「電子レンジ」は1000語に入っていないので、「物を温める電波箱」と呼称される。多少長い呼び名になったが、これでこの言葉を使う時に少なくとも「電波を使って温めるんだな」ということを理解するに違いない。難しい言葉を(まあ、電子レンジはそう難しくはないが)あえて封印することで見えてくるものもあるのだ。

そもそも難しい言葉を学ぶ必要なんてないと言う人もいる──大事なのは、物事の仕組みや成り立ちを知ることであって、その呼び名を知ることではないというわけだ。私は、必ずしもそうではないと思う。物事についてほんとうに学ぶためには、ほかの人たちから助けてもらわないといけなくて、この人たちの言うことをほんとうに理解するためには、その人たちが使う言葉の意味を知らなければならない。

物を温める電波箱、街を焼き払うマシン

本書では食べ物を温める電波箱(電子レンジ)は、物を温める仕組みについて次のように説明する。『水を作っている小さなつぶを電波がおして、つぶのスピードをあげる。何かのなかにある小さなつぶのスピードが上がると、それは温かくなる。水の中に十分な量の電波を送ると、水は熱くなる』。"小さなつぶ"とは専門的な言い方をすれば分子のことだが、物事の理屈を把握するだけならこれで十分といえる。

ほかにも、太陽のような極端に大きいものから細胞のように極端に小さなもの、果ては国の法律や計量単位のように形のないものまで縦横無尽に仕組みを解説していく本書だが、中でも「核爆弾」について解説した「街を焼き払うマシン」のページは平易で完結極まりないなテキストだからこその恐ろしさが伝わり、強く印象に残る。『いま私たちはそれほど心配しておらず、ほとんどの人が、戦争が起こるとは思っていない。しかし、私たちはまだこのマシンを持っている。』

どのページもそれぞれ表現とイラストの工夫が凝縮されており、ぱらぱらとめくっていくだけでやたらと楽しい。↑で例にあげたもの以外だと、上下移動ルーム(エレベータ)の仕組みは食い入るように読んでしまった。毎日使っていたり目にしているのに(ある意味では細胞や太陽もそうだろう)仕組みを知らないものって、本当に多いんだなあと実感させられる。見過ごしがちな物事の仕組みや成り立ちをあらためて知ることで、世界をより鮮明に理解できるようになるだろう。

おわりに

何度読み返しても新たな発見がある本は家の目立つところにおいておきたくなるものだけれども、本書はそんな特別な一冊だ。大きいので物理書籍を本屋で買うと持って帰るのが大変だったりするが(家に届いた時予想外に大きくて誰かの嫌がらせかと思った)、できれば紙でばばーん! と広げて楽しんでもらいたい。

それがどれだけ単純なものであれ、物事の理屈/成り立ちを理解するのは本当に重要なことだと思う。なぜなら理屈を理解していなければ目の前でどんなことが起こっても理解できず、魔法か天罰がくだったようにしか感じられないだろう。しかし理屈/原理を理解してさえいればなぜそれが起こったのかがわかり(たとえば温めたかった食べ物が爆発したり)対策がとれるようになるからだ。そして、ひとつの理屈はまた別の理屈に通じている。だから、一歩一歩理解していくのが大事なのだ。

子どもでも読めて(翻訳には小学6年生までに習う漢字だけを用いている)100を超える大人まで楽しめる、レンジの広い本なので贈り物にも最適である。いやはや、訳は大変だっただろうなあ。本当にオススメの本です。現在Amazonにゃあ在庫がないのでKindleか本屋で探してください。

ホワット・イフ?:野球のボールを光速で投げたらどうなるか

ホワット・イフ?:野球のボールを光速で投げたらどうなるか

宇宙植民の可能性を問う──『宇宙倫理学入門──人工知能はスペース・コロニーの夢を見るか?』

SF 経済ノンフィクション HONZ掲載

宇宙倫理学入門

宇宙倫理学入門

近年イーロン・マスク率いるスペースX社を筆頭に、民間企業による宇宙開発が加速している。本書は「宇宙倫理学」と書名に入っているように、そうして人間が宇宙に出ていく際に不可避的に発生する倫理/哲学的な問いかけについての一冊だ。

ショートレンジとロングレンジの問いかけ

そうした説明だけをきいてなるほど! 宇宙での倫理を問うのねわかるわかる! とはなかなかならないだろうから、具体的にその「宇宙倫理学」の中で、どんな問いかけ/議論が存在するのかをざっと紹介してみよう。まず身近な問題でいえば、宇宙における軍備管理、人工衛星から得られる情報の取扱、スペースデブリの処理をめぐる問題、宇宙飛行士その他宇宙滞在者の健康管理についてなどなどがあげられる。

