基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

コンビニで自分だけの究極のサラダデッキをつくる

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冬木糸一版究極のサラダセット
僕は毎日同じようなものを食べていてもあまり苦にならない性分であり、一日に二回とる食事はある程度パターンされていることが多いです。これまで食事の骨格を成していたのは、ほっともっとの「肉野菜炒め弁当」で、これは肉も野菜もとれてしかもうまいという究極の代物。これを一日二回食べることで僕は駆動されていたのだけれども、ある日最も多用していた近場のほっともっとが閉店してしまいました。

そのため、僕は「肉野菜炒め弁当」の代用食を探さねばならなくなったのだけれども──近場にはちょうどいい弁当を売っている弁当屋はなく、あるのはコンビニばかり。毎日同じものを食べていても苦にならないとは言え、僕はコンビニの弁当やおにぎりについて、毎日食べるほどには好きではないのでコンビニで弁当やおにぎりに頼らずに日々変わらぬ食事をとる必要にかられたわけです。で、ようやく今回の本題に入るわけなのだけれども、そこで現れるのがサラダです。もともと肉野菜炒め弁当を食べていたのは「ある程度は野菜食っとかないとなあ」という至極ざっくりとした危機感の現れであり、コンビニにもサラダは売っているので、サラダを食えばいい。

コンビニのサラダって、ちゃんとしたパックに入っている物はそこそこ値段もするし、なんかそれだけを食べていてもお腹が膨れないし──と思っていたら、よくみたらコンビニ(以下、コンビニとはうちの一番近くにあるファミマのこととします。)には、ちゃんとしたパックに入っているもの以外にも120円ぐらいで大量に入っている、洗わずにそのまま食べられる野菜が売っているのです(リンク先参照)。
www.family.co.jp
で、当然ながらこのサラダだけ食っていても味気ないし何より量が足りないので、ここにいろいろトッピングしなければ──と考え始めて、「自分だけのコンビニサラダデッキ」をつくりはじめたわけだけれども、4ヶ月ぐらいいろんなサラダデッキを作り続けて本日ようやくある程度の型が見えてきたので皆さんに共有します。

サラダデッキ基本形

サラダデッキとはなにかといえば、上記のようなパック野菜をベースに自分なりのオプションをつけていった先に完成する「サラダセット」のことです。コンビニにはたくさんサラダに追加できるものが売っているので、予算と相談しながら適当に追加要素を買い足し、だいたいこのパックサラダの中にぶち込むことで「究極のサラダ」を作ります。毎日違った味が楽しめる上に、ボリュームも満点なので腹も膨れます。

サラダデッキに普遍的な基本形はあるのかどうか僕にはわかりませんが、少なくとも僕が基本としている形は、「なんでもいいからパックサラダ一つ」。「ベーコンやバストラミビーフ、サラダチキンなど肉系」もしくは「サラダサーモンなどの魚系」。肉系の中にはファミチキなどのチキンを入れる形もいいでしょう。そこに「ファミマでいえばお母さん食堂などの、お惣菜系」を追加することで究極のサラダに近づきます。ファミマのお母さん食堂はハンバーグからじゃがいもサラダ、明太じゃがいもサラダなど多彩であり、サラダに追加でぶっこむものを変えるだけで毎日違った味が楽しめます。それに加えて、足りない人はサンドイッチやおにぎりを一個追加すればよりベストに近づくでしょう。これを冬木糸一版サラダデッキ基本形とします。
www.family.co.jp
何を追加するかにもよりますが、だいたいこの基本形を維持しているかぎり500〜700円に収まります。一時期究極に固執するあまり、1000円超えのサラダデッキを構築していたりもしていたけれど、それは本末転倒感が出てきたのでやめました。

冬木糸一版究極のサラダデッキ

で、この記事の上に貼っつけてあるのが、ある日の僕の究極のサラダデッキです。ベースの「大根と彩り野菜のミックスサラダ」に「黒胡椒香るバストラミビーフ」をぶっこみ、そこにおかめ納豆を追加することで肉と野菜と大豆が一度にとれる究極のサラダが完成します。納豆を最初に入れようとしたときは周囲から「馬鹿なの?」とか「納豆入れたって美味しくないよ」「ヌルヌルして食べづらいじゃん」と否定的なことしか言われませんでしたが、「ヌルヌルして食べづらいじゃん」しかあたっていませんでした。ヌルヌル食べづらい問題はスプーンをもらうことで解決します。

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究極のサラダデッキ運用版
一番上の写真にはおにぎりが写っていますが、これにも理由があります。僕は基本的に上記のサラダにはお母さん食堂から一品、もしくはサンドイッチを食べることが多かったのですが、ある時「うんこが3日に1回くらいしか出ていない」ということに気づきました。腸が苦しいというわけでもないので別に問題があったわけじゃあないのですが、気になったので調べたところ、どうも食物繊維をとっていればうんこが出やすくなると思っていたけれどそれは間違いで、ご飯などの炭水化物の食物繊維をとらないとなかなかうんこは出にくいらしい。特にうんこが出なくても問題ないのだけれども、ひょっとしたら、炭水化物もちょっとはとっといたほうがいいのか?? と思って今最新のデッキセットにはおにぎりが組み込まれているわけです。

別に炭水化物を抜いて痩せることが目的ではないのです。ただ、結果としてこのサラダ主食生活をおくっていたらだいぶ痩せました。ちなみに、今回の写真のデッキセットは500円です。腹いっぱい。しかもパックの中にすべてをぶちこむことによって洗い物などの手間から完全に解放されます。

他、追加してもよさそうなもの

他、追加してもよさそうなもの。卵を割ってサラダの中に入れたら最高じゃね?? と思って入れていた時期もあったのだけれども、味がよくなったわけではないのでうーん、僕はいいかなという感じでした。「豆腐もいいんじゃないか?」と言われましたが、豆腐はよさそう。今度試してみます。同じようなことを実践しているひとがいたら、「これを追加したらいいんじゃないか?」という情報をお待ちしています。

ちなみに、基本的にファミマのことを想定して書きましたが、ローソンでもセブンでもだいたい似たようなものが全部売っているので、一度作り上げたデッキはどのコンビニでも構築できるのがこのコンビニサラダデッキの強みです。

2018年 おもしろかった本とか

もう年末も年末なので、あまり気負わずに、がっつりともいかず、さらっとなんとなく2018年おもしろかった本について振り返ってみようかと。本といいながらゲームの話もするかもしれないが。しょうがないね、ゲーム好きだからね。
dokushojin.com

おもしろかったSF

零號琴

零號琴

さて、おもしろかったSFについて。大まかなものは週刊読書人の回顧総評でけっこうがっつり(2300文字ぐらい)書いてしまったので、総体を知りたい人にはそっちを読んでもらいたいところ。取り上げておきたいものとしては、飛浩隆の『グラン・ヴァカンス』以来16年ぶりの長篇な超弩級の音楽SF『零號琴』。読んだ人間から震え、卒倒などの証言が相次ぐ読む麻薬的な一冊(ほんとに、描写のカロリーが高すぎてクラクラしてくるんですよね)で、とりあえず読んでおいて損はないかと。
ランドスケープと夏の定理 (創元日本SF叢書)

ランドスケープと夏の定理 (創元日本SF叢書)

新鋭としては創元SF短編賞の受賞作を表題作とした、高島雄哉『ランドスケープと夏の定理』がいい。異なる知性の会話を成立させる完全辞書が存在することを示す〝知性定理〟があるのか? という問いかけから、知性にまつわる三つの定理を証明していくスゲーハードSFにしてド天才な姉に振り回される姉SFでもある。
半分世界 (創元日本SF叢書)

半分世界 (創元日本SF叢書)

創元SF短編賞出身者としては他にも、門田充宏の『風牙』は抽出された記憶データに潜り込み、他者に理解可能な形に翻訳する記憶翻訳者たちの物語で、SFギミックを用いて人間の複雑な内面や家族間の関係性をあぶり出していく文芸的な一冊で素晴らしい。同じく創元SF短編賞出身者石川宗生『半分世界』は、道路側の前半分が綺麗さっぱり消失している奇妙な家+家族四人と、それを観察しいったいこれはなんなのだと議論し家族の生活をウォッチする人々の物語が描かれていく表題作を含む、割合意味不明な状況・世界をどこまでも緻密に描き出していくストレンジな傑作だ。
NOVA 2019年春号 (河出文庫 お 20-13)

NOVA 2019年春号 (河出文庫 お 20-13)

年末にドバっと凄いアンソロジーが出たのも最近のことなので記憶に新しい。『NOVA 2019年春号』は小川哲、佐藤究、赤野工作やら飛浩隆やら小林泰三やら、新鋭からベテランまでそれぞれ自分の持ち味をバーンと活かした(飛浩隆とかは新境地だけど)傑作揃いで最高だし、東京創元社から出た『Genesis 一万年の午後』は高山羽根子が怪獣が空から降ってきてそれを持ち上げる謎の競技がある世界を描くスポーツ物を書けば、倉田タカシが生首を意思の力で落とせるようになった人物を描き、と変な話(だけじゃない)が詰まっている逸品。SFとはズレるが、日本ファンタジーノベル大賞作家21人が書き下ろした巨大アンソロジー『万象』も実力派揃いでどれを読んでもへんてこで、洗練されていて、わりと頻繁に象が出てくる愉快な一冊だ。
折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5036)

折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5036)

