基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

その能力は、どのような物理法則に則って/あるいは反しているのか? まできっちり詰めてくれる能力バトル/ミステリィ──『君待秋ラは透きとおる』

君待秋ラは透きとおる

君待秋ラは透きとおる

どうやら能力バトル物らしい、というだけでそれ以外の情報を何も仕入れずにこの『君待秋ラは透きとおる』に手を出してみたが、これがたいへんにおもしろい。著者はミステリィの著作を多く持つ詠坂雄二。本作も主軸としては能力──本作においては「匿技」──を持つ人々がいる”社会”と、匿技士たちの関係性、時にその戦いを描きながら、同時に鮮やかな能力ミステリィとしてオトしてみせる。

匿技士たちはみな、透明になるとか鉄筋を生み出すとか、固有の能力を持っている。本書は、そうした匿技がどのような物理法則にのっとって、あるいは物理法則に則っていないとしたらどの部分がそうなのか? といった科学的な検証をきちっと詰めていってくれる能力バトル物であり、その戦闘のロジカルな展開や、終盤に現れるトリックに対する驚きが、ちゃんと伏線がしっかり張られたミステリィに対する驚きと同質のものになっている。HUNTERXHUNTERへの言及もあるし、架神恭介などが受け継いできた「ロジカルな能力バトル物」にきちんと接続される良作である。

ざっと紹介する。

というわけでざっと紹介していこう。序盤の流れ自体はザ・オーソドックス、といった感じで別段驚きはない。この世界には匿技と呼ばれる特殊な能力を発現させた人々が少人数ながらおり、同時にそうした匿技の持ち主たちを集める「日本特別技能振興会」なる謎の組織が存在すること。書名にも入っている君待秋ラ(スゲー名前だが本名らしい)は透明化能力者であることをこの日本特別技能振興会に把握されており、日本で発見された10年ぶりの匿技士としてスカウトが行われるが、交渉は決裂。

はいそうですか、それじゃああとは自由に過ごしてくださいね、というわけにもいかないので鉄筋を生み出す能力者である麻楠が実地交渉に向かうことに──といった感じで冒頭から透明化能力者vs鉄筋創造者のバトルが勃発することになる。透明化能力者なんだから消えればすぐ逃げられるじゃろ、と思うかもしれないがこれがそううまくはいかない。なぜなら、物を透明化させる、といった時にまず考えられる大きな可能性としては二つある。ひとつは知覚操作で、これは見る側の知覚を操作することで実質的に自分が透明化すること。もうひとつは屈折率の操作だ。攻殻機動隊に出てくるやつだが、この場合、目まで透明にしてしまうと視界が効かなくなると予測されるので、見えたまま移動しようとした場合必ず目が浮くだろう、とさらに予測できる。

相手の能力がこの二つのうちのどちらかであろうと考え、日本特別技能振興会と麻楠はまず君待秋ラに対してマンションの狭い通路で接触し(知覚操作でも相手がどこにいるか予測しやすくなるから)──とこの最初の能力バトル戦の時点でけっこういろいろな思考が渦巻いている。結局、麻楠は彼自身を透明にされることで周りが見えなくなってまんまと逃げられてしまうのだが、自分以外の匿技の持ち主たちを目の当たりにして所属を決めた彼女は日本特別技能振興会に加入するのであった。

ひたすら能力の原理を深掘りしていく。

そんな組織に入ってしまったら、あとはもう悪の匿技士たちと戦い続ける人生なんやろなあと思っていたが、実はこの世にはほぼ匿技士の存在は確認されておらず、事件もない。日本特別技能振興会も特に仕事がなく、基本は所属しているだけで(国家に対して敵対的にならないだけで)金がもらえる優良組織である。じゃあ君待秋ラは何をするのかといえば、まず一つには能力の検証。たとえば、君待秋ラが透明化させた物質は、彼女から距離的に引き離したら透明化は解除されるのか、されないのか?

透明化させた検体を800キロメートル離れた北海道に持っていっても解除されないこと。また、平均にして約23時間経つことで勝手に透明化がとけること、つまり透明化は対象に不可逆な改変をほどこすものではないこと、透明化の作用が電子、原子核、分子、どのレベルで働いているのか──などかなり細かいところを詰めていくのである。無論匿技士は彼女一人だけではないから、光をある特殊な方法・環境で操作することのできる、「この世界それ自体に働きかけることができる」グローバル級の匿技士も入れば、大戦時にその能力をふるい、アメリカ政府から能力の使用を明確に禁止された実質的な不死能力者など、この国の歴史、権力、国際政治と密接に関わってきた匿技士たちの在り様が、様々な形で明かされていくことになる。

地味ながらも読んでいて感心してしまったのが、なぜ匿技士が少ないのかに対するスマートな回答。匿技士の数は1000万人に1人と言われていて、国内で発見されている数は10人にも満たないが、ではなぜそこまで少ないのだろうか。仮説として提示されるのが、己の匿技に気づける人間があまりにも少ないから、というもの。透明化であったり、火を操ったり、空を飛んだりはSFやファンタジィではメジャな超能力はそれだけ見つかりやすい、というよりかは自分で気づきやすい。逆に、考えもしない能力だと、それを試そうなどと絶対に思わないし、だからこそ匿技も発現しない。だが、気づいていないだけで、誰しも実は匿技を持っているのではないか──と。

この理屈は能力バトル物としては夢があるよねえ。しかも単にこの設定が「おもしろい」というだけでなく、君待秋ラが幼い頃に、透明化の能力の発現と同時に自分の弟を思いがけず透明にしてしまい、結果として弟の視力が失われてしまったこと、「なぜ君待秋ラはあの時消したいと思ったのか?」と自身の過去の奥深いところへと絡んできて、設定と個々のキャラクターの感情処理の部分に無駄がないのも素晴らしい。

おわりに

物語は最終章で、とある伝説的な分裂能力者の遺体の所有権をめぐる匿技士同士の抗争に焦点があたるのだが、ここである種副読本的、フレーバー的に語られているだけだと思っていた、透明化の物理法則面の検証や、光を操作する能力者のあれやこれやなんかがすべて活用されていくことになる。この部分は本当に鮮やかなので、ぜひ読んで確かめてもらいたいところだ。物理法則に干渉する能力者まで普通にいるので、発想が能力バトルの枠を超えてSF的になっていくのもなあ……いいんだよね。

続篇があってもおかしくないないようなので、ぜひシリーズ化希望である。

小さな優しさの積み重ねが、世界を変える──《青春ブタ野郎》シリーズ

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない (電撃文庫)

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない (電撃文庫)

《青春ブタ野郎》シリーズは、ダブルヒロインのうち「どちらかをちゃんと決める辛さと責任」までを描ききる男女の恋愛模様に加えて、創作者たちの共同生活を通して才あるものと凡庸な者の対比、クリエイターの業まで描き出した青春群像劇『さくら荘のペットな彼女』や、『Just Because!』の全話アニメ脚本でもある鴨志田一の現在進行系のシリーズである。もともと評判はよく、さくら荘もJBも大好きなだったので、この三連休をきっかけとしてガッと既刊を全部読んだのだが(今のところ8巻まで出ている)これが安定して素晴らしい出来で、たいへんおもしろかった。

他人から注目されたくないと願っていたら自分の存在に周囲の人が気づかなくなりはじめたり、嫌なことを回避したいと願ったらループがはじまったり──といった思春期の悩みや葛藤といったものがSF的事象として結実してしまう、「思春期症候群」と名付けられた現象が存在する世界を舞台に、少年少女たちが抱える平均からすると重めな葛藤を描き出していくこのシリーズ。扱われているネタはループとか、タイムトラベルとかのSFとしては非常にオーソドックスなもので、泣かせにくる演出とかも「あるある」といった感じなのだけれども、とにかくその魅せ方が異常にうまい。

物語の構造的に類似しているのは西尾維新の〈物語〉シリーズだろう。〈物語〉シリーズはヒロインと主人公の阿良々木くんに取り付いた怪異が彼らの生活を取り巻く問題を深刻化(あるいは表面化)させ、阿良々木くんが一話一ヒロインをだいたいズタボロになりながら解決することでコマしていく話なのだが、こっち(《青春ブタ野郎》シリーズ)はそれが思春期症候群に変わった形になる。1巻1ヒロイン構成についても概ね同じで、そのおかげで話が連続しているにも関わらずシリーズ作品にはナンバリングタイトルがついていない(その巻のメインヒロインが書名を飾っているのだ)。

ざっと全体像を紹介する

1巻はその存在が周囲の人から認識されなくなりつつある人気女優である桜島麻衣と、その同じ高校に通う後輩梓川咲太の出会いと問題の解決を描き、2巻ではとある事象からの逃避行動からループに陥ってしまった後輩少女を手助けするうちに惚れられてしまい──と思春期症候群と絡めてキャラクタを掘り下げながら進行していくのだが、毛色が変わるのが第5巻『青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない』。

何が変わるって、おるすばん妹とは主人公梓川咲太の妹のことなのだが、かつてひどいイジメにあったことで解離性障害を発症し家から出れない(電話に出るなどのストレスのかかる行動をとると熱が出て身体に痣が浮かび上がってくる)という、思春期症候群を解決してもどうしようもない問題がテーマなのだ。ガチの精神病患者なので、一発逆転のような解決策はない。まずは電話を出れるようになり、一度寝込み、私服に着替え、外に出る前に長時間葛藤し、一歩外に出ただけで気絶しそうになる。

