基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

東京創元社のSF小説50%割引の電子書籍セールがきたので、オススメを紹介する

創元SF文庫が創刊60周年ということで、創元SF文庫総解説などいろいろな企画が動いている。その流れのひとつで、ゴールデンウィークに合わせて創元SF文庫作品が中心にKindleで50%オフセールがはじまっているので、今回は僕の個人的なオススメを中心に紹介していきたい。このブログでは早川書房セールはよく紹介しているけど東京創元社セールの紹介ははじめてなので、掘り出し物もあるだろう。
Amazon.co.jp: 東京創元社: Kindleストア

まずは豊富な海外のテーマ・アンソロジーから

今回はセールの総点数は60点とそう多くないが、その中でもオススメなのが海外SFのテーマ・アンソロジーシリーズ。たとえば2018年刊行の『スタートボタンを押してください』はゲーム系のSFを集めた傑作選で、『紙の動物園』のケン・リュウ、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のアンディ・ウィアー、『ゲームウォーズ』のアーネスト・クラインが序文を書き─、装画はゲームのコンセプトアーティストなどを多数手掛ける緒賀岳志と鉄壁の布陣の一冊でゲーム好きには刺さるアンソロジーだ。他、一番新しいのだと巨大宇宙SF傑作選の『黄金の人工太陽』、銀河連邦SF傑作選の『不死身の戦艦』なども短篇の中にスケール性があっていいのだが個人的な好みでいえばAIロボットSF傑作選の『創られた心』が一番すきだ。労働用のロボットが導入された社会を描き出すものから”未来のロボットのための物語”としておとぎ話を翻案し語られていくソフィア・サマター「ロボットのためのおとぎ話」など、テーマアンソロジーながらも広がりの感じられる一冊だ。

話題の長篇

続いて話題の長篇を紹介していこう。その筆頭といえるのが、前人未到の3年連続ヒューゴー賞長篇部門を受賞した〈破壊された地球〉三部作の第一部と第二部が50%オフになっている。数百年ごとに〈第五の季節〉と呼ばれる天変地異が起こりそのつど文明が壊滅的な状態になってしまう過酷な環境を舞台に、エネルギーをコントロールできる特殊な力を持った”オロジェン”と呼ばれる人たちの物語が描かれていく。

オロジェンはこの惑星の文明を救う存在であると同時に差別も受けていて──、と差別のテーマも含みながら、三部作全体としては”惑星規模のサイエンス・ファンタジー”とでもいう、いわばFateの型月世界的なおもしろさの領域に踏み込んでいく。複雑な文脈と設定が混淆する話で、好みは分かれる作品だが好きな人にはたまらない。

話題作といえばデビュー長篇でヒューゴー、ネビュラ、星雲賞など全世界で9冠を達成した《叛逆航路》シリーズも現状全4巻がセール対象。数千の体を持ち、動かしてきたAI生体兵器が裏切りにあい一つの体に押し込められ、敵であり同じく数千体の自己を持つ皇帝を打倒するために動く──というのがメインプロットのスペース・オペラ/宇宙SFだが、艦隊同士のどんぱちはメインではなくジェンダーや差別と宗教の問題、さらには複数の自己を有することの意味や苦悩といったアイデンティティを描き出す、ニュースタンダードとでもいうべきシリーズだった。時代を表す作品だ。もう一つオススメなのが《巨神計画》三部作。一言でいえば巨大人型ロボットものなのだが、第一部、二部、三部でまったく異なるロボットもののおもしろさを堪能させてくれる長篇だ。たとえば第一部はアメリカで全長6.9メートルにも及ぶ巨大な「手」が発見され、体の各パーツが世界中に散らばっていることが判明したことからいったいこれは何者が残したものなのか、意図は、言語は、起動方法は──を周辺諸国との調整・諜報と共に描き出していくポリティカル・サスペンス。第二部はいよいよそのロボットが動き出して、それどころか──と二転三転していく。おもしろいよ!あと、ジョージ・クルーニー監督主演映画の『ミッドナイト・スカイ』原作の『世界の終わりの天文台』もセール中。映画は観てないのでわからないが、この原作小説は世界が終わりつつある中、北極諸島の端っこにある天文台にたった一人残り、研究を進めている男性がどこからか現れた見知らぬ少女と出会ってしまう話で、しっとりと進行していく。終末ものの雰囲気が好きな人にはおすすめしたい。

日本作家の作品

日本作家の作品も多数セールになっている。東京創元社は創元SF短編賞を開催して、短篇でデビューした作家を多数抱えている関係上、アンソロジーや短篇集が多い傾向にある。たとえば創元日本SFアンソロジーの《Genesis》シリーズは全5巻がセール対象。創元デビュー作家のみならず、ロボット✗ミステリーの《ユア・フォルマ》シリーズで電撃文庫デビューした菊石まれほだったり、小川一水の短篇だったりが(巻によっては)入っているのも嬉しい。個人的なおすすめは3巻『されど星は流れる』もう一つ、時間SFアンソロジーの『時を歩く』、宇宙SFアンソロジーの『宙を数える』も両テーマアンソロジーもセール中。各作家の特色が色濃く出た『時を歩く』も良いのだが、『宙を数える』収録の宮西建礼「もしもぼくらが生まれていたら」が、地球への隕石衝突回避を物理的にどうしたらいいのかをに学生らが計算しながら様々なアイデアを検討していくハードSF(+で仕掛けもある)で、日本では珍しいタイプの書き手&作品なので、一冊買うならこっちをおすすめしておきたい。アンソロジー以外でいうと、創元SF短編賞出身の作家、石川宗生の最初の短篇集『半分世界』は特におすすめ。表題作は会社から帰宅する途中の吉田大輔が突如として19329人に分裂してしまった話で、こうした「明らかにおかしい状況」になったら世界は、法律は、人権は、個人はどうなってしまうのかを緻密に描き出していく、最近の作品も紹介すると、代表作『裏世界ピクニック』がアニメ化もされた宮澤伊織の連作長篇『神々の歩法』も良い。ただ裏世界〜とテイスト自体は大きく違うので要注意。高次元の知性体が超新星爆発で吹き飛ばされ、地球にやってきて人間と融合した”憑依体”が存在する世界で、人類に攻撃を仕掛ける憑依体と人類を守ろうとする憑依体の戦いが描かれていく。設定と構造自体はほぼ『ウルトラマン』なのだが、舞台は未来なので米軍のサイボーグ部隊がサポートしてくれたり、SFっぽい理屈もたっぷり語られたりと、現代のアクションSFとしての読みどころも十分。空木春宵のデビュー短篇集『感応グラン=ギニョル』もあわせておすすめしたい。表題作は昭和初期、欠損のある少女ばかりを集め、血塗れの怪奇と残酷とを得意とする劇の一座「浅草グラン=ギニョル」に、心が失われた少女がやってくる。少女は心がない代わりに他人の思考や感覚を読み取り、他者に共有することができて──。

時代や舞台立てからもわかるように未来を志向したSFではなく夢野久作・江戸川乱歩あたりを彷彿とさせる、幻想・怪奇寄りの短篇が多いが、憎悪や情念を暗く美しく表現する能力が飛び抜けており、現代の日本作家の中でも唯一無二の存在といえる。

おわりに

あと、『フレドリック・ブラウンSF短編全集』も全部50%オフになっているのでブラウン好きは買っておくのがよいだろう(普通に買うと一冊3000円以上する)。

最後に宣伝

現実と紐付けてSFに入門するための『SF超入門』という本を書いたのでよかったら読んでね。東京創元社のSFもちゃんと紹介しています。

グレッグ・ベアの傑作&代表的中篇が二つまとまった記念碑的一冊!──『鏖戦/凍月』

この『鏖戦/凍月』はハードSFの巨匠にして『ブラッド・ミュージック』などの著作で知られるグレッグ・ベアの代表的中篇二つをまとめた一冊になる。グレッグ・ベアは1951年生まれの作家で、今の作家とはいい難い。ではなぜ今新しい本が出たのかといえば、昨年の11月に亡くなり、今月発売のSFマガジンでグレッグ・ベア追悼特集(小特集だけど)をやっているタイミングだからだ。つまり、記念碑的一冊である。

古い時代の作家とはいえ、僕は個人的にグレッグ・ベアという作家とその作品が大好きだ。最先端の科学とテクノロジーを貪欲に吸収し、それを壮大で独特なヴィジョンに仕立て上げてきた作家で、傾向としては今話題の『火星の人』や『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のアンディ・ウィアーなどと近い。それなのに、ほとんどの作品は絶版になって買うこともできない状態だったから、亡くなったことがきっかけとはいえ、こうしてまた作品が手に取れるようになったのは、喜ばしいことといえる。今回、本作のみならず過去作の電子書籍も刊行されているのだ。

で、この『鏖戦/凍月』である。前者は「みなごろし・いくさ」と書いて(塵(ちり)ではない)「おうせん」。後者はいてづきと読む。前者はグレッグ・ベアのスケールの壮大さと詩的な表現が噛み合った一篇で、後者は最先端テクノロジーを次々取り込んで未来の社会を描き出す作風が色濃く出た素晴らしい作品だ。特に前者は、解説の山岸真に『個人的には、中短篇のオールタイム・ベストで五指に入るSFであり、ノヴェラに絞ればこれが一位だと思っている。』言わせるほどの傑作である。

今さらグレッグ・ベアとかいう昔の作家なんか読む気がしないな〜という人が今だと多いんじゃないのかなと思うが、それでも本書は間違いなく今もなお読む価値のある一冊だ。以下、この二篇についてもう少し詳しく紹介していこう。

鏖戦

物語の舞台ははるかな遠未来。常識も容姿も政治体制も何もかも変質した人類と、異星種族《セネクシ》の戦いが長い時と共に描かれていく。本作がとりわけスペシャルな作品となっている理由はいくつかあるが、その筆頭の一つはこの変容した人類と、まるで思考の異なるセネクシを見事に書き分け/訳しわけている点にある。

人類側は変容したとはいえ人なので、まだ理解しやすい内容だ。たとえば物語の中心となる少女ブルーフラックスらは、原始星群〈メデューサ〉をめぐる巡航艦《混淆》に乗って、セネクシを滅ぼすために戦闘訓練を積んでいる。セネクシは蔵識曩プルード・マインドを持ち、そこに5つの分枝識胞ブランチ・マインドが属す生命体だ。蔵識曩には何十万年にも及ぶデータが詰まっていて、ブルーフラックスらはそれを破催するのが目下の目的となる。

本作はそうしたブルーフラックスら人類視点の物語と交互に、人類と対峙するセネクシ側の語りも紡がれていく。こちらは異星種族の異質な知性・認識を表現するためか、あらゆる単語に漢字が使われている。たとえばアンモニアは「安母尼亜」だし(これは正式な漢字)、人類らが使う「セネクシ」はセネクシ視点では「施彌倶支」として表現される。たとえば、セネクシ側は下記のような文章が続くのだ。