  • 作者: 郝景芳,ケンリュウ,牧野千穂,中原尚哉,大谷真弓,鳴庭真人,古沢嘉通
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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海外SFだと、中国作家の短編を集めた『折りたたみ北京 』が中国の文化を知り、その作家層の幅広さ、実力の高さを知れる恐ろしく充実した一冊。大長編としてはニール・スティーヴンスン『七人のイヴ』が、月が突如七つに分裂し、破片が地球に降り注ぐことで人が住めぬ土地になる──という未曾有の事態を真正面から捉え、科学と政治と人類の果てなき生存能力を描き出したド傑作で外せない。

SF以外

不思議の国の少女たち (創元推理文庫)

不思議の国の少女たち (創元推理文庫)

SF以外で印象に残っていたのは、異世界から〝帰還した後〟自分が元いた異世界へ戻りたいと願う少年少女たちが暮らす寮を舞台にした『不思議の国の少女たち』。あとは、全長1.6キロメートルに及び、思念的ななにかで周囲の人々の行動に干渉する〝竜〟がいる世界の日々を綴る『竜のグリオールに絵を描いた男』は僕がこれまで読んできたファンタジィの中でもベスト3には入るものすごい作品。
元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)

元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)

ミステリとしては黒人を主人公に据え、ギャング同士の抗争が実際に盛んだというサウス・セントラル・ロサンゼルスを舞台に、貧困層の生活や文化をみっちり描きこんでいくジョー・イデによる『IQ』が良かった。セリフ回しがやたらとかっこよくて、冲方丁の《マルドゥック》シリーズみたいなんだよね。あとは少女たちの関係性が事件の発端と密接に関わってくる〝重い百合〟な中華ミステリ『元年春之祭』もめちゃくちゃおもしろかった。続編が読んでみたいなあ、中国では出せないみたいだけど。

ノンフィクション

宇宙はどこまで行けるか-ロケットエンジンの実力と未来 (中公新書)

宇宙はどこまで行けるか-ロケットエンジンの実力と未来 (中公新書)

ノンフィクションは渋くおもしろいのをいっぱい読んだイメージがある。中でも印象に残っているのは、小泉宏之『宇宙はどこまで行けるか-ロケットエンジンの実力と未来』。ロケットエンジンの基本原理が解説されるのはもちろん、どれぐらいの重量で、どのように推進したらどれだけ飛ぶのかという、重量とエネルギィの関連についてしっかり解説していて、読むだけで自分で火星に行くのに(ある重量を持っていく必要があると仮定し)必要な推力は幾ら……とおおまかに計算できるようになる。
生存する意識――植物状態の患者と対話する

生存する意識――植物状態の患者と対話する

植物状態の患者の中には、実は表明できないだけで実は意識があるのでは? を調査し、実証してみせた記録であるエイドリアン・オーウェン『生存する意識』も傑作。PETスキャナを用いることで脳活動を測定し、意識の有無を判定し、はい・いいえレベルなら特定のものを想像してもらうことで意思疎通できるのだが──、はたして、植物状態の患者に「死にたいのか?」と聞いた時に、うんと答えるのか? そもそも、答えられたら、どうしたらいいのか? など答えのない問いかけもなされる。
太陽を創った少年:僕はガレージの物理学者

太陽を創った少年:僕はガレージの物理学者

あとは、神から才能を与えられたとしか思えない凄い人たちのひとり、14歳にして5億度のプラズマコア中で原子をたがいに衝突させる反応炉をつくって、当時史上最年少で核融合の達成を成し遂げてみせた少年の記録である『太陽を創った少年』もいい。すごい才能を持っただけでは駄目で、親がそれをきちんと認めてあげて環境を整えてあげなければ──という「ギフテッドの教育論」についての本でもある。
ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険

ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険

他、記憶に残っているのは自身で起業し、そこでクソッタレな経験をしながらFacebookに転職し──と、シリコンバレーで生きるとはどういうことなのかを皮肉と冗句に溢れさせて語る『サルたちの狂宴』は、エピソードのひとつひとつがめちゃくちゃにおもしろい傑作。ハードウェア量産の話から中国でのビジネスの進め方、中国の知的財産権の凄さ、さらには遺伝子ハッキングまで四冊ぐらい別々の分野の本が混ざってるんじゃないかと思うほど内容量が広く・深い『ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険』も今年のノンフィクションとしては外せない。

ゲームとか

今年出たゲームではないがDead by Daylightにハマってしまって、だいたい1日3時間ぐらいこれをやっている。4vs1のいわゆる非対象型のゲームで、発電機を修理して脱出を目指す生存者側(4人)と、そいつらを殺す殺人鬼(1人)の戦い。それぞれ4つのスキルをつけることが出来て、それがまたゲームにバリエーションを生み出してくれる。見つかるか見つからないかのドキドキ感、見つかった時に実力が活きてくるチェイスなど、ゲームの醍醐味が短い時間に詰まっていて、傑作だと感じる。*1
【PS4】Detroit: Become Human Value Selection

【PS4】Detroit: Become Human Value Selection

他、まあいつものようにFGOをやっている。ゲームとしては完全に飽きているのだが、とにかくシナリオの終焉には付き合うぞという気概。第二部三章の虚淵玄シナリオとか、ちゃんとおもしろかったしね。他、『Detroit: Become Human』は自分自身が人間の使役されるアンドロイドとなって、作中でいくつもの選択肢を選んでいった果てに──という、自分の選択がどんどんシナリオに影響していく快感、リアルタイムに変化する演出、「人間がアンドロイドを動かしている」というメタ性までもを取り込んだシナリオと、レベルの高い、高すぎるアドベンチャーゲームでよかった。
ランス10

ランス10

最後に語るべきなのはやはり『ランス10』だろう。フルプライス、大作ゲーム10作、しかもシリーズ中同一主人公が最初から最後まで一貫性のある冒険を続ける、凄まじいメタ・ファンタジィエロゲーム。ランスシリーズにはじめて手を出した時からその時を夢想し続け、いざ手を出してみればその夢想を大きく超えてきた完膚無きまでのラスト。人生の貴重な時間を費やしてきたことに些かの後悔も抱かせぬ傑作であった。プレイしている時は楽しすぎて、仕事場からマジで走って帰ってたからね。

おわりに

紹介したいものは他にもたくさんあるのだけど、まあこんなもんでいったんいいでしょう。今年もいい本を沢山読みました。来年もいい本を沢山読みたいですね。

*1:ちなみに僕はPC版でやっていて、steamのアカウントIDはhuyukiitoichi なので他にやってる人いたら(やってなくてもいいけど)申請してね。

どのような作業環境で記事を書いているのか。

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どのような環境で記事を書いているのか。どのような机で、エディタで、小物を使っているのか。まえ、村上春樹さんが「村上さんのところ」で自身の机を公開していたが、あれを見てから他人の作業環境が気になるようになった。人類はどんな机を構築しているのか。それが知りたいがために、まずは自分の環境を公開してみることにする。これを読んだ人は、自分の環境も公開してくれると(僕が)ありがたい。

1.机

机。特に何の変哲もない。幅120センチ、奥行き60センチの机。机というのはデカければデカイほどいいが、家の広さには限度があるのであって、狭い部屋を借りている一人暮らしにはこの程度のものだろう。もっと広ければもっとデカイ机にする。

2.椅子

DXRACER ゲーミングチェア DXR-BKN ブラック

DXRACER ゲーミングチェア DXR-BKN ブラック

椅子、基本的にこれまで5000〜1万円ぐらいの椅子しか使ったことがなかったが、最近3万円ぐらいのゲーミングチェアを買った。すこぶるいい。長く使うんだから15万ぐらいの高いのにしようかとも思ったが、いまいち違いがわからず、とりあえず3万円台から飽きたり壊れたりシたらステップアップしていけばいいかと判断した。

3.ヘッドフォン&ヘッドフォン掛け

audio-technica プロフェッショナルモニターヘッドホン ATH-M20x

audio-technica プロフェッショナルモニターヘッドホン ATH-M20x

基本的に記事を書いたり原稿を書く時は音楽を流さない。昔は流していたが、最近は無音である。無音の方が集中できる気がするというのがその理由の一つだが、それとは別に、今は聞きたい曲もミュージシャンもいないのである。たまに音楽を聞く時はこの普段はかけっぱなしのヘッドフォンを取り出して使うのであった。

4.タンブラー

象印 ( ZOJIRUSHI ) まほうびんステンレスタンブラー 300ml ブラウン SX-DC30-TA

象印 ( ZOJIRUSHI ) まほうびんステンレスタンブラー 300ml ブラウン SX-DC30-TA

魔法瓶式のタンブラー。飲み物にこだわりはない(水出しの冷えたお茶、ティーバックの緑茶・紅茶、安いインスタントコーヒー)。お湯は電気ケトルで沸かす。使っている電気ケトルは『バルミューダ 電気ケトル K02A-BK(ブラック)』

5.モニタ

基本的に記事を書く時は二画面必須だろう。Kindle本で記事を書く時は内容をみながら文章を書くのに一画面では厳しいものがあるし、何より調べ物をしながら書くのにもいい。まあ、この辺は説明不要か。もう一個小さいモニタがあるので3画面にもできるのだが、そっちはとりあえず今はいいかな……と使っていない。

6.パソコン(MacbookAir)