そうした試行を重ね、少しずつ外に出ることができるようになる回復の過程が地道に描かれていく。外に出れるようになったとしてもそれは一つの課題のクリアであって、空白期間をどう埋めるのか、学校に行くのか、迫る高校受験はどうするのか──といった課題は山積みで消えることがない。本作の特徴の一つは(妹の件に限らず。女子同士の微妙な力関係だとか、SNSイジメの描写がやけに細かいのもいい)そうした現実に起こり得る複雑な課題に対して、安易な解決をもたらさないところにある。

実際、妹の話はこの巻だけで終わらず、6、7、と継続して語られていき、8巻『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』では再度のメインとして(この構成もまたうまいんだが)登場し、妹の別側面を取り上げながら、「高校進学をどうするのか」という重い問題に立ち向かうことになる。定時制に(成績的にも精神的にも)無理していくのか、はたまたそれよりかは通信制がいいのか。通信制にはどのような生徒たちが通っているのか──現実と地続きのテーマで、あまり物語内で語られるものではなかったとしても、本作では丁寧にそのあたりの葛藤を取り上げていくんだよね。

フライングしたが6巻『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』と7巻『青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない』は物語の第一部終了&大ネタの巻で、妹のイジメと同時期に出た梓川咲太の身体に出ていた大きな傷(思春期症候群によるもの)と、そのきっかけとなった初恋の少女との時を駆けた事件が展開する。これがまた実にオーソドックスな形の時間SFだが、やっぱり最初に書いたように魅せ方がうまい。

ここまで丹念に一人あたり1巻を費やして存分に描いてきたキャラクタがいるぶん、時間SFによくある葛藤(悲痛な未来を避けるためAという行動を起こすとBという惨劇が起こるので、どちらかを選ぶ必要が出るなど)が強烈に引き立つのもあるが(ノベルゲームとかはその構造上ループ物が有利なんだけど、プレイ時間の長さもそれに拍車をかけてるよね)それまで仄めかされてきた要素がここにきてすべてが収束していく伏線回収の端的なうまさがあって、ここまでくると無言で拍手するしかなかった。

おわりに

あと、これはずっと鴨志田一作品に共通している要素ともいえるが、主人公の在り方がね、またいいんだよね。人生にはどうしようもない挫折があって、時にそこから立ち直ることがひどく困難な時もあるけれど、目に入った募金活動にお金を入れたり、妹のために日々リハビリにつきあい、「ありがとう」と「大好き」を日々いうようにして──、そうした”小さなやさしさ”の積み重ねが人の気持を動かして、最終的にはもっと大きな世界を変えることも変えないこともあるんだ、っていう描き方は、”ただすべてがうまくいく”というメッセージよりも、何倍も優しいと思うのだ。

『一回、数百円の募金で誰かを救えるとは思っていない。今すぐに救いたい身近な誰かがいるわけでもない。でも、その小さな積み重ねが、誰かを救うこともある。』7巻というのはキャラだけでなくテーマ的な意味での総決算感もあり、何度読んでも(これを書きながらまた読み返していた)うまいよなあと感嘆してしまうのであった。そして新展開がはじまる続く8巻では、小さな善意が変えた世界が、誰かにとっては大きな問題になっているかもしれないという視点も出てきて、続刊への期待がいよいよ高まるのであった。またオリジナル・アニメ脚本もみたいよなあ。

個人的には妹の社会復帰回である5巻と8巻が好きだ。

青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない (電撃文庫)

青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない (電撃文庫)

青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない (電撃文庫)

青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない (電撃文庫)

スポーツロボットバトルが成立する"世界"まで含めて描く──『ストライクフォール』

ストライクフォール (ガガガ文庫)

ストライクフォール (ガガガ文庫)

『BEATLESS』のアニメが間近に迫る長谷敏司さんによる、スポーツロボットバトルアクションSFがこの《ストライクフォール》シリーズである。現在絶賛シリーズ進行中で、目下のところ三巻まで刊行中。実は一巻が出た直後ぐらいに記事を書いていたのだけど、二巻、三巻と進むにつれ面白さが跳ね上がっていき、一巻を読んだ頃には見えていなかった景色が見えてくるようになったので、ここらで再度紹介しておきたい(タイミングよくガガガ文庫作品はKindleで50%還元祭り中だし)。

一巻ではストライクフォールという競技と物語の登場人物の基礎が描かれ、二巻でこの世界の成立背景の一端が明らかになり、三巻でストライクフォールという競技の醍醐味を思う存分最初から最後まで描ききってみせたこのシリーズ。ここから先はあまり重要部分のネタバレしないように三巻までの魅力を紹介していくつもりだが、まず最初にただひとついうべきことがあるとすれば、"クッソおもしろいので、とりあえず最低でも二巻、できれば三巻まで読んでくれ!!"ということのみである。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

どのような社会ならロボットバトルが興行として成立するのか

物語の舞台となるのは《宇宙の王》を名乗る異邦人が万能の泥をもたらし、人類はそれを加工することで人工重力やエネルギー遮蔽技術といった超技術を手に入れるようになった未来。人工重力によって人類は宇宙へと進出し、宇宙は人類の経済圏の中に組み込まれた。その結果として、初の宇宙戦争、太陽系大戦が巻き起こる──。

 太陽系大戦とは、そうして巨大化した宇宙経済の中心を、地球に置くか、宇宙植民地に置くかという争いだった。つまり、経済を巻き込んだ総力戦だった。地球を通信とする宇宙国際連盟と、木星を中心に宇宙植民地に支持を広げた自由人類同盟は、五年の戦争と二億人の犠牲者を出したすえに歴史的な和平を行った。《宇宙の王》の最後の遺産である太陽系大障壁によって太陽系が封鎖され、それどころではなくなったのだ。*1

書名の"ストライクフォール"とは、そうした太陽系大戦が"いったんは"和平へと向かい、その代替手段として生まれた「擬似戦争としてのスポーツ」の名前である。このスポーツでは、競技者は身長だいたい6メートルほどの人型ロボット/アーマーに乗り込み、15人でチームを組んで先にリーダー機を破壊したほうが勝ちになる。操縦方法は、搭乗者の中枢神経の信号を読み取って第二の肉体として機能させる。

銃も剣もレーザーも、あらゆる武器の使用が許可されており、人が死ぬケースも絶えない。また、異邦人からのテクノロジーがもたらされたとはいえ、宇宙に物を運び、技術開発をし、と巨大なメカ・バトルの興行を成立させるためには莫大な"パワー"が背景に必要とされる。『この試合と興行を成り立たせているのは、莫大な資金力とインフラだ。それを運営する途方もないパワー同士の衝突が、常に背景にある。』

一巻を読んだだけでは把握しきれなかった点のひとつが、この物語が「メカバトルの競技」だけではなく、それを成立させている歴史的背景、国家間のぶつかり合いまで含めている点だ。ストライクフォールはスポーツとはいえまだそこには戦争の影が色濃く残っている。戦争を競技の形に押し込めることにより、戦争技術を開発し、軍からきているチームはストライクフォールを一時の"遊び"と捉えている。戦争とほぼ一体化したスポーツ。だが、物語の主人公たる鷹森雄星は、それまで誰も成し遂げられなかった"慣性制御"の技術を持ってストライクフォールのプロチーム入りし、あくまでもストライクフォールを"スポーツ"に留めるために戦うことになる。

 幾人もの人間が非業の死を遂げてきた。彼自身が脅されたことや、命を狙われたことも数え切れない。おびただしい血と利害のバランスによって、ストライクフォールという競技は光のあたる場所でスポーツとしていられる。

ストライクフォールが単なる遊び、楽しい競技であれば世界は平和だろう。しかしそれはあくまでも物事の一側面にすぎない。異邦人の泥、鷹森雄星が見出した慣性制御技術、新しい技術の影には必ず不利益をこうむる人がいる。『夢を見るのは、いい気持ちでしょう。でも、その夢のせいでうまれたひどい現実は、関係ない人間にも押しつけられてしまうんですよ。』人工重力の技術は人類を宇宙に広げたが、その代わりに生まれ始めていた宇宙の産業は吹き飛んだ。宇宙は一度に奪い合いの場になった。

慣性制御技術はストライクフォールの競技としての性質を一変させた。三次元空間を飛び回るストライクフォールは、速度と軌道のスポーツだ。もともとは、直角に曲がることはできないから、軌道を考え、最適な軌道変更をすることでお互いの行動予測技術を競い合いながら行うチームプレイだった。だが、慣性制御が可能ならば、直角に曲がればいい。それまでのストライクフォールにおける常識はすべて破壊される。

 雄星のヘルメット内ディスプレイには、ストライクフォールの常識をひっくり返す軌道図が現出していた。あらゆる物体の運動には慣性力がかかるから、方向転換しようと力をかけると、新しくかけた力との合力になり、進路は円弧を描くことになる。《クエスター・アサルト》は、その円弧に接する線を引くように直線でショートカットできる。同じ推力で追いかけっこをすれば、最短距離をとれる慣性制御機が必ず勝つ。

ストライクフォールの外に目を向けても、慣性制御で輸送日程が大幅に短縮できるようになり、地球と宇宙をつなぐ港として機能していた月の役割がなくなるなど、ひとつの天体の価値を左右するほどの革命的な事象なのである。そして、圧倒的な変化の前には、勝ち組と負け組が生まれてしまう。鷹森雄星が巻き込まれるのはそうした宇宙勢力間のパワーゲームであり、このシリーズではストライクフォールが成立する背景にある、経済、政治、国家といった"社会"まで含めて描いていくことになる。

