基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

水滸伝 三/北方謙三

感想 ネタバレ有

もうネタバレ無で書くような事が無くなってしまった。というか、特にここでもふれることはないのだが。

でも書く。というか面白すぎてどんどん先に進むものの、こっちを書かないでいると内容が全く思い出せない。今読んでるところならわかるんだけれども・・・。

三巻はどういう内容だったっけ?そういえば三巻の最初は、役人が腐っていた。という一文から始まるのだった。まだ読み始める前に、何故か三巻だけ、ちょっと読んでみたのだが、役人が腐っていた。という簡潔な単純明快なはじまり方に惚れたのだった。

それから帯があまりにも格好よかったのもある。7巻だか8巻だかの帯のセリフ、死ねば土に還るだけ。どこからでもいいぞ、かかってこい。とか死ぬほど格好いいじゃないですか・・・ていうかそんなセリフまで到達したら泣く。

ちょっと先まで読んだからわかるのだが、何気なく起こる、イベントが一つ一つ、あとになって重要な意味を帯びてくる。いったいどれほどの考えを巡らせて、どれほどの筋道を考えて、矛盾がないように行動を一つ一つ選択させているのかと想像すると絶句しそうになる。とにかく無駄というものがない。だから読んでいて楽しい。そういうものだ。たとえば石秀の一つ一つの行動であったりさりげないセリフが未来に起こる事の伏線だったりだ。

晁蓋呉用の会話が格好いい。


「酒なら、これからも付き合おう。お前の夜だけが、長いわけではない」


二人の思い出話ががががが。晁蓋はこういう男だ、というのがさすがに三巻ともなると味が出てくるというかなんというか。なるほどこういう男か、という納得がやっと出来るようになってくる。長い付き合いになるのだから把握も頑張らないといけない。宋江晁蓋、いっけん相反する二人というところが、組織というものでは重要なのだろうと思わせてくれる。ガンダムを作った富野さんも、ガンダムを作った主要メンバー3人は仲がわるかったからうまくできた、といっていることだし。といっても水滸伝の二人は仲がいいが、中身が正反対という意味ではある意味あたっているであろう。

王進と史進の関係性が最高すぎる。どれだけ慢心して、強さにおぼれても王進だけには素直な史進を読んでいて感動すら覚える。二人の絆の強さが見えるシーンだった。二人が再び出会うシーンは。


「棒術の強さなど、人間の強さの中では小さなものだ。それをすべてと考えているから、おまえは幅の狭い男になった。なにが真実なのか見えぬ、濁った眼しか持たぬ男になった。おまえに、もうひとつだけ教えておけばよかったと思ったのは、強さがすべてではないということだ。棒術の強さがすべてというなら、世の人はみな棒を持っていなければならぬ。現実には武松のように拳を武器にしている者もいれば、魯智深殿のように懐の深さを武器にしている、棒では打倒せない男もいる」

かっこいい男だ、王進。この男が無様に命乞いをしている姿を全く想像できない。またしても、ここで修行を積むことになった史進だが、きっと戻ってきた時は想像を絶する深みと強さをかねそろえた陽志のような男になっているであろう。

それにしても王進システムがまるでポケモン育て屋さんみたいで少し笑ってしまった。


 「所詮、強いやつに弱い者の思いなど、わかるわけがない」
 「俺も、弱い」
 「それでか。棒を、拳で打ち砕いてしまい様な男でさえか」
 「そうだ。弱い」
 「では、私は弱くさえもない。この山寨に入ったとき、強いものがいて、その下で闘えばいいのだと思っていた。ところが、私が一番強かったのだ。わかるか、その時の驚きと恐怖が。私は、さまざまなことを考え続けてきたが、闘えばみんなを死なせる、というところにしか行き着かなかった。闘いで人が死ぬのは当たり前としても、むなしく死なせたいとは思わなかったのだ」


私は弱くさえもない。ずしんと来た。対して重要じゃないこんなキャラのセリフでずしんと来た。人は誰でも弱いと自覚した時にまた一つ成長するというが、無知の知というやつか。しかし弱くさえもない、というセリフを読んだ時の衝撃は本当に忘れがたい。しばらく頭の中でセリフが反芻されていた。それほどの衝撃だった。大したことがないように、あとから読み返したら思うかもしれないが、何故これ程、衝撃をうけたのか・・・。

武松が自分の事を弱い、と断言して憚らないのにまず感心して、それを即座に受けて弱くさえも無いと自分の存在をすぐに認められることのできるというそこに感動したのかもしれない。

はじめから勉強ができたやつに、勉強が出来ないやつの気持ちはわからないという話があるが、強い、弱いという次元での話ならば、最初から強かった奴なんていないだろう。

宋江の嫁と宋清の嫁が死んでしまうが、あまりにも自然に受け入れてしまうというのが、宋江の志、覚悟を表しているのか。晁蓋といい宋江といい、度量の広さを見せつける描写である。この二人が今後どうなっていくのか目が離せない。