基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

水滸伝 九/北方謙三

さぁさぁさぁ、折り返し地点も近くなってきました九巻でございます。

感想 ネタバレ有

何があったかなぁー。索超が出てきたり林冲が危険な目にあったり晁蓋が自分から戦場にでるようになったりっていうのが主なところですかねぇー

さすがにもう九巻ともなると、書く事が無くなってきた代わりに経験が積み重なりもうなんかダラァーンと長年の親友と酒でものみながらゲームしているようなダラダラ感が出てくるわけだけれども、ひょっとしてこれが中ダルミってやつなのかしらん。

ただそれはあくまで感想を書く上での中だるみなのであって、断じて作品の中身が中だるみしているわけではない。それだけははっきりとさせておこう。恐らく最初から最後までこの物語は北方水滸伝でありつづけるだろう。

一見何も起りそうになかった十一巻でさえ驚愕の出来事が最後で起こったし。

しかしこの巻の帯はひどいなぁ。林冲愛する妻を救うために敵地に!みたいな感じの帯だったが、一巻を読んだ時点でその帯を見た時に、妻生きてんのかよ!と壮絶なまでに突っ込んでしまった。そうか、それで実際には妻が死んだ描写が全くなかったのか、と納得しかけたところでやっぱりブラフでしたってそれこそがっかりだよ!あぁガッカリだよ!

でも圧倒的なまでに強い林冲にも、そういった弱さがあるという事を書くにはこれ以上ないほどのイベントであったな。水滸伝最強キャラランキングでも林冲が一位のようだし。やはりそこまで強い人間はいないということか。王進をのぞいて。

 女一人救えなくて、なんの志か。なんの夢か。

死んだあともこれほど大事にされる女の名前が全く思い出せない。ただやっぱり林冲かっこういいなぁ。晁蓋がやられそうになった時突っ込んできたのも林冲だし、どんなピンチにもこの一人!万能林冲発売中!みたいな。しかもどんなにピンチになってもお話の魔力が林冲を守ってくれるという。

原典があるからだが。

水滸伝とは関係なしに、ストーリーに介入する読者側の意思、というテーマで考えてみるのも面白いかもしれない。読者に望まれて死ぬべきだったキャラクターが死なないとか、読者が望むであろう展開に行くというのは、物語である以上当然あることで、それを許すのは作り手の怠慢であるなんていう狭い考え方ではなく、それすらもストーリーというものの一部として取り上げていくのが本当の物語というものではないのか。本来読み手がいてこその物語なのだから。

関係ないお話終わり。

なんかもう梁山泊がみんなやられちゃったあとみんなの敵はこの私がとる!とかなんとかいって王進が巨大化とかなんかしたりして一人vs国 ドガーン!みたいなキャッチコピーがついて王進が宋を倒す話があったりしたらおもしろそうだけど絶対にあり得ないな。

いかん、なんかおかしいな。

 「ここで逃げたら、俺が俺でなくなる。やれるところまで、おまえと一緒にやらせて貰うぞ、豹子頭林冲
 「馬鹿な男だ」
 「おまえもな」

オマエモナー 索超男すぎる。ここで逃げたら、俺が俺でなくなる。うひゃー。もうなんかうひゃー。うひゃー。万の言葉を尽くして語りたい気もするが、なんというか、うひゃーだけで気持ちが全部あらわせているようなきがする。うひゃー。

 「俺はよ、魯達を女真の地からひとりで連れ戻した。誰にも出来ない事をやってのけた、とみんな言ったもんさ。その時、俺はこれが男だと思った。誰にでもできねえことをやってのけて、人に語られるのがな。いままでも、俺の名を聞くと、魯達を救いだしたあの訒飛か、と梁山泊の兵はみんな言う。そんなとき、俺は男だって思えるのよ」

そして今まさに、八方塞がりの中から重要人物を助け出そうと、誰にも出来ないことをやってのけようとしているそこにしびれるあこがれるぅ!格好いいぞぉぉ訒飛ぃぃ。でもお前の名前は別に語られる事はないからなぁ!でも悲しむんじゃない。一応死ぬシーンが書かれているというだけで君は立派なキャラクターだ。中には全く描写がないまま死んでいく人間もたくさんいるんだ。その中で君の描写はキラキラと光輝く太陽のように北方水滸伝という物語の中で屹然と立っているぞ。

まぁ語られる事はないけど。

解説より

 百八人だ。百八人の北方謙三もどきが、これでもか、これでもかと男の生きざまを説き、死に様を見せつける。百八人分のナルシズムに翻弄されるのだ。

読んだときまさにその通り!と腹を抱えて笑ってはいないけれどうんうんと頷くぐらいはしたような気がする。実際のところこれでもかこれでもかと男の生き様を見せつけられて、なんというか自分はなんていう人間の屑なんだ、と自己嫌悪に陥る方向に向かっている気がする。あとは何回も繰り返される男の思想によって、一回ならまだしもそれが何回も繰り返されるので、なんだか洗脳されるかのように頭の中から思想がこびりついて離れない。みんな立派すぎてあまりに自分が屑過ぎて本当にもう誰にあやまっていいのやら、生まれてきてごめんなさいというのは親に失礼だし今まで真面目に生きてこなくてすいませんすいませんと水滸伝に向かって土下座したいぐらいである。