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竹書房文庫のSFで電子書籍セールが開催しているので、おすすめを紹介する

竹書房文庫から刊行の《竜のグリオール》シリーズ全作刊行を記念して、竹書房文庫の中でもSFに絞った電子書籍セールが開催されているので(13日まで)、竹書房文庫の布教ついでに紹介しようかと。竹書房はSFのイメージは持たれていないかもしれないが、近年はSF好きの編集者ががんばったおかげで竹書房文庫からばんばんSFが(翻訳SFが多いが、日本SFもある)出ていて、しかもどれもおもしろい。
Amazon.co.jp: 竹書房文庫 SF: Kindleストア
書評家や作家といった業界関係者による投票でランキングを決める年刊ムック「SFが読みたい!」でも竹書房文庫発の作品がいくつも名を連ねるなど、竹書房は今やSFを語る上では外せない出版社の一つになっている。特徴の一つと言えるのは竹書房文庫のSFのほとんどを坂野公一がデザインしており、作品によってはかなり攻めた文庫の装幀がみられること。鮮烈なイメージを残す《竜のグリオール》を筆頭に、『いずれすべては海の中に』など一度みたら忘れられない装幀の作品が多いのだ。

肝心のセール内容としては、セール対象も少ないし割引率も「最大50パーセント」なだけで個々の作品ごとにまちまちなので規模は小さめではある。セール対象の中からお気に入りを中心に、コンパクトに紹介していこう。

お気に入りを中心に紹介する。ファンタジィ寄りの作品

最初に紹介したいのはセールのきっかけにもなった《竜のグリオール》シリーズだ。『竜のグリオールに絵を描いた男』、『タボリンの鱗』、先日刊行されたばかりの『美しき血』の三冊で、新刊以外はセール対象になっている。

物語は基本的に、全長1マイルにも及ぶ巨大な竜グリオールのような生物が存在する世界を舞台にした連作短編集で(美しき血は長篇)、魔法使いの攻撃によって身動きがとれなくなったグリオールを、本人(竜)に悟られぬようその体に毒入りの絵の具で絵を描いて殺そうとする、数十年想定のプロジェクトを描き出す第一作の表題作など、「とてつもない竜がいる世界」を解像度高く描写していく、好きな人にはたまらないファンタジィ作品である。装幀も竹書房文庫全体の中でもお気に入りだ。

もう一つ竜&ファンタジィ系でおすすめしておきたいのは、科学が進展するにつれて魔法の力もどんどん弱まり、魔法がほとんど趣味の領域にまで落ちぶれた世界の物語であるジャスパー・フォード『最後の竜殺し』と『クォークビーストの歌』のシリーズ。どんなにささやかな魔法でも使う時には魔術師免許を携帯する必要があり、魔法を使ったら書類を提出しなければならないなど、現代社会でがんじがらめになった魔法使いたちの苦闘をポップに描き出している。この世界にも死にかけのドラゴンがいて、彼らが住まう広大な土地ドラゴン・ランドの利権&後継者問題が話の主軸になっていくあたりは、資本主義ファンタジィとしてのおもしろみもある。

ジャスパー・フォード&竹書房文庫繋がりでいうと、冬になると平均最低気温が40度になり、冬至の前後8週間、人口の99%が冬眠するようになったイギリスを描き出す長篇『雪降る夏空にきみと眠る』もおもしろいがこっちはセール対象ではなさそう。

お気に入りを中心に紹介する。SF

最近刊行された作品でおすすめなのはギリシャSF傑作選である『ノヴァ・ヘラス』。その名の通りギリシャの作家らが書いた短篇が集まった一冊だが、地方の港湾都市が海面上昇によって水没した未来を描き出すヴァッソ・フリストウ「ローズウィード」。蜜蜂が本格的に消えてしまい、その役割を蜜蜂ドローンが担っている世界を移民排斥問題などもからめながら描き出すパパドブルス&スタマトプロスの「蜜蜂の問題」など、ギリシャの情景や苦境をすくい取っていくような良い短篇が揃っている。フランス人の父とベトナム人の母を持つアリエット・ド・ボダールによる『茶匠と探偵』は、中国やベトナムの文化・価値観が支配的になった未来を描き出す〈シュヤ〉宇宙に属する短篇を集めた日本オリジナルの短篇集。スペースオペラは西洋的な価値観が基本なことが多い中、輪廻転生だったり、親を特別に敬う儒教的な価値観、「深宇宙」と呼ばれる空間へ行くために茶匠が特別に調合したお茶が必要など、アジア的な価値観を全面に押し出した、今なお特別な読み味を残してくれる作品だ。今回のセール対象の中でも特におすすめなのが、サラ・ピンスカーによる短篇集『いずれすべては海の中に』。サラ・ピンスカーは新型コロナウイルスをめぐる状況についての予言的な作品として話題になったパンデミックSF長篇の『新しい時代への歌』で一躍有名になったが、作品としての出来は圧倒的に中短篇集の方が高いと思う。

夢の中で架空の子どもが生まれた人々が世界中で大勢発生する奇妙な状況を描き出す「そしてわれらは暗闇の中」のような奇想系もいいが、世代宇宙船ものの「風はさまよう」のような直球のSFも素晴らしい。後者は、宇宙船内で何代もの時代を経たある時、船内のハッカーによってアーカイブされていた映画や音楽、演劇に歴史といった文化が破壊されてしまった状況を描く。残ったのは殺風景な壁ばかりで、船内の人間はみな自分の記憶に残されたものを頼りに、それを再現し、上演するはめになる。しかし記憶違いもあるしそれはオリジナルではありえなくて──と、真実や、伝え残すことの意味、物語や音楽を作ることの意味を問いかけていく、美しい一篇だ。

日本作家の作品の中でのセール品としては相川英輔による短篇集『黄金蝶を追って』が良かった。マンションを買って移り住んでみたら、なぜか半透明で前の家の持ち主が家に現れ、毎朝本を朗読するなど、規則正しい生活を送っている様をみせられ、その正体を追っていく「ハミングバード」。日曜日の次が月曜日ではなく、自分以外誰も見当たらない”自分だけの8日目”がくる──それどころか、次第に9日目も10日目もくるように変化していく大学の水泳選手を描くホラー調の「日曜日の翌日はいつも」など、SFから幻想・奇想譚まで幅広い作品が揃っている。特に「日曜日の翌日はいつも」は誰もいない世界の寂寥感や自由さが存分に描かれていて、好きな作品だ。

竹書房文庫はかなりの割合でKindle読み放題に入っていたりもするので、これを読んで興味が湧いた人はそっちで読んだりするのもよいだろう。ではでは。

科学とSFの相互発展の歴史を、小説、映画、ドラマなど多方面から描き出す──『サイエンス・フィクション大全 映画、文学、芸術で描かれたSFの世界』

SF、サイエンス・フィクションとはサイエンスとついているように基本的には科学をテーマ・取り扱ったフィクションのことを指す(科学を扱わなくてもSFに分類されるが、今回は細かいことはどうでもいい)が、科学を扱う以上その内容は現実の科学の発展に影響を受ける。たとえば、火星や月が明確に観測される以前は人々の空走の中ではそこに生命が満ちているフィクションがよく描かれていたが、鮮明な画像、観測結果が出回るにつれて火星や月に生物がいる物語は描かれなくなっていった。

一方で、SFは影響を受けるばかりではなく、現実の科学にも影響を与えてきた。多くのロボット学者は昔はアトム、今はドラえもんに影響を受けてその道を志し、琥珀の中の蚊が吸った血から恐竜の復元が試みられた物語『ジュラシック・パーク』の大ヒット後は、多くの学者が「われわれもやってみよう」とその道に乗り出した。

SFで描かれたものが現実製品や思想に影響を与えた例も、例を上げ始めたらきりがない(たとえばAmazon創業者のジェフ・ベゾスは大のSF好きで、AmazonEchoも『スタートレック』からの影響を受けている)──、というわけで、ちと前置きが長くなったが本書『サイエンス・フィクション大全』はそうした現実の科学とSFの相互発展の歴史を、「人間と機械」、「宇宙の旅」、「コミュニケーションと言語」、「エイリアンと疎外感」、「不安と希望」の5テーマに分けて描き出していく一冊である。

もともとは2022年10月からロンドンの科学博物館で開催された『サイエンス・フィクション』展のガイドブックとして刊行されたもので、豊富なイラストや図版、世界中のSF作家たちへのインタビューによって彩られているのも素晴らしい。

 サイエンスとサイエンス・フィクションは絶えず誘発し合っている。サイエンス・フィクションは未来を垣間見るツールとなり、科学者たちはそこに描かれている社会時評、芸術、風刺に刺激を受け、一方、SF作家たちは科学研究所における最先端の取り組みに「この発見は人類をどこに導いていくのだろう?」と想像を膨らませる。(……)
 このサイエンスとサイエンス・フィクションの共生関係が、「未来を鼓舞する」というミッションを掲げて博物館がサイエンス・フィクションの展示を熱心に開催する十分な理由となっている。

僕は今年の3月に『SF超入門』というノンフィクションをダイヤモンドから刊行したが、最初に書いたバージョンには「現実の科学とSFの相互発展の歴史」と題してこの『サイエンス・フィクション大全』と似たようなテーマで書いた文章があった。

結局それはボツになったのだが、今思うと科学史の専門家でもなければこれまで本も書いたことがない人間がいきなり書くには鳥人間コンテストの機体で太陽を目指すかのような所業だったように思う。今ではボツになってほっとしているのだが、本書(『サイエンス・フィクション大全』)はその僕が目指して諦めた「科学とSFの相互発展の歴史」をかなり高いレベルで実現してくれているので、とても嬉しくなった。

本書が取り扱っているのは小説だけでなく映画、ドラマも含めて幅広いが、それを可能にしているのも複数人の専門家で執筆しているからだ。

具体的な内容紹介

具体的な内容に関しては歴史の話なのであまりどこかをピックアップする意味もないのだが、たとえば最初の「人間と機械」ではロボット・機械人間・人造人間の歴史を描き出していく。世界で最初のSF小説といわれることも多いメアリー・シェリーによる『フランケンシュタイン(1818)』からはじまって(この作品にはイタリアの解剖学者ルイージ・ガルヴァーニによる電気と筋肉の運動に冠する実験の影響がある)、各時代のSFが何を問いかけてきたのかが描き出されている。

ジャネット・ウィンターソンの小説『フランキスシュタイン──ある愛の物語』(2019)は『フランケンシュタイン』が取り上げているテーマを、現代のロボット工学やAI研究に関連する問題と結びつけているが、そこで問われているのは「われわれの在り方の拡張」についてのテーマだ。ジェンダーが可変、あるいはどちらの性でもない状態が選択できるようになったら人々はどのような反応を返すのか。また、体の一部を機械に置き換えていったとき、人間と非人間の境目はどこにあるのか。医学的治療と人体強化の境界線(たとえば強化は禁止だ、となったとして、どこからどこまでが治療でどこからが強化とみなされるのか?)が、幅広く問いかけられている。

人体の改造を人間の機能を回復させるためではなく、新しい環境への適応のために用いるSF作品も多い。代表的なのはブルース・スターリングの作品で、〈機械主義者/生体工作者〉シリーズでは、宇宙に移り住んだ人類が体を機械化して延命する〈機械主義者〉と遺伝子工学によって改造し適応する〈生体工作者〉の二派に分かれて対立していて──、とSFが将来問題になりうる問いをどう描き出していて、今に繋がっているのかも無数の作品を通して紹介している(このへんは『SF超入門』と近い)。

物語のオチまで晒しているようなものはほとんどないので、本書はSFのガイドブック的にも使うことができるだろう。

『ゴジラ』など日本のSFも取り上げられている。引用元⇛ https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000288.000084584.html