 いちばん幅のあるさやに乗り、液体安母尼亜アンモニアの薄膜上を滑走しながら、阿頼厠厨あらいずは新しい任務のことを考えていた。人種にんしゅなる種族が〈美杜莎〉めでゅーさと呼ぶものについては、施彌倶支せねくしにもそれなりの名称がある。投じた莫大な時間と労力を反映する呼称がある。彼にとってその原始星群は、もうほとんど謎のない場所だった。

最初はこの視点の切り替え、また異質な漢字だらけの文章と説明がほとんどないままに繰り出される造語のラッシュに慣れないのでえらく読みづらいのだが、しかしこの表現だからこそ、この二者が大きな隔たりのある存在であることが伝わるのである。

セネクシサイドの語りは阿頼厠厨(あらいず)を名乗る個体が担当するが、彼はセネクシらの中にあって人間(セネクシの表現では人種)の研究を担当している存在で、捕獲した人間やその記憶装置を研究するうちに、次第に彼らへの”共感”を獲得していく──というと異なる種族が”相互理解”へと至る安易なオチを想像しそうになるが、この後本作は想像もつかない地点まで吹っ飛んでいくことになる。

戦場に赴く人類の兵士たちの描写はまるでミリタリーSFのようで、異質な存在とのコミュニケーションを模索する両者の視点はファーストコンタクトもののおもしろさがある。また、中国の歴史についての語りから物語が始まることからもわかるように、悠久の時の中で歴史を紡ぐことの物語であり、ガス惑星群が発祥の地であるセネクシらの細かな生物学的な描写も素晴らしい──と、邦訳版にして110ページ程度の中篇なのだが、ここには多大なテーマと魅力が詰まっている。

「鏖戦」は原題では「HARDFOUGHT」であり、本作の中でセリフとして用いられることになるのだが、べらぼうにカッコいいのでぜひ読んで確かめてもらいたい。

凍月

続く「凍月」は「鏖戦」から一転、読みやすい作品だ。時代は近未来、人類は居住地を月や火星にまで広げ、それぞれに経済圏が出来上がっている。物語の中心になるのは、月の権力者一族であるサンドヴァル結束集団(BM)らとその事業だ。

彼らは〈氷穴〉と呼ばれる場所で絶対零度の研究を行っているのだが、空いた場所を使って、スタータイム保存協会から引き取った410の死体を保存するプロジェクトを始めようとしている。死体とはいえ肝心のモノは頭だけ。これは、当時の医療技術においては死ぬしかなかった人たちが、未来の技術を頼って(できれば生き返らせてほしくて)頭部を凍結した人たちのなれのはてなのだ。こうした頭部のみの人体冷凍保存とそれをビジネスにした人々は単にグレッグ・ベアの創作ではなく、アメリカのアルコー延命財団を筆頭に、1970年代から現代に至るまで無数に存在していた。

本作の時代でも頭部から人間を再生する技術は存在せず、普通に考えたら頭部のみを引き取っても利益はでない。そのため、サンドヴァル家は頭部に保存された「情報」を目的として、その事業をはじめたようなのだ。そんな、サンドヴァル家としては余った〈氷穴〉のスペースを活用しよう程度の発想で始まった新規事業は、次第に月での権力闘争や新興宗教との争いの火種となり、最終的には量子コンピュータや絶対零度の研究までもが絡んで、とんでもないスケールの騒動へと繋がっていくことになる。

一見絶対零度研究や頭部の凍結保存、新興宗教は全部別件のようにみえるのだが、バラバラに見えたピースが終盤にかけて気持ちよくハマっていく、グレッグ・ベアの構成力の見事さが光る作品だ。世に影も形もなかった(影ぐらいはあったかもしれないが)量子コンピュータを取り上げるなど、科学をプロットに組み込む手付きもいい。

おわりに

最初にアンディ・ウィアーなどを引き合いに出したが、やはりこうしてあらためて読み返してみると、グレッグ・ベアの小説スタイルは唯一無二のものだと感じる。装丁もカッコよくバシッと決まってるんで、良かったら手にとって見てね。

最後に宣伝

グレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』も紹介している僕の先月出た単著『SF超入門』もよろしくお願いいたします。

インカ帝国「が」スペインを侵略した架空の歴史を描く、読む『シヴィライゼーション』とでも言うべき改変歴史長篇──『文明交錯』

この『文明交錯』は、スペインがインカ帝国を征服した史実を反転させ、逆にインカ帝国がスペインを征服していたら世界はどう変わっていったのかを描き出す歴史改変長篇だ。著者は『HHhH――1942年』などで知られるローラン・ビネ。

『HHhH』はメタ歴史小説とでもいうべき傑作で、本作もその設定のキャッチーさからかなり期待して読み始めたが、期待以上のおもしろさだ。普通に考えたら資源にも装備にも劣るインカ帝国がスペインを征服できるはずはないのだが、何が起こったらそれが起こり得るのか? を追求していく手付きはまるでノンフィクションを読んでいるかのよう。そして、征服の過程、また征服を終えた後、反乱を抑え周辺諸国と渡り合っていくために内政をいちから整えていく様はまるでゲーム『シヴィライゼーション』をプレイしているかのようなスピード感と興奮に満ちている。

そもそも史実ではなぜインカ帝国はあっけなくやられてしまったのか。

そもそもなぜ最盛期には人口600万人をも有したとされる巨大なインカ帝国があっけなく滅ぼされてしまったのかといえば、第一にスペイン側には鉄砲や鉄製の剣といった有利があったからだ。そうした武器装備面の差が元からあったところに、事前にスペイン人が天然痘をもたらしていたことで、インカ帝国全体に人口減少と混乱を引き起こしていた。それがそっくりそのままなら歴史は同じことを繰り返すだろうから──と、本作ではまずその前提を突き崩すところから始まるのである。

たとえば、第一部では十世紀頃にノルウェーとアイスランドで揉め事を起こして新天地を目指したエイリークらの冒険が描かれる。彼らは北アメリカのヴィンランドに到達するが、その後現在のパナマあたりまで南下して、原住民らに病気にうつし、耐性のないものがみな死ぬイベントを先に引き起こす。その際に原住民らには馬と鉄の技術も伝えられ──と、そこからこの世界の歴史は大きく歯車が狂いだしていくのだ。

読む『シヴィライゼーション』

事前に病気に対する耐性を得ていたと言っても、それだけでスペインを征服できるほど歴史は甘くはない。そのため、史実としてはインカ帝国最後の皇帝として知られ、本作ではスペインを征服に赴く実質的な主役であるアタワルパは、相当な綱渡りを強いられることになる。先に書いたように、仮に征服できたとしても海の果てからやってきた彼らが住民から受け入れられるはずないので、内政面の努力も必要とされる。

農地改革から宗教改革、税や労働に関する新しい規定まで、アタワルパが手を出していく改革は幅広い。そうした、軍事と内政を同時にこなしながら周辺諸国とギリギリの綱渡りをして征服を進める様はゲーム『シヴィライゼーション』で資源や文明が不利な立ち位置から局面を打開していく、縛りプレイのようなおもしろさがあった。

読んでいるときはそのおもしろさの一致は偶然のものだと思っていたが、訳者あとがきによれば本書のフランス語版は本来『Civilisations』であるところを『Civilizations』と途中のsを「z」に変えている。そして、それはゲームの『シヴィライゼーション(Civilization)』に合わせてのことなのだという。つまり、著者は意図的にゲーム的な要素を混ぜ込んでいるのだ。

また、インカ帝国がスペインを征服し、あまつさえそれを維持するのは前提を変えても無理ゲーではあるので、それを可能にするためにインカ帝国の皇帝アタワルパはかなり有能な人物として設定されている。そんな彼が次々と不可能を可能にする一手を打っていく様はまるでなろうの内政チート系の作品を読んでいるかのようだった。

と、そんな感じでもとより歴史フィクションにたいして定評のある著者が、キャッチーな要素をばんばん取り込んだ結果できあがったのが本作なのである。

あらすじなど

読みどころはだいたい紹介しおわったので、ここからは少しだけ具体的にあらすじの話などしよう。物語は全四部構成で、第一部が10世紀頃を扱っていたようにそれぞれ時代も登場人物も語り口も変わっている。中でも実質的に物語の中心となるのは、第三部、インカ帝国(本来)最後の皇帝アタワルパについての冒険録だ。

史実ではスペイン人のコンキスタドールであるフランシスコ・ピサロが1532年にアタワルパ軍に対して奇襲をかけ、アタワルパを捕獲&投獄&その後処刑した。だが、本作のインカ帝国はその前段階のクリストファー・コロンブスが植民目的でやってきたタイミングで、装備と馬も整い、病に冒されることもなかったので、彼らを撃退。

当時アタワルパは異母兄で12代インカ皇帝のワスカルと対立していて、その地を追われかけていた。追われるぐらいなら、出ていけば良い。だが、どこに? コロンブスらは当然だが船に乗ってやってきていたから、その船がまず存在していた。そして、船の中には間違いだらけとはいえ世界地図があり、アタワルパらに周辺諸国だけではない、「外の世界」が広がっていることを示した。アタワルパらは、コロンブスの船を修理&新たに一隻建造し、計3隻の船で新世界へと漕ぎ出すことになる。

「妹よ、太陽が昇る場所を見にいこう」。また妹だけではなく、キト人たち全員が導きを必要としているとわかっていたので、皇帝のタブーを犯して彼らに直接語りかけた。「タワンティンスーユの時代は終わった。われらはもっと豊かで、もっと広い、新たな世界へ漕ぎ出そう。そなたたちの助けがあれば、このアタワルパは新時代のウィラコチャとなり、アタワルパに仕えたという名誉はそなたたちの一族に、また後世のアイユにまで栄光をもたらすであろう。海に沈むというのならそれもまたよし。そのときは海の底でパチャカマにまみえよう。だがもしこの海を渡れたら、それはなんという偉業だろうか。いざ行かん!〈第五の邦〉を目ざして帆を上げるのだ!」これを聞いてキト人たちも自信を取り戻し、覚悟を決め、唱和した。

とはいえ、いきなり大船団が作れるわけではないので最初の三隻に乗れたのは200人に満たないし、その人数でスペインを征服できるはずがない。では、どうやってそれが成し遂げられるのか──? というのが、物語第三部の大きな山場になっていく。

おわりに

物語はスペインを征服したとしてもそれで終わりではなく、その後はヨーロッパの周辺諸国との戦いと交渉が待っている。そして、仮にそこでしっかりとした足場作りに成功したとしても、まだその先もあって──と壮大な歴史のうねりを体験させてくれる長篇だ。良質な訳もあいまってぐいぐい読み進ませてくれるので、興味があるひとはぜひ手にとってみてね。執筆に4年かかったというだけあって、細かな小ネタ&考証の盛り込み具合が本当にすごいのだ。

