qianchong.hatenablog.com
こんな記事を読んだ。記事内で当ブログに言及していただいており通知が飛んできたので読んだのだけれども、内容的には「SF映画やAIや技術系の本も大好きなのに、SF小説は最後まで読み通せないものが多い」ということで、なぜなのだろう、老いなのだろうか、と疑問を呈している。率直な感覚が綴られた、良い記事だ。
SFって読み通すのに労力がいるよね
SF小説を読んでいる方の人間である僕にとっても「わかる」と頷くところが多い記事だった。SF小説って、ブログ筆者の方も次のように書いているけれど(『SF小説というものは、類まれなる想像力でこれまでに我々が見たことも聞いたこともないような世界を紡ぎ出すところがその真骨頂だと思います。でもおそらく私は、その想像力が紡ぎ出す世界に自らの想像力が追いついていかないのでしょう。』)、想像力が追いつくかどうか以前に「読むのに労力がいるジャンル」なのは間違いないと思うんだよね。
たとえば、日本が舞台で朝起きて電車に乗って学校なり会社なりに行く小説があった場合、その情景を想像するのにそう労力はかからない。舞台が出身地に近いかどうかで想像しやすさに差異は生まれるだろうが、概念としては既知のものだ。一方でSFはといえば、少なからず「現実」からズレた世界を舞台にしているのが常である。
200年後だったり300年後だったり。現代であっても、技術的な前提が数百年前に分かれて別の歴史を辿っていたりする。それらは基本見知らぬ概念・世界なわけだから、想像し把握するには少なからぬ労力がかかるのは間違いない。たとえば伝説的なSF小説『ソラリス』などは、まずもって地球外が舞台で、人間以外の知性が出てくる──しかも、「海」だ!──うえに、その知性がどのような類のものなのか、最初は検討もつかないときている。それを探っていく過程が物語になるわけだが、現実的情景・想像からあまりに離れているので、読むには認知的な負荷がそれ相応にかかる。
シリーズ物なら一度覚えてしまえば後の巻でも最初の知識が使えるからどんどん読みやすくなるが、現状SFの二大巨頭である早川書房と東京創元社のSFの多くは単発や三部作のものが多いから、新しい作品を読むごとに展開する必要がある。だから、SFっていうのはそもそも読むのに労力がかかるジャンルではあるんだろう。
それをいったらファンタジーだって「現実からズレた世界」じゃん、と思うかも知れないが、こちらはドワーフやエルフ、あるいはドラクエや魔法ものなどの多くの人が共通の体験として持っている既知の概念・素材をもとに組み立てられていることが多く、認知的な負荷は相対的に軽微であるように思う。無論、人間の認知に負荷をかけてくる(既存の部品をあまり使わないタイプ)ファンタジーもあれば、その逆に負荷が低いSF小説もたくさんあるから(すべてのSFを読むのは大変なんだ、とハードルをあげるのは僕の本意ではない)、全般的な傾向の話だと思ってもらいたい。
SFは読むのに労力がかかるという前提をおいて、じゃあどうするか。
SFが個人個人の要因を抜きにしてそもそも読むのに認知的な労力がかかりうるジャンルであるとして、同時にそれは「だからこそ」の魅力の一つでもあるわけだ。
では、その前提を知ったうえでどうするか──といえば、別に何かをしなければいけないわけではない。小説は楽しむために読むのだから、認知的負荷に耐えられ、それに耐えた先の快感報酬の収支がプラスになる作品を探し読むしかない、という身も蓋もない話ではある。最初の記事のブコメにもあったが、文体の問題や作中で描かれる情景や概念がどれだけ自分にとってとっつきやすいかで「相性差」も出る。