インタビューも充実

個人的におもしろかったのはSF作家たちへのインタビューで、みんなに「あなたにとってのSFの定義は?」など色々なことを聞いている。「SFの定義みたいな面倒くさいことは研究者や批評家が考えていればいいさ、自分は書くのみ」と答える人も多いが、中にはバシッと答える人もいて、その人のSF観がみえておもしろい。

先日『未来省』が本邦で刊行されたキム・スタンリー・ロビンスンはSFとは自分にとって、『未来を舞台にした物語すべてです』といい、その中にはノンフィクションどころか株価予想も、人口統計学者による予測も含まれる。未来が関わるものは全部SFなのだ。彼の小説『未来省』はほぼノンフィクションともいえる事実の羅列のパートが多数入る小説なのだが、これもそうした思想から生まれた作品なのだろう。

日本ではたぶん訳書の出ていないテイド・トンプソン(精神科医としても活躍しているSF作家)へのインタビューでは、知らなかった彼の作品自体へも興味をもたせてもらった。彼の『遠い天国の光』という作品では、人工休眠ポッドが重要な役割を果たすが、彼は医師でもあるので既存の冬眠ポッドの都合の良さに不満をいだいていたという。たとえば凍らせてそのまま瞬時に戻せるわけがない(細胞が壊れてしまう)から、彼の作品のポッドでは人体に必要なエネルギーを補給し排出もさせ、長時間の睡眠から起きるときには時間がかかるようにしたなど、リアリティの演出がおもしろい。

また、彼はハードSF(科学的な考証にできるだけこだわったSFのこと)については『”ハードSF”という言葉を耳にすると、その時点でもう引いてしまいます。間違っている場合があるというのではなく、”ハードSF”は常に間違っているからです。』とハードな見解を示し、まず科学についての彼の考えが語られたりと、こんなにおもしろい作家がいたのか! と気づける良いインタビューが多い。

おわりに

現実とはただ起こったことのみではなく、「起こりそうで起こらなかったこと」や「起こりそうではないが、ただ想像されたこと」、「起こりそうだという未来予測」など様々な構成要素から成立しているように思う。それらはすべて、「現実で起こったことではない」かもしれないが、多かれ少なかれ現実(と未来)に影響を与えていくからだ。本書は様々な作品を通して、そうした「幅のある現実」を描き出している。

単に図版やイラストをみていくだけでも随分楽しい本だし、発想の宝庫ともいえる一冊なので、ちとお高めな上にでかい本なのだけど(電子書籍が出てないんだよねこれ)、今すぐ読まずともおすすめしたい。

欧米で話題沸騰の気候変動にまつわるすべての領域を描き出そうとした野心的な気候変動SF──『未来省』

この『未来省』は、『レッド・マーズ』、『グリーン・マーズ』、『ブルー・マーズ』の三作からなる火星三部作や『2312 太陽系動乱』などで知られるキム・スタンリー・ロビンソンが2020年に刊行した気候変動SF長篇だ。キム・スタンリー・ロビンソンは「細部へのこだわりと、世界や社会、人類といった大きなものをまるごと描こうとするヴィジョン」のどちらもを持ち合わせる稀有な作家だが、本作は”気候変動vs人類”という中心テーマに対して、その才能をいかんなく発揮している。

最初に概要と総評を紹介する

近年実際に災害が増えていることもあって、気候変動をテーマにした小説(Climate Fiction)は欧米で伸びているジャンルだが、本作は数あるcli-fiの中でもとりわけ大きく話題になった作品だ。その理由のひとつには、本作が”気候変動vs人類”というシンプルな、されど取り扱うのは難しいテーマに、誰よりもド直球に組み合っている点が挙げられるだろう。このテーマの何が難しいのかといえば、気候変動の影響は全世界、全産業に及ぶから、そのすべてを描こうとしたら、大変なリサーチと書き切るだけの筆力が必要になる。だが、本作はそこに果敢にチャレンジしているのだ。

たとえば、ジオエンジニアリング(上空に粒子をまいて太陽光を反射する日除けを作ったりする”気候工学”を指す言葉)からブロックチェーンからMMT(現代貨幣理論)、3Dプリンタまであらゆる技術が気候変動解決のために動員されている。全人類が一丸なわけではないから、行き過ぎた人々が炭素排出を食い止めるために飛行機に向かってドローンテロを仕掛けて世界の交通を麻痺させたりといった混乱までも含めて、数十年といったロングスパンで”気候変動と人類”の戦いが描き出されていくのだ。

その最中にも、世界の状況はどんどん悪くなっていく。そういう意味では、破滅・終末SF的な魅力もある。とにかく本作が取り扱っている領域は広く、一人の人間がここまで書けるものなのか、と圧倒されてしまう作品だ。

惜しい面もある

一方でその圧倒的な「広さ」を実現するために、物語としての側面は犠牲になっているともいえる。主人公といえる存在はいるが、MMTやブロックチェーンについてや、人類が一年にどれだけの炭素を排出しているのか、トップ1%が富を独占している資本主義の問題について、気候変動にたいして人類の動きがここまで遅くなった理由は何なのかなど、名もなき登場人物が解説する文章が短い区切りでさしはさまれ、部分によってはほとんどノンフィクションを読んでいるかのような気分にさせられる。

本作は僕のように気候変動ノンフィクションもSFも大好きでたくさん読む! という人間にとってはご褒美のような作品だが、そのどちらかだけを求めて読むと、微妙に食い足りない気持ちを抱えることになるかもしれない。

ざっと紹介する。

というわけで、ここからはもう少し具体的に紹介していこう。物語の時間はどんどん進行していくが、最初の舞台は2025年の近未来。2015年に国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)にて温室効果ガス排出削減のための新しい国際的な枠組みである”パリ協定”が(現実で)締結されたが、物語はこの協定実施のための補助機関である未来省が、2025年の1月にスイスのチューリッヒに設立された直後から始まる。

未来省が何をやるのかといえば、基本的には”気候変動に対抗するためのありとあらゆること”である。動物の保護から移民の調整、二酸化炭素収支がマイナスになる農業の模索、空気中から二酸化炭素を取り出す技術、コンクリートの代わりになる炭素ベースの建築用素材、海水を真水にする技術の開発など──だが、メイントピックとして語られていくのは”カーボンコイン”の創造だ。カーボンコインはデジタル通貨で、炭素排出を削減、あるいは炭素を空気中から回収することで発行される。

 燃焼されなかった炭素一トンにつき、あるいは実効性が証明された方法による炭素の回収が、取り決めた期間内に──これまでのこうした議論では一般的に一世紀のあいだ──に達成されたとき、一カーボンコインが発行されます。そのコインはすぐに為替市場で別の通貨に両替することもできるから、一カーボンコインは一定程度のほかの法定通貨に相当する価値があります。中央銀行が一定の最低価格を保証するので、底が割れるのを防げます。しかし同時に、人々がその価値をわかるようになってくれば底値よりも高くなる可能性もあり、そこは普通の為替市場における通貨と変わりありません。(p184)

これはまだカーボンコインが実施される前の構想段階の議論における一節だが、ことはそうすんなりいくわけではない。たとえば世界中の中央銀行(ロシアや中国といった政治体制が極端な国も含む)に協力を要請しないといけない。他にも、炭素を大量に排出している大企業の方がこのカーボンコインを手に入れやすいので、手に入れたカーボンコインで結果的にさらに炭素排出量を増やすのではないか(であれば、その穴をどう塞ぐのか)──といった細かな議論と調整が、本作を通して進行していく。

懸念すべきことは多いが、カーボンコインの価値が安定すれば強力なツールになる。炭素の排出を抑制、あるいは回収することによって得られるカーボンコインの価値が、炭素の排出を続けることによる利益を上回るのであれば、国家から個人を含めたすべての人間が自発的に”脱炭素”に向かって動き出す可能性があるからだ。

炭素を削減するためのインセンティブを与えるのと同時に必要とされるのが”炭素税”の導入だ。これは単純な話で、炭素を排出するほど税金がかかるようにすればいい。しかし問題は脱税が横行していることで、炭素税を設計・普及させる前に、”脱税”が不可能なシステムを作る必要もあって、その前段階としてブロックチェーンを利用した新しいSNSを創り出し──と、あれよあれよというまに規模が広がっていく。

氷河に水を撒く

未来省パートの主人公は、かつてアイルランド共和国の外務大臣を務め、未来省では事務局長となって指揮をとるメアリー・マーフィーなのだが、彼女以外の人々もみなそれぞれの形で気候変動に対抗していく。たとえば、もう一人の主人公といえるフランクは2025年に発生したインドの巨大な熱波(最終的に2000万人もの死者を出した)に遭遇しかろうじて生き延び、地獄をみたことから”暴力を含むあらゆる手段で気候変動を止めなばならぬ”という思想を持ってテロ組織に加入し行動を起こす。

個人的におもしろかったのが、「氷河に井戸を作り水を汲み上げて氷河の上に撒き散らすことで氷河が溶ける速度をゆるめさせる」プロジェクトに挑戦する人々のパートだ。水を輸送するパイプなど設置は手間だが技術的にはすでにあるものだけで出来て、しかもほとんど放置でOKだ。いろいろ気候変動に対するノンフィクションを読んできたが僕も聞いたこともないやり方で、実際に可能かどうかはともかく、このパートだけ抜き出しても土木・工事系のSFとして成立するぐらいにはおもしろい。

おわりに

氷河に水を撒くプロジェクトなど、膨大な量のアイデアが本書には投入されていく。SF好きはもちろん、現実の気候変動について興味がある人にも読んでもらいたい一冊だ。というより、本書はノンフィクション好きの方が楽しめるかもしれない。

全世界の誰もがこの人間の影響を受ける、お騒がせ男初の公式伝記にしてアイザックソンの最高傑作──『イーロン・マスク』

この『イーロン・マスク』は、その名の通りイーロン・マスク初の公式伝記である。マスクの伝記自体はこれまでにも出て、翻訳もされている(読んだけどおもしろい)が、その中にあって本作の特徴は刊行された直後だから、つい最近のツイッターの買収など”最新の情報・エピソード”まで網羅されているところにある。

そしてもう一つの特徴は、スティーブ・ジョブズをはじめとした無数の偉人たちの伝記を書いてきた、伝記の名手であるウォルター・アイザックソンがその私生活にまで密着して描き出している点にある。僕もアイザックソンの本は昔からファンでほとんどすべてを読んでいると思うが、これまで彼が手掛けてきた伝記の中でも本書の書きぶりには熱が入っていて、しかもこれまで書いてきた天才・偉人たちとの比較という評価軸もうまく機能しており、最高傑作といえる内容だと思う。

全世界の誰もが、このお騒がせ人間の行動の影響を受ける

ブルドーザーのような性質上マスクに否定的な人間は多いが、肯定的か否定的かはともかく、このトンデモお騒がせ人間の行動の影響は全世界の人間に及ぶのだから──電気自動車、自動運転車、インターネット、ロケット開発、人型ロボット開発、ブレイン・マシン・インタフェースにAIなど──、人類の未来について考えるにあたって、我々はマスクの思考・形成プロセスを知っておく必要がある。

マスクの周囲の人間は多かれ少なかれその行動や言動の被害を受ける。彼こそが世界を変える人間だと付き従う人間もいるが、離れていく人間の方が圧倒的に多い。アイザックソンは周囲の人間にも膨大なインタビューを行っているが、多くの人が「彼はすさまじい人間だが、彼のすさまじい成果とあの性格はセットでなければならないのか? 性格を矯正したら成果も出なくなってしまうのか」と疑問に思っている。

本作では、マスクの善性も悪性も含めて全面的にその人物像を描き出している。ルーツから、プライベートから、会社の中から。初の公式伝記とはいえ、アイザックソンはマスクを持ち上げるばかりではなく、時に強烈にディスってもいる。