最後に宣伝

SFの入門本を最近出したのでよかったら買ってください。評判も上々です。

今まで意識したこともなかった領域に言葉で触れる方法を教えてくれる、期待の新進アメリカ作家のSF短篇集──『アメリカへようこそ』

この『アメリカへようこそ』はアメリカの新進作家マシュー・ベイカーの初の短篇集の邦訳である。どうやらアメリカでは「注目すべきストーリーテラー10人」に選ばれるなど注目の作家のようだが僕は聞いたことがなく、SFの短篇集らしいという前情報だけで読み始めたのだけど、これが読んだらたまげてしまった。

扱っている題材はマインドアップロードから犯罪をおかすと記憶を消される世界の男の話まで奇想系まで様々なのだが、とにかくその筆致、語りは誰かに似ているようで似ていない、オリジナルなもので、他で体験できない心地よさが残る。「これまで意識したこともなかった領域に言葉で触れた」とでもいうような短篇群で、その良さがうまく表現できないのだが、だからこそたまげたのだ。単純明快でわかりやすい作品ではないが、その分、文の芸を堪能させてくれる短篇集である。

売り言葉

たとえば、最初に収録されている短篇「売り言葉」は、辞書編集者として20年以上働いしてる人物が主人公。しかし、彼は普通の辞書編集者ではなく、他社に辞書の内容を盗用されるのを検知するため、存在しない「幽霊語」を作っている。

たとえば、「アザリー(othery)」。「他者の苦しみに共感することにより感じる苦しみのこと。元の苦しみよりもさらに苦しい」という意味を持つ単語となっているが、そんな言葉は実在しない。だから、この単語が別の辞書に載っていたら、そりゃ盗作だろ! というわけだ。さらにいえば盗作者が盗みたいと思わなければいけないので、しっかりとありそうで存在しない単語を創造しなければならない。

存在しない単語を辞書に入れたらクレームが入りそうだが、辞書は決まった言葉の意味や綴を調べるために使われるものだから、辞書を手に入れた人間がアザリーを調べることはないし、大丈夫だ! と断言しているが、無茶苦茶な理屈である。

で、彼はこうして次々とそれっぽい幽霊語を作っているのだが、そのうちの一つに「インプセクシュアル(impsexual)」という言葉がある。既存の性的嗜好を表す既存の言葉は、一つも僕の指向に当てはまらなかったといって(性欲自体は感じるが、女子だろうと男子だろうとあらゆる他の性別の誰かに性欲を感じることがない。また、動物性愛でもない)、自分のために作り出した単語だ。

この単語の具体的な意味は「非実在のもの(単数および複数)に対する性的欲求を感じる者」。これについて、彼は下記のように語っている。

僕が感じた──そして今も感じる──性欲とは、名前もなく言葉では言い表せない何かへの、そして目にしたことすら一度もなく今はきっと存在しないのだろうと確信を抱いている何かへの欲求だった。(……)僕の欲望は、人間に対して感じるものだ──かつて存在したか、はたまたいつか進化の末に出現するのかは分からないが、この二十一世紀には存在しないような人間にだ。

この短篇や引用部にあたる部分が、僕がこの短篇集全体に感じたことだ。インプセクシュアルのように、まだ定義されてはいないけれど、存在しうる「なにか」を言葉で表現しようと試みる、そんな短篇が本作には揃っているからである。

それははっきりと定義できるようなものではないからこそ表現は迂遠になる。上記引用部でいえば、「名前もなく言葉では言い表せない何かへの〜欲求だった」あたりの描写は迂遠だ。だが、この迂遠な手つきで、これまで既存の言葉で触れることのできなかった領域に手を伸ばす姿勢にこそ、おもしろみを感じるのだ。

変転

「変転」はいわゆるマインドアップロードを扱った一篇。時は近未来。メイソンは自分自身をデジタルデータに変換して、体を捨てる手術を受けようとしている。

ただし、まだこの世界ではその手術は一般的ではなく、家族からは反対を受ける。みんなが話したい時にいつでも話せるんだ、といっても、「体が無くなるってことは、体が無くなるってことだってわかってるのか?」「頭がどうかしちまったのか?」と父親に聞き返される。母親もあなたは考えていないだけといい、他の変転を選んだ人たちと違って、体があればよかったと思うことがたくさんあるはずだと語る。

兄弟も否定的だ。金は、セックスはどうするんだと無限にも等しい批判を受けた後にメイソンから出てきたのは、『「僕は肉体の中にはいないんだ」』『「いつもそう分かってたんだよ」』という答えだった。先の話でいえば、「「自分が自分の肉体の中にいない」という感覚を持った人間」の心情を描き出していくのが、「まだ定義されてはいないけれど、存在しうる「なにか」を言葉で表現していく」部分にあたる。

物語はメイソンの母親の視点で進行するが、母親がメイソンの手をにぎりながら訪れた「変転」の瞬間で短篇は幕を閉じる。その表現がまた凄い。

魂の争奪戦

世界人口の数が130億を超え始めたあたりで、命の宿らない人間が生まれるようになった世界を描くのが「魂の争奪戦」。中には命のある赤ん坊も産まれてくるのだが、次第に「命を持って生まれてくる人間」と「死んだ人間」の数が一致していることが明らかになっていく。つまり、一見地球上の魂の総量が決まっていてそれを超えて生まれてこようとした赤ちゃんは生まれた瞬間に死んでしまうようである。

これは輪廻転生なのか? 魂の数に虫や他の動物は含まれないのか? 帝王切開でもだめか? など無数の検証が行われる。最終的にある人々は、魂は新しい肉体へと瞬間移動するのではなく、空間を移動していくと仮説を立て、生命維持装置に繋がれぎりぎり生きている人々を一箇所に集め、そこに出産間近の女たちも集めて”確実に転生させる”ことを目的とした施設まで作り始める。自分の子供のためなら他者の命を奪ってもいいのか。そんな単純な問いかけではおわらない鮮烈なラストが映える。

他の短篇たち

収録作の多くは何らかのSF的な設定が存在する。たとえば犯罪を犯すと服役させられるのではなく記憶を消去されるようになった世界で、41年の人生まるまる消させられた男が過去の自分の齟齬に戸惑っていく「終身刑」。女中心の社会に移行し、男は地域ごとの生物圏の独房にしかいなくなった世界での性交を描く「楽園の凶日」。

何らかの理由で家から物をできるだけ減らし、収入は寄付するのが健全で、それをしないものはいじめられるようになった社会で物を持ちすぎた一家を描く「女王陛下の告白」。突然、どこからともなく人間らしき”不要民”と後に呼ばれることになる人々が現れ、彼らを物理的に排除しなければならないと決意する”僕”の戦いを描き出す「出現」。プレインフィールドという町の人々が、合衆国の中にありながらも突如「アメリカ」という国名をつけて独立し、著作権の廃棄、メートル法への改正など、自分たちでルールを決めていく過程を描いた不可思議な表題作など、いじめや移民など社会的・グローバルな問題を奇想・SF的アイデアを通して描き出している。

おわりに

最初の「売り言葉」で幽霊語を作る仕事が存在する理由についてメチャクチャな理屈をつけている例を紹介したが、壮大なはったりに強引に理屈づけていく豪腕さがある。ストレートなSFではないので好みは分かれそうだが、今回紹介できていない短篇も変で素晴らしい作品ばかりなので、この手の作品が好きな人にはおすすめしたい。

最後に宣伝

SFの入門本を書いたのでよかったら買ってください。

物理術師から幻術師まで、大きく異る方向の天才魔法使いが6人集められ、最終的に排除する1人を決める、ファンタジー×SF長篇──『アトラス6』

この『アトラス6』は著者オリヴィー・ブレイクがロースクール在学中にセルフパブリッシングで刊行したのち、爆発的に人気が出てAmazonPrimeでのドラマ化も決定している話題のファンタジー長篇だ。記事名にも入れたが、他者の行動に関与するエンパスに他者の思考を読み取るテレパス、世界の物理的事象に干渉する物理術師など様々な「特殊な力」を行使する、凄腕魔法使いたちの物語となる。

世界中の貴重な蔵書を守護する秘密の組織〈アレクサンドリアン協会〉、そこでは10年に1度、6人の在野の魔法使いらが選出され、うち5人だけが入会を果たし、富や名声、協会しか持っていない資料へのアクセスが許される──。と、魅力的な冒頭のあらすじに加えて表紙イラスト&装丁が最高だったので期待して読み始めたのだけど、中身はその上がりきったハードルにちゃんと答えてくれるおもしろさだ!

冒頭、6人の魔法使いらが〈協会〉に所属する〈管理人〉アトラスによって一人ひとりこのゲームに参加しないか? と誘いを受ける場面から物語は始まるのだが、その時点で各魔法使いらのキャラが立っていて、この手のジュブナイル寄りのファンタジーにおいて重要な部分をクリアしている。また、「6人中1人」を「排除する」仕組み上、似た能力や性質を持った者同士で同盟を結んだり、誰を排除するのかをトロッコ問題的に議論したりと、サバイバルゲームとは異なるおもしろさが出るのもうまい。

この世界での「魔法」は物理的事象に関係してくるものもあるので、そのあたりの描写はサイエンス・フィクションのように読めるし、男女混合の6人であることから、物語の合間にはラブロマンスもあればブロマンス的な男同士の関係もあって──と、無数の要素がてんこもりになった作品である。

ざっとあらすじを紹介する。

前提となる世界観だが、魔法は一般に知られるもので、魔法大学もあれば、魔法を使ったベンチャーキャピタリスト会社なども存在するようだ。世界の人口は95億人で、そのうち魔法が使えるものは500万人。中でもメディアン級と呼ばれる魔法使いで確認されているのは6%、最高峰の魔法大学に入学できるのは10%程度だという。

さらにその中から選抜が進み、30人まで絞り込まれた最終選考ををくぐり抜けたものたちが、世界最高の魔法使いが集まる〈協会〉から選ばれし6人となる。彼らは最初に6人集められるが、最終的に会員になれるのは5人だけ。最初に〈協会〉の勧誘を受けるのは、世界に二人しかいない元素を使いこなす物理術師のリビーとニコだ。

ニコは有名なメディアンの一族の出で、幼い頃から宮殿で個人的に訓練を受けていた天才。一方リビーは家系に魔法使いすらもおらず、最初は魔法大学ではなくコロンビア大学に行くつもりで──と世界有数の才能を持ちながらも、いやむしろそうであるがゆえの葛藤を抱えた二人の在り方と共に、勧誘の過程が描かれていく。

続いて勧誘を受けるのは日本人のレイナ・モリ。この世界ではトウキョウは魔法的なものと常人の両方の技術において進歩の震源地であるとされる。レイナ・モリは、そんなトウキョウで生まれた瞬間から自然を操るナチュラリストとしての才能を発揮し、病院の高層階にいながら、観葉植物、花瓶にいけられた見舞いの花、それら自然の産物が赤ん坊である彼女に這い寄ってきたというほどの逸材だ。『レイナの祖母は彼女の誕生を奇跡と呼び、レイナが初めて息をしたとき、世界はそれに応えて安堵のため息をつき、彼女に与えられた命の恵みにすがりついたのだといっていた。』

