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すべての車が自動運転車になった時、社会の形は激変している──『ドライバーレスの衝撃—自動運転車が社会を支配する』

ドライバーレスの衝撃—自動運転車が社会を支配する

ドライバーレスの衝撃—自動運転車が社会を支配する

この『ドライバーレスの衝撃』は、日々その支配を増しつつある自動運転車について語られた一冊である。自動運転車といっても、今まで人間が運転していた車が一部自動運転に変わるだけで、社会なんて変わらないでしょう、ましてや支配とは、と思うかもしれないが、本書を読めばその意味するところはすぐ理解できるだろう。

実際、車の多くが自動運転者に置き換わっていく過程で、道路の形がかわり、人々の生活がかわり、文化もかわると想定され、さらにはその選択いかんによっては人命が失われたり環境破壊がより進展したりといった悪影響も想定されるのである。たとえば、米国の全雇用の七分の一が輸送に関わっているというが、もし仮にこれがすべて自動運転車に置き換わったら、その分の雇用はどこにいくのだろうか? 別の仕事に移るといっても限界がある。『誰もが自分の望む場所に行く手段、またモノやサービスを得る手段を必要とする以上、自動運転車の影響を受けない人など存在しない。』

自動運転車によって変わる社会

無論自動運転車の普及はマイナスのポイントばかりでもない。自動運転車が広く蔓延し、コストも下がったら、自動運転車の価格は現在の平均的な自動車と変わらない値段になるといわれている。「値段が下がっても自分は関係がない」と思うかもしれないが、今長時間の休まらない満員電車に載っている時間が、自動運転車なら落ち着いて横になって眠っている時間に変わるのなら、多くの人は喜んでそうするのではないか? そうしたら、自分専用車を持つことは魅力的なものに変わるかもしれない。

今都心に住んでいる人であっても、移動の時間で映画をみたり、寝足りないなら寝たり、コーヒーを飲んだり、本を読んだりといった有意義な時間に変えられるのであれば、郊外に引っ越そうという動きが広まるかもしれない。人間が運転をしなくてもいいという事実は、これまでの車の設計上の制約を取り払うから、家のようなデザインだったり、様々な車が生まれることになるだろう。車は携帯電話と同様の頻度でアップデートされるようになり、買い替えのサイクルもより早くなるかもしれない。

それは同時に問題を生む変化でもある。多くの人が車に乗るようになったら、渋滞はどうなるのだろうか? 環境破壊は? 一般に自動運転車の方が人間よりも事故の発生率は少なく、広まれば広まるほど死亡事故は少なくなるとみられている。それはいい点だが、身体を動かすことが少なくなり病気が増え、死亡者数が増えることもありえる。本書の著者サミュエル・Ī・シュウォルツはずっと運輸局などの交通分野で仕事をしてきた交通の専門家だが、決して自動運転車の無条件の擁護者ではなく、こうした様々なリスクとベネフィットを比較しながら「どうすれば、リスクを最低限にして自動運転車の利益を享受できるのか」を様々な角度から検討していくことになる。

インフラについて考える

インフラについて考えてみると、自動運転車が普及するに伴って考え直さないといけないのは車線の幅である。現代では一般的な二車線での幅は3m、高速道路で3.5〜3.75m。これはアメリカでも状況はそうかわらないのだが、自動車の幅は約1.8m程度が平均であり、バスでも約3mである。不慣れな運転手のことを想定するなら広い方がいいかもしれないが(とはいえ3mの車線よりも3.6mの方が安全というわけではないとする研究がある)、自動運転車が走るのなら広さは最低限で問題ない。

つまり自動運転社会では、現状よりも車線の幅を減らすことができる。今日の自動車用に設計された3車線道路を自動運転車を想定すれば4〜5車線道路に生まれ変わらせることができるのだ。『したがって、私たちが賢い選択をすれば、道路や橋といったインフラを維持・改善するコストは劇的に低下する。いま私たちは、計画の俎上にあるすべての幹線道路プロジェクトを精査すべきだ。それが道路の拡張を求めるものであれば(多くの計画がそうだ)、却下を前提とすべきだろう。』インフラは常に数十年、場合によっては百年以上先を想定しなければならないが、ゲームのルールが変わる時は、これまでの議論の延長線上で考えてはいけないのである。

次の10年かそこらで、従来の車線より狭い自動運転車専用の車線を既存の道路に設置しようという機運が高まり、それが道路の交通量を増やすことになるはずだ。交通エンジニアは、交通容量と車線幅の両方に対する自動運転車の影響を考慮に入れた、新しいシミュレーションモデルを開発する必要がある。それにより、今後20年間で、インフラに費やされているコンクリートの3分の1から2分の1が不要になると判明するかもしれない。

もう一つインフラ的な観点から重要なのは、将来的にすべてが自動運転車に切り替わっていくときを想定すると、駐車場や交通の渋滞を嫌って(環境問題も手伝って)ライドシェアの文化が発展していくという可能性だ。多人数で自動運転車をシェアして同じ方向の目的地に向かうようになったら、駐車場は今ほどには必要とされない。

自動で客をピックアップするオートボットシステムをシミュレーションしたところ、現実世界のリスボンで人間が運転している車両が担う移動需要を、自動運転車なら90%少ない車両で満たせたという実験もある。人間が運転するタクシーよりもシステムによって運用されたシェアリングシステムのほうが効率的で、そのぶん街から車の数も減らせ、車のための面積を公園など他のものに変えられるようになる。

スイスのチューリッヒでは、都市の中心部における駐車場の面積の上限をさだめているが(新しく造るには古い駐車場が破棄されねばならない)、将来的に自動車に従来型の駐車場が不要になってくると想定すると、既存の駐車場をいかに潰して再活用するかという発想が、現代の都市計画には必要になってくる。『今日つくられた駐車場は、他の用途にも改修可能なように設計されなければならない。』

おわりに

無論、個人所有の自動運転車が増大の一歩をたどり、環境破壊は止められないし渋滞は破滅的になり車線はどんどん広くなる、という悪夢じみた未来も想定できる。自動車メーカーは一台でも多くの車を売りたいから、当然そうした未来に向けて働きかけている。だが、自動運転が広く普及するのは今から20年〜30年あとのこととみられている。それまでにできることは、インフラの再設計を含めて多くあるのである。

本書では他にも、自動運転車がもたらすオーウェル的な監視社会の可能性について(ライドシェア型の自動運転車は乗客全員について詳細なデータを集めるだろうから)、実際にどれだけ命が救われるのかという試算、ハッキングされてテロなどに用いられることへどう抵抗するのか、倫理的な問題(誰かを轢き殺さねばならない状態になった時、アルゴリズムは誰を轢き殺すことを選択するのか。また、誰が責任をとるのか)であったりと、非常に幅広くこの分野についての問いがまとめられているので、ぜひ読んでもらいたい。輸送は誰にとっても無関係な問題ではないのだから。