マスクは心のありようから陰謀論に傾きがちで、自分に対するネガティブな報道は、基本的に、報道機関の人間がなにがしかの意図でわざと流していたり、あるいは、よからぬ目的があって流していると信じている。*1

マスクの人物としての是非はともかく──本書にはいくつものテーマが流れているが、その一つに「性格や行動が最悪な人物が凄い成果を残している時、その性格と成果は不可分なのか?」というテーマもある。許されるか許されないかはそれとはまた別の問題なのは無論だが──彼が無類におもしろい人間なのは間違いない。

上巻と下巻の内容について

本作は上下巻に分かれている。ざっくりとした区分けとしては、上巻では幼少期の話からはじまってどんな家庭で育ち草創期にどんなことが起こったか、また数々の事業の創業を経て苦難をいかに乗り越えていったのか(たとえばロケット打ち上げの民間企業スペースXも、電気自動車のテスラも、どちらも資金ショートの間際の局面を乗り越えている)がメインとなっている。上巻はだいたい2019年頃までの話だ。

そして下巻では、主に2020年代の話が語られる。スターリンクがウクライナに通信を開放していたがロシア軍への攻撃に用いられそうになったので(ひいてはそれが核戦争に繋がりかねないことを危惧して)突如として遮断した話や、ツイッターの買収、そして「有能なエンジニアだけ残して後は全部切り捨てる」決断をした舞台裏など、そのあたりは下巻でみっちり触れられている。この二つは特にニュースバリューや興味関心が集まるだろうが、そのへんの裏話が知りたい人は下巻だけ読めばいい。

幼少期の話──スペースX・テスラの安定まで

上巻は幼少期の話から始まるが、これがまあとんでもないエピソードの連続だ。たとえばマスクは南アフリカで育ったのは有名な話だが、12歳の時にベルドスクールなる荒野のサバイバルキャンプに放り込まれたという。配給される水も食料も少なく、人の分を奪うのは自由でむしろそれが推奨される、蝿の王の実験版みたいなキャンプで、殴る蹴るのが当たり前の環境だったという(何年かにひとり死者も出るとか)。

マスクは幼少期のエピソードも50代のエピソードも対して印象は変わらない。SFが好きで(よく名前があがるのは『銀河ヒッチハイク・ガイド』だ)ゲームが好きで(超多忙なはずなのに隙間をみつけて対戦ゲームもやるしエルデンリングもやっている様子が本作では描き出されている。しかも対戦系ゲームはめちゃくちゃ強かったらしい)、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』もやり──と、ゲームやSFに熱中しながら、それを”フィクション”で終わらせずに現実のものにするために活動力を費やしている。

上巻の盛り上がりどころの一つは、テスラもスペースXも資金がショートしかかり絶望的だった2008年、スペースXの3連続で失敗したロケット打ち上げが、最後ぎりぎりの部品をかき集めて臨んだ4回目で成功し、NASAからの受注も入りテスラの工場も正常に稼働し始めた2008~2009年あたりだが、このあたりは胸が熱くなる展開だ。下記は3回失敗してもうキャッシュに後がない状態で、再起をはかるシーンである。

 だがマスクは、ロサンゼルス工場に4台目の部品がある、それを組み立て、なるべく早くクワジュに運ぼう──そう提案した。期限は、ぎりぎりなんとかなりそうな6週間だ。
「あの状況で『がんばろうぜ』ですよ。感動しました」とケーニヒスマンは言う。*2

その根本的な行動原理

マスクという人間はこうして本で読んでみると行動原理は単純で、とにかく幼少期から思い描いてきた壮大なヴィジョンの実現のために、できることは何でもやる。その夢はたとえば人類を複数惑星に入植させるみたいに普通にやってたら数百年かかってもおかしくない事業なので、それをなんとか自分が生きている間に間に合わせるために一日中働くし自分の部下にもみな同じような水準の労働を求める。

その過程で他人と喧嘩しまわりを不幸にするが、実現のためにありとあらゆることをやるせいで既存の因習だったり思い込みを打破して結果的に多くの人に利益をもたらすこともある。テスラで内製にこだわって徹底的にコストカットしたのも、スペースXで実費精算(かかった金額分だけ請求できるので、できる限り作業を引き伸ばすのが儲かる)でぬるま湯に浸かっていた宇宙産業に乗り込んで徹底的にコストにこだわって実費精算以外の民間ロケットの道を示したのも、そうした特性からきている。

ジョブズとマスク

著者のアイザックソンがスティーブ・ジョブズの伝記も書いているのも関係しているだろうが、本書にはジョブズとマスクを比較する描写も多い。たとえばどちらも強迫性障害のような特性があり、問題に気づくとなにがなんでも解決してしまう。

そうせずにはいられない性格だからだ。しかし、どこまで解決しようとするかの範囲が二人は異なっている。ジョブズは概念とソフトウェアを押さえてデザインにこだわったが、生産は委託していた。ジョブズが中国の工場を訪れたことはない。だが、マスクはデザインスタジオより組立ラインを見て歩くことを好む男だ。

『マスクがジョブズと違うのは、製品のデザインに加え、それを支える科学や工学、生産にまで強迫的な接し方をする点』だという。マスクは生産や材料、巨大な工場を脅迫的なまでに効率的にしようとする。工場好きが講じて、カリフォルニア州の工場をトヨタが売りに出していたのを知ってトヨタの豊田章男社長を自宅に招いて資産価値10億ドルと言われたこともある工場を4200万ドルで買うことに成功している。

工場改善男

僕が本作を読んでいて特に印象に残ったエピソードも工場絡みのものだ。マスクは生産工程においては5つの戒律があり、たとえば第一の戒律は「要件はすべて疑え」だ。

ネジがその本数である理由、ネジカバーを使わないといけない理由、そのすべてに「理由があるのか?」ときいて回る。当然「安全のためです」などと返答があるわけだが、本当に耐荷重の計算を行って数値的に必要なのか? としぶとく問い詰め、結果必要なければ全部とっぱらってしまう。その工程を部下に強いるだけでなく、マスク本人が実際に工場に何日も寝泊まりしてでもやりとげるのがすごいところだ。

たとえばテスラの工場では、車のボディのボルトの本数が6本なのはなぜなのか? もっと減らせるんじゃないか? と問う。ボルトが6本なのは事故のときに外れないようにですと返答されるが、事故の力は基本的にこのレールを伝わってくるはずだ、と力が加わるはずの箇所すべてを頭に思い描きそれぞれの許容値を挙げ、もっと減らすことができるだろう──と設計の見直しと試験を技術者に伝えたりする。

彼の指示はとんでもなく間違っているものもあるが、とはいえあっているものも多く、あっていた場合はボルト一本、ネジ一本、ネジカバー一本単位で工程から削減されていく。この徹底した要件定義の見直しによる工場の効率化によって、最終的に破壊的な製品を産んだり、無茶な生産期日がまかり通ってしまったりする。

工場を歩きながら、1日に100回は指揮官決定を下しただろうとマスクは言う。
「2割はあとでまちがいだとわかり、直さなければならなくなるでしょう。でも、ああして私が決断を下して歩かなければ、我々は死んでしまうわけです」*3

とは本人の弁。「2割はあとでまちがいだとわかり」の比率はもっと高いと思われるが、仮に6割が間違いだったとしても、物事を前に進めるためにはプラスになるのかもしれない、と本書と彼が成し遂げてきたことをみると思う。

それを特に実感したのは、2010年に無人宇宙船を軌道に打ち上げ、戻ってくるのを目的とした試験のエピソードだ。高難度なので民間ではもちろん国レベルでも成功例は少ない(米国、ロシア、中国)。その打ち上げの前日に、2段階目エンジンのスカート部に小さな亀裂が二つはいっているのが見つかった。宇宙では少しのことが命取りになるので、通常万全を期す。NASAの関係者は、みんな何週間か延期になると思ったそうだが、マスクは「亀裂が入っているスカートを切ったらどうだろう」という。

スカートを切ったら推力が少し落ちる。しかしミッションに必要な推力は得られるはずだと計算が出て、翌日の打ち上げは無事行われ、そして成功したのである。

おわりに

通常の書評の文字数を超えて紹介しすぎた感もあるが、これでも全体からするとほんのわずかなエピソードに過ぎない。普通の人間ならテスラかスペースX、どちらも軌道に乗った時点で満足するだろうに、リスク大好き人間のマスクは歳をとっても何も変わらずに新しい対象にキャッシュをベットし続けている。そもそも彼の目標は金持ちになることではなく人類を複数惑星に住まわせることなわけだから。

最終的に彼の旅がどこまで届くのかはわからないが、本書はその旅の現時点で最新で最良の記録書である。

*1:ウォルター・アイザックソン. イーロン・マスク 下 (文春e-book) (p.64). Kindle 版.

*2:上 (文春e-book) (p.264). Kindle 版.

*3:ウォルター・アイザックソン. イーロン・マスク 上 (文春e-book) (pp.408-409). Kindle 版.

オールドスタイルなスペースオペラの土台に宇宙のすべてが乗っかった、圧巻のオープンワールドRPG──『Starfield』

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ベセスダの新作ゲーム『Starfield』、XboxGamePassに加入してプレミアム・エディションを追加購入した人は9月1日からプレイできた。現時点で35時間ほどプレイし、各勢力のミッションもいくつかたしなみながらメインミッションも一応クリアしたので、いったんファーストインプレッションとして感想を残しておきたい。

最初にざっとした総評

結論からいうと間違いなくベセスダのオープンワールドRPGであり、他スタジオが作ったオープンワールドRPGからは摂取できない栄養がここにはある。『Skyrim』と『Fallour4』をあわせたよりも多いセリフ量があり、8年の月日がかけられた。数多くの勢力が入り乱れるさなかに次々と道徳的に曖昧な選択を迫られ、それが世界に不可逆の変化をもたらす──そうしたSkyrimやらFalloutシリーズやらでこれまで散々味わってきたあの喜びとおもしろさがここにはあり、ここまで熱中してプレイした。

「宇宙を舞台にした冒険RPG」と説明されて、こんなことやりたいな、あんなことやりたいな、と想像することはだいたいなんでも可能にしたゲームだ。宇宙船を自分好みにクラフトし、宇宙船戦闘を繰り広げる。氷の惑星から砂漠の惑星まで数多の惑星に足を広げ、廃墟などを探索する。奇妙なエイリアンどもとやりあう。

宇宙海賊になって人から金を巻き上げる、財宝を追い求める。あるいは宇宙をめぐるパトロールになって悪いやつらをこらしめ、宗教までもが絡んだ大きなテーマに接続し──と、1960年代〜70年代ぐらいを彷彿とさせるオールドスタイルなスペースオペラのシンプルな土台に、あらゆる素材が載っている、本作はそんなゲームだ。

下記は開発者へのインタビュー記事の日本語訳(僕が適当に訳した)

Starfieldは最もロマンチックなサイエンスフィクションだ。1960年代の黄金時代の宇宙への夢が心に、そしてベセスダの親しみやすい感触が血管に流れてる。アートディレクターのIstvan Pelyは、本作のヴィジュアルを”NASA Punk”という造語で表現した。「ホログラムがいたるところにあるわけじゃない。ボタンがあって、触感がある。彼は親指で空気をつぶしながら言う。「未来的だと思わないで。時代劇だと思えばいい。これは実際にあったことなんだ。ゲームを300年後の未来に設定されているけど、人間性が変わったようにはしたくなかったという。「人は人のままだ。彼らは完璧じゃない」*1

これまでベセスダゲーを楽しんできた人はもちろん、FalloutもSkyrimもやったことないけど一回ぐらいやってみたいな、と思う人も手を出しやすい作品になっている。この手のゲームはボリュームが多いことが宣伝されるし、数十時間、100時間溶けたわ〜という人も多い(し隅々までやったらそれぐらいかかる)が、寄り道しつつもメインミッション中心でプレイすれば30時間もかからないはずなので(難易度もベリーイージーまであるし)、時間が心配な人も手を出してみるのも良いだろう。