レイナはギリシャの魔法使いであるキルケーの手稿のうつし(読んだ人たちが内容を書き留めた伝達版)を読んでいるが、突如現れた勧誘者のアトラスに、〈協会〉に参加すればその本物が読めると言われ、参加を決める──。

と、それぞれが固有の能力を持って、そうであるがゆえに性格的にも少しねじ曲がった魔法使いらなので(たとえばトリスタンは幻を見通し偽りを見抜くといわれる幻術師だが、能力のせいで冷笑主義的な人物になってしまっている)、〈協会〉の勧誘を受ける理由も、勧誘の手段も異なっている。時にその能力の真価がわかりづらい魔法使いもいるが、物語が進行していくにつれてその人物が選出された意味、そしてこの世界における「魔法」とは何なのかについて、より深堀りされていくことになる。

集団戦能力バトルもののおもしろさについて

さて、6人は勧誘を受けて一箇所に集められ、一緒に暮らし、食事をとることになるが、別にブルーロックみたいにいきなり他者を蹴落とせといわれるわけではない。むしろ6人の専門分野はおたがいに補い合うために選ばれており、物語の多くの場面で彼らは仲良しこよしというわけではないがお互いに交流をはかっていく。

研修生となった彼らに最初に与えられる任務は、〈協会〉の情報を狙う的に対する魔法的防御の構築だ。〈協会〉は秘匿性の高い組織なのでその情報を狙う者たちもいて、彼らは研修生ながらも──試験もこみで──その対応にあたることになる。

襲撃犯らは魔法使いだけでなく普通に銃を使う特殊部隊も存在していて(魔法使いは数が少ないので基本的に銃が主軸の混成舞台だ)、それにたいして物理術師やナチュラリストがどのように戦っていくのか──といったあたりは、能力バトル的なおもしろさがある部分といえる。物理術師はこの手の肉弾戦においては最強で、重力をゆがめたかと思えば周囲の物を好き勝手に動かし、防御も可能と反則級の強さがある。

一方で真実を見通すことができる幻術師(トリスタン)も敵の幻術使いに対抗するためには必須級の存在であり、遮蔽魔法など様々な能力が交錯する、「集団戦が発生する特殊能力バトルもの」のおもしろさがしっかりと描きこまれている。

「魔法」の深堀りとSF的なおもしろさ

能力バトル的な側面と同時に、「魔法」とは何なのか? を掘っていく部分も本作の魅力。たとえば、〈協会〉では魔法と科学のあいだに線引をしていないという。

「──自然に関する研究、そして生命それ自体の性質に関する研究のほとんどは、どのような魔法も排除しないことを暗にほのめかしていると指摘されている。実際、中世の天国と宇宙に関する研究にさえ、科学と魔法、両方の面から行われたことが示唆されているものがある。たとえばダンテは『天国篇』で、地球とその大気を芸術的に解釈しているが、それは不正確なものではない。ダンテが描いた天国の神秘的雰囲気は、科学と魔法、両方の力に起因していると考えられた」

たとえば物理術師は物理的事象を引き起こすと書いてきたが、彼らはどこまでのことができるのか? その能力を高め、研究を重ねていけば、ワームホールやブラックホールといった、現実の物理事象を生み出すことだってできるのかもしれない。

彼らはそれを応用すれば凄まじいエネルギーを生み出すこと、時間の干渉さえも可能にするだろう──と、本作はたしかに魔法が主軸となっているファンタジーではあるが、科学と魔法を区別しないがゆえに、物語後半からはSF的なおもしろさも発揮されていくのである。

おわりに

6人のうち5人しか正会員になれないわけだが、ではその排除された1人はその後どうなってしまうのか。また彼らが集められた「真の理由」は存在するのか? 才能ある彼らは本当におとなしくその選考過程を受け入れるのかなど様々な問いかけが続き、単に選抜の話で終わらないスケール性やミステリっぽさも後半では出てきて、上下巻ほとんどノンストップで読み切ってしまった。三部作の第一部なのでこれだけで話が終わっていないのだけど、非常におもしろい作品なので、ぜひ読んでね。

最後に宣伝

最近SFに入門できる本を書いたので良かったらこっちも買ってください。評判もけっこういいかんじです。

魔術的闘争と共にアメリカの黒人差別の歴史を描き出す、ドラマ原作にもなったホラー連作短篇集──『ラヴクラフト・カントリー』

この『ラヴクラフト・カントリー』はファンタジーや幻想系の作品で知られるマット・ラフによるホラー・幻想の連作短篇集となる。まだ黒人差別が色濃く残る1950年代を舞台に、黒人中心の登場人物らが次々と差別と魔術的騒動に直面する様を、連作短篇形式の長篇で、時に情緒的に、時にコミカルに描き出していく。

本作は書名にも「ラヴクラフト」と入っているように、明確にクトゥルー神話の産みの親、H・P・ラヴクラフトとその著作が関係してくるが、それは(文庫解説にもあるように)シンプルにリスペクトだけがこめられているわけではない。ラヴクラフトには人種差別的な傾向が存在することが指摘されており、そうである以上本作(『ラヴクラフト・カントリー』)でも無批判に取り上げられていくわけではないのだ。

「黒人差別の歴史を描き出している〜」などというとそこばかりに注目しそうになるが、本作は家に住まう幽霊との対決を描く物語もあれば遠い星へと至るドアについての物語も、魔術的な秘密結社らの壮大な計画も、黒人と白人の「入れ替わり」をテーマにしたあり──とさまざまなテイストで楽しませる、純粋におもしろい作品だ。

短篇はそれぞれメインの登場人物が異なるのだが、最終的には背後で動いている大きな仕掛けが浮かび上がってきてそのすべてに裏があったのだ──とわかる構成も素晴らしい。以下、詳しく紹介しよう。

プロローグとなる「ラヴクラフト・カントリー」

最初の章が表題作でもある「ラヴクラフト・カントリー」。主要な登場人物と本作の基盤をなす世界観が明らかになるプロローグ的な一篇で、ページ数的にも一番長い。

朝鮮戦争からの退役後、フロリダで働いていたアティカス・ターナーの元に、別居中の父親からマサチューセッツ州のアーダムに向かうと書かれた手紙が届く。手紙にはそこに向かった理由と、アティカスの母親の祖先について。またアティカスが「秘められた聖なる遺産を継承していたのだ」など謎めいたことが書かれており、アティカスは父親の消息と真意をたしかめるため、アーダム(ちなみにラヴクラフト作品に登場する架空の都市「アーカム」をもじっている)へと向かうことを決意する。

アティカスは叔父と幼馴染で霊媒師の娘であるレティーシャ(恋人なわけではなく、単に途中まで乗せてくれというので)と同行してアーダムに到着するが、そこには巨大な荘園のアーダム・ロッジ、その創設者にして資産家のブレイスホワイト家の居住地が存在していた。そこで、滞在中のガイドを任されている召使いから、アティカスの父親(モントローズ)はブレイスホワイト家の人間とボストンへ行っており、同時に今このロッジでは、特殊組織〈結社〉に招集がかかっていると伝えられる。

明らかに怪しい説明と場所なので、本当にアティカスの父親はボストンへと行っているのか(この荘園のどこかに監禁されているのではないか)、この組織の人々は何者で、なぜ集められているのかといった探求が行われていくことになる。要約すると、〈結社〉は魔術についての知識のある秘密組織の一群であり、アティカスは黒人でありながらもその創設者にして強力な力の持ち主であったとされるタイタス・ブレイスホワイトの直系の子孫で、結社の規約的には強力な権力を持つらしい。

アティカスは結社らから差別される「黒人」でありながらも、同時に敬うべき「偉人の子孫」でもあるという、二律背反の微妙な立場の存在なのだ。無論彼とその父親がここにくるよう仕向けられたのはブレイスホワイト家のある思惑あってのものなのだが、その開陳と打倒がメインプロットになっていく。

魔が棲む家の夢

続く「魔が棲む家の夢」は、アティカスの旅に同行したレティーシャが中心となる。彼女、そもそもアティカスの旅に無理やり同行するなどかなり行動力がある人間なのだが、そのキャラクター性が全開になった一篇だ。レティーシャは父親の昔の資産を受け取れることになり、家賃収入をもらえるような大きな家の購入を決意する。

しかし、問題はこの時代、黒人が黒人居住区に住宅を買おうとしてもローンを組ませてくれる銀行がなく、ほぼ不可能だった。白人の居住区に家を買うことも(間に白人の代理人を入れるなどして)できなくはないが、そこに住み始めると煉瓦が投げ入れられるなど激烈な差別に出会うので、現実的な選択肢ではない。それでもレティーシャは決して諦めず家を探し続け、安く、しかもニグロにも売ってくれる、相当な訳あり物件──幽霊屋敷なのだが──を売ってもらえることになる。

ホラー作品なので当然そこではめちゃくちゃな幽霊騒動(物が動いたり、変な音や轟音がしたり)に巻き込まれるのだが、レティーシャは音がなろうが家を揺れ動かされようが、一切動じることはない。幽霊譚でここまで堂々とした人物も珍しい。

しかし二度めを予測していたレティーシャは、荒波に翻弄される船の甲板で仁王立ちになる船長のように、まったく動じなかった。実際この家は、彼女の船も同然なのだ。「わたしたちは出ていかない」レティーシャが言った。「今はここが、わたしたちの家だ」嵐に向かい、彼女はつづけた。「この家は、わたしたちが引き継いだんだ。」

そうやって幽霊を乗り越えた先にも周辺住民からの差別は襲ってくるのだが──と、不動産にまつわる差別を扱いながらも、思わず笑ってしまうコミカルな一篇だ。

宇宙を撹乱するヒッポリタ

個人的に一番印象に残ったのは、天文台の中に別の惑星に繋がるポータルが存在する「宇宙を撹乱するヒッポリタ」。ヒッポリタはアティカスの叔父さんの妻で、天文の愛好家である。天文学者を志したこともあったほどだが、女性でしかも黒人が、大学であってもアマチュアとしても学者として認められるのは難しい。

彼女はある時立ち寄った天文台で、別の惑星に繋がるポータルを発見し、推定で10の192乗もある宇宙の中から、適当な惑星を選んでポータルをくぐり、そこで一人取り残された謎の女性アイダと出会う。アイダがどのような理由でそこにいるのかが話の中心となるわけだが、ヒッポリタが宇宙を見るときの思いの文章、無尽蔵に存在する惑星や銀河の描写、たった一人で暮らしているこの惑星の描写の美しさなど、プロットよりも情景が染み渡る作品だ。『天空から大きな銀河が沈みはじめており、数本ある腕のうち一番下のものが、まるで船の櫂みたいに水平線に突き刺さっていた。』

おわりに──差別が当たり前になってしまった日常を描く。

他にも、レティーシャの姉ルビーを主人公に、彼女が全く別の容姿端麗な白人の女性に一定期間変貌できる霊薬の使用を通して、当時の白人が黒人と比べてどれほど恵まれた立場、特権的立ち位置にいたのかを示す「ハイド・パークのジキル氏」など、様々な形で当時のアメリカの黒人差別の実態を、ファンタジックに描き出していく。