慣性制御技術が一変させたストライクフォール

というのに加え、もちろんこれはストライクフォールという競技についての物語でもある。それが最もよく現れているのが三巻で、いかにして慣性制御技術でスポーツとしての性質が変ったのか、誰もが直角に曲がって向かってくるかもしれない宇宙空間フィールド上で、あらたにどのような戦術が考えられるのか。古い時代のリーダー、戦術はもはや通用しないのか、といった架空スポーツの戦術、戦略といった前提となる部分を綿密に描いた上で、かなりの長尺で競技をまるっと一戦描ききってみせる。

ここでおもしろいのがストライクフォールが15vs15という、サッカーよりも大人数を動員するチーム戦だというところで、ひとりのエースの力よりもチームとしてどのように戦うのかと言った総合力の勝負になってくる。鷹森雄星は特別な力を持った選手で、めちゃくちゃ活躍もするのだが、勝負を分けるのは戦術、戦法、リーダの統率力で、存分に"チーム戦"としてのおもしろさを描いているのがやっぱスゴイ。いったいどのような人物が"強い"リーダなのかという描き方が、また素晴らしいんだよね。

おわりに

"ストライクフォール世界"の背景が明かされる一、二巻。慣性制御技術時代の新しい戦術の数々、そしてそれを根底から覆す圧倒的なパワーといったいくつもの驚きを一試合の中に詰め込んだ三巻。そこまで読んだら最後、もうこのシリーズにぞっこん惚れ込んでいるだろう。

ストライクフォール2 (ガガガ文庫)

ストライクフォール2 (ガガガ文庫)

ストライクフォール3 (ガガガ文庫)

ストライクフォール3 (ガガガ文庫)

*1:3巻より

時々落ち込んだりもするけれど、毎日エロいことしてまーす。──『JKハルは異世界で娼婦になった』

JKハルは異世界で娼婦になった

JKハルは異世界で娼婦になった

異世界物も増えてくればいろんな職業物が出て来るもので、大阪のおばちゃんから鍛冶職人、娼館経営者まで多種多様である。で、本書はその書名から明らかなように異世界に転生したJKが娼婦になってしまう話である。清純そのものの黒髪ロングの女の子(完全なる偏見だが)が娼婦になったとなれば「ひどーい」と思うところだが本書の主人公であるところのJKハルは元の世界ですでに援交経験者で経験人数も両手では数え切れぬ存在。そのへんはあっさり、生きるためにも娼婦になってしまう。

この題材で書くと、普通一発ネタというか、色物作品以外の何物にもならないと思うのだけど、これが意外なほど真っ当におもしろい。何しろ冒頭からして飛ばしており『あたしがこっちの世界に来てまずいちばんウケたのが避妊具が草ってことで、「やべ、草生える」って爆笑したら、「生えませんよ」とマダムは真顔で言った。』この時点で「この作品はヤバイわ」と思いながら読み進めると、既存の異世界物へのメタ的な視点・ツッコミもおもしろいし、単純に娼婦物としての描写がおもしろいし(がんばって仕事をして、厄介な客と対峙して、時々お気に入りの客だったり成長していく客と出会う楽しさもある)、それでいて後半になると幾つもの驚きが待ち受けているという「ちょっといろんな意味でウマすぎでは──」と驚かされる一冊である。

もともと小説家になろう(18禁版)の投稿作で、今も消されていないので興味が湧いた人はまず軽くWeb上で読んでもらいたいものだ。サンプルとして読めるものもあるので、この記事では軽く内容を紹介していくにとどめるとしよう。
novel18.syosetu.com

簡単なあらすじとか読みどころとか

簡単なあらすじを紹介していくが、基本的にはトラックに轢かれて死んだ後異世界に転生したJK小山ハルが春を売りながらなんとか異世界でがんばっていきましょうという話である。転生した直後、生きるため、金を稼ぐためにも『夜想の青猫亭』で採用されたハルは、わりとすぐに娼婦としての生活に慣れてしまい、一緒に死んで転生してきて冒険者になった千葉にも時々買われながら店のトップへと上り詰めていく。

この千葉がまたいいキャラで、いわゆるアニオタで転生物の知識も豊富であり、「異世界転生者テンプレートを詰め込まれたマン」として存分に気持ち悪く振る舞っていく。"気持ち悪い"というのは、その千葉を見ている視点はアニメなどほとんどみないJKのハルなのであって、その視点からすると転生時に神様から重要なスキルをもらう際に小粋なやりとりを繰り広げる、美少女ハーレムを築いたり奴隷やメイドを家に置こうとするなどという異世界転生あるあるシーンなども、当たり前だがみていて引いてしまうのだ(普通一緒に転生した同級生なんかメインヒロイン筆頭だしね)。

『だけど千葉が妙にテンション高くて初対面の神様とも仲良く漫才してたから、あたしはその寒いノリを引き気味で聞いていただけだったのだ。』というように、千葉を中心とした、「異世界転生物」に対してのツッコミ/異世界転生物で、あまり描かれない視点からの描写は、本書の読みどころのひとつだ。

「何の商売やるにしても、ギルド制だから企業秘密なんてあったもんじゃないしね。結局、自分に合った仕事見つけて手に色つけるしかないのがこっちの労働市場なんだ。俺はチートスキルがあるから、このまま普通に冒険者やってても天下を取れる。ハルは何のスキルもないから、嫌々この仕事してるんでしょ? もしも辞めたいんだったら、誰かを頼りにするしかないんじゃないかなー」
 何か言いたげにあたしのおっぱいを見る千葉を無視して、あたしはシャワー浴びに行く。
 なんだよ。
 スキルだの無双だのって。
 くだらね。

お仕事物としての側面

説明が遅れたが、けっこうたくさんお仕事の描写もあるので、そういう(セックスシーンとか、レイプとか)のが苦手な人にはあまりオススメはしない。とはいえ、特に気にしなければこれがめっぽうおもしろい。『「俺といるときは、仕事じゃなくて本当のエッチしていいよ」』という気持ち悪い男(千葉だが)がいたり、完全に演技で感じているフリをしながら客をズブズブ落とし込んだり、童貞を優しく導いてあげたり、評価され、だんだんと自分の賃金が上がっていったり──モンスターと戦うシーンなんてないが、ここにはたしかに"異世界での戦い"が描かれている(獣姦はない)。

おわりに

で、「異世界転生物を別視点から描き出したり、娼婦としてがんばっていってこのあともがんばって生きていくぞエンドなのかな……」と思いながら読んでいたのだけど、終盤になって"なぜ娼婦になったのか"への別側面からの解答や、伏線回収によって「そ、そんなオチになるとは……」と驚愕する方向へと舵をきり、見事におとしてみせる。だがトンデモというわけでなく、このオチでまた評価を一段階あげた感じ。

最初の方で「ちょっといろんな意味でウマすぎでは」と書いたのは、この題材を選んだのもそうだし、異世界物の一般的テンプレートにツッコミを入れながら進めるというフォーマットを選んだのもそうだし、それだけで終わらせなかったというのも「色んな意味で」の中に含まれている。エロに抵抗がなくて、異世界転生物をちょっと・たくさん読んだことがある人というのが一番楽しめるのではないだろうか。

あと記事のタイトルに使った台詞は僕が勝手に作ったんじゃなくて実際に作中で使われるもの。実は終盤のものなので、この記事では特に引用はせず。道中かなりきついシーンもあるのだが、そこまで読むと、エロいけど爽やかな気持ちになるだろう。

能力者達による対話篇──『製造人間は頭が固い』

製造人間は頭が固い (ハヤカワ文庫JA)

製造人間は頭が固い (ハヤカワ文庫JA)

本書『製造人間は頭が固い』はブギーポップシリーズを筆頭として数々の作品で知られる上遠野浩平さんが、SFマガジンに不定期掲載していた6篇をまとめ、さらに各話に対して後日談的な「奇蹟人間は気が滅入る」が書き下ろされた一冊になる。

上遠野浩平作品ではおなじみの統和機構が中心となり、合成人間などの"特殊能力持ち"が跳梁跋扈する作品でありながらも、その本題はバトルにはなく武力均衡の果てに成立する"対話"、あるいは圧倒的な戦力差を均衡させるための"交渉"にあるというのがおもしろく連載時から大好きな作品であったが、まとまるとさらに良い。

他の世界観が繋がっている上遠野作品と同様に、必要な説明は全て行われるので本書も単独で読んでもまったく問題ないように出来ている。なので、興味を持った場合はこれが最初の上遠野作品であったとしても安心して読み始めてもらいたい。もう少し内容を詳しく説明すると、基本的には交換、製造、運命、文明など各種概念に対して能力者共が対話・意見を応酬していく、"対話集"である。ただ対話をしていくだけではなく、その状況は多くの場合やるかやられるかの緊張感を伴うものになっている。

何しろ中心人物となる"製造人間"ウトセラ・ムビョウは人間を特殊な能力を持つ"合成人間"に作り変えることのできる特別な能力を持っており、世界の命運を握るともいわれる男である。当然、合成人間が生み出され続けることを疎む人間にとってはもっとも排除すべき敵であり、統和機構の組織内にあってもあまりに特異すぎる立ち位置のために敵は多い。にも関わらず、製造人間自体には戦闘能力は皆無であり、多くの場合頼りになるのは弁舌のみ──(武器と認識しているかはともかく)になるのだ。

「あなたに限らない。ヤツと対面する者は、世界にどんな価値があるのか、人間はなんのために生きているのか、そのことの意味をアイツに説明して、説得して、論破しなければならない──何故なら、アイツは反論するだけで、自分ではなんにも決めようとしないから。それが製造人間の基本的なスタンス。わかった?」