一方で難点がないわけでもない。これまでの遊びの延長線上の作品であるのもまた間違いなく、新鮮味は多くない。また、宇宙を舞台にして「なんでも可能にした」と先に書いたが、その全部が全部素晴らしい体験になっているとはいい難い。宇宙船戦闘も最初は楽しいがすぐに飽きてしまう程度のものだし、移動の基本は惑星から惑星へのファストトラベルなので、物量は感じても宇宙の圧倒的な広さといったゲーム体験的なおもしろさに繋がっているかというと微妙な面もある。

宇宙を旅する

じゃあStarfieldは実質宇宙のガワをかぶせただけのSkyrimってこと? といえば、広大な宇宙を舞台にしたからこそのスケール感と魅力もきちんと存在する。

各勢力クエストのおもしろさやメインミッション後半の怒涛の展開は本作が宇宙ものであることの意義が発揮されている。いろいろな宇宙・都市は、サイバーパンク風だったり荒野だったりと多様な世界観を内包し、視覚的に楽しませてくれる。

各惑星はどれも美しい

総評としては、欠点がないわけではないが、そのゲーム体験は唯一無二のもので素晴らしい作品であることにかわりはない。本作をめぐっては10点満点中の7点が高評価か否かみたいな議論も発生しているが、僕がつけるなら8か9かな。以下、極力ネタバレを廃してストーリー部分を中心に、もう少し詳しい紹介をしていきたい。

ストーリー、世界観など

物語の舞台は2330年。人類は太陽系を離れ、数々の惑星に入植し独自の文化を発展させている。このゲームでは一般的なオープンワールドRPGのように数々のミッションが存在しクリアすることで物語が進行していくが、重要なのは「勢力」の概念だ。

この世界にはいくつもの勢力があって、基本的にはこれがミッションの柱になっていく。たとえば主人公が通常は最初に所属する「コンステレーション」は、アーティファクトと呼ばれる(おそらく)異星人が残した不可思議な物質を集める宇宙の探検家の集まりであり、このミッションを通してアーティファクトの収集、力の秘密を追うことになる。これがメインミッションになるが、他にも数多くの勢力が存在する。

コンステレーションの本拠地がある惑星ジェミソンのニューアトランティスでは、Starfield世界屈指の軍事力と影響力を持つコロニー連合に入ることもできる。コロニー連合に入ると下っ端で簡単な仕事から……と思いきや、紅の艦隊という無法者集団への潜入捜査を命じられ、いきなりハードなミッションをこなすことになる。海賊に信用されるために無法な行為にも手を染めねばならないが、やりすぎればコロニー連合の怒りを買い──と、ぎりぎりの綱渡りがこのミッションでは展開していく。

ある特殊な技術を開発する超大企業であるリュウジン・インダストリーズに所属することになればライバル企業の情報を盗んだりよからぬウイルスを紛れ込ませたり、社内政治に巻き込まれていく企業スパイもののストーリーが展開し──と、勢力ごとにテーマも題材も異なった物語が堪能できる。長篇をつぎつぎと読んでいくようなもので、”どちらの勢力を壊滅させるか”、”勢力内で誰の味方をするか”など、自分自身で不可逆に世界を変化させていく喜びがある。そこで得た力や情報はどれも攻略を楽にするもので、この辺の構築力はさすがのベゼスタゲーといったところだ。

メインミッションの味付けは薄い

僕のプレイ体験としてはコロニー連合ミッション⇛リュウジン・インダストリーズ⇛自由恒星同盟の順に勢力ミッションをクリアし、その後にメインミッションに着手した。メインミッションは基本的にはいろんな惑星をめぐってアーティファクトを集めるだけでそれぞれの色のある勢力クエストと見比べると単調でつまらない。

広大な宇宙を堪能してもらうために、宇宙の冒険・探検をテーマにしたオールドスタイルなスペースオペラの物語を中心軸に置くのは理解できるが、その中身がファストトラベル⇛惑星に降り立って数分で目的のものをゲット⇛帰宅の連続だと話が変わってくる。ドラマティックな展開もあるし味付けの薄い探索の連続の理由も推測できるのだけど、退屈なものは退屈だ。僕の場合この点が本作の評価を大きく下げている。

プロット的には本作の(というかベゼスタ製オープンワールドRPGとのだけど)ゲーム性ともよくあっていて、終盤の演出にぐっとくるポイントも多々あるんだけどね。

クラフトなどについても長々と書こうと思ったがもうけっこう長くなったしやめておこう。数多の惑星に降り立ち(たとえば月にもいける)そこに拠点を作ることができるのは思いのほか楽しい体験だ。ゲーム中では乗組員(クルー)をスカウトすることもできるのだが、彼らは自分の宇宙船だけでなく拠点にも配置できるので、彼らが居心地の良い空間を作ろうと思うと、けっこうやりがいはある。

おわりに

ディレクターを勤めたトッド・ハワードは現時点で52歳。これだけの作品を作り上げるには相当な困難があったことは間違いないが、次は『Skyrim』の続篇にあたる『The Elder Scrolls 6』に着手するというので、タフな仕事が続くわけだ。6にも『Starfield』と同じだけの時間がかかるなら60歳になってしまう。

そうするとそろそろ後継者育成に手を出すタイミングだろうが、先に引用したインタビューの中で彼は『「ずっとやっていきたい。私の仕事のやり方はおそらく進化していくと思いますが、宮本を見てください。任天堂の象徴は今年71歳になった。彼はまだやっています。』*2と語っている。トップクリエイター同士のリスペクトが感じられてかなりぐっときちゃったな。*3

いったんレビューを書いたがまだまだ僕も未プレイの膨大なクエストが残っているから、もっと遊ぼうと思う。本作は余白(広大な宇宙に散らばる惑星だったり)が大きいのも特徴で、DLCやMODにもいつも以上に期待がかかる。時間が経つことでもっともっとおもしろくなるのは間違いないゲームだ。今年はアーマードコア6も最高だったし、SFゲーム豊作の年として記憶されることになるだろう。

*1:https://www.gq-magazine.co.uk/article/starfield-todd-howard-interview

*2:“I want to do it forever,” he continues. “I think the way I work will probably evolve, but… look at Miyamoto.” The Nintendo icon turned 71 this year. “He’s still doing it.”

*3:宮本さんは後継者(というか自分がいなくても回る仕組みを)を作ってるんだけど

『SF超入門』のオーディオブックが出るのでオーディオブック自体の良さをオススメする。

僕は今年の3月に『SF超入門』という、SF(小説)の入門本、ガイド本を出したのだけどありがたいことにこれをオーディオブックにしてもらえることになった。オーディオブックは僕もよくわかっていなかったが必ずしも出版社が声優などを雇って出しているわけではなくオーディオブック制作会社が存在し、そこから出版社にアプローチがあって契約締結&制作が行われるケースもあるようで、僕はそちらであった。

で、音源サンプルもいただいて(とてもよかったです。ありがとうございます)発売日も9月15日に決まったので、宣伝ついでにオーディオブックの良さについて紹介しておきたい。僕も2年ぐらい前から熱心にオーディオブックを使うようになり、これって意外と便利だな、と思う局面が多かったからだ。『SF超入門』を買ってもらうかはともかく、オーディオブック自体は使い方次第でとても便利なのでおすすめしたい。

オーディオブックをどこで買うか?

ちなみにオーディオブックを聞ける・購入できるサービスは多々あるが、現状最大手はアマゾンだろう。オーディオブックをアマゾンで買おうとすると3500円ぐらいと(普通の本と比べると)高額になってしまうが、サブスクで読み放題のオーディブルがあって、それだと定額でたくさんの作品を聴くことができる。おそらく、アマゾンでオーディオブックを楽しんでいる人の大多数はこのオーディブルユーザーだろう。

月額が1500円程度なので、もしあなたの読みたい本がオーディブルの読み放題対象に入っているのなら、一冊で買うより確実にオーディブルで聴いた方が安い。そのうえアマゾンは数年前からやたらとオーディブルを普及させようとしており(実際売上が伸びていることもあって、オーディオブックになる本も増えている)、頻繁に割引メールを送ってくるので、タイミングを見ても入っていいかもしれない。

その性質上オーディオブックは本が書籍で刊行されてから数ヶ月経ってから出るのがデフォルトなので、新刊書籍を真っ先に楽しむ用途には向いていないが、刊行から半年程度経つとオーディオブックが出て、オーディブル対象になっているケースが多い。たとえば中国のSF作家劉慈欣の『三体』シリーズは全部聴き放題に入っているし、今年出たばかりの劉慈欣の第一長篇『超新星紀元』も聴き放題対象だ(ただオーディオブック自体の配信日が今年の11月10日からなのでそこからのスタートになるが)。

僕がSF小説の紹介記事を書くと「まだ『三体』も読み終わってないから読めない……」とコメントがつくが、「読め」ないなら「聴く」のも良いだろう。
www.amazon.co.jp

オーディオブックの何が良いか──集中力の問題

オーディオブックの良い点は個人的には大きく二つある。集中力が(目で読むのと比べて)かからないのと、時間の問題だ。前者はいうまでもないと思うが、オーディオブックなら聴いている時目をつぶっていても良いのと、目で文章を追う必要がないので、単純に労力がかからない。電車の移動中は本を読むのに最適な瞬間だが、いちいちカバンから本を出したりしまったりするのが手間(乗り換えがあるとなおさら)だが、オーディオブックなら目をつぶっていても何も問題ないのでとても楽だ。

とはいえ、僕は終日リモートワークで一ヶ月に電車に乗るのは一、二回という生活なので、あまり移動中にオーディオブックを聴くことは少ない。一番多いのは家で寝っ転がっている時だ。僕も若い頃は何時間でも集中して本が読めたものだが、最近は目も悪くなったし、SNSの問題など様々なものがあるせいで気が散って長時間は集中できない。一方でオーディオブックなら目を休めながらも読むことができる。目をつむっているとそのまま寝てしまうこともあるが、それもまた心地よしというものだ。

オーディオブックといえば移動が多い人のためのもの、というイメージが僕にはあったが、家からほとんど出ない人にとってもよい局面は多い。

オーディオブックの何が良いか──時間の問題

オーディオブックのもう一つの利点は「読了までの時間が測りやすい」点にあると思う。特に僕なんかは書評を仕事で書く関係上あー何日締切の原稿を書くために、あれとあれを最低限読んでおかないとーと「読了」の期限が決まっていることが多い。

もちろん期限に間に合うようにがんばって読むわけだが、目で能動的に追っていく読書の場合、はたしていつ読み終わるのか自分でも読めない時が多い。難しい本なら時間がかかるし、簡単な本ならあっという間で、ブレが大きい。それとは別に、さっきの集中力持続問題もあって読了時間の目安が立てづらい。その点オーディオブックなら目で読むのと比べて時間はかかることが多いが、読了までの時間は正確に把握することができる。『超新星紀元』なら、再左営時間は13時間36分なので2倍で聴けば7時間かからずに読み終わるな〜と予測が立つだろう。

オーディオブックの利点はきちんとした俳優や声優の方が読み上げてくれているので、倍速でも聞き取りやすい点にもある。僕はオーディオブックを使うようになる前からスマホの画面認識&読み上げ機能を使って、オーディオブックじゃない作品もKindleの電子書籍で買って音声で聴いていたんだけど(さらにそれをレコーダーに録音してMP3化して、水中イヤホンに入れてプールで泳いだり、アクロバティックなこともしていた)、どうしても機械なので、漢字の正確な読み上げも聞き取りも難しい。オーディオブックをたくさん聴いていると、プロって凄いな、と実感させられる。
note.com