現在でも静止軌道をめぐる取り決めはあるが、今後地球周回軌道上が希少資源となり、軌道を周回する権利が国家による固有の財産として管轄下に置かれる可能性もある(『通信や探査を中心に、宇宙の商業利用がますます活発化する現在、「宇宙活動の民営化」とでも言うべき課題が浮上しつつある』)など、ショートレンジで議論すべき点は多い。逆に、数千年単位の広い視点まで検討するのであれば、地球外生命との遭遇時にどんな道徳的対応をすべきかという問題が立ち上がってくる。

これは「知性をどう定義するのか」という話に繋がるし、宇宙生物学をはじめとする無数の分野と繋がる話題だ。たとえば、ダイソン・スフィアと呼ばれる、恒星を建造物で取り囲んでエネルギーを100%近く有効活用しようという、効率だけを考えたら必然的に導き出される架空のシステムがつくられると、その恒星の周囲は暗くなってしまう。こうした事態を引き起こしかねない地球外生命体を想定すると(もしくは、そもそも存在を想定しないのか)、宇宙の物理的構造の変化にたいして我々はどのように対応するべきかというほとんどSF小説の領域に突入していくことになる

さらに、そうした文明が星から星へと広がれば、銀河全体が丸ごと暗くなってしまう、という可能性もある。つまり結論的に言えば、宇宙のなかに生命が存在するかしないか、広い意味での「人間」が登場するかしないか、によって、宇宙の物理的構造が──場合によっては性質までが──変わってしまう可能性があるのである。

ずいぶんとワクワクさせられる話ではあるが、"そういう話も考察対象としてはありえる"という前提の部分であって、本書がメインで取り扱うのはこうした「起こるかどうかさえもわからない」大きな話と「今まさに起こっている」身近な話との間にくるミドルレンジの部分である。たとえば「宇宙植民」はミドルレンジの問題領域だ。

ミドルレンジの問いかけ

たんに宇宙ステーションに人間を数人滞在させるというのではなく、他の天体に人間(もしくはそれに類するもの)を送りこみ、継続的な社会を築かせる。そんなことは可能/やる意味があるだろうか? 科学技術や経済制度上、今すぐに可能なものではないが、数十年、数百年単位での成立可能性はありえなくなさそうである。

そうした前提を踏まえ、本書では『「現在我々が踏まえているリベラルな倫理学、道徳哲学の観点から許容されるような宇宙開発、とりわけ人間の宇宙進出、宇宙植民とは、果たしてどのようなものになりうるのか?」という形で問いを立て、進めていく。』ということでまずオニールが考案したスペース・コロニー計画が可能か否かの検討から考察をはじめ、否定的な見解を導き出す為ではなく前向きに考察していく。

たとえば宇宙植民をする上で、どのような動機が考えられるだろうか? 人間が溢れているから宇宙に人をというのはかつての発想で、今では先進国は軒並み少産少死に向かっており動機としては弱い。そもそも人口爆発対策に用いるには宇宙は高価すぎる。それでは、どのようなプランなら人が宇宙に植民する動機になるか──。

人口爆発による逃避が考えられないとしたら、他はやはり経済活動、知的探究心を含めた生活水準の向上が上げられるだろう。たとえば小惑星の資源を当てに宇宙に出ていく可能性なども考えられるが、その資源がいくらになるのかという試算は行えるので、"本当に宇宙の資源は割にあうレベルで取得できるのか"というところまで含めて議論を重ねていく。その議論は最終的には、"人間が生身で出ていくのはやはり厳しすぎるのでは?""ロボット技術やサイボーグ技術の発展がなければ宇宙に出ていく動機/社会はつくられることはないのでは?"というところまでたどり着いてみせる。

おわりに

宇宙植民と関連して、人格的ロボットを受容/需要する社会とはどのようなものかを問いかけ、ロボットの宇宙植民への可能性を論じた章もあれば、イーガンやバクスターを挙げ宇宙SFにおける人類の在り方を考察する章もありと話題は広範に渡り、一部専門家だけでなくSFファンを筆頭とした多くの読者が楽しめるだろう。

今回は「入門」ということもあってミドルレンジにテーマを絞っているが、他のレンジにまで議論を広げた本格的な「宇宙倫理学」本も読んでみたいものだ。とはいえ最初の一冊として、本書が重要かつ貴重なのは間違いない。