簡単に世界観とか

とまあ、ソクラテスみたいに面倒くさいやつなのだけど、その彼が所属しているのがが"統和機構"と呼ばれる組織、仕組みである。これは、現生人類を駆逐する可能性を持つ超人類たちを抹殺するために世界中で活動している者達の集まりであり、製造人間はその能力で統和機構の戦力たる"専用兵器"製造を一手に引き受けているわけだ。

各篇をざっと紹介する

第一篇「製造人間は頭が固い」は、その特殊能力を持つ製造人間に対して、一般人の両親が、死にかけた子供を連れ「この子を合成人間にしてくれ」と交渉を開始することからはじまる。合成人間に適合した場合は、身体がつくりかえられ、治療の見込みのない我が息子も助かるからだ。ただ、製造人間は先に引用した通りの人間なので、様々な反論/疑問を一家に対して提出する。僕は大きな責任とルールを負っている、ゆえにそれをわざわざ覆すに値する、相応の理由はあるのだろうか──? と。

第二篇「無能人間は涙を見せない」では、"無能人間"と呼ばれる少年と製造人間が、製造人間を狙う勢力〈プレジィー〉の奇襲ギリギリ隠れ、潜んでいる状況での対話がメインとなる。果たしてなぜ襲われたのか? 誰か内通者がいるのか? といったプロットと同時に、対話としては「生きているとはどういう状態のことか?」「無能であることは悪いことなのか?」といくつものテーマに渡って展開する。

他人の足を引っ張るのが悪いことだというのは、その他人とやらが完全に正しい場合に限られる。しかしそんなことはあり得ない。どこかに必ず、悪い面が隠れている。だからそいつの足を引っ張って邪魔してやることは、もしかしたら世界にとって正しいことかもしれない。

第三篇「双極人間は同情を嫌う」では、戦闘においてヤベー能力を持っている二人の特別製の能力者である双極人間と製造人間との対話──、「圧倒的な力を持ちながら、このまま統和機構に協力する人生で良いのか。もっと素晴らしい幸福があってもいいのではないか。しかし、その道を模索したとして本当に幸福になれるのかは不明瞭だ。」という大きく二つの選択肢の間で引き裂かれた感情が描かれていく。

第四篇「最強人間は機嫌が悪い」は文字通り最強の能力を持つフォルテッシモと製造人間との間で、前篇からの引き続きのテーマともいえる「強大すぎる力を、いかにして使うべきなのか」が語り合われる。たとえば製造人間の能力は場合によっては自分に都合の良い人間だけを合成人間にして、そのすべてを配下にすることで大能力者帝国をつくりあげ、世界征服を目指すことだって可能なのではないだろうか?

第五篇「交換人間は平静を欠く」と第六篇「製造人間は主張しない」は世界の本質とは交換であり、「世界は交換で成り立っている」と主張する、交換系の能力を持つローバイと製造人間の対話──というよりかはここに関しては真正面から能力バトルを描いていて、これがまたロジカルかつスマートで楽しい。製造人間と、その製造人間がなぜか側においている無能人間との関係性が一歩前進/一段落する話でもある。

おわりに

能力者同士の対話、何をどう考えているのかといったことが多く明らかになり、上遠野ワールドへの深掘りが行われていったのもおもしろかったけど、ヤベー能力者たちがあくまでも淡々と"対話"を行っているのがやはりいちばん好きだなあ。ヤベー戦力の持ち主同士があくまでも賭け事で勝負する『嘘喰い』的なおもしろさがある。あと、各篇の間で書き下ろされている「奇蹟人間は気が滅入る」は、内容を補完し、全体を統合するための掌編といった感じで、これがあることできちんとお話としてオチているな、と思わせてくれる内容なので雑誌購読者も読むべし。

筒井康隆を軽く飛び越えていった才能──『ビアンカ・オーバーステップ』

ビアンカ・オーバーステップ(上) (星海社FICTIONS)

ビアンカ・オーバーステップ(上) (星海社FICTIONS)

ビアンカ・オーバーステップ(下) (星海社FICTIONS)

ビアンカ・オーバーステップ(下) (星海社FICTIONS)

いやはや。

本書『ビアンカ・オーバーステップ』は元々筒井康隆がはじめてライトノベルを書いたという触れ込みで発売された『ビアンカ・オーバースタディ』のあとがきで存在を明かされ、「誰か続篇を書いてくれ」と後に託された作品であった。それをデビューもしていない著者が勝手に書いて新人賞に応募してしまったものの書籍化である。

狂人かな?

読み終えて思ったのは著者は狂人なのだろうなということである。何しろあまりにおもしろい。章ごとどころかシーンごとに文体が切り替わり、コメディからシリアスまでなんでもこなす。さすがに勝手に続篇を書いてくるだけあって、文体から内容まで含めていくつもの筒井康隆作品を果敢にオマージュとして取り込んでいく。

メタフィクションであり、パラフィクションであり、もともと原作がラノベとして書かれたのだから入れようといわんばかりに能力バトルと異世界要素を投入し、その上ド級のSFとして成立させている。そんな量は不可能だろうと思うほど多くの要素を混在させ、観念を広げていき、うまくまとまっているとはとてもいえないが、崩壊しそうで崩壊しないぎりぎりのところで形を保ったまま最後まで走りきってみせる。

「(ネタ元もすぐわかる)ラノベ要素を寄せ集めて、筒井康隆らしい皮肉を盛り込んでそれなりにストーリィと描写を成立させたな」程度の作品であった『ビアンカ・オーバースタディ』より圧倒的に強い。明らかにおかしいのは、こんな作品を書く能力があれば、真っ当にオリジナルな作品を書いてラノベの新人賞なり、早川のSFコンテストなり、文学賞はちとわからないが、どこにでも好きなところに送れば何の反対にもあわず大賞を受賞できるはずである。このレベルの才能を逃す馬鹿はいない。

それなのに、別に出版社が公式に募集したわけでもなんでもない、却下されても何の文句もいえない勝手な二次創作を(原作者が続きを書いてくれといったとはいえ)、賞に応募するなどというのはやはり著者は狂っているとしか思えない。まあ、あとがきで自分をアホ呼ばわりしているので、アホといったほうが適切かもしれないが──というわけで大変凄まじい作品である。以下簡単に紹介してみよう。

簡単にあらすじとか

何しろ闇鍋のように無数の要素が混在している本作だからどこから紹介したもんかなといったところだけど、あらすじについてはシンプルである。簡潔に言えば、前作主人公であるビアンカの妹、ロッサ北町が、突如として消失──家出や誘拐などではなく現実から文字通り"消えてなくなった"ビアンカを探し求めて、過去から未来を渡り歩き、最終的には世界すらも軽く超えて飽くなき探求を行うお話である。*1

あらすじがシンプルなのは確かだが、構成は複雑。何しろ一章は、遠未来を舞台にし、異世界の観測に成功した研究者らが、初の異世界旅行者を発見する場面から始まるのだ。その異世界旅行者こそがロッサ北町である。なぜ彼女が現代を離れ異世界に転移することになったのか──は、物語が進むうちに明らかになっていく構成だ。

二章からは現代パートになり、ロッサ北町は謎のビアンカ消失現象を阻止するために(前作に出てきたタイムマシンで)いったん過去へ行き、調査を進めるうちに何故か最未来人と呼ばれる最初にタイムマシンを作り出した存在に狙われるようになる。

ジャンルについて

最未来人の襲撃をタイムマシンにのって逃れたロッサ北町を待ち受けるのは、遥かに文明が進歩した未来世界。人々は〈リプラント〉と呼ばれる脳みそとコンピュータをつなげる手術、情報を取得できる〈グラス〉など、未来世界の道具立ては全般的にちと古いが、現実と仮想現実、存在と非存在、形而下と形而上──並行世界の観測といくつもの議論を踏まえることで、物語はメタフィクション展開へと雪崩込んでいく。

幾つもの筒井康隆作品へのオマージュに満ちているが、"想像"が現実を侵食していく光景はまるでパプリカの圧倒的なパレードのようだし、エピグラフに書かれた、"形而上、形而下問わず、すべての空間上、すべての時系列上、すべての並行世界上の物事を、あらゆる感覚でもって知る存在に、探究心は宿りうるか?"という問いかけは『モナドの領域』を思い起こさせる──というか作中で直接言及されさえもする。

すべての要素を包括するジャンル名をあげるならばワイドスクリーン・バロックということになるだろう。奔流のようなアイディア、科学用語をふんだんに用いて矛盾があろうともとにかく風呂敷/世界観を広げまくるスタイル。取り扱うのは個人のドラマを超えて人類、宇宙といった広い領域と長大な時間感覚での観念であり、最終的には宇宙の果て、世界の成り立ちまでもを取り込んで見せる。百合要素もあるっちゃああるので最近だとSFコンテストで特別賞を受賞した草野原々『最後にして最初のアイドル』も彷彿とさせるが、近いのはA・E・ヴァン・ヴォークトとかの方かな。

ここでは多くを明かせないが、"いかにして全知の存在になるのか"というテーマの一つへの答えや、作中の展開に対して数々の先行作品(『涼宮ハルヒの消失』とか)がセルフツッコミに用いられるのとかといったひとつひとつの要素が実に現代的。最後の1行までどころか、ついつい最初の1行に戻ってしまうぐらいに楽しめるだろう。

おわりに

まあ、欠点のない作品ともとてもいえない。本筋に関係ないギャグはダダ滑りしているよなと感じる部分も多いし、太田が悪いネタはもう飽きたよと心底言いたい──とはいえ本書が目指したであろう高み、志はよくみえる。次々と異常な事態が起こり、しかもそれが破綻なくまとめられていくのでページをめくる手が止まらない。