具体的に何を読んでいるのか

みな自分の好きなものを読めばいいわけだが、僕の場合は原稿を書くための資料になりそうな本であったり、少し前で賞をとった作品や話題になった作品をキャッチアップするために使っていることが多い。たとえば少し前は米澤穂信の読んでいなかった作品(『黒牢城』とか)を順々に聴いたし、呉勝浩の『爆弾』も聴いた。

僕の利用例でいうと書評家としての専門といえるSFやノンフィクションは新刊で出た直後に読みたいので紙の本やKindleで読み、ミステリーやビジネス系など専門から少しズレるが話題作をオーディブルでおさえておく、という使い方をしている。なんでもそうだが適材適所なので、ケースに沿った使い方をするのがいいだろう。

一例でいうと、僕の友人は毎朝スーパーに出社して品出しなどの仕事をこなしているのだが、その時いつもオーディブルでなろう系の小説を適当に聴き続けたという。そして、いつのまにかなろう小説博士みたいになっていた。いろんな使い方がある。

おわりに

僕は家の中にずっといるからあれだが、移動が多い人はより助かるだろう。また、オーディオブックになってなかったりオーディブルに入っていない作品はKindle読み上げで聴いているが、こちらについては以前記事も書いているので割愛。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
ここまで書いて気づいてしまったが、『SF超入門』はオーディオブックにはなるが聴き放題の対象には入っていなかった笑 どうにかならないか裏できいておきます。

並行宇宙の地球〈怪獣惑星〉の怪獣たちを保護し、地球を守るために日夜戦う保護協会の面々を描く、『老人と宇宙』著者による怪獣SF──『怪獣保護協会』

この『怪獣保護協会』は、『老人と宇宙』など数多のSF作品・シリーズで知られるジョン・スコルジーの最新邦訳長篇である。スコルジーはもともとSF愛好家であり、作品にもSF小説・映画・アニメネタが(時として)あふれかえることでも知られる作家だが、本作がテーマにしているのは書名にも入っているように「怪獣」だ。

怪獣がもし、並行宇宙の地球に存在したら、それを保護し、研究する人々もいるだろう──という発想で、本作でスコルジーは怪獣が実在する世界をいきいきと楽しそうに描き出していく。しかしなぜ彼は怪獣の小説を書くことになったのか? スコルジーは売れっ子の作家なので何作もの出版契約を結んでいるのだが、常に物事がうまく進むとは限らない。2020年のはじめに執筆予定だった長篇は新型コロナウイルスの到来により書ける状態ではなくなってしまい、一年近く苦しんだのちに頓挫、放棄。

それは締切をできるかぎり守ってきたスコルジーにとっては痛恨の失敗だったようだが、一年続いた重りがとれ、その開放感からか『怪獣保護協会』の全プロットとコンセプトが、一気に降りてきたのだという。そして一年苦しんだのが嘘のように、スコルジーは(ある意味趣味の)本作を一気呵成に書き上げた。

 作家として、わたしはこの長篇に感謝している。これを書くことが回復に役立ったからだ。KPSは──けっして悪い意味ではなく──陰鬱な交響曲のような小説ではない。これはポップソングだ。軽快でキャッチーな、いっしょに歌えるサビとコーラスがある三分間の曲。聴き終えたあとは、できれば笑顔で一日を過ごしたい。わたしはこれを楽しんで書いたし、楽しんで書く必要があった。だれだってポップソングを必要とするときはある。とりわけ、長い暗闇が続いたあとには。

この文章を読んだだけで、『怪獣保護協会』がどんなテイストの作品なのか、その本質的な部分が伝わろうというものだ。一言でいえば、軽いテイストで書かれた幸福な怪獣マニアの小説である。が、同時にどのような理屈なら怪獣が存在できるのか? どのような生態なのか? など、SF小説的なロジックの詰めはしっかりとしていて、ただただ「軽い」で終わる小説ではない。軽重織り交ぜてきてさすがスコルジーだな、と思わず関心させられてしまう、熟練の技を感じさせる作品だ。

2023年度のローカス賞SF長篇部門も受賞している。

あらすじ・世界観など

というわけで本作の基本的なあらすじや世界観などを紹介していこう。物語の最初の舞台は2020年のアメリカ、ニューヨークシティ。主人公のジェイミーは博士課程で大学を中退し、フード#ムードという宅配フードアプリ会社で働いていたが、そこもコロナ禍の不況に伴いクビになった、世相を反映させた人物だ。

クビになっても他に仕事もなく、彼は仕方がなくフード#ムードの配達人(デリバレーター)として仕事を始めるが、ある時彼が食事を持って訪問した先で、彼の昔の知人であり、新しい仕事を紹介してくれる奇特な男トムと出会う──。

トムはある”動物の権利、特に大型動物の権利を守るNPO(KPS)”で仕事をしているとジェイミーに語る。なんでも、KPSはフィールドに出てその活動を行っているのが、ちょうど一人が新型コロナで病院に入院していて欠員がでたという。その補充要員として、ジェイミーが現れたのだ。もうデリバレーターの仕事をしたくなかった彼はその申し出に飛びつくが、当然〝KPS〟はただの〝大型動物保護団体〟ではない。

ジェイミーは機密保持契約にサインし、絶滅したはずの天然痘を含む数々のワクチンを打ち、250回に1回程度の割合で打つと殺人衝動に襲われるという危険な注射も打たれ──と、あれよあれよというまに引き返せない状況にまで引きずり込まれることになる。そうして彼が連れて行かれるのはグリーンランドで、そこには彼と同じような新人たち──しかもみんな揃いも揃って〝オタク〟──が揃っている。

「こっちがニーアムで、専攻は天文学と物理学、おれは有機化学と地質科学を少し。ふたりともオタクだ」
「やあ」ニーアムも手を振った。
 わたしは手を振替した。「わたしもSF小説について博士論文を書こうとしたことがあったから、〝オタク〟の資格はあると思う」

以降、登場人物のほとんどがオタクなので会話はどんどんマニアックになっていく。

マニアックなネタの数々

グリーンランドに集められた一行はそこからさらにヘリで、かつて米軍が建設した核基地に移動し、そこでひそかに稼働している原子炉を使うことで、怪獣たちが跳梁跋扈する〝もう一つの地球〟、通称〈怪獣惑星〉へと移動することになる。

KPSは〝怪獣保護協会(カイジュウ・プレザヴェイション・ソサエティ)〟の頭文字であり、〝大型の動物〟である怪獣を保護するための組織だったのだ。彼らは組織の基地におもむくのだが、どれも「タナカ基地」、「ホンダ基地」と日本人名がついている。これは日本人が建設したから──というわけではなく、1954年の映画『ゴジラ』の監督本多猪四郎やプロデューサーの田中友幸に由来している。

「ゴジラの製作者たちからとった名前をつけるなんて、ちょっとやりすぎだね」ニーアムがトムに言った。
「そうだな」トムは認めた。「ここでは全体にそういう傾向がある。どうしてもそうなるんだよ。だって、そうならないはずがないだろ? 知らないふりはできない。怪獣映画だけじゃない。いまだって、きみたちみんなに〝ジュラシック・パークへようこそ!〟と言わずにいるのはすごくむずかしいんだ」
「ジュラシック・パークではどの登場人物も良い結末を迎えなかった」わたしは指摘した。「本でも映画でも」

と、とにかく登場人物はみなSFや怪獣や映画に造詣が深いので、誰かがネタを言えば誰かがそれに撃ち返す、大学のSF研みたいなノリが全篇を漂っている。とはいえ、オタクが自分たちにしかわからないネタで盛り上がる内輪向け小説というわけではない。ネタは基本的に訳注ではなく本篇の登場人物のセリフで元ネタ解説や補足が入るし、そのあたりはユーザーフレンドリーな仕上がりだ。

生物SF的なおもしろさ

また、本作はそうしたネタに終始するだけのSF作品でもない。ジェイミーらは〈怪獣惑星〉に移動した後、その生態や彼らの具体的な業務内容を学ぶわけだが、このあたりには架空の生き物を細かく描写していく、生物SF的なおもしろさがある。

たとえばこの〈怪獣惑星〉は、大陸のならびなどは地球と同じだが、ずっと気温は温かいし酸素の量も多い。爬虫類や鳥類はいるが、哺乳類はKPSの人間しかいない。また、怪獣は一般的にはあれだけ体が大きくなったら体積が増えすぎてエネルギー量的に動かすことも支えることもできないと言われるが、この惑星の怪獣らは体内に原子炉を持ち、体の成長を共にそれが成長することでその問題を解決しているとされる。

この惑星にはウランやトリウムが含まれるアクチノイドが(地球と比べて)多数存在しており、この惑星の生物はそれを利用できるように進化したという。これは本書で語られる怪獣らの生態・仕組みのごく一部で、物語が進むにつれより詳細にその内実が明かされていくのだ。

おわりに

ジェイミーらの最初の大きな任務はにぶちんな怪獣にフェロモンを吹きかけなんとかして交尾させることで──と、怪獣保護協会というかパンダの飼育員のような仕事に邁進していく。もちろんそれで終わるわけではなくきっちり大きな事件も起こり、やたらと核、原子炉を中心に展開していく意味なども出てくるので、より深い部分はぜひ読んで確かめてほしいところだ。トンチキな設定のようでありながら、その中身にはしっかりと実が詰まっている、実にスコルジーらしい長篇である。

現代ならではの形でAI・ロボットの反乱を描き出す、AI反乱SF傑作選──『ロボット・アップライジング』

東京創元社はこれまで「ゲーム」とか「銀河連邦」とか「巨大宇宙」とかこの手のテーマ・SFアンソロジーを多数翻訳・刊行してきたが、本作『ロボット・アップライジング』はAIはAIでも「反乱」にテーマを据えたSF傑作選である。『ウール』などで知られるベストセラー作家のヒュー・ハウイー、『レディ・プレイヤー1』の原作を書いたアーネスト・クラインなど錚々たる作家陣13人が短編を寄稿している。

正直、AI・ロボットテーマの中でも「反乱」は難しいお題ではなかろうか。現代においてAI・ロボットは広く普及し身近なものになった一方で、そう簡単に「反乱」させてみても新鮮味もなければリアリティも感じられない。そこで、各作家は知恵をこらし、現代ならではの「AI・ロボットの反乱の形」を模索している。真正面から反乱させる作品もあれば、反乱が終わった後の世界をテーマにしたものも、反乱なのかどうか判別つかない境界をテーマにしたものもあり、バリエーションに富んでいる。

収録されている短編、その全部が全部おもしろかったわけではないのだけれど、どうやって自分だけの「反乱」を描こうか? と作家の思考の軌跡が感じ取れる一冊で、全体的に満足度が高かった。以下、お気に入りの作品を中心に紹介しよう。

ざっと紹介していく。

トップバッターは”ミニッド”と呼ばれる極小のサイボーグを中心に据えた物語であるスコット・シグラーの「神コンプレックスの行方」。ミニッドは放射能を吸収し酸化させ、放射性性廃棄物を取り除く。放射能を凝縮することで、人間のような大型の生命体から隔離するのだ。作中では核が落ち核廃棄物だらけになったデトロイトを除染しているミニッドたちと、その開発者の姿が描かれていく。

ミニッドらは制限付き(500万もしくは放射性物質が集まらなくなった時点)で自己複製する能力、自分たちで考えて戦略を決定する能力まで備えているが、それは事実上の生命といえるものであり──と、アンソロジーのテーマである”反乱”、そして短編タイトルにも入っているでもある”神”に接続されることになる。”作られたもの(生命)”は必然的に”創造主”を持つがゆえに、神のテーマに接続しやすいが、本作はシンプルな形でそれを演出してみせた。トップにふさわしい一編だ。