パソコン。パーソナルコンピュータ。この十年ずっとMacを使っている。うちにはAir、Proが2台、ゲーム用のWindowsPCが一台あるが、記事を書く時はだいたいMacbookAirである。Proでもいいのだが、特に理由はない。最初Macを使い始めた理由はなんとなくカッコイイからだったが、プログラマになりRubyやPHP、GAE/GOでプログラムを書くようになってからMac以外は選択肢からなくなった。

6-1.エディタ(mi)

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エディタはmiを使用。僕がエディタに求めているのは一つで、行の折り返し文字数を指定できることである。原稿の依頼はたいてい20文字☓68行みたいな指定がついているので、どこで折り返しがあるのかを確認しながら書く必要があるため。あとブログの折り返しの文字数も考慮に入れて、できるだけ余白が出ないように書いている。この機能は大抵のエディタにはついているのでなんでもいいともいえる。

プログラムはだいたいAtomで書いている。

6-2.Kindle

電子書籍が読める。クソ使いづらいアプリで死んでほしいがしょうがない。

7.本を留めるやつ

ブックバックスミニ 書見台 ダークグレイ 14083

ブックバックスミニ 書見台 ダークグレイ 14083

読書系のブロガーなので、本の”この部分について書きたい”とか、”ここを引用したい”と思うことが頻繁にあるが、そういう時にはこれがあると大変便利である。特定のページで挟み込むことで、開いたまま固定しておける。デカイ書見台でもいいだろうが、あんまり大きいと場所をとるのでこれぐらいの大きさがいい。

8.本にはさむやつ

【BOOK DARTS】ブックダーツ チョコラベル75個ミックス

【BOOK DARTS】ブックダーツ チョコラベル75個ミックス

僕はずっと本に書き込みを入れていたのだが、書き込みを入れまくった本を人に上げたりすると嫌がられることがわかったので痕が残らない形で引用したい箇所や読み返したい箇所を残す必要に駆られた。最初クリップでもページに挟むかと思っていたのだが、どなたかにブックダーツというものの存在を教えてもらいこれがよかった。本に手軽に挟んで、あとで読み返すことができる。デザインもいい。

9.ブックエンド

カール事務器 ブックエンド 大 ダークグレー LB-55-E

カール事務器 ブックエンド 大 ダークグレー LB-55-E

読み終わった本ではなく、これから読む本を並べておく。つまり積読だが、いつも目に入るところにおいてあるのでいいプレッシャになる。早く読みたいな、という気持ちも湧いてくる。ここに収まらないほど並ぶ時は、もうダメ。

10.ワイン

家では基本的にワインしか飲まない。あんまりこだわりがないので、高いものを飲むわけではなく、Amazonで10本入りとかのワインを適当に箱買いして常備している。飲むと記事が書けないので、記事が書き終え満足した時に飲む。

おわりに

というわけで僕の机の上に乗っているものを紹介してみた。世の中にはいろいろな便利グッズがあるので、これとかあれとかいいよというのがあったら教えてください。また、「基本読書」は読書系のブログだが、違うジャンルのブログやライターなら使うツールも含めて別の環境になるだろう。色んな人の作業環境が気になる。

どんな風に育つと読書好きの子どもになるのだろうか。

新版 指輪物語〈1〉/旅の仲間〈上〉

新版 指輪物語〈1〉/旅の仲間〈上〉

僕は割合本を読むのが好きで、暇さえあればだらだらと本を読んでしまう。

ただ、それはアニメを観たり映画を観たりゲームをやったりといった他のことと比べて”好き”なのかといえばそこについてはよくわからない。たとえば僕にとってはアニメを観たり映画を観たりゲームを”しはじめる”のに行動力を10ポイント消費するとすれば、本を手にとって読み始めるには3ポイントぐらいしか消費しない、つまり好きというよりかは”手をつけやすい”だけなのではないかなと思ったりする。

で、いつ本を手をつけやすくなったのかといえば、記憶にある限りかなり古い時からそうやって本ばかり読んでいる記憶がある。小学生の頃にはすでに大量に読んでいたし、中学、高校、大学時代が人生で一番読んでいた時期だろう。しかしその”最初”はなんだったのかということを、たまに聞かれることがある。子どもを持つ親御さんなどが、「どうやったら子どもを読書好きの子どもにできますか/どんな風に育ったら読書好きになったんですか」と言った風に軽く質問してくれるのだ。

個人的には自分が「読書好きになった」というよりかは先にも書いたように「それが一番ラクだから読書をしている」か、「不可避的に読書好きっぽくなってしまった」感が強く、別に読書好きになどならなくてもいいではないか、他に何か楽しいことがあればそれをやれるのが幸せではと思うけれども、それはそれとしてまじめに答えるならば”性格によるんじゃないですかね”という身もふたもない感じになってしまう。

暑い夏のある日の出来事

僕は理由はわからないけれども子どもの頃から出かけるのが大嫌いで(泣いて抵抗するほど嫌いだった)、ゲームはあったけれどもたくさん買ってもらえるわけでもなく、無料で大量に手に入れられる娯楽といえば(図書館があったから)、本しかなかった。僕が小学生だった当時はまだ家にはパソコンもなければ、スマホもないので、家から出ず、ゲームもなく、アニメもそれほどやってねえ、インターネットもねえ、とくればもう本を読む以外やることなんかないじゃないかという気がしないでもない。

そんな状況下で日々小学生をやっていたわけだけれども、もともとすでに『エルマーのぼうけん』、ドリトル先生シリーズ、ズッコケ三人組シリーズ、ファーブル昆虫記やシートン動物記や『モモ』といった「小学校の図書館に絶対に存在している名作シリーズ」ばかり読んでと楽しんでいた記憶があるけれども、明確にガチっと本好きに回路が切り替わったのは今でもよく覚えているが、暑い夏のある日のことである。

何もやることもなければクーラーもない本当に暇な家の中、両親はどちらもほとんど本を読まないのだが一応小さな本棚があって、そこに司馬遼太郎『竜馬がゆく』が置いてあったのである。僕は夏休みで、しかも厚さで死にそうになっており、つまらなそうな本だが(普通小学生は『竜馬がゆく』は自発的に読まないと思う)、他にやることもないし仕方がないとその『竜馬がゆく』に手を出して、そしてあっという間にハマってしまったのだった。なんじゃこりゃ! めちゃくちゃおもしろい! と。

『竜馬がゆく』は文庫で読んだのだけど、何しろ全八巻もあるのでけっこう暇が潰せる。読んでも読んでもなかなか終わらないので、夏休み家で楽しむにはとてもいい。そのうえ何しろ司馬遼太郎である。「こいつの書く本はおもしろいぞ!」となったら読む本はいくらでもある──となって、そもそも尽きせぬ暇を潰すのが目的なので、できるだけ大長篇、巻数が出ているものから順番に読み進めることになる。

『翔ぶが如く』、『坂の上の雲』と読んでいくうちに『燃えよ剣』にたどり着き、「なんじゃこりゃ〜〜新撰組ってめちゃくちゃおもしれ〜〜」となけなしのお小遣いを使って片っ端から他の作家が書いた新撰組関連小説を買って読みまくり、『項羽と劉邦』を読めば「うわあああああ中国史ってスケールがデケえええええ〜〜〜」とたまげて中国史関連小説を読み漁り、どこかの地点で宮城谷昌光の『晏子』に出会えば宮城谷昌光をはじめとしズブズブと歴史沼にはまっていくことになり──と雪崩のような連鎖反応によっていつのまにか死ぬほど本をよむようになっていった。

最初にドハマリしたのが「歴史物語」だったのも今振り返ると良かったのかなと思うところでもある。それは厳然としてそこに存在するものなので想像もしやすいし、何よりひとつの物語から無数に他の箇所・他の物語と繋がっていく。新撰組を読んだら明治維新が気になるし、ひいては日本がなぜそのような状態になっていったのか、その過去には何があったのかが気になる。項羽と劉邦の時代を読めば当然「ここ以外の時代の中国ってどうなんだ?」と疑問に思うしそれがまた次の本へと繋がっていく。

もうひとつ小学生の時に読んで忘れられない体験となったのが『指輪物語』で、そこからファンタジィを猛烈に読み出すようになるんだけど(『ゲド戦記』とか)どこからそこに繋がったのか今となってはまったく思い出せない(あと『人を動かす』にハマってしこからノンフィクションも読み出すのだけど、これは多分本屋でたまたまビビッときたというだけの理由だ)。そうやって、一度読書の習慣がついてしまえば、次々と次の本に連鎖していき、”読書好き”的存在へと変質していくものなのだろう。

おわりに

結局のところ、自分を振り返ってみるに、「どうやったら子どもを読書好きの子どもにできますか/どんな風に育ったら読書好きになったんですか」については、「少なくとも小学生時代においてはインターネットを遮断し、スマホを持たせず、外出禁止令を出し、これみよがしに『竜馬がゆく』かそれに類する歴史物語を置いておく(決して親から読むように強制してはならない。そんなことをしても絶対に読まないだろう)」というのが僕が個人の体験から導き出せるもっともシンプルな答えになりそうだけれども、これをそのままやったら普通に虐待なので注意しましょう。

僕もいま小学生時代をもう一度やりなおしたら、本好きの子どもにはならず家で延々とモンハンをやっているかもしれない。遺伝子もあるが、時代というか、タイミングというか、環境の要因って大きいよなという話でここはひとつ……。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

今年読んだものの中で記憶に残っているものを開陳する(小説篇)