何より『ビアンカ・オーバースタディ』の続篇として求められる機能をすべて備えている、"あまりにもうまい"作品だ。この後も作家として活躍するのかどうかはさっぱりわからないが、ひとまず筒井康隆を軽やかに飛び越えていったこの新たな才能の出現をおおいに祝いたい。これからも、おもしろい作品を書いてくれますように。
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↑『最後にして最初のアイドル』へのレビューはこちら
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↑ベイリーのワイドスクリーン・バロック
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A・E・ヴァン・ヴォークトのワイドスクリーン・バロック

*1:前作『ビアンカ・オーバースタディ』について軽く書いておくと、未来人がやってきて、ビアンカが未来世界の存亡に関わる話であるが、本書において重要なのはその時に用いられたタイムマシンと、タイムマシンを他の人間から見えなくする"ウブメ効果"の設定ぐらいなので、特に読む必要はない(本作である程度補完されるし)。

『ストーカー』×実話怪談×百合──『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』

裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

当たり前のように怪異が存在し現実とは異なる空間が広がる、何が起こるか予測がつかない裏世界。本書はそんな世界に入り込む方法を見つけてしまった紙越空魚(表紙のメガネの方)と仁科鳥子(同NOTメガネ)の二人が出会い、きゃっきゃしながら冒険したり裏世界の秘密に迫ったりする怪異探検サバイバル百合SFである。

そのうえ、僕はさっぱり知らなかったが「くねくね」や「八尺様」などの実話怪談が裏世界では実際に存在し──と、とにかくストルガツキー兄弟の『ストーカー』やら百合やら実話怪談やらと著者が好きなんだろうな〜〜と思わせる要素が山盛りに詰め込まれており、二人の微笑ましいやりとりとノリのいい一人称もあいまってただひたすらに読んでいて楽しい一冊である。たとえば冒頭の一節をひくとこんなかんじ。

 私は丈の高い草が生い茂る中、仰向けに倒れ込んでいる。草の根元は水没しているから、私の背中側も水に浸かっている。いわゆる半身浴。いや違う。違います。いわゆらない。どっちかというとスーパー銭湯にある「寝湯」に近い。ただし水深が二十センチちょっとあるので、がんばって顔を水面の上に出しておかないと水が鼻と口に流れ込んでくる。そんな寝湯はないし、あったとしたらそれは水攻めの拷問だ。デス寝湯である。

かなり軽い口調だが、裏世界が安全なわけではない。現実に存在するいくつかの入り口(潰れた店舗の後ろとか)から入ることのできるこの世界では、空間の接続もおかしいし(ちょっと移動しただけで大宮から神保町まで出てしまったりする)人の気配もほぼない。命を奪いかねない不可思議な怪異や、消し炭になるような罠もある。銃も時折落ちており、軍隊かそれに類するものの達も入っていることを伺わせる。

仁科鳥子は自身をそこに連れて行ってくれた女性を探すためこの裏世界に何度も入ってきており(ついでにここでとれるアイテムを外で売りさばくため)、彼女と出会った紙超空魚はなし崩し的に同行することになり──という感じで冒険がはじまり、一巻通して二人が確固たる友人となっていく物語ともいえる。

連作短篇的に実話怪談をめぐっていく

元々はSFマガジンで連載していたのもあって、「ファイル1 くねくねハンティング」「ファイル2 八尺様サバイバル」「ファイル3 ステーション・フェブラリー」というように一章ごとに一つの実話怪談怪異と遭遇し、これに対処する連作短篇のようなつくりになっている。もとが実話怪談だからかもしれないが、妙に生っぽく(うまい表現が見つからない)裏世界の性質がわからない事もあいまってやけに怖い。

それでいて怪異への対処の仕方は理屈/ルールが通っておりきちんとSFとしておもしろい。それは『〈裏側〉の生き物を狩るなら、〈裏側〉の理屈や法則にこっちから歩み寄らなきゃならないんだと思う』と作中では表現される。

たとえば見続けることそれ自体に理解不能なリスクがある(理解したらヤバいことを理解しそうになる)くねくねとの戦いでは、なぜか相手に攻撃を当てても何の反応もないことが問題となる。相手は怪異なんだから当てても何も起こらないのは当然だろと思うかもしれないが、初戦は塩を当てることが出来て撃退しているのである。

では一回目と二回目で何が違ったのか──? という考察を、相手の姿を直視し狂いそうになりながらも導き出し(一応伏せておくが、認識に関する攻略法である)スマートに攻略してみせる。ファイル2ではより専門的な知識を持つおっさんと八尺様に遭遇し、ファイル3では迷い込んだ在日米軍と共闘し──とそれぞれゲストを迎えながらこの不可思議な世界をおおむね理屈(とマカロフなどの銃)を武器に探検していく。

この「裏世界」のことを簡単に解き明かしてしまっては話としては終わってしまうわけで、一つ一つの実話怪談をフックとして用いることで理屈を伴いつつ怪異譚とゾーン物を両立させているのが話の構築としては抜群にうまい。そして、軽くはあるものの『ストーカー』や最近だとヴァンダミアの『全滅領域』から始まるサザーン・リーチ三部作のようなゾーン物のおもしろさを明確に引き継ぎつつ、可愛い女の子たちの冒険を堪能できるわけで、それはまあ問答無用で楽しいよね。

おわりに

最終章となる「ファイル4 時間、空間、おっさん」は書き下ろしで、この裏世界の秘密の一端に迫ってみせる。理屈の通らなさこそが恐怖の本質であって、理屈で世界を構築するSFとは相性が悪いと思っていたが、最終的に本書は"恐怖の理屈"ともいえる部分を物語として取り込んでおり「うまいことやったなあ」と感心してしまった。

まだ語られていない部分も残っているし、構造的に続けやすいのでもう少し続いて欲しいところ。二人のこの先の関係性をもっと読んでみたいものだ。あ、ちなみに最近だとヴァンダミアのサザーン・リーチ三部作は傑作なので本書(裏世界の方)が気に入った人にはついでにオススメしておきます。
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才能との向き合い方──『りゅうおうのおしごと!』

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

この『りゅうおうのおしごと!』は農業高校の学生生活を描く『のうりん』シリーズなどで知られる白鳥士郎さんの現在進行系のシリーズである。先日5巻が出たところで第一部完ともいうべき展開をみせ、この時点までで充分にひとまとまりの作品として優れていることから一度レビューを書いておきたい気持ちが湧いてきた。

将棋物として真正面から真摯に向き合っているだけでなく、才能を持つものと持たざるものめぐる物語として、また才能を持ってしまったからこその順風満帆とは言い難い道のりを描いていく。また、『のうりん』でも農業高校や現実の農業問題への丹念な調査とその物語への落とし込み、きわどいところまで踏み込むギャグ、テンポの良さとバランス感覚の見事さを発揮していたが、それは本シリーズでも変わらない。

まあ、将棋フィクションはこの世に数多く、そのどの作品も綿密な取材と監修に基づいて棋士の生き様を描こうとする熱量に溢れている。だからこそ、その将棋への"熱意"や取材の密度といったものは、本シリーズで特別なものとはいえないだろう。

簡単なあらすじとか

物語のあらすじはシンプルなものだ(設定自体は小説、特にライトノベルだから盛り盛りだが、何しろ将棋界のことだから前例が多くあったりする)。主人公は16歳の若さで「竜王」のタイトルを獲得した天才・九頭竜八一。才能は疑いなく一級のものとはいえ、自身の将棋を研究しつくされタイトル獲得後の対局では負けが続く。

そんなある日、彼の将棋を見て将棋をはじめた小学生女子雛鶴あいが彼の元へ押しかけ、内弟子になることを希望する。自身もまだ若く負けがこんでいることから断ろうとする八一くんだったが、あいの圧倒的な才能を前にして一転、弟子として受け入れることを決意するのであった……。そうして9才のあいと16才の八一くんの奇妙な同居生活がはじまり、最初の「竜王」防衛戦までが1〜5巻の物語となる。

将棋ドラマとして

コメディとしては小学生の女児と暮らす男子のドタバタ、また彼の周りにあつまってくる小学生女児に対して周囲の人々から八一くんが「ロリコン」呼ばわりされるというパターンが繰り返され特段その質が(自由度の高かったのうりんと比べると)高いとは思わないが、何しろ将棋の場面、またそれに伴うドラマの演出が素晴らしい。

漫画だと"現状の盤面"を逐一コマ上に配置して棋譜までしっかりみせていく演出方法もあるが本シリーズではその方法はほとんどとらず、主に序盤の攻め手、守り手がどのような形をとっているのか、またそれがどのような流れ(劣勢/優勢)を生み出しているのかを逐次解説していく。また、実際のプロの対局でもプロや識者の解説・実況がつくものだが、本シリーズでもそれを模した/あるいは解説・実況を作中で取り込む形での臨場感のある"対局"の解説がよく行われる。この手法の良いところは、ガヤガヤと盛り上がる周囲の人々の熱気まで描写として取り入れられるところだろう。

1巻では連敗続きの主人公の復活と弟子・あいとの出会いが描かれ、2巻ではあいちゃんに新たな同年代のライバルが現れ、弟子も増える。3巻では新たな八一くんは新たな戦法を得るため修行し、一方で研修会の年齢制限に引っかかりそうな女性の桂香を中心とした"才能がものを言う世界"の過酷な戦いが描かれる。