反乱かどうか、簡単には判別しがたい作品

続くのはチャールズ・ユウ「毎朝」。毎朝7時に主人を起こすことになっているロボットの語り──起こす直前、6時59分に毎回始まる──の連続で構成される作品だが、その内容は不穏そのもの。なんでもロボットたちは人間への反逆を企てており、ロボットの目の前で主人はだらしなく寝ているので、いつでも葬り去ることができる。

しかしロボットは、主人がいつも(起きる直前に)脚を動かし、指を出して鼻をほじり、枕によだれをこぼし──と起きる間際の動作、その一挙手一投足を観察していて、『おまえたちはみんなおなじ。よだれ袋だ。その他さまざまな液体の袋。』とかひどいことをいいながらもどこか愛情のある語りを続けていく。はたしてロボットは主人を殺すことができるのか? 本書収録作の中ではユーモラスな一編だ。

続いて紹介したいのは『ゲームウォーズ』などで知られるSF作家のアーネスト・クラインの「オムニボット事件」。”ロボット”と”反乱”とテーマだけ聞くとどこかノスタルジックな感覚を覚えるが(僕だけかもしれないけど)本作は1985年に発売された実在のロボットオムニボットを使った、ノスタルジーを刺激する家族の物語だ。

舞台は1986年、母を亡くしたばかりの13歳の”ぼく”が怪談を降りるとそこにはロボットのオムニボット2000が置いてある。それだけではなく、そのロボットはまるで人間のように喋りだし──と1986年に存在するはずのない高度な受け答えをするロボットの謎を解き明かしていくことになる。派手さこそないが、ドラえもん的な人情譚で、個人的にはかなり好きな作品。

「ロボットと赤ちゃん」は、1927年生まれの計算機科学者で初期のAI研究者の第一人者として知られるジョン・マッカーシーによる短編(発表は2001年)。かなり昔の作品だが、本作で行われている問いかけは現代にも通用するものだ。舞台は家事ロボットが普及した未来。アルコールと薬物の依存症であるシングルマザーの母親から、「おまえがあのクソガキを愛してやりな」と一方的に子育てを押し付けられた家事ロボットR781が主人公。だが、はいわかりましたと簡単に育てられるわけではない。

この世界では子供がロボットを人間とみなして依存しないように、数々の規則がしかれている。たとえばR781は巨大な金属製のクモのような形をしているし、8歳未満の子供に話しかけることはおろか相手の言葉に反応もしないようにプログラムされている。緊急時を除いて、赤ちゃんの世話をすることも許されない。しかし、命の危険がある時は? 児童福祉局への通報も持ち主である母親によってロックされ、子供を助けなければという規則にも縛られ、複雑な計算の果てにロボットは子供を愛する「まね」をして結果的に子供を助けることを画策する──。作中ではその後に、R781の行動に対して社会的な議論が巻き起こるのだが、ぜひそこまで読んで欲しい一編だ。

反乱がすでに起こってしまっている作品

《啓示空間》シリーズなどで知られるアレステア・レナルズの「スリープオーバー」は個人的には世界観の作り込みがもっとも好きだった一編。人類の多くが将来的な不老不死技術の完成を夢見て人工冬眠した未来が舞台で、主人公はその処置を受けた最初期の一人だった男。しかし男は強制的に目覚めさせられ、この世界がもはやのんきに不老不死技術の到来を待っていられる状態ではないことを告げられる──。

男はかつて人工知能開発で材をなした人物だったが、どうもその研究が災いして世界は破滅的な状態になっているらしい。途中で覚醒させられた後、世界の状況を一歩ずつ知って、この世界で生きる覚悟を決めていく男の変化も良いが、”冬眠中に変質してしまった世界”の描写も短編ながら壮大なスケールを感じさせるもので、できれば長編にしてくれねえかなと思うぐらい余白のある作品であった。

最後に収録されている作品

最後に収録されているのは本書の編者の一人ダニエル・H・ウィルソンによる「小さなもの」で、ナノロボットが重要な役割を果たすなど、いくつかの点で最初の短編「神コンプレックスの行方」と呼応している。作中に出てくる”クレタ”と呼ばれるナノマシンは2、3ナノメートルの大きさで、物の隙間に入り込み個々の原子を再配置して別のものに作り変える。武器を作るクレタもいれば、炭素をダイヤモンドにするクレタもいる。当然それは反乱するのだが、どうもこの反乱には裏で仕組んでいた人間がいるようで、事件解決のためナノロボットの専門家が駆り出されることになる。

すべてを分解し作り変えるナノロボット、それが世界を変容させていく情景が恐ろしくも美しい、ラストに配置されるのにふさわしい作品であった。

おわりに

駆け足で紹介してきたが他にもロボットと精神医学をテーマにした「死にゆく英雄たちと不滅の武勲について」や教育✗AIの別側面を描く「ビロード戦争で残されたいびつなおもちゃたち」、ナイジェリアが舞台の芸術テーマの作品「芸術家のクモ」など多様な”反乱”作品が揃っている。よかったら読んでみてね。

飲み会で顔をあわせた韓国作家らが生み出した、スチームパンク・シェアワールドアンソロジー──『蒸気駆動の男: 朝鮮王朝スチームパンク年代記』

この『蒸気駆動の男』は、飲み会に居合わせた5人の韓国人作家がその場で盛り上がって刊行にまでこぎつけたスチームパンクアンソロジーだ。アンソロジーといえばテーマを決めてそれぞれが独自の作品を書いてくるケースが多いが、本作の場合は共通の年代記・世界観で5人が描き出す、シェアワールド的な作品になっている。取り扱われているのは現代ではなくて1300年代から1800年代頃、朝鮮王朝があった過去であり、そこにもし蒸気機関があったとしたら──というイフを挿入していく。

装丁もいいし、僕がもともとスチームパンク好きというのもあって期待して読み始めたのだけど、これが想像以上におもしろい! たとえばスチームパンクとはいってもその歴史、イベントは基本的に史実をなぞっていて、あの歴史的出来事・人物の裏側はこうだったのかもしれない……という部分を蒸気機関技術が埋めていく。そのため、スチームパンクとしての魅力と、朝鮮史物としての魅力が両立しているのだ。

5篇しかないので全体を紹介していこう。基本的に作品は収録順に時代が現代に近づいていって、読み進めるごとに蒸気機関で出来ることも増え、それが物語に反映されていく。ただしどの時代も蒸気機械の利用が許可されているわけでもなく──と、そのへんのダイナミズムが描けるのも500年続いた王朝を舞台に選んだ利点だろう。

チョン・ミョンソプ『蒸気の獄』

最初に収録されているのは、チョン・ミョンソプ「蒸気の獄」。1519年に李氏朝鮮の11代の国王が、蒸気機械の積極的な利用を主張していた趙光祖(チョ・グァンジョ)とその仲間たち(国王も趙も実在の人物)を処罰し、趙光祖は王命によって自死を強いられることになる(これが作中では蒸気の獄と呼ばれる)。だが、国王はそれ以前はむしろ趙光祖を信頼し、積極的に蒸気機械の利用価値を認めていたという。

はたして、なぜ重用されていたはずの趙光祖が処罰されたのか。その謎を、国王が死んだ1544年、廟号(高貴な人の死後に贈られる称号)を決める議論の過程で解き明かしていく。たとえば国王は蒸気を愛していたので蒸の字をつけようと意見が出るが、彼は本当に蒸気を愛していたのか?(趙光祖を処罰したのに)という疑問もはさまれる。それ以外にも「宗」の字をつけるか「祖」の字をつけるかも功労や徳の面からの議論があって──と、「廟号の決定する過程と歴史の検証」という歴史的にマニアックなテーマを見事に蒸気機関と絡めてみせた一篇だ。

エジン「君子の道」

それに続くのは情け容赦のない身分制度が描かれるパク・エジン「君子の道」。朝鮮王朝時代は王族を頂点として激しい身分制度があった。支配階層の「両班」、専門職の官吏「中人」、農民・商人の「常民」、ここまでが「良人」で、その下に自由がない「賤民」が続く。「奴婢」は賤民の多数を占めるが、奴隷的存在であり、本作の主人公もこの立場の人間として主人から激しい暴力を受ける日々を過ごしていく。

語り手の「儂」が息子に自身の半生を語りかける形で物語が進行していくが、その過去は悲惨そのものだ。旦那様に奴婢だった母親が犯され、その子供として生まれてきたのが「儂」である。旦那様はもちろんその妻にも疎まれ、暴力を受け、彼らの子が生まれてからはその子からも激しい暴力を受ける。儂はしかし、生き延びるため、気をそらせるようなおもちゃを汽機術で作り上げ、次第にその技術を練り上げていく。

果ては、まるで勉強する気もないぐうたらな坊ちゃまのために、字を書き、発声まで可能な蒸気機関の人体を作り上げるまでに至り──と、身分制度の暗い側面を描きながら、被支配者が技術(蒸気機関)で成り上がっていく様を描き出している。「蒸気の獄」とあわせて、歴史のおもしろさが詰め込まれた一篇だ。

キム・イファン「「朴氏夫人伝」」

続くキム・イファン「「朴氏夫人伝」」は本書収録作の中では軽めな読み味の、アクション寄りの一篇。この時代(1600年代)に一般市民による蒸気機械の使用は禁じられているのだが、主人公は山中の鍛冶屋が蒸気機械を利用して鍛冶を効率化している事実を偶然知ってしまう。それどころか、鍛冶屋の旦那の片腕は蒸気機械の義手で──と、”禁じられた技術”を身に宿す者という、そそるシチュエーションで物語が進行していく。この路線だけで一本アンソロジーが読みたいぐらいの作品だ。

パク・ハル「厭魅蠱毒」

パク・ハル「厭魅蠱毒」は呪い✗蒸気機械をテーマに据えたミステリー的な一篇。ある呪術師が呪いを使ったという噂が民衆に広がり、王命により拷問の末殺されるが、その過程には不可解な点がいくつもあった。たとえば呪いの確実な証拠もなければ、被害者すらもいない。それどころか、噂を広げたのはその呪術師本人だったという。

いったいなぜ自分の命を縮める噂を広めねばならなかったのか──が、調査が進む過程で明らかになっていくわけだが、そこでもやはり蒸気機械が魅力的な舞台装置として絡んでくる。この短篇に出てくる蒸気機械の描写がかっこいんだこれが。漫画やドラマでおなじみの暗行御史(国王直属の官吏で、地方官吏を監視する役目を持った人々で、正義の味方として描かれることが多い)が出てくる一篇でもある。

イ・ソヨン「知申事の蒸気」

最後に収録され、時系列的にも朝鮮王朝の最終盤にあたるのがイ・ソヨン「知申事の蒸気」。「君子の道」では人間そっくりの蒸気機械(汽機人)が作り上げられる様が描かれていたが、本作では自分の名前すら忘れた、記憶喪失の汽機人が洪国栄(ホン・グギョン)として政治の中枢に関わるようになる過程を描き出していく。

洪国栄は実在の人物名で、ドラマなどで知られる第22代国王イ・サンの右腕として活躍した人物だ。だが、妹がイ・サンの側室になった翌年に病没すると政治の舞台から失脚し、すぐに亡くなってしまっている。その失脚も妹の死の真相も不明な点が多いが、その時何が起こっていたのか。人間の命令に絶対的に従うはずの汽機人・洪国栄が政治の場から追われることになったのはなぜなのか。当初は絶対の信頼で結ばれていたイ・サンと洪国栄の間で何が起こったのか──これまでの4作の積み重ねと歴史のロマンがかけあわさって、本書収録作の中でも特にお気に入りの一篇だ。

おわりに

本記事では触れられなかったが、各短篇には歴史の転換点で常に暗躍してきた(たとえば豊臣秀吉による襲撃の際など)、蒸気機関で動くと噂される謎の男・都老(トロ)の存在が絡んできて、読み進めるたびにその正体が判明していくなど、シェアワールドだからこそのおもしろさもきっちりある。5人という少人数アンソロジーであることもあって、「同じ世界感のはずなのに作家によって描写やテイストが違いすぎる」こともなく、統一感ある形で全体がまとまっているのも良いポイントだ。

韓国SFに多大な影響を与え、現代韓国で「最もSFらしいSFを書く」といわれる作家のSF短篇集──『どれほど似ているか』

この『どれほど似ているか』は韓国の作家キム・ボヨンのSF短篇集である。「文藝」に掲載されたされた「赤ずきんのお嬢さん」や「SFマガジン」に掲載された「0と1の間」など断片的に作品が紹介されてきたが、一冊丸々の翻訳はおそらくこれが初。

ペ・ミョンフンの『タワー』、チャン・ガンミョンの『極めて私的な超能力』など近年翻訳される韓国SF短篇集の質は非常に高く、本作にもかなり期待をしながら読み始めたが、これが既訳の韓国SF作品群に負けず劣らずおもしろい!