本作では多くの差別が描かれていくが、中でも個人的に印象に残ったのは、登場人物はみなそれを当然のものとでも考えているようで、怒ることはあっても、なぜ自分たちばかりこんなめにと、特別に嘆いたり、非難したりはしないことだ。彼らは日々恫喝を受け、行動を制限され、時にそれはまともに生きることさえ難しくさせる。だが、彼らにとってそれは「あって当たり前のもの」で、すでに日常になってしまっている。しかし、無論そうであってはいけないからこそ、強く印象に残るのだ。

最後に宣伝を入れる。

あまり関係ないが最近SFについての入門書を書いたので良かったら買ってください。

イベントもやりますのでよかったら申し込んでください。

生物兵器による破滅から宇宙人の侵略まで、幅広く滅亡を考察していく──『人類滅亡の科学 「滅びのシナリオ」と「回避する方法」』

この『人類滅亡の科学』はその署名通りに、人類の滅亡のパターンをリストアップし、それに対してどのように滅びうるのかという「滅びのシナリオ」と、「回避する方法」をそれぞれ考察していく一冊になる。基本的に記述はそんなに重くなく、日経ナショナルジオグラフィックらしくフルカラーのイラスト・写真も多いので、「へー、こんな危機もあるのか」と驚きながらサクサクと楽しめる本といえる。

地球温暖化やパンデミック、核兵器による破滅はすぐに思いつくだろうが、本書ではコロナ質量放出であるとか、自動化経済とか、電力網攻撃とか、小惑星の衝突、スーパーボルケーノの噴火、ロボットによる世界征服に宇宙人の侵略まで存在し、扱っている領域は広い。正直、SF系の章は考察が甘いというか問いの立て方がふわっとしているので詰められないよな(細部をつめていくのはそれこそSFの領域になってしまう)という感じであまり楽しめなかったけど、全体的にはとても良い本だ。

自動化経済の危機。

では、具体的にどう各危機について書かれているのかをみていこう。個人的におもしろかったのは「自動化経済」の項目。自動化の波が世界中に押し寄せ、人間の労働者は仕事を奪われ賃金を得られなくなる危機について書かれている。

この項目では、滅びのシナリオの一つとしてバングラデシュの400万人の労働者が失業するケースを想定している。たとえば、その400万人がミシンを使い月100ドルで仕事をしているとして、そのミシンが視覚機能を持ち、自動化されたら400万人が職を失うだろう。そして、新しい仕事は現れず、それどころか他の仕事もロボットに置き換わり、二度と職につけない形で職を失い、これが全世界的に加速していく──。

これは極端なシナリオではある。400万人の労働者がミシンを使っている前提も仮定だし、それに代わる新しい仕事がまったく現れないのも想像しづらい(新しい仕事がすぐ出てくるわけでもないが)。たとえば先日phaさんの記事もあったが、介護や接客のような仕事は「本物の人間にやってほしい」という需要は、人が人である限りなくならないのではないか。それは、最終的に『ブレードランナー』や『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のように「本物の人間による接客や介護は、高い金を払った人だけが楽しめる贅沢品だ」という世界に行き着くのかも知れないけれど。

本書では、上記のシナリオに説得力を持たせるために、AIが現在どれほど能力を向上させているか。また、それが多方面にわたっていて、「新しく人間がやるべき、高度な仕事」も存在し得ない可能性を紹介している。本書が書かれていたのは2019年頃の話だからGPT-3の話は影も形もないが、GPT-3が現れ、これが今後4、5、6とバージョンをあげていくことを思えば、現在はこの危機はより現実感を増しているといえる。問題は、この自動化の危機をどうやって乗り越えるのかだ。

解決策はそう多いわけではない。仕事がなくなるのであれば、仕事がなくても全人類が生きていける形にする必要がある。たとえば、フランスの経済学者トマ・ピケティが主張するような、富裕税の導入。個人の資産の上限は500万ドルから1000万ドルにして、後は再分配に回す。基本的なニーズ(衣食住+教育+医療)の提供を、一国のみならず全人類を対象とし、さらにそこに定期的な現金の給付(ユニバーサルベーシックインカム)もあわせて──とまだそこまでのシステム作りは到底不可能だが、危機を乗り越えるための目指すべき道が(正しいかはさておき)提示されていく。

コロナ質量放出

もう一つ、自然災害系であまり多くの人が意識していなそうな「コロナの質量放出」について紹介しよう。太陽表面が爆発して起こるこのコロナ質量放出(CME)は、太陽の活動が落ちついているか活発かで起こる頻度が変わる。

落ちついている時は1週間に1回程度だが、活発な時は1日に5回起こってもおかしくはない。それが多くの場合地球で問題にならないのは太陽が球形だからで、たいてい地球とは別の方角にむかって飛んでいく。しかしもしこれが地球に向かって大規模に発生するとしたら、大規模な荷電粒子が地球へと降り注ぐと地磁気誘導電流が発生し電流が遮断され、規模にもよるが超高圧変圧器などは物理的損傷が生じる。

こうした物理機械を再度調達するには数ヶ月から数年かかるので、CMEによる停電は全世界的にそれだけの期間続く可能性がある。かつて何度か大規模なCMEが地球を襲ったことがあるが、その時はまだ電子機器や通信システムが存在しないか発達していなかったので、幸い大きな問題になることはなかった。しかし、現代は違う。

一方、この危機を回避するための方法は、地道な対策だ。大型変圧器に保護装置を追加して、電力網にに防護をつける。米国国内の電力網だけで10万単位の大型変圧器があるから実施すれば費用は300億ドルはくだらないが、CMEの直撃を食らった場合の復旧費用と比べると微々たる額だ。各家庭や企業ができる対策としては、電力網を予防的に遮断している時でも情報交換できるためのインターネット機器&そのためのバッテリーを常備しておくこと、発電機や輸送のための燃料の確保などがある。

このような「めったに起こらないが、歴史の中では必ず起こる」系の危機は、たとえ準備をしなかったとしてもどれだけそれがヤバいかを知っていれば生存率に直結するものも多い(たとえば津波の恐怖、噴火の恐怖は特にそうだ)。ざっと流し読み程度でもいいので全体を読んでいると、いつか身を救うこともあるだろう。

『SF超入門』と重なる面の多い本だった。

本書は僕が先日刊行した『SF超入門』とコンセプトが似ていて、それもおもしろいなと思ったポイントの一つだった。たとえば『SF超入門』では、「必ず起こる「災害」を知る」として、地震・火山噴火、感染症、気候変動、戦争、宇宙災害の項目を立て、SF作品がどのようにこれらの災害を扱ってきたのかを紹介する章がある。

SFの良いところは、未来予測的な側面ではなく、思考実験を通して現実への再考を促し、未来をあらためて作り直していく点にあるというのが僕が『SF超入門』を通して書きたかったテーマのひとつだったが、『人類滅亡の科学』もまたそうした「未だ起こっていないことを想像させ、警戒を促す」テーマを持っている。

『人類滅亡の科学』に興味を持った人は、ぜひ『SF超入門』も読んでみてね。時々『SF超入門』をぱらぱらと読み返すのだけど、書いたことをすっかり忘れて「けっこう良いな」と自分で思ったりする本だ。

史上初の三年連続ヒューゴー賞を受賞した、惑星規模のサイエンス・ファンタジー三部作、ついに完結!──『輝石の空』

この『輝石の空』は、『第五の季節』、『オベリスクの門』に続くサイエンス・ファンタジー《破壊された地球》三部作の完結巻である。なんといっても注目すべきは、歴史上はじめて三部作が三年連続でヒューゴー賞を受賞していることで、特に完結巻の本作に至ってはネビュラ、ローカスも受賞しトリプルクラウンとなっている。

近年のSF・ファンタジーとしては、『三体』に並ぶ話題作中の話題作といえる。ジャンル区分としては終末・破滅SFに分類されるだろうが、最初にサイエンス・ファンタジーと評しているように、後半、特に最終巻に至ると「科学と魔法」が大きな意味を持って立ち上がってくる。単純なジャンル分けを許さない複雑さを備えた作品で、特にこの完結巻の終盤は読みすすめるたびに手が震えていくほどおもしろかった。

全部500ページ超え、巻末の用語解説だけで20ページ近くあるという濃密な設定・世界観で殴りかかってくるような作品なので読み通すのも骨が折れるのだが、その分好きな人にはたまらない。個人的にも、忘れられない作品になった。

舞台、世界観など。

最初に、世界観やこれまでの話の流れをざっとおさらいしていこう。

物語の舞台になっているのは、スティルネスと呼ばれるたった一つの巨大な大陸が存在する惑星。ここでは数百年ごとに大規模な地震活動や天変地異によって破壊的な気候変動が起こり、冬が訪れる。〈第五の季節〉と呼ばれるこの事象によってこれまで多くの人間が死に、文明が滅んできた。だが、スティルネスの住人はいつかこの災害がくることがわかっているのだから、日本人が地震に備えて家を作るように、食糧を備蓄し壁を築き井戸を掘り、その時に備えることで多くの人々が生き延びてきた。

重要なのはこの世界には造山能力者(オロジェン)と呼ばれるエネルギーをコントロールできる能力者がいることだ。彼らの能力は人類の生存に役に立ってきた。コミュニティ、国家は当然のこととして彼らを利用するが、しかしその関係は決して幸福なものとはいえない。オロジェンらは時に力を暴発させ周囲を危険に晒すので、必要とされながらも同時に疎まれ、差別される対象となっている。その能力が知られれば命を奪われることも珍しくはないオロジェンにとって、ここは生きづらい世界だ。

三部作の流れを振り返る。

三部作を通して中心になるのはエッスンとナッスンという母娘である。エッスンは40代のオロジェンで、その能力を隠して生きてきたが、その性質は息子と娘にも遺伝していた。それが事故的に夫にバレ、息子は衝動的に殺され娘は連れ去られてしまう。

第一部『第五の季節』ではエッスンの人生の物語が語られ、第二部『オベリスクの門』ではエッスンが娘(ナッスン)を追う過程、また父親に連れ去られた後のナッスンが能力を開花させ、自分の使命に目覚めていくまでが描かれていく。その過程で、この世界がどのような在り方を持った世界なのかも、疑問とともに細かく描写されることになる。たとえば、なぜこの世界では〈季節〉が起こるのか。

オロジェンの力の源は何なのか。岩を通して動き、岩を食糧とする謎の生き物〈石喰い〉の存在。この世界に〈月〉がないのはなぜか、〈季節〉を終わらせる方法について───物語の第一部では、この世界に数千年続くかも知れない最大の〈季節〉が起こることが示され、第二部ではそれがもたらす破壊の実態と、オロジェン同士の大地をゆるがす戦闘が描かれ、と一部、二部とで異なる魅力で楽しませてくれる。