才能の呪い

この3巻はシリーズ中でも特異なおもしろさで、また将棋を題材に描く以上避けては通れない題材を扱っている。この世の中、全ての人間は平等であると綺麗事がぬかされることもあるが"絶対的な才能"はある。奨励会には飛び抜けた才能のある子供たちが集まるが、その中からプロに成れるものは一握りである。それ以外のものは努力が不足していたのか? といえばそうではない。ただ、弱ければ勝てないのだ。

「奨励会は生き地獄だ。みんな命懸けで将棋を指してる。そんな中で自分だけが他人より努力してるなんて考えは、傲慢だと思わないか?」

才能がないのであれば仕方がないと諦めることができれば、大きな問題はないともいえる。将棋が好きなら、将棋と関わる人生なんかいくらでもあるわけだ。アマチュアとして好きに指してもよければ、周縁で仕事をしてもいい。解説や記者の仕事だってあるかもしれない。だが"勝負の世界"に行こうと思うのであれば、勝たなければ仕方がない。そこにこだわるしかない生き方をしてきてしまった人たちからすれば、自分の才能のなさとどうしようもなく過ぎていく時間は強烈な呪いとなって機能する。

それは言うまでもなくとてつもなく苦しいもので──、3巻ではその苦しみを無数の角度から描いている。才能がなくともあくまでも勝負の世界に泥臭くこだわるもの。周縁の世界での関わり方を模索するもの。才能がなければどうしたらいいのかを考え続け、誰よりも克己することで一流の才能と渡り合ってきたもの。才能がないものはその不在に苦しみ、才能のあるものはその力の制御にまた苦しむことになる。才能との付き合い方は、作品にこの後も引き続き流れ続けるテーマのひとつだ。

盤面からキャラクタが浮かび上がる

4巻は5巻への布石のような巻で(他にもいろいろあるけれど)、5巻では初の防衛戦が描かかれる。明確なモデルはいないとはいえ少ない描写やその佇まいは羽生善治さんを思い起こさせる、永世七冠がかかった竜王戦に挑む"名人"と、明らかに負けることを期待されている周囲のムードの中、戦わねばならぬ若干17才の八一くんの死闘。

"将棋は完全なゲームではない"とする冒頭の言葉からはじまり、途中で訪れるルールの穴をつく展開もさることながら、キャラクターが命のライトノベルでありながらもこれまで描写を徹底的に抑制されてきた"名人"の描き方が凄い。本シリーズにおいても名人以外は(元より将棋界には多い)奇抜なキャラクタが目白押しだが、名人は一環して雲の上の存在、超常的な存在として遠巻きに、どこか淡白に描かれてきた。

それは防衛戦がはじまっても変わることはない。主に焦点が当たるのはお互いの打ち筋。意外な手をうってくれば(名人以外の人々が)驚き、奇跡としか言いようがない手が現れれば(名人以外ry)賞賛し、対峙する八一くんはしょっちゅう追い詰められ、ただひたすらにゲロを吐きそうになる。だが、その勝負の一瞬の隙間で、ふっと名人の佇まいが描写される瞬間がある。名人は特別な造形のキャラクタではない、いわばただの歳をとったおっさんである。特徴的な語尾で喋るわけでもなければ何か名言を残すわけでもない──しかし──言ってしまえばひたすらに将棋へと立ち向かう、ただそれだけの姿勢が、淡々とした描写の中に浮かび上がり、壮絶に格好良く映る。

ある意味では"直接的に書かない"ことでキャラクタを引き出した──ただ将棋における盤面を進行させ、奇跡のような将棋の対話を描くことで逆説的に"それを打つことのできる"キャラクタの在り方を読者の中に浮かび上がらせてみせたからこそ、"佇まい"を描くだけでそのキャラクタが見事成立しえたのだろう。5巻には読みどころはいくらでもあるのだが、特にこの点については心底震え上がった。

シチュエーション的にもキャラクタの格としてもこれ以上のものがなかなか想定しづらいだけに、5巻以降をどう続けていくのか恐くもあり楽しみでもあるが、いまいちばん続刊を楽しみなライトノベル作品であるのは間違いない(枠をSFまで広げると他にいろいろはいってきてしまうので限定しておく)。

りゅうおうのおしごと! 5 小冊子付き限定版 (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! 5 小冊子付き限定版 (GA文庫)

アメリカ視点のニッポンテーマ小説群──『ハーン・ザ・ラストハンター: アメリカン・オタク小説集』

ハーン・ザ・ラストハンター: アメリカン・オタク小説集 (単行本)

ハーン・ザ・ラストハンター: アメリカン・オタク小説集 (単行本)

これは果てしなく胡散臭い本だ。まず前提として、本書はあのニンジャスレイヤーを作った二人組の一人、ブラッドレー・ボンドが日本をテーマとして扱うアメリカの同人小説を集め、翻訳したオタク・アンソロジーというのが表向きの体裁である。

作品は妖怪ハンター物もあれば、宇宙ステーションを舞台にしたSF、女性主人公のロボット・アクション物もありと多様に取り揃えられていて、その点においてはきちんとした粒ぞろいの短篇集である。そのすべては編者のブラッドレー・ボンドがアメリカで収集した同人作品だから、作品ごとに著者が違うわけであるが、本書の特異性──というか僕が問題にしたいのは、各短篇ごとに「著者の生年や経歴」「その作品の世界観や、その後の話」を語る訳者解説を丁寧に挟んでいくところにある。

短篇紹介

たとえば表題作『ハーン;ザ・ラストハンター』は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主人公として、1899年になっても江戸幕府が倒れていない不可思議な状態の日本を舞台に妖怪との戦いを描くシリーズ短篇である。『アイエエエエエエエエエエエエエエエエ! 出た! 出たアアアアアッ!』で始まる冒頭や、『勿体つけてねえで、いいからソバをくれッて言ってンだよ! このままじゃ、どうにかなっちまいそうだぜ! 頭がよォ!』とまるでドラッグをせがむようにソバを求める描写など「絶対ブラッドレー・ボンドが書いているでしょ」感のある作品なのだが、著者は「トレヴォー・S・マイルズ」という1976年生まれのオタクだということになっている。

訳者解説では、トレヴォーがニンジャスレイヤーに触発された作品を書いたこと、少年時代は内向的な性格で、怪奇幻想小説ばかり読んでいたが、一念発起としてフットボールやマーシャルアーツをならい、外交的な性格へ至る経緯。その後膝を痛めたのが原因で、過激な暴力描写がウリのFPSなどにハマるようになり、ある日突然本書を書き出した──などの「著者の歴史、プロフィール」が詳細に語られていく。

で、僕はこれを読んで「絶対ウソでしょ」と思ったわけである。実際ウソかどうかなんてわからないが、絶対ウソだよ! いかにも本当らしく語られていくトレヴォーの経歴すべてが嘘くさい。さらには、本書では膨大な作品数のあるハーン・シリーズのうちの2篇だけが訳されているから、「名作エピソード選」として本書には載っていないが、シリーズとして重要だったりおもしろそうな短篇のあらすじも紹介される。

次にくるのは「エミリー・ウィズ・アイアンドレス」という作品で、なんとそのうちの27話だけが載っている。27話とくれば、アニメでいえば2クールもとうに過ぎ、登場人物らの関係はみな出来上がっている頃だ。最初はそうした部分が説明されないから何がなんだかわからないが、読み進めていくうちに各人の因縁や関係性がおぼろげながらに浮かび上がってくる。その上、作品は冒頭からしてぶっ飛んでいる。

六ヶ月前、交換留学生として東京のシブヤ・センパイ・ハイスクールに転入した時から、私の錆び付いていた運命の歯車は回り始めた。私の本当の名前は、エミリー・フォン・ドラクル・イチゾク・ラスティゲイツ・ザ・ドーンブリンガー・M-22。数千万人に一人が持つ特殊遺伝子、ウンメイテキ・ジーンの持ち主であり、富士山の火口から攻めてくる人類の敵、邪悪なカイジュウ・マインドに対抗する力を秘めた、この地球にとっての最後の希望、だった。

エミリーは吸血鬼でありロボットに乗ってカイジュウと戦うという「どんだけてんこ盛りにすればええねん」と思わずツッコミを入れたくなるような無茶苦茶な設定がこの後判明し、短篇だけ読んでも意味がよくわからないところ(人物間の確執、恋愛関係など)は全部訳者解説の登場人物紹介や重要キーワード集などで補完されていく。

・センパイ(Senpai):いわゆる「先輩」の意味で使われるとともに、回を進めるにつれてその意味が拡張され、機動戦士ガンダムにおける「ニュータイプ」あるいはスターウォーズにおける「ジェダイ」の意味をも含む、極めて神聖で強大な存在を示す単語として使われるようになっていく。

中でもセンパイを巡る上記の記述はあまりにトンデモで読んでて吹き出してしまった。訳者解説にしてはおもしろすぎ、本篇との補完関係が完璧すぎる。著者の経歴も作品の内容と合致しすぎ、辻褄が合いすぎている。何より作風は作品ごとに大きく異なっているとはいえ、その根っこはニンジャスレイヤーと同じだ(完全に主観意見)。

訳者解説まで含めての「小説」

ここまで読んではじめて、僕は「なるほど」と理解した。ようは、この訳者解説は普通の意味での解説ではなく、ここまで含めて「小説」なのだ。「エミリー・ウィズ・アイアンドレス」の著者はエミリー・R・スミスというのだが、エミリーのどんな経歴/文化背景からこの短篇が生まれたのか──まで含めて「創作」なのである。