はじめに

今年もたくさん読んだり観たりやったりして、頭から尻尾まで楽しい年だったな……という感触が残っているのだけれども、せっかくなのでブログに書いたものを中心に記憶に残ったものを紹介していこう。適当にリストアップしただけで40作品を超えたので(さすがに全部は無理だ)ぱっぱとやろう。基本的にここでとりあげていく本は個別記事を書いているので、最後にリストとしてまとめておきます。

日本SF枠

というわけでジャンルを区切って日本SF枠から紹介していこうと思うがまず何をおいても滅多に本の出ない飛浩隆さんの最新短篇集『自生の夢』をあげておきたい。一言でいえば極上のSF短篇集である。身体へとダイレクトに感覚が伝達され、SFならではの特異なイメージが現出する悪魔的な表現力は依然として健在。読んでいて何度も表現とストーリーの両面、その凄まじさに恐れおののいてしまった。

自生の夢

自生の夢

新鋭で抑えておきたいのは柞刈湯葉『横浜駅SF』。もともとはツイッタに投稿されたネタを膨らませたものだがBLAME!を思わせる増殖を続ける"横浜駅"の描写、その背景を支えるバカバカしくも真面目な理屈に加え、文章も洗練されていてどこを切り取ってもおもしろく──と抜群にレベルの高いSFだ。第二作の『重力アルケミック』も膨張し続ける地球を舞台にした青春ものづくりSFで別種の魅力がある。
横浜駅SF (カドカワBOOKS)

横浜駅SF (カドカワBOOKS)

他、早川のSFコンテスト受賞作としては円城塔好きにはたまらない(かつ東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』的な家族・メタ小説の側面も持つ)『構造素子』、植物都市SF『コルヌトピア』も珠玉の出来。忘れちゃいけないのがカクヨムから生まれた赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』で、「2115年の日本を舞台として書かれた、かつて評価の悪かったレトロゲームレビュー」という体裁で描かれていく架空のレビュー集。"ゲーム"という視点を通したからこそのテクノロジーと社会の在り方が描かれていて、SFとしても素晴らしい出来だ。
ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム

ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム

ベテランや新人作家の第二作目の紹介にうつると、宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』は、カザフスタンとウズベキスタンに挟まれたガチ危険地帯にある国家を後宮の女性たちが運営することになってしまって──といった始まりから、領土と経済圏を巡る政争をはじめとする政治、経済、軍事を、会話のノリはあくまでも軽く、国家運営上の取り扱うべき内容は重く、と軽重あわせ描きこんでいく国家運営譚で、全宮内悠介作品の中でも飛び抜けて好きで広くオススメしやすい作品。
あとは野となれ大和撫子

あとは野となれ大和撫子

1956年のカンボジアを舞台として"権力者が都合良くルールを設定し、好きなように覆す"腐った政治体制の中で、いかにして人々は自身の正しさを貫き、ルールに挑むのかという重いテーマを血が滲むような文体で紡ぎ出していく傑作、小川哲『ゲームの王国』は今年もっとも夢中になったSF小説である。他、短篇集では(自生の夢を除くと)藤井太洋『公正的戦闘規範』、小川一水『アリスマ王の愛した魔物』は群を抜いておもしろく、現在の日本SFのレベルの高さを実感させてくれる。
ゲームの王国 上

ゲームの王国 上

海外SF

と、キリがないの海外SFに移ると、最初に取り上げておきたいのはウィル・ワイルズ『時間のないホテル』。無数に入り組み世界を繋げるファンタジックなホテルの描写がまずたまらなく魅力的で、不可思議な謎が恐怖と好奇心と共に物語を牽引し、謎の多くが明らかになったあとも別種の展開をみせ、と一冊で二度も三度も美味しい作品である。著者いわく『J・G・バラードが書き直した『シャイニング』』

時間のないホテル (創元海外SF叢書)

時間のないホテル (創元海外SF叢書)

『紙の動物園』で話題をかっさらったケン・リュウの第二短篇集『母の記憶に』は第一作を上回る傑作揃い。中国で生まれ、現在アメリカで暮らす著者の経歴を存分に活かした多国籍な文化と歴史が入り乱れる作品もあれば、鮮明なアイディアを元にまとめあげる作品あり、使い古されたアイディアをケン・リュウ流に描写した作品もあり(それがきちんとおもしろい!)、自力の高さを実感する一冊となった。
母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

満を持して僕が年間の海外SFベストに挙げたいのはアダム・ロバーツ『ジャック・グラス伝: 宇宙的殺人者』。読者への挑戦状からはじまり、語り手が「フェアに勝負を仕掛けるつもりです」と宣言する、古き良きミステリをド真ん中で貫きながら、作中を流れるロジックや状況の全てにSF的ギミックやアイテム───たとえば"超光速航法"が関係してきて、と無茶な出来事、状況をドストレートに描き出す。
ジャック・グラス伝: 宇宙的殺人者 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ジャック・グラス伝: 宇宙的殺人者 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

以後ざっくり紹介していくと、体内に取り入れたナノ構造物によって他者の脳と通信することのできるネクサスと、それがもたらす世界の変革(個人の、社会の、世界の)を描き出すラメス・ナム『ネクサス』はケレン味たっぷりの傑作だし、プリーストの集大成的な"可能性世界"小説『隣接界』は著者のファンでなくとも一冊目に薦められる絶品。出たばかりのイーガン『シルトの梯子』もまーたイーガンが新しい宇宙つくってるよ案件で人類と新時空との戦いが描かれる年間ベスト級SFだ!
シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

ファンタジィ・ライトノベル

多くはないが、ファンタジィ・ライトノベル系統の作品についても触れておこう。ファンタジィで記憶に残っているのは、読むこと、そして書くことについての幻想譚ソフィア・サマター『図書館島』。描写の、セリフの一つ一つにとてつもない美しさと力強さがあり、"文字"という原初的な魔法の驚きを従前に描き出していく。

図書館島 (海外文学セレクション)

図書館島 (海外文学セレクション)

『ウィッチャーI エルフの血脈』から始まる《ウィッチャー》サーガは、ポーランドの作家アンドレイ・サプコフスキによる世界的大ヒットファンタジィで、ゲーム《ウィッチャー》シリーズの原作でもある。ゲーム自体、(特に3は)自分自身で世界の運命を変えていく実感の得られる傑作だが、小説もまた魔法の在り方、政治、経済、架空生物の作り込み、東欧神話のユニークさ、キャラクタの魅力などすべてが最高でド傑作なファンタジィなのであった。全五部作で現在第二部まで刊行中。
ウィッチャーI エルフの血脈 (ハヤカワ文庫FT)

ウィッチャーI エルフの血脈 (ハヤカワ文庫FT)

今年二巻まで出た宮澤伊織『裏世界ピクニック 』は、一言でいえば「『ストーカー』×実話怪談×百合」な要素の合わさった最強無敵な作品で、語りはゆるく女の子たちのやりとりは微笑ましくそこに恐怖がいい塩梅に挿入され、読んでいるとただただ幸せな心地になれるだろう。表紙イラストも最高以外の言葉がない。
裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

異世界物としては、『JKハルは異世界で娼婦になった』もいろいろな意味でうまい作品。異世界で娼婦をやるという題材からしてうまいし、既存の異世界物とは違った視点から異世界を捉え直すコンセプトが明確なのだ。あと、筒井康隆が書いた『ビアンカ・オーバースタディ』の続編を勝手に書いて応募してきた『ビアンカ・オーバーステップ』はそのデビュー経緯とは裏腹にしっかりとした構成に文章、何より明らかに筒井康隆よりもおもしろいという異常なメタSFなので読み逃しなきように。
JKハルは異世界で娼婦になった (早川書房)

JKハルは異世界で娼婦になった (早川書房)

ちなみにライトノベルのベストは『ストライクフォール』の三巻。マジ傑作。
ストライクフォール3 (ガガガ文庫)

ストライクフォール3 (ガガガ文庫)

基本読書10年目に突入しました。

7月24日に突入しました。
plaza.rakuten.co.jp
10年という数字に意味はありませんし、ここから何かが変わるわけではないですけど、これまで書いたことがなかったことでも一応書き残しておこうかと思います。

このブログはいかにして駆動されているのか

このブログはもともと神林長平先生の『膚の下』を読んで書きはじめられたブログなのですが、それとは別にもう一個動機もあって、「ネットの書評ブログの感想は弱い」ということでした。僕が『膚の下』を読んだ時、これはこの宇宙で最高の小説だし、僕の人生において今後コレほどの衝撃を受けることはないだろうと確信し、その衝動みたいなものを一緒に誰かに分かち合って欲しいと思いネットを検索しました。

それなのに何ページめくっても『膚の下』おもしろい〜と三行ぐらい、あるいは十行ぐらい書いてあるWebページが出て来るのが関の山で、僕はといえば「そうじゃねえだろうが! これは宇宙で一番凄い小説なんだから何千、何万文字でもこの小説について称えるべきだろうが!!」と一人でものすごくがっかりしていたのでした。ネットなら僕のこの衝動を分かち合えると思っていたのに、そうではなかった。

もちろんそれは『膚の下』を対象にした話であって、世には優れた書評サイトがありますが、それはそれとして、すべてをカバーできるわけではないわけですから、これは僕がやらないといけないと思うのは自然の流れでした。そして、『膚の下』でなくとも、誰かがとある本を読んで猛烈な感情に突き動かされて「同志」を求めてネットを検索した時、その最初に出てくるサイトは僕のブログであって欲しい。

