基本読書

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働かなくてもよくなった世界──『未来職安』

未来職安

未来職安

『未来職安』は『横浜駅SF』でデビューした柞刈湯葉さんの第四作目になる。

横浜駅が際限なく増殖していく状況を描いた『横浜駅SF』や膨張し続け東京大阪間が5000キロになってしまった地球を描く『重力アルケミック』は、どちらも奇想的なアイディアを中核におくことで、我々のよくしる現実をまったく別の世界として緻密に作り上げていくSF作品だった。対する『未来職安』は奇想的なアイディアは消え、オーソドックスに人工知能やらロボットの発展、生産性の工場によって人間のほとんどが別に働かなくてもよくなった世界で、職安で働く人々を書いた話である。

この世界の日本ではほとんどの人は生活基本金と呼ばれる支給金で暮らしており、特別な物を望まなければそれで十分に生活していくことが可能だ。つまり働きたくなければ働かなくてよい社会である。事実99%の人間はそのような生活──作中では消費者と呼ばれる──を送っており、残り僅かな人が研究者や何らかの仕事を行い、生産者としてお金を稼ぎ好きなものを買っている。そんな世界では職安もやりがいがないだろうと思うのだが、実際趣味としてやっており、あまり儲けもないまま1人の経営者と1人の労働者によって成り立っている、こぢんまりとした組織の話である。

「考えてもみたまえ。たいていの動物は生活のために働いている。その心配がなくなった以上は、一日中のんびりしていればいい。うちの所長みたいにな。ところが人間は仕事の必要がなくても、わざわざ仕事を探しに来る。まさにここに人間の本質が顕れていると言えるだろう。そういうのを観察して、分類して、発送するのがおれの趣味なのだ」

職安に来るような人たちは基本的には働かなくていいのに働こうというのだから、そこにはそれなりの理由があって──と、職安で働く27歳の女性を視点主として、変わった文化や規則、価値観、またほとんどの仕事が代替された後に残っている人間にしか出来ない仕事とは何なのかがつらつらと描かれていく。ここは現代よりも何十年か後の世界で(まだ平成生まれが生きている)、性の選択やライフスタイルが今よりも様々な面で「自由」になっている。描かれていく変わった文化や価値観については、どれも説得力があり、未来の社会が説得力を持って立ち上がってくるのがいい。

なぜ働き、どのような仕事があるのか

あんまりないのだが、責任をとる必要がある仕事は人間の役目として残っている。

首相のような立場は(何もやっていないにしても)人間が座っていないと責任をとってやめることもできないし、県庁に勤めている人々もみな仕事などないが、何か(自動運転車が事故を起こしたり)が起こった時に、相手(人間)の感情のぶつけ先としてロボットではない生身の人間が辞任用として勤めている。他にも、身代金をとるような事件の人質になるとか、世界的に監視カメラ情報が蔓延する一方で個人情報保護の機運が高まり、監視カメラを個人情報保護法で対消滅させるために監視カメラの前にただ突っ立っている仕事など、なかなかテクニカルな仕事が幾つも紹介されていく。

はたしてそんな仕事をするのは必要なのか? というのは最もな疑問であって、だからこそ「そんな状況下で仕事を探しに来る人間」そのものがドラマの発生源となるわけである。たとえば結婚相手が生産者でこちらがただの消費者だと収まりが悪いのでなんとかしてくれと(親が)やってくるとか、保険が適用されないシングル・ペアレント(単性生殖)になるための金を稼ぐためにとか、誰にも求められていないようにみえる自分の漫画をなんとかして売りたいとか、家族から離れて一人で生活するためとか、買いたいものがあるわけではないが働きたいんだとかいろいろである。

みな何かを求めて職安にやってくるわけではあるけれども、そもそも働かない自由もあるし、何を食べたって、どんな生活をしたって、他社の自由を侵害しなければそれでいいのだ。なので、本書には一貫して、どこかだらっと弛緩した雰囲気が流れている。仕事が見つからなかったとしても、諦めればいいだけなんだから、そうなるのも当然だろう。そしてそれが、ユートピアというわけでもなければディストピアというわけでもない独特な読み味に繋がっていて、それがなかなかおもしろいのだな。

おわりに

他にも自然な形で挿入されていく未来の価値観や文化の描写(たとえば同性愛者や無性愛者がスッと当たり前のように出てくる、未来の犯罪形態、消費者と暮らすことの利益についての議論など)がいちいち作り込まれており、全体的にシンプルなのだがどこを切り取っても飽きずに楽しませてくれる。女性視点の語りだし、横浜駅とも重力〜とも全然違った話で、柞刈湯葉さんは相変わらず手が広いというかうまいなあと思いつつも、「もし、社会がこうなったら」という部分を緻密に作り上げていく部分は共通していて、根本的にその能力が高いんだろうな。素敵な一冊でした。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
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