(翻訳されてくる)韓国SFの特徴の一つは韓国社会の苦境や実際の事件などが作品に反映されていることが多い点にあり、本作でもそうした面は多々あるのだが、超能力/能力バトルものからAIを扱ったミステリといった多彩な題材がそうした社会問題的なテーマと鮮やかに結びついている。池澤春菜さんの解説で、著者について「最もSFらしいSFを書く作家」と(いわれていると)紹介している一節があるのだが、まさにそれを実感させてくれる、純粋にSFとしておもしろい作品が揃った短篇集だ。

全10篇が収録されているので、気に入ったものを中心に紹介していこう。

超能力もの

最初に収録されているのは「ママには超能力がある」という超能力ものの掌篇。「ママには超能力があるんだ」と語る女性と、彼女が引き取って育てている血の繋がりも何もない、昔の恋人の娘の対話で物語は進行していく。超能力があると語る母親に対して、娘は「超能力のない人なんて、この世にいないよ」とそっけない。

本来何の関係もないのに育ててくれている「おばさん」を、娘は気にかけている様子が描かれていく。歳がそんなに離れているわけでもないのに、娘がいたら結婚だってできないだろうと。とはいえ長い時を過ごすうちに、二人は次第に似た者同士になっていく。そして、「超能力がある」と語る、母親の能力とは──。重要なのは能力の有無というよりも「この世の誰にも、みようによっては能力が宿っている」という視点であり、われわれは誰しも、誰かにとってのヒーローになれるのかもしれないと思わせてくれる、短いながらもキム・ボヨンの作風が凝縮された一篇だ。

流れ的に続けて超能力ものを紹介していこう。「この世でいちばん速い人」は様々な能力を持った超人が点在している世界を舞台にして、光速で移動できる超人〈稲妻〉*1を主人公に据えた一篇。速度に関連した能力者は(時間の流れが変わることで)時折未来に起こり得る「ビジョン」をみることがあるのだが、人助けをして日々を送ってきた〈稲妻〉は、ある時それで自分が都市の破壊者となった姿をみてしまう。

それを止めるために、同じく速度に関わる重力操作の超人〈隕石〉が〈稲妻〉を訪ねてきて──と、特殊な能力がもたらす責任について、超人として社会で生きることの意味、”時間”のテーマなどが問われていく。それに続く「鍾路のログズギャラリー」は「この世で〜」のその後を扱った続篇だが、こちらでは何らかの理由でいたずらを繰り返す史上最悪のテロリストになった〈稲妻〉を止めるため、氷系の超人である〈霜〉が立ち上がる様が描き出されている。どちらも能力のカウンター要素が話の焦点の一つにあたっていて(重力操作能力者は実質的に自分の速度を上げることができるので稲妻をとめられるし、氷系の能力者は実質的に◯◯ができて──)と、「特殊能力を突き詰めていく」系の能力バトル物が好きな人にはたまらない二篇である。

時間もの

超能力もの以外でまとまっているのは時間をテーマにした作品。そもそも超能力ものも実質的には時間テーマ(光速移動や重力操作は時間に関わってくるから)だし、これは著者のこだわりの題材の一つなのだろう。その中でもとりわけ紹介したいのはタイムマシンが存在する世界を舞台に、過酷な受験戦争に苦しむ学生と、何としてでも子どもに勉強をさせたい親世代の対立やズレが描き出されていく「0と1の間」。

現実の韓国はもう十年以上にもわたって過酷な学歴社会で、良い大学に入らなければ就職も結婚も難しい。だから親も子も、薬でも何でも使って死にものぐるいで勉強をさせよう/しようとするが、それは当然ながら精神に巨大なひずみを生み、時に自殺などの悲劇にも繋がる。この世界のタイムマシンは意識のみを飛ばし、基本的に時間移動前のことを覚えていられない。それでも残っているものはあって──と、タイムマシンを舞台装置に、韓国の世代間の価値観の断絶を描き出してみせた一篇だ。

それ以外でお気に入りだった作品

それで以外で印象深かったもので言うと、やはりまずはSFミステリの表題作。エウロパ行きの補給船が、途中でタイタンからの救助信号を受信し、突如として進路を変えようとしている。だがしかし、その途上で危機管理AIのHUNが何らかの理由で自分を人間の生体義体に入れるよう要求し、物語は生体HUNの視点で進行していく。

ただし、人間の体にうつったHUNは、船員それぞれの記憶や一般知識はあっても、なぜ自分が「人間になる」希望を出したのか、かなめとなる記憶を失ってしまっている。当然船員はHUNに怒りをぶちまけるが、HUN自身も何が起こっているのかわからない。タイタンに行くのか、行かないのか。HUNをどう扱うのか、あらゆる事態に船内で意見の対立があり、崩壊が加速していく。はたして、なぜこんな対立が生まれてしまったのか? わざわざ人間の体に意識を入れた理由とは? 意外な角度からジェンダーに関わるテーマに接続されるなど、ミステリ的にもSF的にも鮮やかな傑作だ。

最後に紹介したいのは、政治・言語SF短篇の「静かな時代」。主人公であるシン・ヨンヒは認知言語学の知識を活かして政治家にアドバイスをおくっているが(どういう言葉遣いをすべきなのかについて)、ある時若い世代から強い支持をうけている市民活動家の大統領選候補を落選させるキャッチコピーの作成を依頼されることになる。

しかし、その候補が支持されている理由に、マインドネットと呼ばれる新しいシステムを使っていることが判明し──と、政治、選挙における言葉の意味が問われていく。シン・ヨンヒはまだ17歳だった年に、韓国で起こった大規模なデモ(2008年の実在のデモ)で、国が「怪談」「虚偽扇動」「根拠なき」といった参加者らを矮小化し、痛めつける言葉を使ったことをきっかけに言語学者になった人物であったりして、世界中の政治と言葉の関係について、考えざるを得ない作品である。

言語があの日を冒涜して現象を変えたから。世の中を支配しているのは言語であり、人の心は言語に込められ、経験は消えて言語だけが残ることを身に沁みて感じたからだ。

現代韓国は日本と同じかそれ以上に社会・政治的な問題が山積みになっていて(2022年の韓国の合計特殊出生率は0.78と、7年連続で最低を記録している)そうした人災ともいえる苦境は、文学及びSFにも大きな影響を与えているのだろう。韓国SFで扱われる社会問題は、他のどの国のSFよりも、切実な訴えを読み取ってしまう。

おわりに

近年日本でも韓国SFが流行の兆しをみせているが、本作は韓国SFの多様で最良の側面が凝縮されているように思う。韓国SFをなにか読んでみたいけど何がいいかな〜と迷っている人に、まず手渡したいような一冊だ。

*1:オマージュ元はいうまでもなくDCのフラッシュであることがあとがきで語られている

『ダリフラ』に影響を受けて書かれた、やりたい放題の中国風ロボットSF──『鋼鉄紅女』

この『鋼鉄紅女』は中国出身で幼少期にカナダに移住した作家・ユーチューバーのシーラン・ジェイ・ジャオのデビュー長篇である(21年刊)。タイトルにも入れたが、TRIGGER&A-1制作によるロボットアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』に影響を受けた(謝辞にかかれている)、中華風のロボットSF・ファンタジーだ。

『ダーリン・イン・ザ・フランキス』の制作者たちへ。この本の男女二人乗り操縦システムの発想のもとであり、巨大ロボットを文学装置として青春とジェンダーとセクシュアリティを描くというアイディアのきっかけになった。*1

ロボットは九尾の狐や朱雀、白虎、玄武などの中国神話からモチーフがとられており、最初は動物形態だが次第に直立二足歩行形態、英雄形態に変化していくなど、”変形”パートもばっちりあって、ロボットSF好きはもちろん満足できる作品だ。そして、着想元が『ダリフラ』だし、日本のロボットアニメの強い影響下にある作品なわけだけれども、読んでみればそれだけで終わらない作品であることがすぐにわかる。

トンチキなものから真面目なものまで過剰なまでの設定、描写に溢れながら、同時に「女は男に付き従うべきだ」などの古代からある男性上位の価値観をはじめとした「伝統、ルール」を「ふざけるんじゃねえ!」と全部ぶち壊していく、革新性、爽快さに溢れた物語であり、特に物語の終盤の怒涛の展開には唖然とすることをうけあいだ。伝統、革新を破壊していくという点においては、先行するロボットアニメ的には『クロスアンジュ』とか『天元突破グレンラガン』っぽさもあるといえるか。

まずは大まかな世界観を紹介する

物語の舞台は、中華風の未来である。この世界は渾沌(フンドゥン)と呼ばれる地球外生命体に襲われて、人類文明は一度壊滅しかかっている。だが、人類はその渾沌の死骸から人類側の兵器となる巨大ロボット・霊蛹機(れいようき)を作り出していて、今は各地で渾沌との小競り合いや領土の奪還作戦を繰り広げている最中だ。

この世界では人の持つ内なる気が霊蛹機を動かすエネルギー源になっていて、気の量が多ければ多いほど(霊圧と表現される)より強力な存在であるとされる。霊蛹機を操縦するのは基本的に男女一組のパイロットであるが(男女二人乗りの機体はダリフラっぽい箇所だろう。男女二人乗りアニメ自体はいっぱいあるけど)、この二人は対等な存在とはいえない。霊圧の低い女子パイロット側は激戦の中で死亡することが多く、女子パイロットにはエリートである男性パイロットに何人もあてがわれる妾女が使い捨てとして用いられる──つまり、この世界は絶対的に男上位の世界なのだ。

設定的に奇妙なのが、そうした徹底的な男性上位社会であったり、足を布で巻いて小さくする纏足の慣習だったり、袍や襦裙といった古代の漢服を着ていたり、舞台・文化・社会はかつて・古代の中国として描かれている一方、カメラドローンが飛び回ることで渾沌と霊蛹機の戦闘は市民にリアルタイム配信され、タブレットが普及していたりと、現代的な要素も併せ持っている点だ。正直これはちぐはぐで違和感が最初はあったのだけど、読み進めていくうちにたいしてきにならなくなってくる(作中でこの配信設定がうまい・おもしろい使われ方をしていくのも大きいけど)

次はあらすじをざっと紹介する

さて、そんな世界において主人公になるのが、父親に妾女パイロットとして売り払われた武則天(ウー・ゾーティエン。現実の中国では中国史上唯一の女帝の名。本作の登場人物の名前は司馬懿や諸葛孔明など、中国史上の人物から基本とられている)である。彼女の姉もやはり売られていったのだが、何らかの理由で死亡している。

武則天は姉の死の真相を追求し、仇を取る──姉を殺した男性パイロット(楊広(ヤン・グアン))──を自分の手で殺害するために妾女パイロットになる覚悟を決めている。『「あの男子の美しく官能的な妾になる。そして、ことがすんだら──」刀の鞘を払うように簪を引くと、鋭利な切っ先が現れる。「──寝首を掻く」』