この形式の優れた点は、「膨大なシリーズ作品が背後にあるんですよ」とほのめかし、実際にその前後の展開を述べてみせたり、架空のエピソードを紹介することで、短篇を短篇として完結させるのではなく、背後にある(ないのだが)膨大な世界観へと接続させられるところにもある(うまくやれば、だが)。「エミリー・ウィズ・アイアンドレス」はその恩恵を一身に受けており、設定がてんこ盛りで短篇に収まる内容ではないからこそ、あえてクライマックスから(という設定で)始めているのだろう。

売れれば「あの時言っていたエピソードを翻訳しました!」といって続篇を出すことでウソがウソでなくなっていくことになる──とかは事実ではなく(検証不可能)、ただの僕の解釈だが、こう読んだほうがおもしろいのでこう読むぞ、という話である*1。正直今僕が恐れているのは、そうした情報は既に事実として発表されているか、熱心なファンの間では自明のことであって、僕は今道化になっているんじゃないかということであるが、そういう事実があるのならすぐに教えて欲しい。

おわりに

二作しか具体的には紹介できなかったが、他には豆腐生産のための宇宙ステーションが何者かに襲われ、閉鎖環境下でのバトルが展開される「阿弥陀6」や、ゲーム内NPCが別のMMOファンタジーRPGに飛ばされてしまい、異なる常識に戸惑いながら自身の存在意義を問いかける「ようこそ、ウィルヘルム!」が個人的にはお気に入りで、上記のような変な読み方をしなくても充分に楽しめる作品群が揃っている。

ニンジャスレイヤーテイストも味わえるので、「あっちは長すぎるからちょっと……」という人もこっちから手を出してみてもいいかもしれない。

*1:この手法を使った作品は他にもあるが、「嘘かどうか判断不能」な状態で書かれているのが本書の特異性だと思う。個人的に近いな、と思ったのはカブトボーグだ。

怪奇幻想、時間SF、ハンティングアクション──『人類は衰退しました: 未確認生物スペシャル』

人類は衰退しました: 未確認生物スペシャル (ガガガ文庫 た 1-20)

人類は衰退しました: 未確認生物スペシャル (ガガガ文庫 た 1-20)

『人類は衰退しました』が1〜9巻で終わり、短篇集が一冊出て、これで終わりかと思いきや時折過去のテレビ番組がスペシャルで復活するように「未確認生物スペシャル」として復活した。とはいえ幻の怪獣ムベンベのような生物が出てくる短篇ばかりではなく、吸血鬼物もあれば時間SFもあり、心の煤けたような童話ありと「ああ、人類は衰退しましたってこんなんだったなあ」と思い返せる安定のカオスである。

なんでもありのこのカオスが、なんでもありだけで終わらずに、的確に物語としてコントロールされていく抜群のバランス感覚が好きだったんだよなあと懐かしい気持ちになるところまで含めて「懐かしのテレビ番組が時折復活する」感があってぴったりの副題だと思う。水曜どうでしょうとかみたいに。とまあ、ファンは買うだろうしシリーズ未読者は買わないだろうし、ざっくりと紹介して終わりにしよう。わざわざ記事を書くほどでもないのだけれども、何しろ珍しい田中ロミオの新刊だから。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
あ、ただシリーズを未読であったとしても本書から読んでもいいとは思う。別にどこから読んでも自由である。シリーズの総評については上記記事を参照せよ。

ざっくりと

まとまった分量の短篇としては「ひみつのおちゃかいのそのご」、「じしょう未来人さんについてのおぼえがき」、「トロールハンターさんの、ゆかいなしゅりょうせいかつ」「よるのぼくじょうものがたり」の4つがある。

「ひみつのおちゃかいのそのご」はまだ学舎におり、のばら会に所属していた「わたし」が、文集をつくるために『翻案古典童話シリーズ "ビジネス的に読み解く"星の銀貨』のように翻案童話をつくる話だ。タイトルからもわかる通りに有名童話をビターに書き直し、周囲を微妙な顔にさせたり、一部の面倒くさい人を熱狂の渦に叩き込んだりしていくいつもの流れが楽しめる。本書では、短篇の合間にこの翻案古典童話シリーズが挿入されていくのも楽しい。ヘンゼルとグレーテルより一部引用⇛『ヘンゼルはおばあさんをパイルドライバーの餌食としました。』

「じしょう未来人さんについてのおぼえがき」は40ページにも満たない分量の中(しかも地の文が少なめで改行が多いから文字数的にも少ないだろう)、時間SFとしては珍しいアイディア一本でスッキリ成立させ、最後はほろっと感動風に仕立て上げたSF短篇の良作。田中ロミオらしくひねくれたというか、既存の時間SF物をひねった/ハイブリッドにしたような内容で、この短篇集の中ではこれが一番好きだな。なにげに「わたし」の晩年が少し出てくるのもシリーズ読者としてはグッとくる。

「トロールハンターさんの、ゆかいなしゅりょうせいかつ」はそのまんま、トロールが攻めてきたぞーー!! で「わたし」が弩弓とかトロール用スーツを持ってトロールハントに出かけ、トロールのドロップ品は武器を強化するためのレア素材で──と人退で「モンスターハンター」をやろうという、ただそれだけの話である。

「よるのぼくじょうものがたり」はゾンビ、吸血鬼がうろついているという投書をみて出向いてみれば、そこにいたのはどうみても吸血鬼やゾンビ的な性質を持っているのに、『「ゾンビのようですが人間でして」』と、あくまでも夜型でたまに脳みそが食べたくなったり血を吸いたくなったりするだけの人間だと言い張る人たちで──という怪奇コメディである。なんでかわかんないんだけど血を飲むと頭痛と肩こりがなくなるんだよねハッハッハと笑う自称人間(吸血鬼)とそれをみて「こ、これは……」とたじろぐ人間の構図は短篇で終わらせるには惜しいおもしろさだ。

おわりに

と、こんなところか。あいもかわらずの人退であったという他ない。あとがきによると次回は完全新作で、来年2月発売予定、それもジュブナイルSFだというからまた死ねない理由が増えたなあ。でも1年に1回でいいからこうやってスペシャルとして「時間SFスペシャル」とか「人工知能スペシャル」とか出してほしいものだよ。

数学はやり続けるに値する暇つぶしなのか──『青の数学』

青の数学 (新潮文庫nex)

青の数学 (新潮文庫nex)

『天盆』でファンタジーを、『マレ・サカチのたったひとつの贈物』ではSFを描いてきた王城夕紀さんの三作目は、前二作につづいてこれはまた難しそうなところに放り込んできたな、と一読して思わせられる「数学バトル青春小説」である。

「数学バトルってなんじゃい」と思うかもしれないが、現実にも「数学オリンピック」といって難問に対して何点とれたかを競い合う数学競技がある。加えて、本書にはフィクション要素としてそれ以外に夜の数学者と呼ばれる日本人がつくりあげたネット上の数学コミュニティサイト「E2」が存在している。そこにはとても解けきれないほどの問題が用意されており、参加者らは決闘という形で同じ問題群に取り組み、さまざまなルールで勝敗を決することができるのだ。

主人公の栢山くんは、少年時代に原初的な数学の楽しさを教えてくれた柊先生の「やり続けていれば、いつか着く」という言葉を胸に高校へと入学しても数学に邁進し続けている。高校入学前のある日、数学オリンピックの予選へと向かう道の途中で栢山くんは数学オリンピックを2年連続で金メダルで制している女性、京香凛と出会う。

数学は単なる暇つぶしだ、という彼女に対して彼の中には何かが沸き起こってきて、『「数学が、やり続けるに値する暇つぶしか、そうでないか」』を賭けることになるが──、ここから栢山くんと数学をめぐる状況はめまぐるしく動き出していく。

なぜ、という問いは人を惑わせる

作中で何度も繰り返されるのは「なぜ」という問いかけだ。「なぜ、数学を続けようとするのか」「夜の数学者はE2になぜ決闘なんていう仕組みをつくったのか」「なぜ、黄金比とフィボナッチ数列は、自然界のあらゆる場所に見られるのか」、などなど。こうした問いかけの中には、明確な答えが与えられるものもある。たとえば、E2に存在する決闘の存在理由なんかは、つくった当人に聞けばそれで済む話だ。

しかし、なぜ黄金比とフィボナッチ数列が自然界へ無数に現れるのか。これなんかは答えがあるかどうかもわからず、そもそも問い自体が間違っている可能性もある。答えが出ることのない間違った問いに向かい続けた数学者は、その人生の全盛期を虚無へと投入してしまう危険性もある。『なぜ、という問いは人を惑わせる』とは主人公の述懐だが、本作では、「どのように問えばいいのか」「なぜ、問わねばならないのか」など無数に連なる「なぜ」を描きながら、数学の魅力を描き出していく。

数式は頻出するが自力で解かねば楽しめぬものではない(作中人物が解いてくれるから安心だ)ので、数学好きでなくとも──というよりかは、数学に抵抗感を持っている人こそ、数学へと熱中する登場人物たちをいったん通すことによって、その魅力はより伝わるようにも思う(マイナスからプラスに転じた方が上昇率が良い理論)

数学バトル

栢山くんは高校でE2の存在を知り、より深く数学の世界にのめり込んでいくが、ここのプロットは完全に数学バトル物と化していておもしろい。数学オリンピック金メダリストの京に目を付けられた彼は一躍有名人となり、私立のトップ偕成高校の数学研究会であるオイラー倶楽部のメンバーと72時間の死闘を繰り広げたり、合宿で無数の人間と数学バトルロワイヤルに挑んだりノリが完全にバトル物だ。