熱量に応えるべきブログでありたい。ネットに、自分の衝動を理解してくれる人がいたと安心して、がっかりしないで帰っていって欲しい。そうした初期衝動によってこのブログは産み出され、10年目に至っても駆動されているわけです。

無根拠なサイエンスノンフィクションを見分けるためのいくつかのやり方

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

今日は本当はとある一冊のサイエンスノンフィクションについて書こうと思っていたのだが、1000字ぐらい書きながら裏とりを続けているうちに「これはちょっと厳しいな……」という感じになってきてしまった。なのでそれは取りやめ、無根拠なサイエンスノンフィクションを見分けるためのいくつかのやり方について書こうと思う。

僕自身が常にこれから書いていくようなことをやっているわけではないし、僕が無根拠なサイエンスノンフィクションを全て見分けられているというつもりもない。基本的には心構えや、頭に入れておくといいかも、ぐらいの地道な話が多くなるだろう。

1.同分野の本を何冊も読む

この世には無根拠なサイエンスノンフィクションが溢れかえっていて、特に医療系の本だとその悪影響は大きい。誤った情報を信じて治療を続け、取り返しがつかない状態になってしまっては悔やんでも悔やみきれないだろう。だから、書評を書くような一部の人間だけでなく、誰であってもその正誤を判定できるにこしことはない。

とはいえある程度の知識がなければ「専門家の言っていることだから……」と頭から信じ込んでしまうのも仕方のないことだし、僕だってあまり読んだことのない分野の本を読む時は著者の言っていることがどこまで正確なのかわからなくて、いつも心細い気持ちがする。というわけで、無根拠なサイエンスノンフィクションを見分けるための最初のやり方は、「同分野の本を何冊も読む」ということになる。

地道すぎる! と思うかもしれないが、実際地道な話である。生物学、生態学、宇宙物理学、神経科学など、どのジャンルであっても、複数冊読むことで定説は何なのか、ある意見が異端なのかそうではないのかといったことが理解できるようになる。AとBが違うことを言っていると「何故なのか? どちらが正しいのか?」と考えるきっかけになり、研究の裏がとれなかったとしても多数決で判断できる局面も多い。

2.参照元の有無を調べる。

参照元の表記は重要だ。サイエンスノンフィクションは大抵、著者らの行った実験だけではなく他者が書いた論文、本への参照によって成り立っている。多くの数字が本の中には出てくるが、どのような人数、手法で行われた結果の数字なのかといったことまでは事細かく書かないことも多い。故に、少なくとも興味を持った人が参照し、検証できるようにしておくのは基本である(と僕は思っている)。

きちんとしたサイエンスノンフィクションにはこの表記が巻末(かもしくは章の終わり)に載っていて、僕も別にすべてのリンクを辿るわけではないが、本文中での説明が足りなかったり、数字におかしなところがあると場合にはいくつかピックアップして検索して実際に読んでみることも多い。また、時として参照先がまったく載っていない本もある。それで即根拠のないサイエンスノンフィクションということになるわけではないが、これはその本の正当性を怪しみ始めるきっかけとなる。

3.ちゃんとした実験、統計での調査が行われているのかを判断する

さあ、参照元が表記されており、さらには書籍内で詳しく実験や研究がどのように進められたのかが書いてあったとしよう。それだけで安心とはいえない。何しろ統計とは難しく、悪気がなくとも間違えるケースも多いからである。検定力が不足しているのではないか? 因果関係を取り違えていないか? 望む結果が引き出せるまで何度も実験を繰り返していないか? など、いくらでも誤った結果が引き出されている可能性があるので、統計や実験の誤りについての知識があるにこしたことはない。

ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

統計学については『ダメな統計学』がオススメ。

4.著者の経歴を調べる

これはかなり当たり前の話だが、著者の経歴を調べるのも有効だ。たとえば著者は書かれている内容に関して、きちんとした専門家(研究者)なのだろうか? それとも取材して書いているサイエンスライターなのか? サイエンスライターだとして、実績はどの程度あるのか? これまで書いてきた本はなんなのか?

その辺がまず基本だが、著者の立場も重要だ。たとえばベジタリアンの著者が書いた肉食批判本であれば、内容は事実が肉食主義者を攻撃するために一面的に都合の良い情報ばかりを取り上げていないか? と考え始めるきっかけになる。食肉関係者が書いた本であれば、肉食を不要に擁護し菜食主義者を強烈に批判する内容になっているかもしれない。どちらにせよ、自分が属する業界、立場の不利になる発言はしづらいと考えるのが自然であり、公正な場合もあるが、怪しみながら読むべきだろう。

5.読者を騙すテクニックを使っていないかを判断する。

巧妙なライターであれば、間違ったことは言わないようにして読者に都合の良い情報を誤認させることも容易である。たとえば「衝撃的な調査結果(例をつくると、りんごを1日1個食べると心臓疾患による死亡率が30パーセント上がるとか)」が「載っている記事があった」とだけ書くと、内容の真偽はともかく「あった」のは事実であり、嘘はいわずに読者に対してはりんごに悪影響があると誤認させることができる。

こうしたテクニックは無数にありすぎて、こういう風に気をつけろ、ということはできないんだけれども、まあたくさん読んでいるとだいたい手管もわかってきてそうそう騙されなくなってくるし、こうした騙しのテクニックを使う著者はその時点で信頼できない、とある種のわかりやすい判断材料にもなる。1.と同じくたくさん読むのはひとつの手だが、『詭弁論理学』あたりを読むのもいいだろう。

詭弁論理学 改版 (中公新書 448)

詭弁論理学 改版 (中公新書 448)

6.翻訳本の場合は、原題でreviewを検索する

読んでいると、上述の理由であったり、数値に違和感があったり、実験手法がどこがどうおかしいとは指摘できなくても怪しかったりで「なんか変だなあ」と思うことがある。そういう時、翻訳本でオススメしたいのは原題+reviewで検索して、いくつか書評を読み漁ることだ。僕は一サイトではなく、存在する限り二サイトでも三サイトでも調べてみることが多い。基本的に批判的な意見を書かないメディアもあるし、できれば専門性の高いサイトの方が当然信頼性は高いので、読み比べてみる。

そうするとけっこうちゃんとした批判が出てきたりする。その批判があっているのか、といった検証は必要だが、より専門的な観点からの問題点の指摘が読めることもあり、何度も助けられたことがある(根拠のあやふやな本を紹介せずに済んだり)。

7.数字の怪しい研究が出てきたら、類似の論文を調べる

6に近いが、数字の怪しい研究が出てきたら、同様の主題を扱った論文をいくつかピックアップして調べるのも重要な手だ。基本的に英語で調べることになるが、最近はGoogle翻訳の精度もいいし、ブラウザに入れられる便利な辞書アプリもいくらでもあるから、英語がめちゃくちゃ苦手でもいくらかは内容を把握できるだろう。

おわりに

と、思いつく順に書いていったが、1ができるのが一番いいのかな、とは思う。一冊だけでそのジャンルを知り尽くした気にならないで、何冊も読んで同一の箇所と差異のある場所をきちんと認識していく。その上でなお、「これもまた間違っているかもしれない」と認識しながら読み続けていくしかない。何にせよ地道な話である。

宇宙以前から宇宙以後までを知るためのサイエンスノンフィクション

宇宙が始まる前には何があったのか? (文春文庫)

宇宙が始まる前には何があったのか? (文春文庫)

近年急速に観測技術が上がりビッグバンやその後の宇宙を理解できる、たしかな理論的道筋が見え始めた。そうすると今度は、宇宙そのものがどのように出現したのか、あるいは宇宙が「終わった」後には何が起こるのか、そもそも宇宙に終わりはあるのかといった極端な事例への好奇心がむくむくと沸き起こってくる。

しかし、「終わり」についても「はじまり以前」についても今のところわかっていないこと、わかりようがないことが多く含まれており実験で検証することが著しく困難で、多くは推論の域を出ない。それでは物理学は無力なのかといえばそうではなく、たとえ推論であっても、理論的考察と理論を方程式によって定式化する数学的な整合性はたしかな知識と与えてくれる。それになんといっても"おもしろい!"