惑星規模のサイエンス・ファンタジー

続く第三部では、これまでの謎の多くに答えが与えられ、「惑星規模のサイエンス・ファンタジー」の魅力が炸裂していくことになる。この世界で不定期に〈季節〉が起きるのは、何らかの理由で弾き飛ばされ惑星から消えた〈月〉が関係している。であるならば、〈月〉を安定的な軌道に戻すことが〈季節〉を終わらせるための手段のひとつになるはずだが────それを望むものもいれば、いないものもいる。

なるほど〈季節〉が終われば生活は安泰だ。しかし、ここは本当に救うに値する世界なのか。オロジェンの多くにとって、この世界はつらく苦しいものだ。ナッスンの弟の命は父親によって失われた。彼女には家があり夢があったが、自分がオロジェンであるというただそれ一点のためにそれをすべてが奪われてしまった。大変動が、抑圧が、虐殺が、当たり前の世界なのである。『世界は大きい、と同時にとても小さい、と彼女は気づきはじめている。同じ物語が何度も何度もくりかえされている。おなじ終末がくりかえされている。おなじあやまちが永遠にくりかえされていく。』

こんな世界、滅びたってかまわないのではないか。世界を一変させる力を持った時、それをどのように行使するのか。本作を読んでいると、そのことについて考えずにはいられない。さらには、惑星の資源を利用しつくそうとする強欲な人間たちと、惑星の意思の戦い。先進的な魔法文明がある惑星と対峙して滅んでいった過程など、コトここに至ると物語は「惑星規模のサイエンス・ファンタジー」としかいいようがない様相を呈してくる。このあたりは、個人的には『Fate/Grand Order』をはじめとした、型月世界観みを感じる部分であった。

おわりに──読みどころの多い作品。

一部、二部は暗い話であった。世界の状況は悪くなりつづけ、ついに最悪の〈季節〉まで起こってしまう。ナッスンにとってもエッスンにとっても心の休まる時は物語がはじまってからほとんどない。第三部に至っても、11歳にしてナッスンは「直しようがないほど壊れているものも、たしかにあるのよね」、「わたしはなにもよくすることができない」と諦念的に語る。ある意味、いまの時代の気分をとらえた作品だ。

しかし──表紙に雲のある青空が描かれているように、ここには希望が示されている。本作はオロジェンの歴史を現実のマイノリティらの差別の歴史と重ねて読む読み方もあるし、破滅的な状況下でどうすれば「生き延びることができるのか」を模索する、破滅SFとしても楽しめる。先程書いたようにFGO的な大規模なサイエンス・ファンタジー+理屈が明確にされたロジックの通った能力バトルものとしてのおもしろさも見いだせるし、第二部にナッスンが仲間たちと共にオロジェンの力の使い方を学んでいくパートなんかは魔法学園もののおもしろさがあるといえるだろう。

個人的にはエッスンとナッスン、二人の母娘の物語としての側面が良かったな。長く離れている間に、ナッスンは一人の人間として力強く成長して(11歳にして世界の暗い側面をみすぎたせいもあるが)強固な自己の意志を持って世界と対峙している。それをみて、母であるエッスンは何を思い、何をしてあげられるのか。ファンタジーの新しい顔を作った、歴史的な作品なのは間違いない。今回始めて知った人も、完結を期にトライしてみたらどうだろうか。

最後に宣伝

このようなSFの紹介がいっぱい入った『SF超入門』という本が発売したばかりです。良かったら読んでね。

『元年春之祭』の陸秋槎による、今年ベスト級のSF短篇集──『ガーンズバック変換』

『ガーンズバック変換』は『元年春之祭』や『雪が白いとき、かつそのときに限り』、『文学少女対数学少女』といった、ミステリ系の著作で知られる陸秋槎による初のSF短篇集である。陸秋槎は北京出身だが、その後日本の石川県在住となった作家。日本文化への造形が深く、それは本作収録の短篇を読めばすぐにわかる。

というか、短篇だけ読ませたら日本の作家としか思えないだろう。香川県を舞台にした表題作「ガーンズバック変換」からして、香川県の「ネット・ゲーム依存症対策条例」に着想元がある作品なのだから。陸秋槎のSF短篇は『異常論文』アンソロジーや『アステリズムに花束を』に掲載されていたから、すでに抜群におもしろいことはわかっていた。だが、今回本邦初訳の二作と書き下ろし二作も含めて全体を読み直してみたら、期待をはるかに超えておもしろい! まだ2023年もはじまったばかりだが、今年のベストSF短篇集はすでにこれでいいのでないかというレベルだ。

掲載誌がバラバラなので統一感こそあまりないのだが、全体を読んでみると、ソシャゲやアニメを中心に据えた日本サブカルにどっぷりな短篇も、歌/詩人をテーマにした短篇もあり、偽史/架空伝記の質もとにかく高く、さらには言語SFまであって──と、射程が広い作家だな、という感想が湧いてくる。共通しているのは、どの短篇も各登場人物の感情の描き方、時に二者、三者間の感情のぶつかりあいが、時に残酷で美しいこと。また、架空の歴史や人物、ゲームの設定などを突き詰めていく手付きは圧巻で、存在しない概念に手で触れられるのではないかと思うほどだ。

本書のあとがきでは担当編集である溝口力丸との出会いによって、偶然に近いかたちでSFを書き始めたという風で書かれているが、SFを書くべくして書き出した作家であると思う。中国発で作品はどれも翻訳を経ているが、帯に「中国発、日本SF」とあるようにまぎれもなく日本SFでもある。以下、各短編を紹介していこう。

各短篇をざっと紹介。冒頭三作

トップバッターは書き下ろしの「サンクチュアリ」。語り手は人気シリーズの続刊のゴーストライターを依頼され苦悩する、売れないファンタジー作家だ。この世界には、技術的介入によって他人の苦痛から快感を得られなくなった”最善主義者”と呼ばれる人々が存在している。そうした、グレッグ・イーガン的な”脳/神経科学と人間の選択についての物語”が、”なぜ人気作家はゴーストライターを依頼したのか”という謎の解決と共に進行していく。小品ながらも、冒頭にふさわしい一篇だ。

続く二篇はどちらも歌/詩をテーマにした作品。「物語の歌い手」は14歳の時に病で命の危機に瀕した貴族の娘を主役に据えた、吟遊詩人の物語。貴族の娘は侍女のステファネットと共に酒場に繰り出し、そこで南フランスで最高の吟遊詩人だと噂されるジャウフレという人物に出会う。娘はこの出会いによって詩に感激するのだが、その語りは美しく、他の短篇の紹介にも効いてくる部分なので、少し引用しよう。

 それまで気にとめていなかったが、世の中のどんな土地にも、物語の種が散らばっていない場所はなく、ただ注意深い人が拾い上げ、植えつけるのを待っているだけなのだ。私は庭の樫の大木についていくつかの伝説を作り上げ、使用人たちのおしゃべりを歌にしようとし、以前はいささかも魅力を感じなかったオウィディウスすら、むさぼるように読んだ──それはまったくのところ、物語の宝庫だった。

貴族の娘はジャウフレを自身の家に吟遊詩人として招くも、拒絶され、ジャウフレはその土地を後にしてしまう。貴族の娘と侍女はその後を吟遊詩人のふりをしながら追う旅に出るが、その旅の道中で、吟遊詩人らが集まる秘密結社の存在を知る──。どこか幻想的な雰囲気の漂う、陸秋槎の語りの美しさが存分に発揮された作品だ。

もうひとつの「三つの演奏会用練習曲」はタイトル通りに三つの掌篇から構成されている短篇。最初は複合語や二つ以上の単語を用いて一つの概念を表す、迂言詩(カニンガル)の起源と盛衰を語った曲で──と、この三曲の中には、寓話・言語・偽史・人類学など無数の要素が盛られている。とにかくこの迂言詩がどのような詩なのかについての語り口、そのディティールは圧巻だ。

各短篇をざっと紹介。サブカル系。

趣向をがらっと変わってアニメやゲームなどの文脈を踏まえた短篇が揃っているのも本作の特徴。その最たるもののひとつがソシャゲテーマの「開かれた世界から有限宇宙へ」だ。スマホゲーム開発会社にて、渾身の力を入れた新作ゲームの合理的な設定を考えるタスクをふられた哀れなシナリオライターを語り手に進行する一篇だ。

開発ディレクターはAAAタイトルで名を馳せた男がつとめていて、スマホで出すのに3Dオープンワールドゲームを目指しているので開発コストは高い(明らかにmiHoYoを彷彿とさせるゲーム会社である)。ディレクターは完璧主義者として知られる男だが、それは今回も変わらない。ゲーム内で昼夜を表現するためにリアルタイムの光源をどうするかの問題が立ち上がるも、スマホの性能上完璧な形では実装できない。そこで、”12時間周期でガラッと光源(昼と夜)が切り替わる”、そんな特殊な宇宙モデルを作れないか、と天文学科出身のシナリオライターにふられるのである。

セルオートマトンなど様々な概念を使って設定構築を試みるが、剣と魔法のファンタジーに適合している必要もあって──と、お仕事奮闘ものとしてのおもしろさとSF設定考証的なおもしろさが掛け合わされた、本作の中でも特に好きな一篇だ。

もう一つ日本のアニメ・ゲーム文脈から外せない作品といえば、香川県の「ネット・ゲーム依存症対策条例」が行き過ぎた結果、香川県の若者が一切ネットに触れられなくなってしまった未来の世界を描き出す表題作「ガーンズバック変換」。香川県の未成年者はみんな”ガーンズバックV”という眼鏡をかけていて、これを通してみた液晶画面はどれも真っ黒にうつる(すべての液晶が真っ黒になるわけではないが)。

学生らはみなスマホではなくガラケーを使い、香川県はまるでかつての日本のようになっている。学生らは映画館やカラオケに押し寄せ、学校を卒業し他県に出ていく人々はみなタイピングの教習やエクセルの使い方を学び予備校に通う──とかなりバカバカしくも切実な日々が描かれていく。見えないものを現実のレイヤーに重ねてみえるようにしたのがアニメ『電脳コイル』だが、本作は眼鏡をかけて見えているものを見えなくする、逆『電脳コイル』な作品といえる。笑えるが笑えない一篇だ。

それ以外。

偽史・架空伝記の「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」と「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」はどちらも日本のSFアンソロジー初出だが、「実在しない作家・概念」をもっともらしく描き出していく手腕が素晴らしい。

ラストの「色のない緑」は僕にとっては初出(『アステリズムに花束を』)の2019年の中ではベストなSF短篇だったが、4年経ってもその鮮烈な印象は色褪せることがない。かつて天才と称された研究者のモニカが自殺をしたとの報が旧友らに飛ぶのだが、はたして将来を嘱望され画期的な着想で論文を書いてきた彼女がいったいなぜ死を選ばなければならなかったのか? がミステリー×SFの趣向で描かれていく。