完全な家父長制の男性上位社会なので、妾女パイロットの扱いは道具同然だ。処女検査があり、着付け、肌の手入れなども行われ、広報用の写真をとった後は広く市民に公開され容姿を品評される。そうした様々な検査を受けた後彼女はついに妾女パイロットとして採用され、憎い姉の仇である楊広に「おまえはありきたりの女子とはちがう。」と少女マンガみたいな口説かれ方をしてベッドにいくのだが──そのタイミングで都合よく渾沌が襲来し、二人は即座に霊蛹機へと乗り込むことになる。

霊蛹機の仕組み

この霊蛹機周りの仕組みの設定も凝っていておもしろい。この世界の人間は気・霊圧があってそれが強さの指標であると書いたが、気には陰と陽、木、火、土、金、水からなる五行の属性がある。たとえば楊広が体内に充実させるのは均衡と安定をもたらす土属性で、これを霊鎧に送り込めばどんな形状も容易に作れる。

そんな彼が乗り込む九尾狐の元になったのは木属性だが、これは樹木があらゆる土地で豊かに茂るような活発さと伝導性を持つことを意味し──と、陰陽五行がうまくパイロットとロボットにたいして活用されている。歴史的には測定不能なほど高い霊圧を持ち、あらゆる属性相性があったとされる、伝説時代以外で唯一の皇帝級パイロットの存在も明かされていて、とにかくこの辺の「こういう設定なら、こういう人・概念もあるよね?」という勘所は、外すことなくおさえられている。

コクピットはまるく、パイロットは一段低い陰座(女性用)と陽座(男性用)に分けられ縦に配置された席に座る。陽座は陰座側を後ろ抱きにするような構成になっていて──と、絵にしたらなかなかエッチな感じだ。

男女の物語と、伝統とルールを破壊する物語

霊蛹機は男女ペアのパイロットで操縦するしかないので、本作は必然的に男女の物語になっていく。先に書いたように、女性は一方的にその気を搾取され、死に至るだけの存在だが、その気が男女で拮抗状態になった時に特別な形態に変身できるなど、「拮抗する意味」もまた存在する。では、むしろ女パイロット側が男パイロット側を凌駕する気、霊圧を発揮したらどうなるのか──? が、武則天と楊広の初戦で起こる出来事であり、それをきっかけとして物語は大きく動き出すことになる。

武則天はそもそも男性パイロットをぶち殺すために覚悟を決めて乗り込んできた女である。彼女は自分が我慢を強いられそうになると反発し、自分や女に危害を与えるような男子が裁かれ、殺されるべきだ! と力強く宣言する。『耐えて、耐えて、それでなんになるの。譲歩して、言いなりになっていれば、そのうち相手が態度を変えるとでも? 暴力でなんでも手にはいると思わせたら、最後に待つのは死よ』

彼女はその覚悟の強さで、圧倒的な男性上位社会、古い、暗黙の伝統に縛られたこの社会を破壊するために動く。もちろんメインプロットの一つに人類vs渾沌という、ある種のミリタリーSF的なテーマがあるのだが、それと同時に「くそったれた伝統、ルールを破壊していく」という人類内部での闘争もまたテーマとなっていくのだ。はたして、この世界、人類社会は敬意を払い、守るに値する世界なのか? と。

おわりに

男女パイロットは仲の良さ・信頼関係も重要なのでコミュニケーションを取る必要があるが、一方で武則天は、故郷に残してきた単なる村娘の自分とは身分の異なるメディア王の息子も熱烈にアプローチしてくれていて──とそのへんのラブロマンス描写もなかなかである。ここでは触れられなかったが、中盤から後半にかけては「渾沌と霊蛹機の戦闘」がドローンで配信されている設定にも大きな意味が出てきて、デビュー作とは思えないぐらいにプロット、伏線回収がうまい作家である。

最後に宣伝

『SF超入門』というSF入門本を書いたのでよかったら買ってください。

*1:ブログの筆者注。本作の謝辞(p566)より引用

移民から気候変動までギリシャの問題が色濃く反映された、傑作ぞろいのSFアンソロジー──『ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス』

この『ギリシャSF傑作選』はその名のとおり、ギリシャのSF短篇が集められたアンソロジーである。版元は竹書房。流れ的にはイスラエルSF傑作選『シオンズ・フィクション』が2020年に同じく竹書房から刊行されたが、これが邦訳の刊行前から海外で評判を集めたらしく、すぐに非英語圏SFアンソロジーの売り込みがはじまった。

そして、訳者のひとり(にして代表的存在の)中村融さんがその英訳版を色々と読んでいき、頭ひとつ抜けていたのがこのギリシャSF傑作選だったのだという。実際、読んでみればこれが大変おもしろい。収録作は全11篇、ページ数は270程度だから長い本ではないのだが、どの作品も移民や気候変動などギリシャの「いま・ここ」の問題が取り扱われ、アテネなどギリシャの都市が重要なキイになる作品もいくつかある。

その点で「ギリシャSF」を読めているな、という満足感もあるし、何より個々の作品はどれも練り込まれている。どの作品も一読してスッとわかりやすく楽しめる! というよりかは、何度か戻って読み返しながら読むことで味がよく出てくるような技巧的な短篇ばかりで、はえーこんなレベルの高い書き手が今のギリシャには(書き手は現役の作家らで、本書収録の作品も10年代〜20年代発表の作品が多い)いっぱいいるんだなと驚かされた。最後の寄稿者紹介を読むと、書き手の多くが作家の他に、大工や中学校教師や編集者といった別の仕事を持っていることにも驚かされたが。

ギリシャにもSFってあるの?

ちなみにギリシャにもSFってあるの? と思う人もいるかもしれないが、そのあたりは本書の編者らによる序文で少し解説されている。結論から言えばもちろん、ある。もともとはギリシャにそう大きな書き手&読み手の市場はなかったそうだが、1974年の軍事政権の方界と民主主義の再生が新たなジャンルを探求したいという欲求に繋がり、『スター・ウォーズ』や『宇宙大作戦』のようなシリーズがヒットした。

そして90年代末から2000年代はじめにかけてSF短篇も載る雑誌(『9(エニア)』)が発刊され、大きな波になっていったという。序文では他にも、「この本のギリシャらしさはどこにあるだろう?」という問いへの答えなども書かれている。今年読んだSFの中では国外・国内問わず現在ベスト1といっていいぐらいには良い本だ。というわけで、大変おすすめっす。以下、お気に入りを中心に紹介していこう。

ローズウィード

最初の作品はヴァッソ・フリストウによる「ローズウィード」。ギリシャのアッティカ地方による港湾都市のピレウスが海面上昇によって沈没した未来を描き出す気候変動SFだ。語り手のアルバは水没した都市、建物に潜り、調査や情報収集を行っているが、その過程でこの世界とギリシャの苦境が伝わってくる。たとえば、ネパールでは洪水が、マサチューセッツでは強力な竜巻が。世界中で気候災害が起こっている。

たえず経済が危機的な状況にあるギリシャでは国内で調整して沿岸部の都市を守るなんて無理な話であり、だからこそアルバのようなダイバーが必要とされる。アルバはその仕事をこなす最中、水没した都市をめぐるテーマパーク、その関連作業を依頼されて──と経済的にも環境的にも苦しいギリシャでなんとかして生き残ろうと必至なタフネスな人々の姿が描き出されていく。ギリシャの都市と水面上昇という今まさに直面している問題をテーマに据えた、冒頭に配置されるにふさわしい一篇だ。

社会工学

続くコスタス・ハリトス「社会工学」はそのタイトル通りに投票行動の操作など社会工学をテーマにした一篇。数百万人の人間の投票行動を変えることなど本当にできるのか? できるとして、それはどのように可能なのか。問題を解くこと、設定するとはどういうことなのか──そうした問いかけが、軽妙なタッチで記されていく。

ただ、本作で個人的におもしろかったのはそれ以外の部分。本作のギリシャでは区画ごとに拡張現実をコントロールする組織が異なっていて、ある区画では天使が舞い、ある区画ではふくろうがナビゲーターになり、風景もガラリと変えられてしまう。この設定と描写がおもろい。『先月からこの地区の拡張現実は、社会的弱者の問題に取り組んでいるNGOに乗っ取られていて、彼らはしょっちゅうナビゲーターの姿を変えていた。昨日おれを導いていたのはホームレスで、おとといは移民二世だった。』

蜜蜂の問題

パパドブルス&スタマトプロスの「蜜蜂の問題」は、広義の気候変動SFに含まれる一篇。花や植物の受粉に蜜蜂が大きな役割を果たしているのだけど、蜜蜂が気候変動や農薬が関係して大量に消えてしまうことが何年も前から問題になっている。

そして、蜜蜂が本格的に消えてしまっているのが、本作の舞台だ。中心的な役割を果たすニキタスという男は、受粉を行ってくれる蜜蜂ドローンを買取&修理&リプログラミングして生計をたてている男だが、なんでもこの地区に自然の蜜蜂が戻りかけているらしく……とサスペンス風に物語は進行していく。ニキタスはかつて、移民が犯罪、失業、ゴミに感染症を持ってくると信じ、移民排斥の部隊に入っていた人物でもあって、移民&気候変動のダブルテーマをスマートに描き出している。

いにしえの疾病

ディミトラ・ニコライドウ「いにしえの疾病」は、何年もかけて衰弱し、どうやったら止められるのか、何が原因なのかわかっていない奇病”漏失症”が存在する世界での物語。この病はきわめて緩慢に皮膚の乾燥や弛緩、毛髪の色素脱失が起こり、次第に臓器の機能も低下していく。最終的には、患者は自分が何者なのかもよくわからなくなっていく。ほとんどの人は、患者を見ただけで逃げ出すほどの病気である。

そんな恐ろしい病を、どうしたら止めることができるのか──。その研究と探求の過程が物語を進行させ、意外というほどではないオチにたどり着く。語り口がかなり好きな作品だ。

わたしを規定する色

「蜜蜂の問題」の著者でもあるスタマティス・スタマトプロス「わたしを規定する色」は、世界の背景は説明されないが2048年の戦争によって色彩が消えてしまった世界が舞台。黒と白の濃淡は存在するが、赤などの色はない。ただし、誰しもが「自分の色」を持っていて、どうやらそれだけは識別できるらしい。ただ、赤とか緑とかそんなに単純な色はあまりないらしく、(自分の色を)見つけられるない人もいる。

だからこそ、みな「自分の色」に執着する。そうした特殊な世界で、主人公の女性は自分の色をその目の中ではじめて発見した、ある男を執拗においかけていくのだが──というサスペンス調の導入から、この世界だからこそのオチへと収束していく。下記は、女性が男を探して聞き込みをしているワンシーンからの引用。

 彼女はおれの目を見つめてきた。「わたしに見える色、わたしの肌で燃える炎の色。彼の目のなかに初めてその色を見たの」
 そのことばが真実かどうか判断できなかったが、人を探すのにこれより美しい理由を聞いたことがないのはたしかだった。

紹介できることは多くないのだが、ある特定の色のウォッカを飲み続けていることから相手の色を推測する演出など、表現のひとつひとつが巧みで引き込まれた。本書を締めくくるにふさわしい、素晴らしい一篇というほかない。

おわりに

他にも遺伝子操作テーマの「T2」だったり、アテネという都市そのものにフォーカスした「人間都市アテネ」、人造人間、アンドロイド物の「われらが仕える者」、「アンドロイド娼婦は涙を流せない」と多様なテーマが取り扱われている

複数の非英語圏アンソロジーの中から良いものをとったというだけあって、これはたしかに極上の短篇集だ。270pと薄いのも正直ありがたい笑 KindleUnlimitedにも入っているのでぜひ読んでみてほしいけど、文庫の装丁も美しいから紙もおすすめだ。

最後に宣伝

最近『SF超入門』というSF小説の入門本を書いて出したのでよかったら読んでね。