歴史をみればニューウェーブやサイバーパンクが来たときも「これは読めんなあ」といって離脱したSFファンもいるわけで(逆に入ってきたSFファンもいる)、「SFが好き」な人であってもその中のサブジャンルを偏愛している人が、実際的には多いのではないか。僕だってSF全般を好んでいるとはいえ、特に好きなのはグレッグ・イーガンやニール・スティーヴンスン、キム・スタンリー・ロビンスンのようなラインであり、隔たりが大きくなるほど「主観的なおもしろさの評価」は減少することが多い。
なんとかして読みたい時はもう読み飛ばす
労力が必要なのも相性があるのはわかったが、相性が悪い作品でもなんとかしてSFを読みたい、楽しみたい時はどうすればいいのか? といえば、必殺技が存在する。故・北上次郎が名付けた(かどうかはしらないが)、「大森スペシャル」だ。いわずと知れた翻訳家大森望の技法で、たとえば東山彰良による終末SFの大傑作『ブラックライダー』の文庫解説でも、大森は次のように大胆に「読み飛ばし」を推奨している。
登場人物(しかも外国人ばかり)と場面転換がやたらと多いうえに、舞台になじみがないため、第一部で話についていけなくなる読者がけっこう多いらしい。そこで、いくら読んでもちっとも状況が頭に入らない、困った−−という人にお薦めの奥の手がある。すなわち、思い切ってページをすっ飛ばし、第二部から先に読むこと。(下記リンクから引用)
www.webdoku.jp
実際『ブラックライダー』の冒頭のとっつきにくさは相当なものがあるので、これはかなり有用なメソッドだと感じる。SFの場合冒頭に世界観についての説明が入ったり、いきなり世界観を開陳して読者が離散するのを防ぐために、最初はあえて読んでも意味が把握できない情景を描き出したりして、後に冒頭の情景の答え合わせをすることもあるので、とにかく冒頭の難易度は高い傾向にある。そのため、冒頭を読み飛ばすのは実際有効である可能性が高い──のではないかと僕も思う。
読み飛ばしたあと戻ったっていい
重要なのは読み飛ばして後ろの方を読んだ後、また最初から読んだっていい、ということだ。SFの冒頭を読む時、読み手は「あらゆる可能性」を想定せざるを得ない。
突然宇宙人や宇宙船が出てくるかも知れないし、すべては虚構、シミュレートされた世界だったと発覚するかも知れないし、宇宙が18次元の可能性だってある。そのためSF小説の冒頭の認知的負荷は高く、ある程度飛ばしてわかるところや先の可能性の収束を把握してから戻ることで、無尽蔵に可能性が拡散していくことも減って、あたりをつけて読み進めることができる。実は僕もこのやり方で読むことが時折ある。
あまりに世界観がよくわからなかったり把握しづらい時、すっ飛ばして先の方を読み、戻り、また先の方を読んで、戻り、といったりきたりを繰り返すのだ。こういう読み方に関して、そんなのネタバレじゃないか! という人もいるだろうし、全然気にしない人もいるだろう。みな自分のやり方で試してみる他ないのもまた事実だ。
おわりに
SFの読み方やテクニックも、決してひとつではなく、「読む」行為は多様で、だからこそおもしろい。部品の流用の話をファンタジーではしたが、SFだって部品が流用されている部分は数多くあり、読めるものから粘り強く何作もSFを読んでいくことで次第に読める範囲が増えていく、ということもある。
現代ではオーディオブックも普及したし、AIを活用した読書(たとえば本を読み込ませて理解しづらい部分を説明してもらうとか、読み飛ばした部分だけ要点を要約してもらうとか)の可能性もあるしで、SFに限らず、「認知的な負荷がかかる本」を読むためのテクニックを集めても良いかもね。たとえば僕の場合、小説の読みはじめは一番集中することができる風呂の中で30〜40分かけて一気に読んでしまうことが多い。
最後に宣伝。BRUTUSの7月15日号はSF特集で僕も寄稿しているのですが、SF小説から映画、アニメ、ゲーム、演劇までたくさんのSFが紹介されていて入門にもぴったりの内容になっているので、良かったら読んでね