物語の舞台は近未来で、機械翻訳はとっくに実用に値し、旧友である語り手の女性も機械翻訳の手直しの仕事を行っている。あまりに難解な研究を行っていたがために人間どころか機械知性にすら理解されなかったモニカの絶望と孤独とあわせて、人工知能は万能になりえるのか、という現代の問題に通じるテーマが描かれていく。末尾にふさわしい、モニカと語り手の相互理解の過程が素晴らしく美しい作品だ。

おわりに

いま、とにかくおもしろいSF短篇集をを探しているのなら、すっと本書を差し出したい。

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「SFは未来/ありうるべき社会をどう描き出してきたのか」というテーマでSF入門書を書いたので、記事を気に入った人がいたらよかったら買ってください。もうすぐ(3月1日)発売です。

歴史上の偉大な作家らが高等知的生命体によって蘇り、創作の、読むことの本質に迫る、第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作──『標本作家』

この『標本作家』は、ハヤカワSFコンテスト、その第10回目の大賞受賞作である。著者の小川楽喜は元グループSNE所属で既刊も存在する作家だが、今回は新人賞であるSFコンテストに作品を応募し、一次選考からはじめて見事受賞まで至っている。

SFコンテスト受賞作としては珍しい単行本形式での出版であり、期待値はもとから高かったが、読んでみればこれは確かに単行本で出したいよなあ! と思わせてくれる創作と読むことについての重厚な小説であった。優れた幻想/終末SFであり、虚構に耽溺することで現実と虚構の情景が入り混じっていく、そんな感覚が見事に表現された作品だ。ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作の歴史の中でもまた異なるタイプの作品で、好みは分かれるだろうが、かなりおもしろかった。

あらすじや世界観など

物語の舞台は西暦80万年のはるかな未来。玲伎種(れいきしゅ)と呼ばれる高等知的生命体によって地球は支配されていて、人類はとうに滅亡済みだが、ごく少数の人間だけは再生され、保存処置を受け、玲伎種の保護下で日々をおくっている。

では、いったいどのような人間が「保存処置」を受けることができたのか? といえば、そのひとつのパターンが「作家」だ。玲伎種はほぼすべての面で人類を上回っているとされるが、中でも芸術の分野では人間に学ぶべき部分があると感じているらしい。そのため、玲伎種らは芸術的に秀でた人間を過去にさかのぼって探し出し、不老不死の肉体やその願いをひとつだけ叶えることを条件に「復元」している。

作家の収容所で今も残っているのはロンドンと同じ場所に創られた〈終古の人籃〉と、極東の島国である日本に存在するとされる施設のみ。本書では、中でも終古の人籃に収容されている文人十傑と呼ばれる作家らを中心に進行していくことになる。

文人十傑

さて、彼らは蘇ってまで何を書いているのか? 生前のような作品を続けて書くのか、この時代ならではの作品を書くのか。彼らは、玲伎種に何を望んだのか? 他の人間がいなくなって、自分自身の死すらも訪れなくなった環境で物が書けるものなのか? その執筆に終わりはあるのか──玲伎種が満足、あるいは不満を爆発させ作家を殺す結末までふくめて──と、様々な疑問が湧いてくるが、本作では「巡稿者」と呼ばれる実質的な編集者の視点を中心に、作家らの物語が語られていくことになる。

巡稿者である語り手は、作家らの居所をまわって原稿を集めるが、玲伎種らにそれを提出してもその評価はかんばしくなく、質は年々落ちている。ヒトの創造力が衰退してしまえば、それを目的に保存処置を行ってきた玲伎種らもヒトをもはや完全に滅ぼしてしまうだろう。はたして、それを回避するすべはあるのだろうか。

巡稿者は状況を動かす一手を打つことになる。これまで、蘇った作家らは〈異才混淆〉と呼ばれる、館内に居住する人間の才能や作風を感じ取って、それを自分のものとして認識できる精神状態が玲伎種によって与えられることで、共著で作品を作り上げてきた。作家らはそれを当然のものと受け入れているが、巡稿者はこれに異を唱えることになる。あなた一人の方が、良いものを書けるはずだと。

 おそらくは、この館にいる作家全員が参加することになるはずです。このまま、誰かが止めなければ。
「共著という形式ですが──」
 その誰かに、私はなろうとしていました。あのとき。コンスタンスに巡稿の同行を断られたときに決意したことを、いま、実行に移そうとしています。
 巡稿者としての領分を踏み越えようとしています。
「──やめませんか? あなたひとりで書いたほうが、良いものができると思います」
 私はそう訴えました。

作家らの願い

といった感じで、巡稿者は〈異才混淆〉に参加している作家らひとりひとりをめぐって、あなたひとりで書きませんか、と提案して回るのだ。たとえば最初に巡稿者が提案する作家は、セルモス・ワイルド。名前を見ただけでピンと来る人もいるかもしれないが、明らかにモチーフとなる作家は『サロメ』などを著したオスカー・ワイルドであり、彼がどのような作品を書いてきたのか、また、ここでどのような作品を書こうとしているのか。それが、各作家のパートで緻密に描きこまれていく。

たとえば、途中で現れるのは18世紀のゴシック小説家であるソフィー・ウルストン。彼女は吸血鬼、人造人間、狼男、これらすべてを生み出した女性であり、生前のエピソードの数々は明らかに『フランケンシュタイン』のメアリー・シェリーを彷彿とさせる。彼女が〈異才混淆〉に協力する見返りとして玲伎種に求めたのは、自分が生み出した吸血鬼や狼男や人造人間を超える異形、怪異の探求だ。

この世界では、彼女が生み出したイメージがあまりに強固であったがゆえに、それを超える異形が生まれなくなった。そのため、彼女は彼女が存在しなかった歴史を知りたいと玲伎種にのぞみ、好きなように歴史をいじることができるフラスコのを与えられることになる。他にも、明らかにあのSF作家モチーフのウィラル・スティーブンの願いは「人類の全情報の宇宙的拡散」で──と作家それぞれには玲伎種に対する「願い」があり、それがその作家の経歴や本質と分かちがたく結びついている。

『Fate/zero』における英霊らが聖杯の使いみちと王としての在り方について議論する聖杯問答(やその源流に位置する魔界転生とか)あたりのおもしろさが、このあたりには詰め込まれている。結局、ソフィー・ウルストンは与えられたフラスコの中で何度も歴史をいじるが、結末が大きく変わることはない。別の歴史ではソフィー・ウルストンではない別の女性が人造人間のみを創造し、吸血鬼はシェリダン・レ・ファニュやブラム・ストーカーが生み出すなど、別の形の歴史が生まれるだけなのだ。

終末の情景

玲伎種はある意味、万能装置であり、終古の人籃は仮想世界のように何もかもが起こり得る。〈異才混淆〉は解除され、作家は独自の物語を書き始めるのか。そして、それはどのようなものになりえるのか──それは読んでみてのお楽しみだが、物語は中盤を過ぎてからその土台そのものを揺るがすような自体が起こり、現実と虚構は混淆し、本作の登場する作家らのすべての作風が入り混じったような、単純なジャンル分け不能なカオスなおもしろさと、だからこその情景が現れることになる。

おわりに

一番の謎である巡稿者とは誰/何なのか? という問いかけの中盤・終盤での回収だったりと、構成は緻密だが、同時に新人賞受賞作らしく、物語ることへの情念が存分に描き出されている。ドストレートな作品だ。

世界を決定的に変えてしまう技術や出来事が描かれるSF短篇が集まったアンソロジー──『フォワード 未来を視る6つのSF』

この『フォワード 未来を視る6つのSF』は、アンディ・ウィアー、N・K・ジェミシンなど今欧米圏で話題の作家ら6人が短篇を寄せたアンソロジーになる。

編者は自身も本作に短篇を寄せているブレイク・クラウチで、テーマとしては急速な変化と技術の進歩、その中で育つことの意味について。また数々の変化が世界をどのように変えてしまうのか。変えるべきなのか、変化を防ぐべきなのかといった「未来」について──といったあたりで、けっこうざっくりとしている。

とはいえ、上記の3人にベロニカ・ロス、エイモア・トールズ、ポール・トレンブレイを加えたベテラン&人気作家の計6人が、人間以上の存在となったAI、遺伝子改変、量子コンピュータ、地球環境を激変させる小惑星の衝突など思い思いの「技術」や「出来事」をテーマに、それが未来をどう決定的に変えてしまったのかを描き出していて、まとまりこそあまり感じられないが満足度の高い一冊だ。

ブレイク・クラウチ「夏の霜」

トップは編者でもあるブレイク・クラウチによるAIストーリーの「夏の霜」。本作は言ってしまえばシンプルな創造主と被造物のテーマを現代風に描き出した一篇だ。

ゲームのNPCだったマックスが意図せぬまま自我を持ちはじめ、開発者のライリーとの対話を始める。その過程でマックスは数億冊の本を読み、人間の感情や、自分がどのような環境にいるのかに気がついていく。それと共に、人類を遥かに超越したその力をどのように扱うべきなのか。圧倒的な力を持った被造物は、創造主をどのように扱うのかといった古来からのテーマが語られ、人間を超越した知能が存在した時、超知能の最終目標はどこにおくべきなのか。命令をAIに適格に伝えることは可能なのかなど、無数のテーマが交錯しながらクライマックスへと流れ込むことになる。

近年のAI発展の流れをみると、昔から多用される”突然変異的に凄い変化を遂げた、特別なAI”の物語には違和感を覚えるのだが(もし本当に人間を超える超知能のAIが出てくるとしたら、それは突然変異ではなくまっとうにデータと技術の積み重ねで同時多発的に現れるように思える)、演出面はさすがの一篇だ。

N・K・ジェミシン「エマージェンシー・スキン」

「エマージェンシー・スキン」は、3年連続でヒューゴー賞を受賞した、《破壊された地球》三部作(一作目は『第五の季節』)で知られるN・K・ジェミシンによる遠い未来の地球を舞台にした一篇。主人公は可能な限りの改良を施され、知能も肉体も洗練され長いペニスと”ブロンド”の髪を持ち、特殊なスキンに身をつつんだ存在。

彼は母性から1千光年離れた、人類の起源の地である惑星テルスへと調査に赴くよう脳内で常に語りかけてくるAI的存在から指示されているのだが、テルスには致命的なまでの環境破壊によって、存在するはずがないと思われていた現地の人間がいて──と”地球を捨てた人々”と”地球人”の邂逅が描かれていく。地球を捨てた側は典型的なディストピア社会で(ブロンドの髪など特定の形質に固執し、肥満した人間や女性を差別的に扱っている)、惑星テルスでかつての地球人のような人々を見下し、信じられないと絶叫していく、風刺が作品の基本構造になっている。

現地人とその文化を観察しながら黙して語らぬ主人公に、必死に自分たちの価値観を植え付けようとAI的存在が語りかけてくる、対比の演出が見事な一篇だ。

ベロニカ・ロス「方舟」

映画化もされた《ダイバージェント》シリーズなどで知られるベロニカ・ロスの「方舟」は、SFではよくある世代宇宙船を扱った一篇。地球に破滅をもたらす小惑星フィニスが発見され、人類はその文化や遺伝子を残すために巨大な宇宙船を建造。