というわけでここでは、魅力的な「宇宙以前」について語られた本、「終わり」について語られた本、「終わったあと」にまで射程を広げた本といくつかの宇宙論関連のサイエンスノンフィクションについてつらつらと語りたいと思う。

宇宙がはじまる前には何があったのか

宇宙はビッグバンによって生まれ、膨張がはじまったとされる。しかし「なぜ膨張がはじまったのか」について魅力的な理屈はあるものの、確かな理屈は存在しない。

そもそも、膨張がはじまる前は何があったのか? からして不可解である。これは魅力的な問いかけだが、フランスの科学研究所で研究をしているオレリアン・バローの説では、時間はビッグバンを通過できず(極めて高密度の状態においては、時間は完全に空間へと変換されるという理論がある)直接的な観測は困難であるという。こうしたビッグバン以前に存在したであろう宇宙の情報を、現在の我々が知ることはできないとする主張は「宇宙の忘却」と呼ばれ、近年も熱い議論が起こっているようだ。

とはいえ、手がかりがないわけではない。たとえば2013年にはそのものズバリな書名の『宇宙が始まる前には何があったのか?』が刊行されており、"無から宇宙が生じ得る理論"の仮説が紹介されている。無とは普通何もない状態のことをいうが、物理学的には「ゆらぎ」だけはすべてのエネルギーを抜き取っても最後まで残る。このゆらぎをもう少し詳しく説明すると、仮想粒子(測定不能なほど短時間に出現しては消える粒子のこと)が生成され対消滅を繰り返している状況のことだ。

で、ビレンキン博士の仮説によるとこのゆらぎの状態からトンネル効果(エネルギー的に超えることのできない領域を一定の確率で通り抜けてしまうこと)によって大きさを持つ宇宙が生まれ、一般相対性理論によればエネルギーを持つ空間は指数関数的に膨張し、きわめて小さな初期空間は今日観測可能な宇宙へと広がる可能性を持っていると話は繋がっていく。問題は結局のところ観測することはできないことだが、少なくとも理論的にはまだ否定されていない上に研究も進んでいる(と思う)。

宇宙の終わり

続いて一般的にはビッグバンが起こって我々の今いる宇宙がはじまったと考えられているわけだが、そんな宇宙の"はじまり"から"終わり"までを一冊かけて説明している、この数ヶ月ぐらいに出た中で個人的にオススメの一冊が『宇宙に「終わり」はあるのか 最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』である。

そもそも宇宙の終わりをどう定義するのかが問題だけれども、本書の中では構造形成を起こす材料もエネルギーも供給されない、"活動をやめた"状態を宇宙の死、ビッグウィンパーであるとしている。どのような過程を辿ってそのビッグウィンパーに到達するのかといえば、たとえば太陽程度の質量を持つ恒星はおおむね寿命が数百億年以下なので、100億年も経てば次々とその姿を消してしまう。新たな恒星が渦巻銀河や矮小銀河で誕生するが、生まれる数より減る方が多いので総数としては減少する。

1該年も経つと銀河を構成する天体はほぼ蒸発、残った天体も銀河系中心部のブラックホールへと飲み込まれていく。いくつかの理論によれば1澗(10の36乗)年も経つと今度は陽子の崩壊がはじまり、物質はどんどん失われていく。宇宙暦1正年(10の40乗年)頃には、陽子と中性子はその姿を完全に消し、電子、陽電子、ニュートリノ、光子が薄く漂う状況へ。だが、現象的にはまだブラックホールが残っている。

ブラックホールもホーキング放射(これまた真空ゆらぎからのトンネル効果によって粒子が対生成を起こし、その片方が外へ放出されるので内部エネルギーが減る)によってエネルギーを失い、いつかは(10の100乗年後)蒸発すると考えられている。つまり、何も変化の起こらなくなる宇宙の終わりは概ね10の100乗年後といえる。

では、終わった後には何が起こるのか?

繰り返される宇宙―ループ量子重力理論が明かす新しい宇宙像

繰り返される宇宙―ループ量子重力理論が明かす新しい宇宙像

もちろんこの「終わり」は単なる仮説に過ぎないわけだけれども、「それじゃあ宇宙が終わった後には何が起こるのか?」という疑問も当たり前のように湧いてくる。いくつもの仮説・理論が存在するが、そのうちの一つである「ループ量子重力理論」では、ブラックホール内部は別の宇宙へと繋がっており(子宇宙と上記の本では記載)、宇宙は次々子宇宙へと"分岐"していくのではないかとする理論も導き出せる。

無茶なと思うが、少なくとも理論的には成立するようだ。軽く量子重力理論について前提を説明すると、時空の歪みが大きくなる特異点(ビッグバン&ブラックホール)では一般相対論が破綻する為、これを解析するためには量子力学と一般相対論を組み合わせた理論が必要なのではとする考えから生まれたのが「量子重力理論」である。

このうちの一つのモデルであるループ量子重力理論では、時間と空間に最小単位を導入し離散的な時間という概念を用いることで、一般相対論が想定する宇宙の動きとは大きく異なる挙動をみせるようになる。たとえば一般相対論によれば、収縮する宇宙のエネルギー密度は際限なく大きくなるはずだが、量子重力理論で想定される有限の大きさを持つ「時間」では、蓄えられるエネルギーにおのずと限界が生まれる。

そのためビッグバンのような極端な事象が起こり貯蔵できなくなるほどのエネルギーが発生した場合にはそれが溢れ出し、斥力に転嫁すると考えられている。これをビッグバンに対して適用すると、一般相対論が想定する特異点による崩壊は自然と回避され、収縮と膨張を繰り返す宇宙観起源が理論的に立ち上がってくることになる。

これは理論をビッグバン特異点に適用したパターンだが、ブラックホール特異点に適用すると先の子宇宙の話に繋がってくる。この仮説によると生み出される新しい子宇宙は物理定数がわずかに変化することも理論的に予測されており、子宇宙のブラックホールから孫宇宙が生まれるかはその子宇宙が持つ物理定数によって決まってくるため、それによって宇宙進化論ともいうべき統計的淘汰が起こることも予測される。

正直言って観測による実証が難しいだけに、研究者でもない一読者としては「おもしろい理屈だなあ」というところにとどまっているが、子宇宙の概念とか宇宙進化論の概念とかめちゃくちゃおもしろいしSF脳がうずきだしてしまう。

おわりに

とまあこんなところでいったんやめておきます。宇宙論の話は観測の不可能な部分が多いだけに、純粋に理論に寄ったいくつもの仮説があって、その壮大さに対して、ほとんどSFを読むようにして楽しんでしまう。

2016年のおもしろかった本、ゲーム、映画を振り返る

はじめに

2016年ももうすぐ終わりです。これまで年の区切りに意味があるとは思えず年間ベストとかもあんまり書いてなかったんだけど、今年はなんだかいろんなことがあったなあ……と思いながらズラズラとリストアップしてみたら、簡単に書いておきたくなったので残しておきます。良い本がいっぱい出て、本当に楽しい一年だった。

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Kindle Unlimited:読み放題でめぼしい物をざっとみる

Kindleの読み放題サービス、はじまってました。
www.wildhawkfield.com
とりあえず雑誌をみるかということでdマガジンとの比較などは上記記事で(ありがたい)ふむふむと見て回っていたけれども、思いがけずいろいろあったのでこれなら登録してもいいかなあという感じ。(dマガジンとも重なっているとことろがあるけど)MacFanもあるしアニメディアもWIREDもあるし月間MdNがあるのも嬉しい。気が向いたら買っている雑誌が何の気兼ねもなく読めるのは嬉しいですね。おそ松さん特集のMdNとかはさっそく読んだけどたいへんおもしろかった。

月刊MdN 2016年 4月号(特集:おそ松さん)

月刊MdN 2016年 4月号(特集:おそ松さん)

逆に漫画誌が微妙で、週刊ダイヤモンドや週刊ファミ通、週刊新潮といったあたりが軒並みdマガジンだけっていうのはアレであるが別に雑誌限定の読み放題サービスというわけではないからまあこんなもんかねってところか。この手の雑誌が適当に読めるようになって嬉しいのは他分野をざっと知りたくなった時気軽に読めることで、たとえば突然ラジコンやりてーなと思ったらすぐにがっつり読めるというのは嬉しい(RC WORLD(ラジコン)もラインナップに入っている)。

SFとかファンタジーとか

さて、それ以外の趣味分野(SFとかノンフィクションとか)には正直ぜんぜん期待していなかったけど、これがなかなか入っている。

汝、コンピューターの夢 〈八世界〉全短編 (創元SF文庫)

汝、コンピューターの夢 〈八世界〉全短編 (創元SF文庫)

特に東京創元社の物は多く、中でも2015年とか2016年刊行のものが入っているのがありがたいですね。ただ、刊行されたばかりのヴァーリイ『汝、コンピューターの夢 〈八世界〉全短編1』は1のみ読み放題。2016年5月に出て最近第一部が完結した『帰還兵の戦場1 コロニー星系の悪夢 』は、3巻中1巻のみなので「1巻は読めるようにしといたから2巻以後は買ってね」ということでしょう。
BISビブリオバトル部1 翼を持つ少女 上 (創元SF文庫)

BISビブリオバトル部1 翼を持つ少女 上 (創元SF文庫)

同じくシリーズ物の1巻としては山本弘さんの『BISビブリオバトル部1 翼を持つ少女』の上下もか。ミステリだと青崎有吾さんの『体育館の殺人』も入ってますね。ヘスター・ブラウンの『逃げ出したプリンセス』やカイ・マイヤーの『魔人の地』など2016年刊行の海外ファンタジーが取り揃えられているのも良い。ジャンル問わずこの辺はおもしろいものばかりなのでオススメですよ。
バネ足ジャックと時空の罠(上下合本版) 大英帝国蒸気奇譚 合本版 (創元海外SF叢書)

バネ足ジャックと時空の罠(上下合本版) 大英帝国蒸気奇譚 合本版 (創元海外SF叢書)

傾向としてはシリーズ物の1巻が取り揃えられている感じだけれども、マーク・ホダーの傑作スチームパンク大英帝国蒸気奇譚は第一作『バネ足ジャックと時空の罠』から完結する第三部の『月の山脈と世界の終わり 大英帝国蒸気奇譚』まで入っている。これ、傑作なのにあまり話題になってない感があるので入ったら読んでみてくれい(普通に買うと上下巻が続くので高いというのはあるけれど読み放題なら無関係)。

近刊以外を挙げているとキリがないが堀昇さんの『バビロニア・ウェーブ』や山本弘さんの『MM9』、乾石智子さんの『夜の写本師』、2015年刊のラヴィ・ティドハー『完璧な夏の日』あたりは特にオススメである。この調子だと東京創元社はシリーズ物の1巻とかは今後も配信してくれるんじゃなかろうかなあ。