「難しいところに放り込んできたな」と最初に書いたのは単純に題材の難易度が高いからだ。「強者」を出すには難問を解いてもらう必要があるが、読者にその難度がわかるように説明するのが難しい。バトルは結局問題をできるかぎり早く解いていくだけだから地味で、逆転や拮抗の場面を描きづらい。数学オリンピックのノンフィクションはおもしろいがそれはノンフィクションとしての割り切りがあるからで、フィクションで、フィクションならではの数学バトルを描くのはやはり難しいだろう。

本作は確かにそうした演出的な難度の高い部分について、地味になってしまっている部分がある。全体的に淡々と進んでいくし、いまいち盛り上がらない。

それでも、栢山くんが72時間数学のことばかりを考えてボルテージが上がっていく心情や、多くの学生が数学へと熱中する文化祭前夜のような熱気ときらめき。難問に対して問題を単純化し、拡張し、置き換えてみせと頭の中で無数にこねくりまわしていくうちに一筋の活路が見えてくるという数学ならではの抽象化された展開がお馴染みのスピーディで切り替わりの速い文体で描かれていき、描写としては淡々としていながらも数学のおもしろさ──その興奮が、よく伝わってくる。

特異な会話劇

加えて、E2というコミュニティが生まれたせいなのかなんなのか、無数の数学キチ高校生がいる世界観ならではの会話劇が魅力的だ。

たとえば「好きな数字は?」と栢山くんが聞かれて「1729」と答えるとすぐに相手から「ラマヌジャン数か」と的確に返ってくる。「あたし、その人を好きな数字と一緒に覚えるんだ」と言われ、相手の好きな数字を聞き返せば『「1から8までを一度ずつ使う八桁の平方数のうち、一番小さいのは?」』と問題形式で回答が返ってくる。異常といえば異常、面倒くせえやつらだといえば面倒くせえやつらだが、テンポよく数学会話が積み重ねられていくのはたまらなくおもしろい。

『すべてがFになる』の序盤で真賀田四季と西之園萌絵がやっているようなやりとりが全編に渡り続けられているような感じ(一部にしか伝わらないたとえだなこれ)。

おわりに

果たして栢山くんは「やり続けていれば、いつか着く」といわれた場所に、たどり着くことはできるのか。京と栢山くんとの縁はどのような決着を見せるのか。仄かな恋の行方は──(そんな展開があるかは読んで確かめてもらいたいが)、などなどが「続巻をまて!」という感じで終わっているので、2巻以後に期待したい。

というか、ここで描かれているのは、本作の中でも念押しされているがあくまでも「数学の手習い」にすぎない。問題をいくら解いたところで、それは誰かが考えた、すでに解の出ている問いに答えているだけだ。本物の数学はその先、「誰も答えを出したことのない問題に答えを出すこと、あるいは誰も考えたことがない問題を自ら考えだすこと」にある。青春小説なんだから手習いでいいだろう──という見方もあるだろうが、ぜひ「その先の風景」もみせてもらいたいものだ。

王城さんは『天盆』も『マレ・サカチのたった一つの贈り物』も共に傑作なのでおすすめですよ!
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
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無情で凄惨なSF異能バトル──『筺底のエルピス』

筺底のエルピス (ガガガ文庫)

筺底のエルピス (ガガガ文庫)

著者のオキシタケヒコさんは第3回創元SF短編賞にて優秀賞を受賞した作家である。そのまま創元で何か出すのかと思いきや、最初の著書はこのガガガ文庫から出た《筺底のエルピス》シリーズ第一巻。その後早川から連作短篇集である『波の手紙が響くとき』を出し、とあちこちで活躍しているわけであるが、とりわけこの《筺底のエルピス》シリーズは凄いでっせ(巻数が出ているかわかりやすいともいえる)。

分類としてはSF異能バトルということになるのだろうが、これが主人公だといわんばかりに山盛りの設定/世界観が魅力的である。ワームホールに異星人文明、何もかもを切断する停時フィールドを数々の能力者が独自に発現させ使いこなしてみせる。倒すべき敵は日本では鬼と呼ばれ、物によっては5千万人以上の人間を死滅させる凶悪な存在であり、それを討伐すべき停時フィールド使いは世界中で3組織に分かれお互いに殺しあっていて──ともう世界はしっちゃかめっちゃかである。

ごった煮異能バトル

ワームホールだの異星人文明だのはSF的な意匠であるし、鬼だの死魔なんだのは和風異能バトルのおもむきがある。世界で戦う3組織はそれぞれ「日本側」「バチカン」「謎の組織」にわかれており、最後のやつは明かすわけにはいかないが意匠的にも思想的にも宗教からオカルト、陰謀論までなんでも取り込まれている。

世に異能バトル物は数あれど、本シリーズの特徴/魅力を挙げるならば、この何もかもをぶち込んで見事に統合した上で、「人類滅亡」レベルにまで物語をスケールアップさせ、その大きな渦、流れの中で敵も味方も含めたあらゆる登場人物がまるでゴミのように死滅していく無情で凄惨なところであろう。

その無情さを支えているのはほとんど一撃必殺の即死攻撃能力である停時フィールドという設定だ。これはそのまんま時間の停まったフィールドのことで、異性知性体からもたらされたこのテクノロジーによって幾人もの人間が独自の使い方を発現させている。これが能力バトルとしておもしろいのは、使い手によって大きさと形状、展開有効距離、遠隔固定機能、展開持続時間とそれぞれの項目について能力が異なること。その違いで、人によってまったく別の即死能力として発現することである。

たとえば物体が時間の動いている場と止まっている場で分かれた場合、原子同士は結びつきを失い結合は解かれる。そのため停時フィールド使いは事実上全員が「即死能力持ち」といえるのだ。刀の形に展開しなんでも切断できる能力者も居れば、3秒という限定がつくものの300メートル以内ならどこにでも展開できるスナイパーのような能力者も、自身の身体全体に張り巡らし即死アタックができるやつもいる。

誰もが即死兵器を持っている戦闘なので必然的に能力者同士の勝負は長引かず、どちらかの即死、場合によっては不意をつかれる/トラップにかけられる/射程外から攻撃されることで接敵したと認識する前に一撃で殺され幕を閉じることが多い。

筺底のエルピス 2 -夏の終わり- (ガガガ文庫)

筺底のエルピス 2 -夏の終わり- (ガガガ文庫)

2巻の表紙とかをみると「夏だ! 水着だ! ハーレムだ!」という感じであるが騙されてはいけない。これは一瞬物語にあらわれた青春のきらめきであって、儚い夢である。主要登場人物にとってもそうだし、人類にとっても「最後の夏」といえるような……。男子が女子高生二人と同居したり、好きだのなんだのというラブコメパートもあるが、すぐに腕が吹き飛んだり死んだりするので虚しいばかりである。

1巻以上の絶望が2巻では訪れ、それ以上の惨劇が3巻と、とりわけ4巻では繰り広げられる。4巻まで読んだ場合は「お前(オキシタケヒコ)は鬼かよお!?」と叫びたくなるような「ただ、人類が追いつめられる」以上に凄惨な状況が現出するので、ぜひ僕と共に地獄に付き合ってもらいたいもんである。

設定の原理原則

おもしろいのが設定の緻密さ──というよりかは、「そこまでやるんかい」とツッコミを入れたくなるほど、設定した世界観を「そういう設定であるならば、こんなこともできる」と深堀していくところにある。この点は全編を通して驚きっぱなしなのですべてを書くわけにはいかないが世界観の紹介がてら簡単に説明してみよう。

まず中心となっている「鬼」の設定だが、プログラムのような原理原則が仕組まれているのでルールがわかりやすい。第一に鬼は『自分が憑依する宿主の同族を駆逐する』という基本命令を持った、別次元から送り込まれた駆除プログラムのようなものだと推察される。人間に憑依した鬼は人間を駆逐するようになり、それだけならまだしも鬼は自身を殺した者に寄生するので殺せないようにみえる。

ただこれは基本命令をよく読めば解決できる。たとえば、「宿主を殺した者に宿る」のだから、宿主が自死すれば解決できる。討伐機関は基本的に鬼を殺した後薬物によっていったん自死し、その後蘇生されるという手順を踏む。しかし高レベルなものは因果を辿る力が強く(自死以前に無理矢理因果を見い出す)、この手段が使えない。

その場合にとられる最後の手段が、異性知性体が残したワームホールと停時フィールドを組み合わせた「1万年の時間転移」である。1万年後には人類はとうに滅亡しており、故に絶対的なルールである「自分が憑依する宿主の同族」が存在せず鬼のプログラムは停止し、自壊する。この世界には3つの鬼討伐機関が存在すると書いたが、それはこの特別なワームホールが世界に3つしか存在していないからだ。

物語の主人公サイドは3つある鬼討伐機関のうち日本を縄張りとする門部だが、思想的な違い、鬼の討伐方法の違いなどから争いは激化し、4巻までいたると3組織入り混じってHxHにおけるグリードアイランド篇みたいな、「基本原則をいかに相手が予想しない形で裏切るか。それによっていかに相手の裏をつくか」というゲーマー垂涎のやり取りが展開していくのが「そこまでやるか」感があって抜群におもしろい。

おわりに

即死級の能力をお互いに撃ちあって簡潔かつロジカルに殺し合いが完結するので異能バトル好きには断然オススメだし、設定の裏をひたすらについてくるやり方はゲーマーにもオススメで、設定の緻密さ、掘り方の深さはSF的にオススメできる。現時点で4巻とは思えない高密度な物語だ。しかし5巻はどうすんだろうなあ…。

筺底のエルピス 3 -狩人のサーカス- (ガガガ文庫)

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筺底のエルピス 4 -廃棄未来- (ガガガ文庫)

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