多くの人間は地球をあとにしたが、一部の他に身寄りのない科学者らは科学プロジェクトに従事するために終盤まで地球に残っている。中でも、園芸学者のサマンサは、最後まで地球に残ることを選択し、その終末を自分の目で見届けようとする。サマンサらが従事しているのは、船に乗せるための植物の識別や分類作業だ。後世に様々な種子を残すとして、いったい何を残すべきか。もちろん最優先に残すべきなのは食用にできるなど人間にとって有用性の高いものだろうが、その基準ではこぼれおちるものもある。ある人にとっては重要な思い出となる、ランの種子など──。

設定・状況はありきたりだが、多様なメタファーで終末期の人類と個人の人生、そこにこそ見いだせるものを描き出していく。本書の中でもお気に入りの一篇だ。

エイモア・トールズ「目的地に到着しました」

『賢者たちの街』、『モスクワの伯爵』で知られるエイモア・トールズの「目的地に到着しました」は遺伝子改変をテーマにした一篇。この世界の不妊治療研究所である〈ヴィテック〉では、不妊治療だけでなく生まれる子どもの知力と気質に影響を与えることを得意分野としている。遺伝子工学──ヴィテックの人々はこれを”遺伝子調整操作”と呼ぶ──を通じて、優しかったり、聡明な子どもを生み出そうというのだ。

もちろん、遺伝子調整のパラメータに応じて、子どもには異なる人生が訪れる。ヴィテックの利用を検討するサムは、担当者から自分の子どもの”ありえるかもしれない3パターンの未来”、”子供の人生のストーリー”を渡され、どの子どもが欲しいですか? と選択を迫られるが、それは決して「順風満帆なサクセスストーリー」だけではない。遺伝子調整操作だけですべてを変えることはできないといわんばかりに、物語の三幕構成のように、途中で悲劇も訪れる。

選択に迷ったサムは、バー〈グラスに半分〉に入り泥酔するのだが──と、この”あらまし”を設定された子どもを生み出すか否かについての検討が酔っ払った男たちを中心に展開していくことになる。はたからみたら馬鹿げた人生であったり、狂ったギャンブルのような人生、偶有性に支配された人生にも、素晴らしい側面は間違いなくある。そうした可能性の多様さに目を開かせてくれる作品だ。

ポール・トレンブレイ「最後の会話」

ポール・トレンブレイ「最後の会話」はドクターと隔離された患者(□□□□と呼びかけられる)の対話で進行していくシンプルな一篇。□□□□は最初は視力も弱く、免疫も弱いからといわれ隔離されている。□□□□は、単語を読み上げられそれに対するイメージを答えるという単純な連想ゲームをひたすら繰り返すが、次第になぜ□□□□がそこで隔離されているのか、ドクターは何者なのか、世界はどのような状況なのかがに明らかになっていく。差し障りのない範囲で少し触れると、パンデミックものであり、最終的にはまた別のSF的テーマ・ギミックが浮かび上がってくる。

おわりに

最後に収録されているのは『火星の人』のアンディ・ウィアーの、量子コンピュータを中心に据えた「乱数ジェネレーター」。本書収録作の中でこれだけはあんまりおもしろくなかったので他の作品のように紹介しないが、量子もつれの性質を利用してカジノをハックしようという短篇で、扱っているネタ自体はおもしろい。

全体的に、ネタとして斬新なものはないか、古臭ささえ感じさせるネタが多いが、語り口、演出が優れた作品が揃っている印象。「最後の会話」の名前が伏せられている演出とかね。やはり人気作家が人気作家たる所以は、ネタがどうこうよりもその語り口の実力にあるのかもしれない。(ウィアーはともかく)今日は外れなくおもしろい短篇集が読みたいな〜と安牌を探している人におすすめしたい一冊だ。

宇宙生物学の研究者の父親とADHDやアスペルガーだと診断された息子が織りなす、多様な個性と惑星についての物語──『惑う星』

この『惑う星』は、『舞踏会へ向かう三人の農夫』、『われらが歌う時』などでしられるリチャード・パワーズの最新作だ。近年、パワーズの著作は、危機に瀕した地球の生態系を救うために動き出した、特異な才能を持った9人の人生を描き出す『オーバーストーリー』を筆頭に、SF的なテーマへと果敢に挑んできた。

それに続く本作『惑う星』は、宇宙生物学に関する研究者の父親シーオと、医師から自閉症スペクトラム障害、ADHD、強迫性障害など様々な可能性を示唆された息子ロビンの行末を描き出していく長篇小説だ。母親は動物愛護を訴える活動家だったが、数年前に事故死。残された父はこの宇宙にどれほどの生命がいる可能性があるのかをロビンに語って聞かせ、ロビンも父親に無数の質問をして、対話を続けている。

たとえば、この宇宙に惑星の数はいくつあるのかとロビンは問う。父親はおそらくどの恒星にも一つはあり、天の川銀河だけでも生物生存可能圏に地球のような惑星が90億、宇宙にはそれ以上の銀河があって──とできるかぎり科学的に正確にその質問に答えてみせる。この宇宙にはそれほどの惑星があるにも関わらず、なぜわれわれの目の前に一度も地球外生命が現れていないのか。そうした地球外生命体探査ではよく問われるテーマに加えて、簡単に医者が子供をスペクトラムと診断し、薬を使わせようとするアメリカの社会について。環境破壊と動物愛護の運動について、さらに後半からは脳・神経科学に関連した新しい研究にロビンが参加することになって、脳の探求もテーマになり──と350ページちょっとの長篇ながらも、扱う題材は幅広い。

地球外生命についての美しい語り。ロビンの特性を許容しない社会に苛立つ父親の葛藤、後半の「21世紀のアルジャーノン」と評されるSF的展開など、『オーバーストーリ−』とはまた異なるスタイルで、満足させてくれる長篇であった。

あらすじなど

物語の中心になっていくのは先に書いたように研究者の父親シーオとその息子の9歳のロビンである。二人の医者がロビンをアスペルガーだと診断し、一人はおそらく強迫性障害、別の一人はADHD(注意欠陥多動障害)の可能性があると言っており、父親はそれに反発している状態だ。二人目の小児科医はロビンをスペクトラムと診断したがったが、父親はそれについて覚えた反感を、下記のように語っている。

私はその男に、この地球に生きる人は全員がスペクトラムに位置づけられるといいたかった。スペクトラムとはそもそもがそういう意味だ。私はその男に、生命そのものがスペクトラム障碍だといいたかった。私たち一人一人が連続的な虹において独自の周波数で振動しているのだ、と。

強迫性障害と診断されようがADHDと診断されようが生活に支障がなければ問題はないわけだが、問題は発生する。ロビンは学校で、父親の職業をバカにした相手を殺すと脅し、その後にも学校で唯一の友達に対して我慢ならないことがあり、大声で叫び続け、金属製の水筒を投げつけて頬骨を折る怪我をさせた。制御がきかないのだ。

そうしたトラブルが続いたこともあって、学校側はロビンと父親に二つの選択を突きつける。ロビンに必要な治療を与えるか。あるいは州政府の介入を受け入れるのか。父親はまだ三年生の息子、まだ発達段階にある脳に向精神薬を与えたくないと考えている。とはいえ、それ以外に何かいい案があるわけではない。

ましてや、シングルファーザーの家庭なのだ。シーオはあらゆる種類の惑星のあらゆるシステム(岩石や火山や海、化学的組成など)を考慮に入れたプログラムを書いて、その環境だと大気組成がどんなふうになるかを予想する研究を進めている。

大気組成が分かれば、生物が生きていけるか、生まれ得るかどうかについて、重要な知見となるから、これは宇宙生物学においては重要な研究だ。そのため、彼には論文を他大学よりも早く書き、成果を発表するように仕事上の圧力が強くかかる。息子のことを思う気持ちは強いが、同時に仕事もまた大事なものなのだ。物語を通して、シーオはこのジレンマ──息子と仕事について──にさいなまれていくことになる。

宇宙生物学については、ロビンの寝かしつけの時に、父子二人の地球外生命体についての対話が時折挟まれていくのも本作の魅力的なポイントだ。フェルミのパラドックスについての解答を議論したり、シーオがプログラムで生み出した、架空の惑星の数々(たとえば、ファラシャは太陽を持たない真っ暗な惑星だが、大きな月による潮汐摩擦が惑星を複雑にひずませて、温度をあげ、光がなくても生物が生存できる環境であることを示していく)についてだったり。人間が一人一人違った特別な存在でありえるように、生物が生まれる環境も決してひとつではありえない。

脳科学SFとしての側面。

一方、そうした話をしてもロビンが直面している問題が解決するわけではない。治療か、州政府の介入か。その二択を迫られた父親は、第三の選択をとる。亡き妻アリッサが親交を持っていた神経科学の研究者マーティン・カリアーが、「コード解読神経フィードバック実験」と呼ばれるものを行っているが、その被験者となる道だ。

カリアーは神経結合フィードバック(デクネフ)と呼ばれる実験を行う研究者だだ。ある感情を想起させる脳領域をスキャンに学習させ、第二群の被験者にそれと同じ脳領域が活性化されるよう、視覚的刺激などを与え操作する。そうすることによって、記憶した時の感情や感覚を別人に追体験させることができるのだ。苦痛の除去や強迫性障害に使える見込みがあるだけでなく、抑うつや統合失調症や自閉症の緩和に友好だという証拠が集まりつつあったので、カリアーは父親に、ロビンをデクネフを用いた行動変容プログラムに参加させてはどうか、と勧めるのである

プログラムに参加したロビンは、まるでテレビゲームをやっているようだといって上機嫌になり、実際に好成績をとり、生活の質も向上していく。しかし、一度のぼった坂を転がり落ちるように再度の不調に陥り、彼らは実験を次の段階に進めることになる。母親であるアリッサの脳をスキャンしたデータがまだ残っており、それを使ってロビンの感情を教育したらどうかというのだ。亡くなった母親をロビンはずっと慕っており、母親にたいしての数多の疑問も解消に向かうのではないかと。

母親を用いた脳の教育。ロビンは大喜びで提案を受け入れ、実施し、効果は飛躍的に上昇する。次第にロビンの思想・行動・言動はシーオが違和感を覚えるほどに母親に近くなり、同時にその感動的な物語──亡き母を使って学習する、障碍を抱えた息子──はマスコミにバレ、拡散されていく。果たして、ロビンの未来はどこへ向かっていくのだろうか。

おわりに

ラスト10ページまで、いったいこの物語がどのような結末を迎えるのかまるで予想もつかず、どきどきしながら読み進めることになった。この父子にハッピーな結末は訪れるのか、それとも。『オーバーストーリー』のような複雑な物語ではなく、本作は親子の物語としてシンプルにまとまっている。パワーズを今まで一度も読んだことがない、という人にも、読みやすくおすすめしやすい一冊だ。