筺底のエルピス ?絶滅前線? (ガガガ文庫)

筺底のエルピス ?絶滅前線? (ガガガ文庫)

ラノベの方まではみきれていないが少なくともオキシタケヒコさんの『筺底のエルピス』シリーズが1巻だけ入っているのは確認。田中ロミオさんの『人類は衰退しました』は1巻だけ読み放題、それ以外は1巻完結の『犬と魔法のファンタジー』『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~』『灼熱の小早川さん』あたりは読み放題で読める!
犬と魔法のファンタジー (ガガガ文庫)

犬と魔法のファンタジー (ガガガ文庫)

同じガガガでも長谷敏司さんの『ストライクフォール』は読めないなあ……って書いていたんだけど今は読めるみたいです! これはおもしろいので読むんだぞ! 僕が見間違えていたのか読めるように変わったのかは不明。
ストライクフォール (ガガガ文庫)

ストライクフォール (ガガガ文庫)

ノンフィクション

ノンフィクションは探し方が悪いのかもしれないけど微妙。『スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪』は近刊だけど入ってますね。近刊でなければ2014年の『知られざる特殊特許の世界』とかおもしろいのもあるんだけど、代わりにめくらましかのごとくゴミ本が登録されていて探すの難しいだろうなあ……。

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

光文社古典新訳文庫がたくさん入っているのは素晴らしいと思う。ビジネス書はそれなりに入っていそうだけど興味外なのでパス。あと、技術書も入っているっぽいのでプログラマとかはありがたいかもしれない。とりあえずざっとみたかんじではこんなところか。コミックでも良いのがありそうなのでしばらくは加入を継続してみる。

あと、シン・ゴジラがやっている現在読みたくなるであろうであろう『庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン』『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』も入っているのがよかった。思わず読んじまったよ。

庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン

庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン

庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン

ハヤカワ文庫補完計画作品を全部読んで/レビューしてのあとがき&目次

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早川書房70週年を記念して行われた『これまで小社の歴史を彩ってきた名作・傑作70点を、新訳・復刊・新版で装いを新たに刊行してまいります。』という、「ハヤカワ文庫補完計画」に勝手に乗って全レビューしていたのだが、これが終わった。最初は1点につき1500字くらいの簡単なものを予定していたのだが、それでは到底不可能なことがわかり結局どれも3000字ぐらいかけて本格的に書いてしまった。

とはいえ普段レビューを書いていない人間が突然書き始めたわけでもないし、普段書いている記事の一部分がこの企画にとって変わっただけでもある。やり遂げたという感じでもなく、あれ、終わったのか、という呆気なさの方が強い。なんとなく「終わったらあとがきを書こう」と決めていたから今これを書いているけれども、特に何か書くことがあるわけでもなかったりする。まあ書いていれば何か出てくるでしょう。

なんでこんなことをやろうとしたのかといえば1.せっかくのお祭り企画にも関わらずただ出し直されるのではつまらないだろうと思ったこと。2.2015年からSFマガジンで海外SFレビューの連載をはじめたのだが、古典的な海外SFの名作で読んでいないものが多くゆっくりとでもいいので穴を埋めていく必要があったこと。

3.あまりにもジャンルがバラバラすぎるので何でも読んでよく知らない分野であっても恥ずかしげもなく書いてしまう自分以外にはやらないだろうな/企画が競合しなさそうだなと思ったこと、などなどである。 だいたい復刊や新訳されるのは数十年単位で過去の作品ばかりなので、それが現代においても通用するのか、おもしろいのかといった観点はどのレビューにも入れてきたつもりである。

あとはまあ、電子書籍を出したいなという気持ちが先にあって、こういう企画物の方がやりやすかったのもある。金儲けが目的ではなく(そりゃ売れたほうがいいわけだけど)、こんなふうなやり方で連載して、電子書籍を出したらどんな効果があるんだろう、そこそこ売れるのか全然売れないのか──ある種の実験みたいなものだ。

とはいえどれもざっくりとした思惑であり、こちらとしては仕事ではない以上(早川書房から金をもらっているわけではない)無理してでも完遂する気なんかサラサラない。終わったのはひとえに復刊・新訳される本がどれもおもしろかったからだ。あらためて新訳に関わった人々や企画・編集に関わった人々、新版に解説、ただの復刊であっても解説に手を加えてくれた人々に感謝したい。

僕はたくさん本を読んでいると思われることもあるが、あまりにもばらばらにまとまりなく読んでいるので特定のジャンルについては必読レベルの物を読んでいないことが多い。ミステリからSF、ノンフィクションまで含めて「あの」と表現されそうな「新しい古典」を読む機会ができ、「冬木糸一補完計画」じみた効果を発揮してくれたのは思わぬ副産物であった。だいたいなんでもそうだが、つらいつらいとおもっていたらできないので全体的に「楽しいなあ」と喜んでできたのは素晴らしい。

終わった後に、「書き手」を募集してみんなでわいわい全70点を様々な観点からやるのも良かったかなと思ったが、一人でやる気楽さ(好きなときに何の気兼ねもなくやめられる)には代えられなかった。終わったからこそそんなことを考えられるので、やっている最中は終わる確信が持てないので人を巻き込めないのである。

では以下目次になる。ジャンル別に並べようかとも思ったが、まあせっかく番号順で割り振ってあるんだから番号順に並べました。一部5巻本なのに番号が連番でないとかがあるので完全に正確ではないけどね。

目次

【01】NV『アルジャーノンに花束を〔新版〕』ダニエル・キイス/小尾芙佐訳
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【02】SF『ソラリス』スタニスワフ・レム/沼野充義訳
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【03】SF『死者の代弁者〔新訳版〕』上 オースン・スコット・カード/中原尚哉訳
【04】SF『死者の代弁者〔新訳版〕』下 オースン・スコット・カード/中原尚哉訳
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【05】HM『シャーロック・ホームズの冒険〔新版〕』上 アーサー・コナン・ドイル/大久保康雄訳
【06】HM『シャーロック・ホームズの冒険〔新版〕』下 アーサー・コナン・ドイル/大久保康雄訳
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【07】NV『ファイト・クラブ〔新版〕』チャック・パラニューク/池田真紀子訳
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【08】NF『レナードの朝〔新版〕』オリヴァー・サックス/春日井晶子訳
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【09】SF『伝道の書に捧げる薔薇』ロジャー・ゼラズニイ/浅倉久志・峯岸久訳
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【10】SF『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』フィリップ・K・ディック/浅倉久志訳
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【11】SF『クローム襲撃』ウィリアム・ギブスン/浅倉久志・他訳
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【12】SF『はだかの太陽〔新訳版〕』アイザック・アシモフ/小尾芙佐訳
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【13】HM『特別料理』スタンリイ・エリン/田中融二訳
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【14】NF『24人のビリー・ミリガン〔新版〕』上ダニエル・キイス/堀内静子訳
【15】NF『24人のビリー・ミリガン〔新版〕』下ダニエル・キイス/堀内静子訳
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【16】SF『タイム・シップ〔新版〕』スティーヴン・バクスター/中原尚哉訳
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【17】SF『歌おう、感電するほどの喜びを!〔新版〕』レイ・ブラッドベリ/伊藤典夫・他訳
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【18】HM『アデスタを吹く冷たい風』トマス・フラナガン/宇野利泰訳
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【19】HM『ママは何でも知っている』ジェイムズ・ヤッフェ/小尾芙佐訳
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【20】NF『大日本帝国の興亡〔新版〕』1 ジョン・トーランド/毎日新聞社訳
【21】NF『大日本帝国の興亡〔新版〕』2 ジョン・トーランド/毎日新聞社訳
【23】NF『大日本帝国の興亡〔新版〕』3 ジョン・トーランド/毎日新聞社訳
【24】NF『大日本帝国の興亡〔新版〕』4 ジョン・トーランド/毎日新聞社訳
【26】NF『大日本帝国の興亡〔新版〕』5 ジョン・トーランド/毎日新聞社訳
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【22】HM『来訪者〔新訳版〕』ロアルド・ダール/田口俊樹訳
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【25】SF『逆行の夏 ジョン・ヴァーリイ傑作選』ジョン・ヴァーリイ/浅倉久志・他訳
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【27】SF『海外SFハンドブック』早川書房編集部・編
【28】HM『海外ミステリ・ハンドブック』早川書房編集部・編
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【29】HM『九尾の猫〔新訳版〕』エラリイ・クイーン/越前敏弥訳
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【30】HM『ルパン対ホームズ』モーリス・ルブラン/平岡敦訳
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【31】HM『密造人の娘〔新版〕』マーガレット・マロン/高瀬素子訳
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【32】NV『トレインスポッティング』アーヴィン・ウェルシュ/池田真紀子訳
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【33】FT『双生児』上 クリストファー・プリースト/古沢嘉通訳
【34】FT『双生児』下 クリストファー・プリースト/古沢嘉通訳
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【35】NF『復讐者たち〔新版〕』マイケル・バー=ゾウハー/広瀬順弘訳
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【36】SF『ブラッド・ミュージック』グレッグ・ベア/小川隆訳
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【37】HM『野獣死すべし』ニコラス・ブレイク/永井淳訳
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【38】NV『リトル・ドラマー・ガール』上 ジョン・ル・カレ/村上博基訳
【39】NV『リトル・ドラマー・ガール』下 ジョン・ル・カレ/村上博基訳
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【40】FT『魔法がいっぱい!』ライマン・フランク・ボーム/佐藤高子訳
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【41】HM『魔術師を探せ!〔新訳版〕』ランドル・ギャレット/公手成幸訳
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【42】NF『ムハマド・ユヌス自伝』上 ムハマド・ユヌス&アラン・ジョリ/猪熊弘子訳
【43】NF『ムハマド・ユヌス自伝』下 ムハマド・ユヌス&アラン・ジョリ/猪熊弘子訳
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【44】SF『宇宙への序曲〔新訳版〕』アーサー・C・クラーク/中村融訳
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【45】SF『宇宙の戦士〔新訳版〕』ロバート・A・ハインライン/内田昌之訳
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【46】HM『黄色い部屋の秘密〔新訳版〕』ガストン・ルルー/高野優監訳・竹若理衣訳
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【47】NV『レッド・ドラゴン〔新訳版〕』上 トマス・ハリス/加賀山卓朗訳
【48】NV『レッド・ドラゴン〔新訳版〕』下 トマス・ハリス/加賀山卓朗訳
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【49】SF『世界の誕生日』アーシュラ・K・ル・グィン/小尾芙佐訳
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【50】SF『中継ステーション〔新訳版〕』クリフォード・D・シマック/山田順子訳
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【51】HM『幻の女〔新訳版〕』ウイリアム・アイリッシュ/黒原敏行訳
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【52】NF『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕』上 ジョーゼフ・キャンベル/倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳
【53】NF『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕』下 ジョーゼフ・キャンベル/倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳
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【54】NV『新・冒険スパイ小説ハンドブック』早川書房編集部・編
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【55】NV『アラスカ戦線〔新版〕』ハンス=オットー・マイスナー/松谷健二訳
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【56】NV『ナイト・マネジャー』上 ジョン・ル・カレ/村上博基訳
【57】NV『ナイト・マネジャー』下 ジョン・ル・カレ/村上博基訳
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【58】SF『デューン 砂の惑星〔新訳版〕』上 フランク・ハーバート/酒井昭伸訳
【59】SF『デューン 砂の惑星〔新訳版〕』中 フランク・ハーバート/酒井昭伸訳
【60】SF『デューン 砂の惑星〔新訳版〕』下 フランク・ハーバート/酒井昭伸訳
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【61】NF『パリは燃えているか?〔新版〕』上 コリンズ&ラピエール/志摩隆訳
【62】NF『パリは燃えているか?〔新版〕』下 コリンズ&ラピエール/志摩隆訳
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【63】SF『あまたの星、宝冠のごとく』ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/伊藤典夫・小野田和子訳
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【64】NF『マザー・テレサ語る』ルシンダ・ヴァーディ/猪熊弘子訳
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【65】NF『最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』ケイト・サマースケイル/日暮雅通訳
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【66】epi『キャッチ=22[新版]』上 ジョーゼフ・ヘラー/飛田茂雄訳
【67】epi『キャッチ=22[新版]』下 ジョーゼフ・ヘラー/飛田茂雄訳
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【68】SF『カエアンの聖衣〔新訳版〕』バリントン・J・ベイリー/大森 望訳
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【69】HM『ブラウン神父の無垢なる事件簿』G・K・チェスタートン/田口俊樹訳
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【70】SF『スキャナーに生きがいはない 人類補完機構全短篇1』コードウェイナー・スミス/伊藤典夫・浅倉久志訳
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目次を作っていたら「こいつ書きすぎだろ」とちょっとひいた。

特に誰かに褒められたわけでもないから何も考えてなかったが一人でこんだけ書くのはけっこうすごいかもしれない。まあ、たいしたもんでもないか……。「この中で一押しとかないの?」とか、そういう道筋をつける部分については電子書籍版にエッセイとして収録するつもりなので興味ある人は待っていてください。

もしエッセイとして収録する内容として質問とか、こういう内容を盛り込んでくれということがあればコメントやTwitterでタグ #ハヤカワ文庫補完計画全レビュー をつけて書いてくれれば読みに行きます(採用するかどうかはまた別)。

本当のリアリティっていうのは、リアリティを超えたものなんです──『MONKEY Vol.7 ◆ 古典復活』

MONKEY Vol.7 ◆ 古典復活

MONKEY Vol.7 ◆ 古典復活

MONKEYのvol.7は古典復活ということで村上春樹さんと柴田元幸さんの古典文学対談や、批評家や詩人がお薦めする文学、音楽、絵画、思想、映画それぞれの古典一作などなど読み応えのある内容に仕上がっている。中でも「これは記事を書かねばなるめえ……」と思わせられたのは、村上春樹さんへの川上未映子さんによるロング・インタビューでここの内容が個人的にとても「それだ」と深く納得するものだった。

思いもよらないことが起こって、思いもよらない人が、思いもよらないかたちで死んでいく

もちろん、その対談の内容は多岐にわたって、文体のリズムについて、人称の変化について、比喩についてなどいわば『職業としての小説家』のつづきのような内容をいろいろに語っている。だから、その全てについてここで触れるわけではなく、一点「リアリティ」についての話だけ取り上げようと思う。

このインタビューでリアリティの話題が取り上げられるのは、村上春樹作品に共通して存在している「ふっと現実から離れていく瞬間」についての質問からだ。村上春樹作品では現実的に考えたらありえないようなことが結構起こる。世界が二つあったり、月が二つあったり、リトルプープルだとか、羊男とかいう意味のよくわからないものが突然出てきたり、現実の存在なのか非現実の存在なのか戸惑うような要素が。

それに対して川上未映子さんは実作者らしく「死にしっぽを掴まれた男を書こうとするときに、たぶんもっと、誰に突っ込まれてもまずくならないように、医学的に確実に死なすというか(笑)、そういうことを気にしてしまう。」と応答していて、「それはまあ確かにそうだよなあ」と思いながら読んでいた。でも、そんなところを軽々と飛び越えていくのが村上春樹作品なのだと。村上春樹作品は肌に合わないという人も大勢いるが、そのうちのいくらかはそうした非現実的な要素が受け入れられないのだと思う(幾人かからそういう話を聞いた、ぐらいだけれども)。

それに対して村上春樹さんの応答はシンプルで、『でもそうすると、話がつまらない。(中略)リズムが死んじゃうんだよね。僕がいつも言うことだけど、優れたパーカッショニストは、一番大事な音は叩かない。それはすごく大事なことです。』とばっさりいってしまう。パーカッショニストの部分はよくわからないが、あまり現実的な事柄にこだわりすぎると話がつまらなくなるというのは、もちろん現実的な事柄にこだわらないことによって話が面白くなる場合には真実なのだろう。

個人的に特にぐっと来たのは、そのすぐ後の応答だ。先日、僕は本書を読む前に『1Q84』の牛河というキャラクタが、有能であり地道に仕事を進めてきた醜い男だったのに、ほんのわずかなボタンの掛け違いによってむごたらしく、虚しく、ゴミのように殺されてしまう、だからこそ好きなのだと下記のように書いた。huyukiitoichi.hatenadiary.jp
『有能な男であっても、完璧ではない。彼の他に有能な人間もいる。微妙なボタンの掛け違いが重なって、呆気無くゴミのように死んでいくのだと。「なぜ、おれが」という一瞬の驚き。人間、死ぬときはそんなもんだよなと思う。思いもがけない存在に遭遇し、わけもわからず情報をはかされ、苦しみながら死んでいく。』

村上 思いもよらないことが起こって、思いもよらない人が、思いもよらないかたちで死んでいく。僕が一番言いたいのはそういうことなんじゃないかな。本当のリアリティっていうのは、リアリティを超えたものなんです。事実をリアルに書いただけでは、本当のリアリティにはならない。もう一段差し込みのあるリアリティににしなくちゃいけない。それがフィクションです。

よく現実は小説なり奇なりというが、それはあまりにへんてこなことを小説で書くと「リアリティがない」などといって批判されるが、割合現実ではそうした「リアリティがない」と言われそうなことが頻発するからでもある。いったいだれが飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んであっという間に倒壊すると予測しえただろう。あの現象にはリアリティがなかったが、かといって起こってしまったのだから多くの人は「こんなのは嘘っぱちだ」とはいわない(いう人はいる)。

だからここでいっているのは、単に「現実ではなさそうなことを書け」ということではなくて、「思いもよらないことが起こって、思いもよらない人が、思いもよらないかたちで死んでいく。」それこそが現実の一形態なのだとして、いかにして「自然に納得させられる形で書くのか」ということになるのだろう。

どのような書き方がそれを達成するのかといえば、一応説明を試みているが、技術的なレベルで伝えられることではなさそうだ(あるいは対談というフィールドでは伝えられる情報じゃないか)。

村上 フィクショナルなリアリティじゃないです。あえて言うなら、より生き生きとパラフレーズされたリアリティというのかな。リアリティの肝を抜き出して、新しい身体に移し替える。生きたままの新鮮な肝を抜き出すことが大事なんです。小説家というのは、そういう意味では外科医と同じです。手早く的確に、ものごとを処理しなくちゃなりません。ぐずぐずしていると、リアリティが死んでしまう。

『職業としての小説家』も面白い本だったが、このインタビューも「つづき」として十分以上に楽しませてもらった。カズオ・イシグロさんと訳者である土屋さんと柴田さんの対談も収録されており全体的に読み応え抜群の満足度の高い一冊である。

職業としての小説家 (Switch library)

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